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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第一部 主の御手が届かないなら
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2-2 ただ悪魔を滅ぼすために


 エリアスは銀環から手を離して剣の柄に置き、円の中心に向き直る。グラジェフが一歩先に出た。

 警戒しながら進むにつれ、死臭が強まり、むせび泣く声は隙間風のように細く甲高くなっていく。じきにエリアスはその正体を見付けた。


 山毛欅ブナの古木の足下にうずくまり、太い根と地面との隙間に身を隠そうと躍起になっている――人骨。ほぼ白骨化した死体だった。

 頭蓋骨には蓬髪がまだ残っており、ぼろぼろになった衣服を纏っている。腐り落ちかけの肉片も骨にへばりついているが、骨格を支えているのは、全身に絡みつく微かな銀光の糸だろう。


 あまりに非現実的な光景で、エリアスは軽いめまいをおぼえた。鼻をつく臭いや足下の土の感触がなければ、夢かと勘違いしそうだ。思わず天を仰ぎ、「主よ憐れみたまえ」とつぶやく。それが聞こえたか、しゃれこうべが乾いた音を立てて振り向いた。


「――っ!」

 直後、いきなり死体が飛びかかってきた。予想外のことにエリアスは反応が遅れる。尖った指の骨が目に突き刺さる寸前、剥き出しの頸椎を神銀の刃が叩き斬った。

 騒々しく骨が地面に落ちる。肩にひっかかった指の数本が、関節から抜けてぶら下がった。


 エリアスは大きく一歩退いて身構え、骨の山を睨みつける。グラジェフの剣が切断した首から細く薄い煙が立ち昇っていたが、それだけだ。もう一度動き出す気配はない。彼はむっつりと不機嫌に、馴れ馴れしい骨を服から外して投げ捨てた。


「申し訳ありません、グラジェフ様」

「油断したな。襲ってこないという情報があっても、死者のふるまいは予測がつかんぞ」

「肝に銘じます。……似た事例をご存じなのですか」


 エリアスは頭を下げてから、動かぬ(むくろ)を見やって問うた。あまり遭遇したくないものだが、浄化特使を続けていたら珍しくないのだろうか。


「三、四件だがな。死者の霊は生前の自我を残しておるがゆえに、つい話が通じると思いがちだが、やはりどこか魂が損なわれておる。おとなしく司祭の話を聞き、浄化を受け入れる姿勢であったのに、何の前触れもなく外道のごとく暴れ出す。憐れむべきものたちだが、さりとて警戒を緩めてはならん」


 はい、とエリアスはうなずき、刻みつけるように拳を胸に当てた。グラジェフはくどくど言わず、手招きしながら遺体のそばに膝をつく。エリアスも屈み、検分に加わった。


「ここ数ヶ月以内でしょうか」

「であろうな。相当動き回っていたようだが、完全に骨だけになっておらんし、衣服も残っている。リブニ村で行方知れずの者がいないか、後で確認しよう」

「ヴィレム司祭が何もおっしゃらなかったから、恐らくイスクリの住民だと思いますが」

「まあそうだが、どうせ一度戻るのだから」


 グラジェフは苦笑しつつ立ち上がると、山毛欅の根元に行って、ふむと思案げに覗き込んだ。エリアスは遺体の様子をさらに調べる。

 髪の色は恐らくそう変わっていまいから、茶色。衣服はあちこち破れ、雨ざらしの泥まみれで相当変色して特徴らしい特徴はわからないが、少なくとも金糸の刺繍だの宝石の縫い取りだのがあるご身分でないのは確かだ。骨の大きさや形からしてまず間違いなく成人の男。


 考えながら指先でちょいと襟元を持ち上げた時、妙なものが目に付いた。

「……?」

 眉を寄せ、肋骨の間に垂れ下がったそれを慎重に摘まみ上げる。首がもげているから、頭蓋骨をくぐらせなくても簡単に外せた。

(飾り紐か?)

 全体に黒く汚れているが、元は色糸を何種類も使って編んだ華やかな模様であるらしい。しかも丈夫だ。お守りの類でも通していたのかもしれないが、それらしい物は見当たらない。お洒落のためだとしたら、あまり見ない趣味だ。


(身元の特定につながるかもしれない)


 ちょっと考えて、エリアスは紐を二重にして腕にかけ、袖の中に隠した。なんとなく、グラジェフに知らせる気になれなかったのだ。理由は自分でもよくわからない。強いて言うなら……装飾品などに関心を持つことが“女性的”だと思われはしないかと、そんな警戒ゆえだろうか。


(どうあれ、いずれは独りですべてを調べ、判断しなければならないのだから)


 自分に言い聞かせて納得する。そう、グラジェフが同行しているのは独り立ちできるかどうかを見極めるためだ。あれもこれもいちいち報告して助言を仰ぎ、教え導いてもらおうと甘えてはいけない。既に見習いの時期は卒業したのだ。

 ちらりと様子を窺うと、彼はまだ木の根本にしゃがんでいた。エリアスは立ち上がってそばに行き、声をかける。


「何かありましたか」

「そなたは何か見付けられるかね」

 答える代わりにグラジェフは言い、場所を空けた。エリアスはざっと視線を走らせたが、取り立てて妙なものはない。骨の体を押し込もうと苦闘した跡が残っているだけだ。

「何かを埋めたとか、埋めてあった物を掘り出そうとしたというわけではなそうですね。ただ身を隠したかっただけかと」

「ふむ」


 グラジェフは相槌を打っただけで、己の見解を語るでもなくじっと考え込んでいる。何が気になるのだろう、とエリアスは首を捻った。崩れ落ちた骨の小山を見ても、地面の引っかき跡を見ても、あるがまま以上の事柄を読み取ることはできない。

 行き倒れたと思しき村人が死にきれずさまよい、嘆き悲しみながら人目を恐れて逃げ隠れしていた。不幸な事故、それだけのこと。


(何か見落としているだろうか?)

 不幸な事故――ではない、とすれば。

 エリアスは新たな目で、哀れな死者を見下ろした。身元がわかれば、なぜ、どこからどこへ行こうとしていたのか、一人だったのか連れはいなかったのか、そうしたことがわかるだろう。


「……わからないのは、なぜ死んだのか。死にきれないほどの未練執着があったにもかかわらず、なぜこんな森の中で逃げ隠れしていたのか」

 声に出して疑問を挙げる。グラジェフが合格だと言うようにうなずいた。エリアスはほっとすると同時に反感を覚え、無表情のまま言葉を続けた。

「ですが、そこまで調べるのが我々の役目でしょうか。浄化特使のつとめは魔を滅すること。誰がいつどんな理由で道を外れ魔に憑かれたか、個々の事情まで踏み込んで調べたところで、やるべきことに変わりはありません。罪のあるなしを裁くのは我々の管轄ではないし、治安を守るのは世俗領主のつとめでしょう」


 ましてや今回のこの男は、既に死んでいるのである。今さら事情をどうこう詮索したところで、浄化特使がどうにかできる、すべき問題は、何も残っていない――はずだ。


「ではそなたは、誰かが厳選した獲物を目の前に投げてくれるのをただ待ち受け、剣を振り下ろすだけなのかね」

 グラジェフが冷ややかに質す。エリアスはぐっと眉根を寄せた。

「お忘れかもしれませんが、私はそれだけのために資格を与えられたのですよ。人々の生活に立ち入り魂を導く司祭としてのつとめをおこなうことは、禁じられています」

 この指摘には、グラジェフもたじろいだ。やむを得ん、とばかりにため息をつき、頭を振る。

「それでも、注意深くあれ。そなたは魔を滅することにばかり熱心だが、問答無用で片端から斬り捨てれば良いというものではない。敵の罠にかからぬよう、魔の仕業に見せかけた人の悪意に惑わされぬよう、慎重に手がかりを集めねばならぬ」

「……はい」


 エリアスは抗弁を避け、引き下がった。グラジェフが死者のために祈りを捧げるのにならい、黙祷する。安息を祈るぐらいが、この男にしてやれるせいぜいのところだ。身元を探り生前のおこないを暴いて、他人の人生にずかずか土足で踏み込むような真似をして何になる。


(私はただ悪魔を滅ぼすために在るのだ)


 司祭の位も銀環も、それだけのために手に入れた。死に損ないも外道も、言ってしまえばついでにすぎない。

 彼は拳を握り、奥歯を噛みしめた。


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