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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
閑話
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【小話】感謝のしるし

本編とはあまり関係のない小話。バレンタインシーズンに合わせたネタです。


 凍てつく風に運ばれてきた(みぞれ)が、無情に肩を濡らす。垂れ込める雲の下を抜け、薄日が射す山間の村に着いた浄化特使の師弟は、ほっと息をついた。


 深くかぶっていたフードを脱いで、グラジェフがやれやれと空を仰ぐ。エリアスは「失礼、先に井戸へ」と一言断って広場へ急いだ。ぬかるみで足を滑らせ、転びはしなかったものの靴と裾にべったり泥がついてしまったのだ。


 歩きながらふと見渡すと、良い天候とはとても言えないにもかかわらず、外に出ている村人が多い。不思議と誰もが浮かれ楽しげで、そわそわと落ち着きがない。

 祭でもあるのだろうか、とエリアスは訝りつつ観察し、はたと気付いた。


(花……?)


 全員ではないが、大勢が可憐な赤い花のついた小枝を身に着けている。野バラの仲間だろうか。冬にも負けじと花弁を開き、寒い灰色に沈んだ世界にあたたかな火を灯している。

 誰かに理由を尋ねようと見回したところで、ちょうど話し声が耳に入った。


「今さら改まって渡すこともないでしょ、って思ってたんだけど」


 振り返ると、夫婦らしき男女連れの姿があった。広場の一隅に大きな壺が据えられ、赤い花の大ぶりな枝が無造作に活けてある。そこから適当な小枝を折り、女が笑って連れ合いに差し出した。


「まぁ、日頃の感謝ってやつ? たまにはちゃんと形にしないとね」


 言葉も仕草もぞんざいだが、声には確かな情が込められている。ありがとう、と受け取った男も照れくさそうに頬を染めていた。


「で、そっちからはくれないの」

「ああいや、もちろん」


 慌てて男も手をのばし、一枝ぽきり。互いに同じものを贈り合って、にこにこと笑顔で手をつなぎ、歩み去る。

 なんと素敵な風習だろう。エリアスはじんわりと胸を熱くし、泥を落とすのも忘れて花のほうへ急いだ。


 夫婦の陰になって見えていなかったが、近くの民家の玄関先に老婆が一人腰掛けており、どうやら花の番をしているらしかった。誰が来たかと顔を上げ、皺の間に埋もれそうな目をしばたたきながら、もぐもぐ祈りの文句をつぶやく。エリアスも聖印を切って応えた。


「主の祝福がありますように。……あの、この花は誰でも頂いて良いのでしょうか」

「はい?」


 耳が遠いうえにエリアスの嗄れ声では聞き取りにくいらしく、老婆は不審げに顔をしかめて身を乗り出す。エリアスが質問を繰り返すと、老婆は奇妙な表情で何度もまばたきした。


「そりゃあ、一枝ずつならかまやしませんけども。ええ。でも、司祭様がなんでです?」


 老婆が何を訝っているのか、考える暇はなかった。耳慣れた師の足音が追いついてきたので、エリアスは意気込んで花の小枝を折り取り、向き直る。


「グラジェフ様」

 呼びかけながら花を見せた弟子に、師は一瞬驚き、次いでああと納得した。

「そうか、今日だったか。そなたは初めて見るのだろうな」

 どうやら彼は以前にもこの風習を目にしたらしい。ならば理解してくれるだろう、とエリアスはほっとして、小枝を差し出した。


「どうぞ。受け取って下さい」

「…………」


 奇妙な沈黙が落ちる。一呼吸の後、花番の老婆がごほごほ咳き込み、グラジェフが頭痛を堪えるように眉間を押さえた。


「エリアス。その花はな、愛の告白だ」

「――えっ?」

「この村では毎年この花が咲く頃、恋人や夫婦の間で互いの愛情を確かめるために贈り合うのだよ」

「あの……で、ですが、さっき村の人が『日頃の感謝』だと……だから私も、こうして形にして示せる、良い機会だと」


 エリアスはしどろもどろに言い訳しながら、見る間に耳まで赤くなる。老婆はもう既に、ちょっと命の危険があるのではと心配になるほど、身体を折ってヒィヒィ笑っている始末。グラジェフはそれをちらっと見やり、やれやれと頭を振って弟子を諭した。


「それは夫婦の会話だったのではないかね? 連れ添って長いのであれば、もはや若い恋人のように情熱をもって花を贈ることはあるまい。日々の思いやりを積み重ねて育まれた愛、ということであろうよ」

「…………」

「というか、態度を見ていれば察しがつかんものかね? 花を挿した面々の浮かれようにも、なんとなく艶めいた気配がだな……」

「申し訳ありません!!」


 ほとんど悲鳴のような謝罪で遮り、エリアスは花を取り落として両手に顔を埋めた。のみならず、あまりの恥ずかしさに立っていられずしゃがみ込む。言われてみれば、ああ言われてみればまったく、なぜ気付かないのかと己に呆れるばかり。

 うずくまったまま呻くことしばし。悪気のない失笑と共に、優しい手がぽんと頭に触れた。


「まあ、なんだ。もうそなたに私の助けは必要ないかと思っていたが、まだ教えられることがあるようで、先達として面目を施せるというものだな」


 愉快そうに言って、グラジェフは花を拾う。エリアスは情けない顔を上げ、慌てて取り返そうとした。

「あっ、それはもう」

 恥ずかしいし勘違いなので捨ててくれ、と弟子が言うより早く、師はまるで聖遺物を扱うかのように恭しく捧げ持ち、真面目くさって重々しく続けた。


「夫婦であれ親兄弟であれ、恋人や友人であれ、自ら感謝を示そうという心がけは尊いものだ。であれば私も、この花を笑うまい。師として誇らしく受け取るとしよう」


 そうして器用に、外套の留め具に挟みこむ。目立つ胸元に堂々と、言葉通り誇らしげに。

 エリアスは嬉しさ半分、羞恥半分で、何とも言えず妙な顔をするばかり。そんな弟子を助けるように、グラジェフはにやりとして付け足したのだった。


「本音を言えば、花よりも熱い葡萄酒が欲しいところだがな。さあ、教会を探して我らが同胞の酒蔵を襲撃するとしよう」



(終)

以後この村での風習も、男女に限らず親愛と感謝を示す行事に変わっていったとかなんとか。


※リアルイベントを元ネタにしたセルフ二次などは本編後の番外あれこれの末尾にまとめてあります。この小咄の没バージョンもあります。



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