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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
閑話
30/133

終わりの兆し


 どんよりと重い灰色の雲が空を覆い、太陽を隠す。ゴゥ、と不穏な風が木々の梢を殴りつけ、血のように紅い葉を撒き散らした。

 街道を行く二人の司祭は首を竦めて突風をやり過ごし、顔をしかめた。互いに無言で視線を交わし、旅の荷物を地面に下ろすと剣を抜く。神銀の刃が、曇天の下でも星のようにきらめいた。


 この街道に先ごろ盗賊が出たと知らされていた二人に、油断はない。普通の盗賊なら、これだけで手出しを諦めて去るはずだった。秘術を使う司祭は丸腰でも手強いし、何よりならず者のねぐらは魔のものと背中合わせだ。司祭が清めてくれなければ喰われる。


 だが、そんな道理が通じるのは正気の人間だけ。

 行く手の木立がざわめき、暗がりが漂い出る。潅木の茂みを避けもせずへし折り踏み砕いて、五、六人の男がぞろりと姿を現した。看破をかけるまでもなく明らかな外道。


「堕ちたか」

 チッ、とグラジェフが舌打ちし、エリアスは素早く自分達を囲む大きな円を描いた。神銀の刃で刻まれた円はそれだけで魔を阻む結界になる。時間をかけて聖句を唱えながら線を引き、《力のことば》を刻んで清浄な陣を描けばなお強力だが、線一本でも身を守る盾となる。

 弟子の正しい反応に、グラジェフはちらと笑みを閃かせた。


「そなたがいて良かった。単身であれば必ず戦力を整えて臨むのだぞ」

「はい」


 手短な指導に、弟子もまた端的に答えて眼前の敵に集中する。いかに浄化特使と言っても、一人で相手取れる数は限界がある。盗賊の情報があれば必ず、別の特使を呼ぶか、戦力になりそうな兵士あるいは騎士などの援護を要請しなければならない。

 ただの盗賊であれば普通は特使を襲わないが、魔に憑かれていたら危険だ。先を急いで運試しをすれば、一息に楽園の門を駆け抜けるはめになりかねない。


 闇を纏った男たちは、斧や棍棒、手製の粗末な槍などを手にしていた。まともな武装でないのがせめてもの幸いだ。ゆらゆらと身体を揺らしながら無言で歩き――突然、雄叫びを上げて走り出した。

 獣と区別のつかない声。武器を振りかぶり、歯を剥き出し目を血走らせて、正面からまともにぶつかってくる。


 最初の一人が結界に突っ込み、全身を白い火花に包まれた。痛みは感じているのか、それとも突進を邪魔されたという怒りだけなのか、吼え猛って両手を振り回す。そこへグラジェフが剣の一突きを入れた。

 傷口が白煙を上げ、盗賊が後ろ向きにひっくり返ってのたうち回る。かつて仲間だったそれを障害物としか認めず、後ろにいた男が踏みつけにして前へ出る。


 結界越しに振り下ろされた斧をエリアスの剣が素早く弾いて逸らし、柄を持つ手ごと斬り飛ばした。手首の断面から血と白煙を噴き出し、男がよろよろ後ずさる。痛みや恐怖ゆえでなく、単に身体の平衡を崩しただけの動き。体勢を立て直すとまたすぐに向かってくる。武器がなくとも素手で、何度も結界に弾かれそこらじゅう焼けただれても。

 無謀な突撃は無意味ではない。地面に引かれた線がその度に少しずつ焼け焦げ、薄れていくのだ。


(これは確かに、単独では苦しい)


 片手を失った男がまた立ち向かってくる。結界から出ないまま敵の数を減らしていくには、一人ではじきに限界がきてしまうだろう。外道は悪魔と違って、引き剥がして祓うということができない。肉体ごと殺し滅ぼすしかないから、ある意味では体力勝負、数の勝負だ。


 グラジェフにしごかれ続けたおかげで、今ではエリアスも剣の扱いに長けてきた。かすり傷ひとつ負うことなく、確実に敵の身体を削ぎ、穿ち、落としてゆく。


 最初の一人がとうとう立っていられなくなり、倒れる。視界が開け、エリアスの目に予想外のものが飛び込んできた。街道の外れ、先に外道どもが現れた木立の奥から、ふらふらとよろめき出る小さな影。後方にいた男が気付いてくるりと向きを変え、そちらへ――


 娘が連れ去られたと涙ながらに語る声を思い出す間もなく、エリアスは土を蹴って飛び出していた。結界の線を跳び越えて駆ける。

「エリアス!! この馬鹿者ッ!」

 グラジェフの怒号。だがむろん止まらない。


「主よ、我が祈りを聞き届けたまえ、我が剣に御力を授け、狭間に堕ちし穢れを焼き尽くしたまえ……」


 口の中で聖句を唱えつつ、一直線に盗賊の背に迫る。銀環を巡る霊力が刃に集まり、輝きを増してゆく。


「神を忘れし者は覚悟せよ、汝を救うものはない!」


 渾身の力で振り下ろした一撃は、肩から斜めに食い込んで胴の半ばまでを二つに断ち割った。

 白煙が噴き上がり、さすがに盗賊はぐらりと前にのめる。エリアスは剣を引き抜きざま男の身体を横へ払って倒し、少女に駆け寄った。


 弱々しい足を震わせて立ち竦んでいるかに見えた少女は、しかし、薄く暗闇を纏い、血走った左右の眼球を別々のほうに向けていた。血色の悪い唇が、涎の糸を引きながらぴちゃぴちゃ動き、何かつぶやいている。

「……っ」

 わかってはいたが、エリアスはあまりの痛ましさに顔を歪め歯を食いしばる。少女の喉から細い声が漏れた。


「オナカ、スイタ……」


 直後、無力な少女は獣と化して牙を剥いた。口の両端を引き裂いて喉が見えるほどに顎を開き、目の前の人間に喰らいつこうと躍りかかる。

 むろん届きはしなかった。銀光が閃き、一瞬で首が飛ぶ。

 声もなく少女を薙ぎ払ったエリアスは、そのまま素早く反転し、足下に剣でさっと横線を引いた。


「楽園の門は邪悪を通さぬ!」


 いっさいの動揺なく唱えられた聖句に応じ、一本の線が白銀の光を放って外道の突進を阻む。

 エリアスを追ってきた盗賊が、眼前に出現した光の門扉に弾き飛ばされて咆哮した。がら空きになった胴を神銀の剣が貫き、切っ先が背から生えた。




 間もなく戦いは終わり、黒い霧も白い煙も風に吹き払われて、後には寒々しい無惨な死体と悪臭だけが残った。

 少女の骸のかたわらに立ち尽くすエリアスに、ゆっくりとグラジェフが歩み寄る。師の懸念は無用だった。いとけない少女を斬り捨てた若者は、悲嘆の色もなくただ祈りを捧げている。どれほど見つめても、伏せた睫毛が涙に濡れることはない。


「そうか」

 グラジェフは得心した。――達したか、と。

 浄化特使として立つべき場所に、若き弟子は既に到達していたのだ。感慨と共に漏らした吐息が微かに白い。

 旅の終着が道の先に小さく姿を現そうとしていた。



(終)


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