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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
後日談『羽化の刻』
131/132

8 再会

     8


 豊かな緑の牧草地、白い花が咲く生け垣、そんな懐かしい景色に足を止める余裕もなく、カスヴァはひたすら走る。村の地形も建物もほとんど焼灼以前と同じだということを、ちらりと頭の片隅で意識した程度だ。

 丘の麓まで来たところで、上から怒鳴り合う声が聞こえてきた。エリアスが足を止め、カスヴァを振り返る。

「誰かわかるか?」

「いや……ああ、今のはオレク叔父だろう。ほかは聞き覚えがない」

「ということは、さっきの使者と教会の面々か」

「恐らく」

 二人は視線を交わしてうなずき、急ぎつつも慎重に坂を登った。

 木柵の門のところで一旦止まり、中の様子を窺う。井戸のある広場を囲んで、教会と鍛冶小屋や家畜小屋が並び、奥には領主館が。揉め事が起きているのは予想通り、教会の前だった。教会を背にして立つ司祭と数人の男女に、オレクが掴みかからんばかりの剣幕で怒鳴っている。

「いいから今すぐ、わかったと言え! 従うと!」

「何度言われても返答は同じです、断る!」

 小柄な司祭が言い返す。両者の間に立っている使者が、馬の手綱を持ったまま声を張り上げた。

明日みょうにちだ! これ以上の引き延ばしはもはや断固ならんとのお達しだ。明日、ザヤツ様がお見えになるまでに態度を決めておけ!!」

 傲然と言い放ち、あとは知らぬとばかり再び馬にまたがると駆けだした。門のところにいる二人には気付かず、土を蹴立てて走り去る。オレクが罵詈を吐き捨て、司祭ミハイに詰め寄って強く突き飛ばした。

「だからあれほど言ったろう! 殉教者になりたいなら一向かまわんが、死ぬなら村の外で死ね!!」

 物騒な発言に、緊張が一気に高まる。だがそれでもなお、復活者たちは退かない。

「この教会は我々の聖地です。聖女様の奇蹟と導きを認めない者に、奪わせはしない。剣をもって脅されようとも」

「勝手におまえたちのものにするな!」

 オレクが激昂し、殴りかかる。ミハイの背後からレオ青年が踏み出して庇ったが、寸前、オレクの拳を別の手が止めた。

「叔父上! そこまでに」

 カスヴァの呼びかけに、オレクは明らかにぎょっとなって怯んだ。振り向き、その姿を確かめると、よろけるように数歩下がる。その間にエリアスが復活者たちの前に立ち、銀環を示した。

「おまえ……、カスヴァ、どうして今? まさか」

「俺が今ここにいるのは偶然で、さっきの使者とは関係ありません。叔父上の手紙を見たんですよ、聖都で。今どういう状況になっているんですか。あの言いようからして、ザヤツが武力で彼らを追い払うことに決めたんですね?」

 再会の挨拶をする余裕もなく、カスヴァはとにかく確認しようと質問する。だがオレクは何を思ってか、怒りと屈辱のあいまった表情で歯を食いしばり、答えない。代わってミハイが応じた。

「そうです。明日、兵を率いてザヤツ殿自らやって来る、と。それまでに教会を明け渡すか、どうしても留まりたいならノヴァルクから遣わす司祭を受け入れて、完全な服従を誓え、と言われました」

 その口ぶりから、従う気がないのは明らかだ。エリアスが慎重な口調で話しかける。

「あなたはそのどちらも断るというのですね、ミハイ殿?」

「さようです。とはいえ……あなたが聖都からどんな命を携えて来られたのかによりますが」

「あなた方をどうするか、聖都のほうでは判断を保留し、私に直接現場を見て状況に即した判断を下すよう委ねられました。私は特使エリアス。聖都では司祭エリシュカで通っております。あなた方が『光焔の聖女』と呼ぶ悪魔エトラムと、かつて行動を共にした者です」

 エリアスの名乗りに、復活者たちの何人かが嘆息を漏らした。司祭ミハイは敬意を込めて一礼する。

「そうであろうかと思いました。主のお導きに感謝を。ではあちらの方は……」

「チェルニュクの前領主、チェハーク家のカスヴァ殿です。司祭ユウェインの友人であり、私と共に『復活の日』にいたる奇蹟を目にした一人。あなたが我々の言葉を拒絶せず受け止めてくださるなら、この状況を平和裡に解決できる望みがあると考えますが、いかがですか」

「ちょっと待て!」

 いきなりオレクが割り込んだ。落ち着きかけていた空気をかき乱すのも構わず、彼はエリアスに向かってなじるように言う。

「聖都に陳情したのは、村に“正式な”司祭を置かせてくれということだぞ!? 正しいさだめに従って、ノヴァルクの司教に任命された司祭を、と! チェルニュクはノヴァルクの管轄だろう!」

 ほとんど必死とも見える言い募りように、エリアスは眉をひそめる。彼がもしやと推測したことを、カスヴァが確信を持って口にした。

「叔父上。ザヤツに借りをつくりましたね」

 苦々しく鋭い指摘に、オレクがぎくりと竦む。カスヴァは険しいまなざしで叔父を見据え、容赦なく続けた。

「だから、どうにかしてノヴァルクの司祭を――ザヤツの息がかかった者を、村の教会に置きたがっている。まさか村人たちが教会に納める金まで、ザヤツに奪われているんですか」

 教会が住民から集める税や献金、あるいは聖都から各教会に支給される拝金など、教会のなかにも金の流れはある。世俗権力のために勝手に融通することはむろん禁じられているが、外部からすれば魅力的な金脈には違いない。

「仕方ないだろう! おまえが村人を全員、避難させたから! ザヤツの世話になるしかなかった、そのツケを払わされているんだ!!」

 オレクが吐き捨てるように言った。エリアスが不快もあらわに唸る。

「窮状につけ込んで支援という名の不当な借金を負わせ、与えた以上に奪い取ろうという手合いか。そういう領主と教会が手を組むなど唾棄すべき考えだが、あの司教なら不思議ではないな」

 ふん、と鼻を鳴らす。かつてモーウェンナからの相談に不適切な対応をし、しかもそのやりとりがあった事実を保身のため無かったことにした司教だ。管轄下の小さな教会の財布を都合良くごまかして領主におもねり、見返りを得るぐらいのことは、良心の呵責もあるまい。 事情を知った司祭ミハイも、よりいっそう決意を堅くした。

「道理で、ノヴァルクへ行けとばかり仰せられたわけですな。向こうの司教が我々を認めるかわりに、金銭的な面での制約をかけてきたなら、何も知らずに我々は条件を呑まされたでしょう。そういうことなら、なおさら立ち退くわけにゆきません」

 孤立無援に陥ったオレクは、拳を握りしめてミハイやカスヴァを睨みつけたものの、有効な反撃を繰り出せずに低く唸るばかり。ややあって彼は捨て鉢な台詞を吐いた。

「だったらおまえが解決してみせろ、カスヴァ! 村を放り出して聖都でご立派な仕事をしてきたんだろう、今度はここで存分に腕を振るって見せるがいい!」

 領主の椅子を投げつけるも同然の言い草である。カスヴァは失望と納得のあいまった気分で叔父を見つめた。やはり兄弟だな、と父ハヴェルを思い出す。ハヴェルの存命中はその気難しさ怒りっぽさとの対比から、叔父オレクは穏便なふるまいが多かったものだが。あるいは、領主の仕事を続けるうちに人はいささか変質するのかもしれない。

 彼らに連なる血筋を思ってカスヴァがやや憂鬱になった時、思わぬ助けが入った。

「方法としては、負債の不当を訴えるという手がありますよ」

 驚いて振り返ると、イェレンが門をくぐってやってくるところだった。途端にミハイが苦々しい顔になったので、カスヴァは天を仰ぎたくなった。これ以上、状況をややこしくしないでくれよ、と内心で祈る。イェレンは不穏な雰囲気をものともせず、軽く息を弾ませながら一同のもとへ歩み寄り、銀環に手を当てて一礼した。

「領主オレク殿、初めまして。コニツカの司祭イェレンと申します。やあミハイ、久しぶりだね。君に大事な報せを持ってきたんだが、まず目の前の問題を整理しよう」

「おまえは、また……!」ミハイが拒否するように頭を振った。「そうやってすぐに、他人を口車に乗せる! 今度はエリシュカ様に取り入って新たな地位を得るつもりだな?」

「地位にこだわるのは君の悪い癖だね、ミハイ。とにかく話をさせてくれないか? カスヴァ殿、オレク殿。あらましは下で使者殿をつかまえて聞きました。チェルニュクがノヴァルクに負っている借金ですが、その内容が不当であると、王国の上級裁判所に訴え出られてはいかがでしょう」

「王の裁きか!」

 カスヴァが複雑な声を漏らした。裁判は領主の権限であり、チェルニュク側がノヴァルクで不当を訴えても裁くのがザヤツであれば当然敗訴、どころかそもそも訴えを受け付けられもしないだろう。だが王のもとへ貴族間の係争として持ち込めば、訴訟を起こせる。主君の横暴を、さらにその上のあるじに訴えるというわけだ。とはいえ、主従関係に縛られている領主にとっては、気持ちの上でも実際的な面でも難しいことではある。

「むろん勝ち目は薄いでしょう。しかし実際に裁判に持ち込まずとも、そうすると伝えて譲歩を引き出す交渉は可能かと。借金の減額や、返済の引き延ばしなどをね」

 そこへエリアスも提案を重ねた。

「ザヤツと司教の癒着を聖都に報告して、処分してもらう手もある。特使には監査の権限があるからな。ただし、教会から金が取れなくなったら強硬手段に出るかもしれないから、イェレン殿の策と足並みを揃える必要はあるが」

 司祭二人が実務的な助言をくれたもので、オレクは自分が無能に思われたのか、感心するより悔しそうな顔をする。カスヴァはむろん謙虚に受け止めた。

「ありがたい。しかしどう対処するにしても、まず明日やって来るザヤツ殿を一旦なだめないといけない。名目としては不法占拠された教会の奪還だから、ミハイ殿とお仲間に明日一日、形だけ従ってもらって……」

「なに、その必要はないさ」

 あっさりエリアスが言ったので、カスヴァはもちろんミハイや復活者たちも、きょとんとなった。

「私が教皇聖下の任命状を盾に、お引き取り願う。教会の問題は教会に任せてもらおう。村に入られると村人や建物に危険が及びかねないから、街道で待ち受けたらいいだろう」

「君一人で相手をするのか? いくらなんでも危険だ!」

 思わずカスヴァは声を大きくする。エリアスが眉を上げてとぼけた。

「なんだ、貴殿は来てくれないのか」

「……っ! もちろん行く、ああ、……驚かせないでくれ。どのみちザヤツ殿には、チェルニュクに俺が戻ったことを知ってもらわないといけないからな」

 そこまで言い、彼は叔父をじっと見つめた。オレクは唇を噛んで沈黙を守る。最前自分が厄介事と一緒に投げ捨てた領主の椅子を、このまま相手に拾わせるべきか否か、葛藤しているのがありありと見えた。

 ――と、その時。

「父上!」

 幼い声が叫んだ。カスヴァがはっとして振り向くと、家畜小屋から出てきた我が子が、全力で駆けて来るところだった。

「オドヴァ!」

 たまらず名を呼び、迎えに走る。広げた腕に飛び込んできた息子を抱きしめ、カスヴァは大きく安堵の息をついた。もう、軽々と抱えられるような身体ではない。一年あまりの間に、子供から少年へと成長したのだ。それでも心はまだ素直なままだった。父の首にかじりつくようにして、何度も呼びかける。

「父上、良かった……生きて、ご無事で」

「おまえも」

 しっかりと抱き合う親子の姿に、居合わせた人々の表情が和らいでいく。

 イェレンがこほんと小さく咳払いして、ミハイにわざとらしく話しかける。

「できれば私も、君と感動の再会をしたかったんだがねぇ」

「おまえのそういうところが嫌いなんだ」

 ミハイは渋い顔で言い返したが、声音にそれほど棘はなかった。毒気を抜かれた様子で彼は友人を見上げ、「大事な報せがあるとか?」と促す。イェレンは微笑んでうなずいた。

「中でゆっくり話そう。皆も一緒に」


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― 新着の感想 ―
オドヴァ……!!!(´;ω;`) 元気そうでよかった。あと、「父上」言うて駆け寄ってきてくれてよかったねカスヴァ。 イェレン、なかなかいいキャラですね! ミハイとのやりとりににこにこしてしまいました…
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