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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
後日談『羽化の刻』
130/132

7 猟師小屋

     7


「そろそろ近いな。見えてきた」

 エリアスがつぶやくと、同行者二人は共に夢から醒めたような反応を示した。無意識に動かしていた足がもつれたか、イェレンがつまずきよろけて立ち止まる。それから彼はしきりに瞬きし、現在地を確かめるようにぐるりと首を巡らせた。

「もう……ですか? しかし、一昼夜も経っていないような……いや、もう何日か経ったのでしたか?」

 驚きのままに言いさしたものの、自分の記憶が怪しくなって口ごもる。カスヴァも軽く頭を振って意識をはっきりさせてから、エリアスの横に並んで前を見つめた。蒼暗い通路のずっと先に、ぼんやり薄明るい窓のようなものが開いている。そこに見知った景色が映っているのが見て取れた。

「以前の時よりも随分、距離を縮めたような感覚があるな。こう……かなり“跳んだ”とでも言えばいいか。ここから出たらどっと疲れそうだ」

「目的地が明確で、二人分の意識がそちらへ向かっていたからだろうな。それに、あの頃と違って霊力が安定しているというのも理由だと思う」

 エリアスは言い、通廊の壁に手を触れた。ひんやりと冷たく、少しざらついている。実在の石のようで、しかし力を込めたら突き抜けそうな、不可思議な触感だ。

 イェレンも改めて興味深げに壁を撫で、行く手の窓を見やって嘆息した。

「何とも便利なわざですね。コニツカからエリュデ王国まで歩こうと思ったら、優にひと月はかかるところです。浄化特使の皆さんは、以前からこのわざを?」

「いいえ。『通廊』について知っていたのは、大悪魔を除けば、聖務省長官だったハラヴァ様と現長官のムラク様のお二人だけでした。さすがに、いくら浄化特使だといっても自在に暗闇の扉を出入りして、いきなり遠く離れた土地に現れたりなどすれば、恐怖されます。魔道に堕したとの批難を避けるため、秘されていました。それが幸いしましたね。霊力が不安定なあの頃に、各地で浄化特使がほいほい『通廊』を開いて行き来していたら、もっと早くに、かつ大規模に、『嵐の海の日々』が世界を呑み込んでいたでしょう」

 エリアスは答えて荷物を背負い直し、行きましょう、と声をかけて歩き出す。

 そうしてしばらく無言でせっせと足を動かしていると、『窓』は自然と『扉』に変化した。エリアスは手前で一旦止まり、目撃されそうな人影はないと確認してから、明るい光の中へと出ていく。カスヴァもすぐ後に続き、陽光に目がくらんで顔をしかめた。

(ああ、帰ってきた)

 瞬時に強い感情が胸を満たした。梢を通した光の優しさ、土と草木の匂い、鳥のさえずり、風にそよぐ木々のざわめき。すべてのものが、いっせいに感覚を圧倒する。己の一部であるそれらが呼び覚まされ、全身を満たしてゆく。

 ――故郷だ。

 カスヴァは目を瞑ったまま深呼吸し、立っていられず地面に膝をついた。感動のあまり、というのに加えて、予想した通り、一気に疲労が押し寄せたのだ。陽射しで温まった地面に手をついて、ゆっくり呼吸を整えながら、感慨の波がおさまるのを待つ。

 彼がそうしている間に、エリアスは師の墓へ挨拶を済ませていた。質素な墓石には誰かが司祭グラジェフの名を彫ってくれていた。供花こそないが、夏草に埋もれないようにきちんと手入れされている。恐らく猟師小屋の住人が気にかけてくれているのだろう。

 ひざまずいて祈りを捧げ、この後に待ち受けている難題を無事に解決できるよう力添えを頼んで、立ち上がった時には疲労感も薄れていた。うずくまったままのカスヴァと、座り込んで空を仰いでいるイェレンを見やり、さて先導役の自分が一番元気なのはなぜだろう、と訝しむ。

(書庫で鍛えられていたからかな)

 検証してみるのも面白そうだ、などと好奇心を疼かせながら、イェレンに歩み寄って声をかける。

「大丈夫ですか」

「はあ、なんとか……出た瞬間は倒れて気絶するかと思いましたが、どうやら持ち堪えられそうです。まぁ、コニツカからここまでの距離を移動したのだと思えば、この程度で済んでいるのは僥倖かと。しかしあなたは平気なようだ。鍛錬の差ですかな」

 立ち上がれないままイェレンがエリアスを見上げ、面目なさげに苦笑する。エリアスは軽くうなずいた。

「かもしれません。あるいは、先導役が一番楽で、目的地を知らないまま連れられていく者のほうが疲れるのかも。暇ができたら調べてみたいものです」

 言いながら、用心深く周囲を観察する。日は高く、鳥や虫の声がせわしない。視線の先でカスヴァが立ち上がったと同時に、待っていたかのように猟師小屋の裏手から人が現れた。

 反射的にエリアスは身構えたが、むろんのこと、それはあの悪魔憑き司祭ではなかった。

「あっ……、殿様!?」

 素っ頓狂な声を上げたのは、猟師の女房だった。裏で何か作業をしていたのだろう。汚れた手を組み合わせて天を仰ぎ、感謝の祈りを唱えてから、大急ぎで駆け寄ってくる。

「まあ、まあぁ! なんてことです、よくご無事で!」

「おまえも元気そうで何よりだ、フィルマ」

 カスヴァは勢いに押されながら答え、援護を求めてエリアスを見る。だが彼が割り込める隙はなかった。元領主の視線を追った女房は連れの存在に気付くと、まあまあ、とまた声を上げた。

「もしかして、あの時の司祭様ですか? グラジェフ様のお弟子さんだっていう。ええ、ええ、そうですよ、そうでしょう。あなたが殿様を連れて帰ってくだすったんですか! ああどうしましょう、早く皆に知らせないと。でもその前に何か……殿様、良かったらあるもの何でも召し上がってってくださいな。長旅でおなかも空いてなさるでしょう、ちょうど木苺のジャムがありますからね、燻製肉と合わせたのお好きでしたでしょ」

 怒涛の勢いでまくしたてられ、カスヴァがそれこそ気絶しそうな顔をする。エリアスが背中を小突いてやると、彼はなんとか気力を立て直して口を開いた。

「フィルマ。気持ちはありがたいが、今はそれどころじゃないんだ。というか、そもそも今の『殿様』はオレク叔父上だろう。まさか、叔父上に何かあったのか?」

「いいえ、まさか! お元気でいらっしゃいますよ! ノヴァルクから帰ってきた後、カスヴァ様が戻られるまでって言って、お館様の席に座りなさって。結局じきに殿様顔しなさるようになりましたけどね、だけど正直ちょっと頼りないですよ。今だって教会に居座ってる変な連中を追い出せなくて……あらそういえば、あちらのお連れさんも司祭様なんですか。まさかあの連中のお仲間だとかおっしゃらないでくださいよ」

 なかなか口を挟めずにいるカスヴァに、横からエリアスがこそっとささやく。

「とりあえず、ここでもてなしに与ろう。村へ報せに走られる前に、状況を聞いておきたい」

 そうだな、とカスヴァも同意する。この調子なら、三人の旅人をもてなしながら、たっぷり近況を聞かせてくれるだろう。疲れを癒やせるかどうかはやや怪しいが、とにかく足は休められる。

「フィルマ。すまないが、やはり少し休ませてもらえるか。何か食べ物をもらえるとありがたい」

「あら! あらあら、そうですよあたしったら失礼しました、ええ、どうぞお入り下さい、すぐに用意しますからね。息子が戻ってきたら村へ行ってもらいましょう、それまでゆっくり休憩なすってくださいな」

 息子、と聞いてカスヴァは複雑な表情になった。負傷した彼を背負って、命からがら逃げてきたユウェインの姿が脳裏をよぎったのだ。

「テオも息災か。今も二人だけで暮らしているのか?」

「ええ、おかげさまで。テオが嫁をもらったら、賑やかになるし助かるんですけどねぇ。なかなかいい話がなくって……さ、どうぞお掛けくださいな。そちらの司祭さんも」

 女房は小屋の扉を開け、いそいそとテーブルの用意をしながらしゃべり続ける。パンと燻製肉にジャム、それに汲んできたばかりの湧き水まで並べられ、三人はありがたく渇きを癒やした。エリアスが墓の手入れに感謝を伝えると、女房はしみじみとグラジェフの思い出話を語った後で、現状を嘆いた。

「よそから来た司祭様っていうから、グラジェフ様みたいな方かと思ったら全然違って。ああ、そんなに悪い人たちじゃないんですよ。いえまぁ、エレク司祭を追い出したのは乱暴でしたけど、そもそもあの人はノヴァルクから仕方なしに来てるんだってのを隠しもしなくて、追い出されてむしろせいせいしたんじゃないですかね。ユウェイン坊やが懐かしいです」

 不意打ちをくらってエリアスがむせる。カスヴァはそちらに気遣わしげな視線を向けてから、「坊やはないだろう」とたしなめたが、女房はむろんお構いなしである。

「あら、ええまぁ、確かに良い司祭ぶりでしたよ、それはそうですとも。あたしら皆、あの子の礼拝に行くのが楽しみだったもんです。ノヴァルクに避難する前なんて本当に頼もしく見えて。だけど今の教会にいる司祭様、ミハイさんていうんですけどね、彼、ユウェイン坊やを天使だなんて言うもんだから、さすがに皆しらけちゃいましてねぇ。今も何人かはミハイさんの礼拝に出てるみたいですけど、無いよりはましだって感じで」

 とうとう堪えきれなくなったイェレンが、くすくす笑いを漏らした。

「生まれ故郷で司祭をするのは大変だ、というアレですな。ミハイもさぞやりにくいでしょう。奥さん、実は私はその司祭ミハイの友人なのですが、彼はそのおかしな説教のほかに、村の皆さんを困らせておりませんか」

「まあ! やっぱりあの連中のお友達で? 困るっていうなら、そもそもあたしらの教会を勝手に自分たちの根城にしてるんだから、そりゃあ困ってますよ。まっとうな礼拝に出たきゃノヴァルクまで行かなきゃならない、さもなきゃ『炎の天使』様のお話を我慢して聞いてなきゃいけない、ってんですからね。あの人らが来てから誰の結婚式も葬式もなかったのは、本当に幸いってもんでしょう」

「いやまったく、友人としてお詫びしますよ。では村の皆さんは、礼拝に出るも出ないも自由なのですね。ミハイが強引に皆さんを呼び集めたり、祝福してほしければ謝金を出せといったり、そういうふうなご迷惑は?」

「ありませんよ! さすがにそんなことされちゃ、お館様も黙っちゃいませんとも。むしろあの人らは、村の仕事をあれこれよく手伝ってくれてますよ。もちろん見返りに食べ物やら何やらを欲しがりますけど、ごろつき集団みたいに勝手に村の納屋を荒らすような真似はしちゃいません。そういう意味では、行儀のいい人らですとも」

「それを聞いて安心しました。彼らも気の毒な人々なんですよ。ご存じですか? 彼らの仲間の若い娘さんが亡くなりましてね……」

 イェレンは難なく女房に調子を合わせ、強引に遮ったりもしないのに上手く自分の話を入り込ませて、聞きたい内容へ誘導していく。まるで魔法のようだ。カスヴァとエリアスがただ驚き感嘆している間に、およその状況が把握できてしまった。

 村の教会を占拠した復活者たちは、今も変わらず穏便な対応を続けており、村人との目立った対立はないということ。礼拝は内容こそいささか特殊だが、さりとて以前の様式を完全に変えてしまうものでもないこと。教会の改装にも手を着けているようだが、人手と資材からしてささやかなものだろうこと。彼らの事情については、いくらか村人たちも聞き知っており、同情的な声も聞かれること。そして、そういう状況に対して、領主オレクはいつまでも決定的な行動を起こせず、とにかくノヴァルクの意向ばかり気にしているという噂……

(復活者たちに関しては、危惧していたほどの状況ではないらしい)

 カスヴァはひとまずほっと安堵した。しかし、そうなると問題は現領主オレクだ。女房の話の切れ目を待ち、彼は鋭く問いかけた。

「フィルマ。オドヴァはどうしている?」

 途端、女房は言葉に詰まった。気まずそうな顔になり、もごもごと口を濁す。

「お元気ですよ、ええ、本当に。怪我や病気もなく。そのぅ……あたしはあんまり村のほうには行きませんから、よくは知らないんですけども。でも、お屋敷のお使いでこっちまで来なさった時には、元気そうでしたよ。早く大きくなって、父上を捜す旅に出るんだ、なんておっしゃって」

 急所を一突きされたようにカスヴァが呻く。エリアスが代わって質した。

「館の使い走りをさせられている、ということですか? 早く旅に出たいと思うような扱いを受けている様子だと?」

「立ち入ったことは存じません、何せほら、ここは村の外れですし。ただ、あんまりお館様とは上手くいってないみたいだ、ってぐらいは……あっ、殴られたりしてるわけじゃありませんよ! たぶん、ええ。大丈夫ですよ、殿様、オドヴァ坊ちゃんは強い子です。ちょっとぐらい悪い扱いをされたからって、へこたれたりくさったりしませんとも! そうそう、それにね、お館様はあれですけど、ツィリ坊やとは変わらず仲が良いみたいでしたよ」

「ああ、そうか……せめてもの幸いだな」

 カスヴァはほっと息をついた。オレクの息子ツィリは、以前は『若様』の従僕的な役割を果たしていたが、立場が入れ替わった後でも変わらぬ友情を保ってくれているらしい。

「そういうことなら、教会よりも館へ行って叔父上に会うのが先か……、どうした?」

 思案しつつカスヴァがそう言いかけた途中で、エリアスが不意にはっとなって立ち上がった。そして、そのまま小屋を飛び出していく。慌てて追いかけたカスヴァが目にしたのは、街道を西――ノヴァルクのほうから、村に向かって疾駆してゆく騎馬の影だった。

「あれは……」

「使者か、何らかの先触れだろう」

 カスヴァとエリアスは共に険しい顔になり、騎影の消えた先を睨む。どういう方向にせよ、状況が動くことは間違いない。

「フィルマ! 荷物を預かってくれ、館へ急ぐ」

 カスヴァが小屋の中へと言うのに先んじて、もうエリアスは走り出している。当惑顔の女房とイェレンもあたふたと出てきて、街道の左右を見渡した。カスヴァは彼を待たず、街道へと急ぎながら後ろ向きに声をかける。

「イェレン殿は後から来てくれていい、一本道を辿ればじきに館のある丘が見えてくる。教会もそこだ」

「わかりました!」

 イェレンは即座に了承し、大きく手を振って行けと合図する。カスヴァはひとつうなずくと、全力で駆け出した。


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― 新着の感想 ―
最新更新話まで黙って状況を見守ろう、と思っていたんですが、「ユウェイン坊や」にツッコミを入れずにはいられませんでしたw 恐るべし、親戚のオバチャンオジチャン仕草……ww
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