6 新たな同行者
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追悼集会から数日後、司祭イェレンが宿坊を訪れ、あの日の参列者が何人か結束して訴訟に向け動き始めたと教えてくれた。
「この報せが司祭ミハイたちの心を動かしてくれたら良いのですが。しかし……チェルニュクには、お二人だけで向かわれるのですか」
「ええ、そうです」
再びエリアスとしての装いに戻った司祭はうなずき、ユオンを見やって目元を和らげた。
「ムラク様は対話の糸口として同じ復活者の同行を決められましたが、今回の結果があれば、復活者でなくとも話し合いの席につけるでしょう。ユオンにこれ以上緊張を強いるのは良くない。聖都に戻れば傷ついた心をゆっくり癒やせるでしょうし、どうせなら先に帰ってやっておいて欲しい事もありますので」
「と言いますと……」
イェレンがユオンのほうに視線で質問を投げると、青年司祭はややこわばった面持ちで、だがしっかりとした意志をこめて答えた。
「円環に十字の象徴を八芒星に置き換える是非を、審議にかけていただくことです。エリシュ……失礼、エリアス様がチェルニュクで実際的な妥協案を出されるなら、恐らくあちらの教会で聖女信仰との融和をはかることになるでしょう。その象徴として八芒星を掲げることを、教皇聖下にお許しいただけたら、後で駄目だと言われて揉める心配をせずに済みます」
「それに」とエリアスが渋面で唸る。「コニツカでエトラムが天使にされかかっていることも報告して、早急に手を打ってもらわないといけない。さすがにあいつを天使にするのは、教義に反する。元はといえば大悪魔だぞ? いにしえの時代に過ちを犯して円環にひびを入れた連中の生き残りが、千五百年かけてどうにか罪を償ったというのが真実。この一年、そういう方向で聖典の内容と擦り合わせて矛盾無く落とし込む努力を続けてきたのに、神が救いを遣わされたことにされてしまったら、償いの意味がなくなるじゃないか」
苦々しく言ったエリアスに続けて、カスヴァが何とも複雑な表情でしみじみ言う。
「そういう教義の問題もあるが、あいつを知っている身としては、いくらなんでも天使はやめてやれ、という気分だな……最終的にあいつがやったことは確かに、世界を救ったわけだが。天使だからできたんじゃない。……大悪魔で、人間だったからだ」
一緒においでよ、と誘う声が脳裏によみがえる。あまりにも長い歳月にわたる苦しみから、ようやく解放されるという喜びと、そのくせ最期に誰かの手を握っていたいと願っているような、痛切な願いが込められた声。あれが天使なものか、とカスヴァはつぶやいて頭を振った。
ユオンはイェレンと顔を見合わせ、曖昧な苦笑を浮かべて首を傾げた。
「なんだか……お二人の話しぶりを伺っていると、自分があの静穏の丘で感じた導き手は、本当にエトラム様だったのか疑問に思えてきますね」
「それについては私もカスヴァ殿も、死んでいないから判断できないな」エリアスが冗談でもなく真顔で答える。「ただ、貴殿をはじめ復活者の語る『光焔の聖女エトラム』は、司祭ユウェインとしてのあいつとは、恐らく同じではないだろう。あの時……」
言いさして口をつぐむ。あの日『聖御子の座』で起きたことを、そこにいなかった人間に話すことには、なぜか抵抗があった。一段一段ゆっくり登っていくにつれ、光の雨に包まれていったあの姿を、勝手な推論の材料にしてしまうことは……
(冒涜だ、とでも? 忌々しい!)
敬虔な心持ちにさせられるのが悔しくて、エリアスは一人渋面になる。彼がそれきり続きを言わないので、イェレンがこほんと咳払いした。
「興味深いお話ですな。是非、道中いろいろと議論を重ねたく存じます」
当然のように言われたもので、エリアスは一拍置いて「道中?」と聞き返す。イェレンはこくりとうなずいた。
「大司教様にエリシュカ様との会談をお願いした際、私も共に北へ行かせて欲しいと請願し、お許しを頂いております。やはりどうしても、司祭ミハイのことが友人として気にかかりますので。それに、私ならば間違いなくコニツカの住人であると知られています。追悼集会の顛末も、私が伝えたら事実であると信じられましょう。ユオン殿の代わりに、というわけではありませんが、どうぞ共にお連れ下さい」
今度はエリアスとカスヴァが顔を見合わせた。無言の相談の後、エリアスが口を開く。
「実は、この町からは馬車でなく徒歩で行こうと決めたのですが」
「結構ですとも。日々歩き回っておりますから、足手まといにはなりません」
「……街道ではなく、『通廊』と呼ばれる世界の狭間を歩くのです」
「ほう。浄化特使の皆様の秘伝とされるわざ、ですな」
怖じるどころか、イェレンは明らかにわくわくしている。カスヴァが少し思案した後、
「既に許可も取っているのなら、拒否する理由はないな。こちらは教皇聖下の任命状を持っているが、やはり知り合いの言葉というのは説得力がある。まさか、知人だからこそ逆効果、という関係じゃないだろう?」
と念を押した。イェレンは一瞬怯み、「どうでしょう」と苦笑いになる。
「顔を見るなり扉を閉められることにはならないと、私のほうでは思っていますが。ミハイのほうでは、町を出て行く時に私のことも見切りをつけたかもしれません。とはいえ、このまま会わずに放っておくというのは、不誠実ですからな。どうぞ宜しくお願いいたします」
そこまで言い、彼は初めて悪戯っぽい笑みを閃かせて、付け足した。
「断られても、こっそり着いて行くつもりでおりますので。お覚悟を」
出発はこっそりと、礼拝堂の裏庭からに決めた。エリアスとカスヴァ、そしてイェレンはそれぞれ背負える最小限にまとめた荷物を持ち、『通廊』を開いても人に見られない位置を求めて植木の影に入り込んだ。
「では頼んだぞ、ユオン。難題を持ち帰ってムラク様を困らせて差し上げろ。それから……ルナーク様のところの司祭オリヴェルを頼るといい。彼は暑苦しいぐらい親切だから、貴殿のことも助けになってくれるはずだ」
最後の指示を出すエリアスに、ユオンは「はい、はい」といちいち真面目にうなずく。それから彼は青い目を潤ませて、今更あらためて詫びた。
「ご迷惑をかけっぱなしで、本当に、申し訳ありませんでした」
「そうやって気に病むとなおさら心に良くないぞ。……自分でも、己の負った傷の深さに気付かないというのは、ままあることだ。浄化特使として各地を回っていた間に、いろいろな“弱い”人間を見てきたが……本人の責に帰することができる例など、ほとんどなかった。最初はいちいち頭にきていたんだがな」
エリアスは冗談めかして言い、やや照れくさそうに肩を竦めてごまかした。ユオンは救われたような微笑を浮かべたものの、「それでも」と続ける。
「弱さだけでなく、あの……つまり、……間抜けでした。咄嗟にエリシュカ様と呼んでしまって」
すみません、とまた頭を下げる。エリアスは目をしばたたき、ああと思い出して苦笑した。
「なんだ、そのことか。仕方ないさ、貴殿にとって私はずっと女司祭エリシュカだった。ほんの数日で、咄嗟に新しい名前で呼べなくても無理はない。まあ、今後は“エリアス”の私にも馴染んでくれたら、聖都で地を見せられる相手が増えて楽になる。よろしく頼むよ。それじゃあな」
握手を交わし、今一度周囲を見渡してから、木陰の暗がりに向けて唱える。
「《蒼き死の陰をも、我は主と共に歩まん》」
暗がりの中にいっそう暗い扉が開く。おお、とイェレンが嘆声を漏らした。三人はぐずぐずせず、すばやくその中へと滑り込む。蒼い薄闇の世界に包まれて、カスヴァが息をついた。
「相変わらず不思議な場所だな。というか、円環が修復されたのに、まだ世界の狭間を開けるのか」
「それはそうさ。そもそも円環が壊れる以前からあったわざだろう? まぁ時代につれて秘術として変えられたわざは多いが、基本的なやり方は同じだ。円環が修復されて、余計な霊力が地上に溜まったり淀んだりしなくなったというだけで、術そのものは使える。効果は全体的に弱まっているが」
しゃべりながらエリアスが先頭に立って歩き出す。イェレンがきょろきょろと周囲を見回し、後に続いた。
「これは、実在の建造物ではないのですね? 石積みの地下通路のように見えますが、そう見えるだけで……」
「実在してはいません。だから距離や時間もここでは不確かになり、歩く者の意識に左右される」
かつての『黄金樹の書庫』と同じだが、相手は入ったことがないだろう。エリアスは説明を省き、注意を促した。
「目的地は『通廊』を開いた私が標になりますが、だからといってあまりよそ事に気を取られないようにしてください。私の後に迷わずついて来るように」
そこで彼はカスヴァを振り向き、言い添えた。
「いきなり村の中に出るのは危険だから、例の猟師小屋の辺りを目印にしようと思う。貴殿もそこを意識していてくれ」
「わかった。あの場所には少なからぬ因縁があるし、思い浮かべやすくて丁度いいな」
何しろグラジェフの墓があるのだから、と言いたいのが表情だけでわかる。エリアスは眉を上げたが、余計なことは言わずに黙って前を向いて歩を進めた。