5 女司祭で特使だから
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「正義が必要だ」
エリアスはきっぱりと言い、一同を見回した。
「復活者たちがそういう理由で出て行ったのなら、このままただ彼らの元へ出向いて『おまえたちは間違っている、教会を明け渡せ』と言ったところで何の効果もない。彼らには帰る場所もないし、我々が正しいと認められる心境にもないのだから。アガタ殺害の犯人を捕らえて罰したうえで、もうコニツカに戻っても大丈夫だと伝える必要がある」
「どうでしょうか」イェレンが難しそうに眉を寄せる。「彼らがコニツカに戻ることを望んでいるとは思えませんが……」
「実際どうするかの問題ではありません。他に行く場所がない、復活者以外は信用できない、という彼らの気持ちを変えないことには、何の交渉も始められないということです」
エリアスが言うと、イェレンも納得して「それは確かに」とうなずいた。カスヴァが横から、「しかし、どうする?」と疑問を投げかける。
「殺人者の目星がついているのなら、問答無用で締め上げるという手もあるが、この町でそれは通用しないだろう」
普段そんなことを一番やりそうにない人物が真顔で言ったものだから、エリアスは思わず相手を凝視してしまった。
「貴殿、チェルニュクではそういう領主だったのか?」
「誤解しないでくれ、疑わしいからと勝手に決めつけたことは無いぞ。告発があれば取り調べるのも領主の仕事だ。もちろん双方の言い分を聞くし、裁判集会を開くことになれば証人もそれぞれ用意させる。まあ、だいたいそこまで行く前に、なんとか調停していたんだが。小さい村だからな、遺恨の残る争いは避けるのが賢明だ。だから今、オレク叔父も強硬手段に出られずにいるんだろう」
カスヴァは苦笑いで答え、イェレンを振り返った。
「ともあれ……この町では、領主が犯人を締め上げて万事解決、のような短絡的な方法は取れない。だろう?」
「そうですね。アガタが名家の娘であれば違ったでしょうが……何しろ証人がいない」
アガタが殺された後、当然のこと復活者の仲間たちは証人を探した。
殺されるところを見たという者はもちろん、某が彼女の後をつけていたとか、殺してやると言っていたとか、そういう類の証言を求めて。それらを用意できなければ訴えを起こせない。訴えを起こせなければ調べても貰えない。そういう世の中だ。
だが誰もいなかった。ただの一人も。
「本当に誰も見ていないわけではないはずです。報復を恐れて黙っているのでしょう」
無念そうに唸ったイェレンに対し、エリアスは「そもそも」と指摘する。
「正規の裁判を求めるとなれば、時間がかかりすぎる。何週間、何ヶ月もかけていられる猶予はない」
裁判の選択肢をすっぱり切り捨てた彼に、ではどうする、と続きを求めて皆の視線が集まる。エリアスはつかのま目を閉じて銀環に手を当て、ゆっくりひとつ深呼吸した。心で問いかけ、承認を得たように小さくうなずく。そして、不敵な笑みをうっすらと浮かべていわく。
「手っ取り早い方法がある。だが何人かの協力が必要だ。イェレン殿、大司教ヨナシュ様との会談を取り付けてください。教皇聖下に認められた特使である女司祭エリシュカからの、たっての願いだと言って」
埋葬される時にはひっそりとしていたアガタの墓に、今日は大勢が集まっていた。墓の近くは生前親しかった者たちが占め、悲しみを堪え黙祷している。だがその外側には、明らかに物見高い野次馬と見られる人垣ができていた。彼らの好奇心の向く先は、墓前に跪いて花を供え香を焚いている司祭である。史上初にして現状ただ一人の、女性司祭。
エリシュカは死者のための祈祷を終えると、背を伸ばして会衆に向き直った。金糸で刺繍された純白の祭服をまとった彼女は、陽光に輝く炎色の髪もあいまって、実に神々しく見えた。涙ぐみながら頭を下げる者がいる一方で、野次馬の何人かは露骨に下品な興味の色を目に浮かべる。エリシュカは穏やかな微笑ですべての関心を受け止めた。
「皆さん。今日は急なことにもかかわらず、姉妹アガタのためにお集まりくださって感謝します。この痛ましい出来事に心を寄せ、悲しみを共にし、主の救いを信じて祈りましょう」
涙に暮れる一人一人と目を合わせるようにして、悲しむ者には神の慰めが与えられることを説く。葬儀の定番説教だが、柔らかな女声でのそれは聞く者の心に沁みた。そうして優しい言葉で会衆を慰めた後、エリシュカは本題に入った。
「アガタは復活者であり、楽園へと続く丘で得た確信をもって、すべての罪人にも救いは約束されていると説きました。確かにそれは聖典にも記されている通りです。『聖き道』へと立ち返った者には楽園の門が開かれる――アゼル記二章五節。すなわち罪を認め償いをした者ならば、ということです。アガタを思う時、私たちの心は痛み、悲しみとともに怒りをも抱くでしょう。なぜ正しい者が倒れ、こんな暴力が見過ごされるのか、と。叶うならば自らの手で復讐をと望むことさえあるでしょう」
声音が厳しさを帯び、野次馬が落ち着かなくなった様子でそわそわする。エリシュカは力強く続けた。
「しかし怒りに呑まれてはいけません。信じることです。神は何をも見逃されません。神はすべての悪を正す者であり、不正義には報いをもたらされます。あの『復活の日』に姉妹アガタが経験した楽園への道は、邪悪に対して開かれることはありません。彼女が今、神の御許で安らいでいることは確かであり、一方で罪人がその平安を得ることは決してないでしょう――心から悔い改めないかぎりは。神の正義は必ずなされます。真実は明るみに出され、失われたアガタの声はふたたび世に届くでしょう」
悪に対する断罪から、遺された人々に対する励ましの口調へと変わる。最前列にいた復活者らしき数人が明らかにそれを感じ取り、涙に濡れた目に力を取り戻して女司祭を見つめる。エリシュカは彼らに対して微笑み、うなずきかけた。
「私たちは主の愛と約束を信じ、主が悲しみを癒やしてくださることを信じて、平安のうちに『聖き道』を歩みましょう。正しいことを為すのです。主が私たちの道行きを照らし、お守りくださいますように」
祈りの言葉と聖印で司祭が締めくくり、会衆が唱和する。人々の心がひとつになる時間を充分にとった後、エリシュカは「さて」といくぶん砕けた態度に変わった。
「事前にお知らせした通り、この後、皆さんに軽食をふるまうかたわら、特別に告解の時間を設けます。アガタのことで、心残りや悔いのある方もいらっしゃるでしょう。罪の告白でなく、ただ話したい方も。どうぞ教会のほうへおいで下さい。心の重荷を軽くする手助けをいたします」
優雅に一礼し、それでは、と先に立って歩き出す。まだ涙の止まらない者が墓石に手を触れて祈っている横で、司祭の後について行こうかどうしようかと迷う者がいる。もう見世物は終いかと帰る野次馬もいれば、その場でひそひそと女司祭の品評をささやく者も。
そうした会衆のさらに外で、注意深く様子を見守っている者がいた。カスヴァと、教会の警護兵数人である。エリシュカはちらりとそちらに視線を向け、微かにうなずいた。
教会では司祭イェレンが、談話室に軽食を用意して待っていた。堅焼きパンにチーズ、素朴な焼き菓子と香草茶、といった簡単なものだ。ユオンも手伝っているが、こちらは見るからに顔色が悪い。会衆のなかに殺人者がいるかもしれないというので、ひどく緊張しているのだろう。エリアスは眉をひそめ、すばやく歩み寄ってささやいた。
「ユオン殿。ここは我々に任せて、先に帰りなさい」
「――は、い」
ユオンは咄嗟に拒否しかけたが、それを飲み込み、しおらしく受け入れた。自分がかえって邪魔になると察し、うなだれる。エリシュカは青年司祭の肩に手を置き、慰めた。
「そんな顔では獲物に警戒されてしまう、というのも本音だが、貴殿の具合が心配なのも嘘偽りではない。今以上に悪くなれば、回復にも手こずるだろう。……これが終わったら改めて話すが、貴殿はこの町に留まるか、聖都に引き返せ」
「それは……!」
「シッ。後で話そう」
外から会衆が談笑しながら入ってきた。エリシュカはユオンの身体の向きを変えさせ、背中を押す。ユオンは唇を噛んだが抗議はせず、泣きそうな表情を他人に見られないように、急ぎ足で立ち去った。
一方でイェレンがそつなく立ち回り、人々を談話室へ招きながら打ち合わせ通りの情報を流している。さあどうぞこちらへ、今はくつろぎましょう……心に掛かることがおありなら、司祭エリシュカに話して赦しの秘蹟にあずかるのが良いでしょう……ええ、彼女は教皇聖下の信任を受けておりますから、罪の赦免も……
彼の言葉に、何かを決意した面持ちになる者がひとり、ふたりと増える。罪の意識を刺激されたのだろう――アガタの死について沈黙し、司祭ミハイらと共に行くこともせず、変わらぬ日常を送ろうとしていることへの、後ろめたさを。
そしてまた、そんな反応を見て不機嫌な顔になる者もいた。敬虔な集まりに不似合いな、荒んだ空気をまとった男が五人ばかり。他の人々を監視するかのように壁際に立っており、追悼の談話に加わるつもりがないのは明らかだ。なぜここにいるのかと不審げな目を度々向けられても、まったく取り合わず無視して、仲間内だけでひそひそささやき交わしている。
エリシュカはそんな室内の様子を眺め、相変わらず穏やかな微笑を湛えたまま言った。
「では、私はあちらで準備をして参ります。しばしご歓談を。告解を望まれる方は後ほど、どなたからでもおいで下さい」
手振りで告解室のある礼拝堂のほうを示し、一礼する。いったん控え室に向かい、華美な祭服を脱いで普段の質素ななりに戻るのだ。そうした段取りに馴染んでいる会衆は会釈を返し、接待役のイェレンに促されるまま、用意されたものを手に取っておしゃべりを始めた。 エリシュカが祭服の裾を翻し、談話室から出て行く。一呼吸の後、壁際の集団から一人の男が、仲間の目を避けて密かにその場を離れた。
控え室ではエリシュカが、刺繍の重たい祭服を脱いで身軽になったところだった。音を立てず扉を開閉して素早く入ってきた男に、驚いた様子も無く振り返る。彼女が何か言うより早く、男は無遠慮に詰め寄ってきた。
「おい、本当か。チャラになるって」
「何がです?」
司祭に対する礼儀の欠片もなく、男は今にもエリシュカに掴みかかりそうなそぶりを見せた。
「言えばチャラになるんだろ。罪にならないって」
「ああ……赦されたいことがおありなのですね」
狙い通りに誤解してくれたものだ。エリシュカは内心の牙を隠して柔らかく微笑む。男は怒りに顔を歪め、早口にまくし立てた。
「うるせえ、そうじゃねえ。そもそも俺は見てただけだ。あいつらの巻き添えになるのはごめんだってんだよ、だから先に……赦免ってったか? 寄越せ、できるんだろ」
男は次第に声高になり、我慢できずにエリシュカの手首を掴む。と同時に、控え室の扉が乱暴に開かれ、男の仲間が押し入ってきた。
「オト! てめえ何してやがる!」
「抜け駆けして、いい思いしようってか? ちゃんと俺らも誘えよ。それともまさか、自分だけ哀れな子羊のふりをするつもりじゃぁ……」
「ねえよなぁ? おい」
口々に怒声と威嚇、脅迫を吐き散らす。オトと呼ばれた男は顔をひきつらせ、弁解するように、掴んだままだったエリシュカの手を持ち上げて見せた。
「何だよ、これからって時に邪魔すんなよ。いいだろたまには、俺にも旨いとこ回してくれたってよォ」
狩りの獲物扱いされたエリシュカは、ちらりと自分の手首を一瞥し、冷ややかに口を挟んだ。
「オト。見ていただけ、と言いましたね。何を見ていたんです」
「……っ、黙れ!」
裏切りを暴露されたオトは怒鳴り、女司祭の横面を張り飛ばそうと手を振り上げる。だが一瞬早くエリシュカが身を沈め、オトの膝を容赦なく蹴り砕いた。
「あがぁっっ!!」
オトが絶叫して横転する。直後、
「全員動くな!」
外からカスヴァと兵士らが駆け込んできた。狭い控え室は瞬く間に混乱する。反射的にカスヴァをぶちのめそうとした男が反撃をくらってうずくまる。どさくさに窓から逃げようとした男は、エリシュカが引きずり倒した。兵士が抵抗する男を壁に押しつけながら、やけくそのように怒鳴った。
「動くなと言ったろう! 全員拘禁する!」
「何しやがるクソが! 俺らが何をしたってんだ!?」
そうだそうだと口を揃える男たちに向かって、エリシュカが「はっ」と笑った。
「特使に対する暴行と聖務妨害だ、馬鹿め! どこの国のどの町だろうと、問答無用で拘置所行きだ!」
狼藉者たちは愕然として女司祭を凝視した。エリシュカは清々したと言わんばかりの爽やかな笑顔で、追い打ちをかけてやった。
「所内でじっくり身の上話を聞いてもらうんだな。気の毒なオト君が悪い仲間の巻き添えを喰った経緯なんて、涙を誘うだろうよ。その間に、外ではおまえたちに対する訴えが起こされるかもしれないが、まぁせいぜい頑張れ」
途端に狼藉者は口々に何やら吠え始める。兵士たちが彼らに縄をかけるのに悪戦苦闘している間に、カスヴァはエリシュカに歩み寄った。
「大丈夫か? 怪我は」
「ああ、何ともない」
「しかし手首が」
くっきり痣になっているのを見て、カスヴァが眉をひそめる。エリシュカは肩を竦めた。
「このぐらい怪我のうちにも入らん。そもそも、間違いなく暴行があったという証が必要だしな。いい頃合いで突入してくれた」
「はらはらさせられたがな……」
「奴らの身を案じてか? 冗談だ、そんな顔をするな。心配してくれたことには感謝する」
エリシュカは笑い、軽くカスヴァの腕を叩いた。
「上手く行って良かった。これだけ煽れば絶対に犯人どもの誰かは動くと見ていたが、直接私のところへ危害を加えに来てくれるとは。主のご加護だな」
よそから来た女司祭が葬られた罪を掘り返して追悼集会を開くとなれば、さらにそこで罪が暴かれると断言し、まるで証言を促すかのように人々を励ましたとあらば、いかに殺人者が馬鹿でも、自分の身に危険が迫っていると感じるだろう。彼らが司祭か、あるいは告解しようとする者かを害しようとしたところで、取り押さえる手筈になっていたのだ。
「さて、私はもう一度、猫を被り直さないとな。カスヴァ殿、談話室に戻って皆を宥めているイェレン司祭を手伝ってくれ」
「ああ、わかった。……お見事だったな、司祭エリシュカ殿。面倒事は避けたいと言っていたのに、自らこれほど目立つ役割を引き受けたのには、いささか驚いているよ」
「必要とあらば何でも利用するさ。それに」
とエリシュカは声をひそめ、カスヴァに身を寄せてささやいた。
「これが済んだら『通廊』を使ってコニツカから消えるつもりだ。引き留められて見世物にされる前にな。貴殿もそのつもりで準備しておいてくれ」
「――了解」
カスヴァも小声で答え、無意識に拳を持ち上げる。エリシュカは、当たり前のようにそこへ自分の拳をごつんと突き合わせた。前に同じ仕草をした別の司祭が脳裏をよぎり、カスヴァはつかのま茫然とする。エリシュカは構わず、祭服を整えて告解室のほうへ歩み去っていった。