六章
六章
訴えを起こされたといっても、即座に物々しい雰囲気になったわけではなかった。証言の聞き取りは少人数ずつ何回にも分けてのんびりおこなわれたし、ユアナの小屋に男衆が押しかけて家探しするとかいったこともない。
とはいえ、ウルスは大人しくしていなかった。顔の爛れはなかなか癒える気配がなく、彼はことさらにその惨状を村人達に見せつけようとうろつき回った。喉もやられたらしくガラガラになった声を広場で張り上げ、魔女のせいだ、出戻り女に勝手させたからこうなるんだ、と糾弾する。
当初から非好意的だった人々はここぞとばかり悪評に尾ひれをつけてばらまいたし、小屋に集まっていた女達も巻き添えを恐れて逃げ去った。ユアナは身体に直接危害を加えられこそしなかったが、もはや往来を歩くだけで命を削られていく思いだった。
証言聴取に呼ばれて初めて経緯を知ったヘルミーナが、怒り狂って教会へ乗り込んだのも当然のなりゆきであった。
「ヤンク! よくも自分の失敗をユアナのせいに出来たもんだね。見ればわかるよ、あんたはウルスに金翅草を使ったろう。火傷やかぶれには駄目だってことも知らないで! 何でもかんでもあればっかり使うんだからさ、そりゃ、ああも酷くなるってもんだ」
「口を慎め! そなたは自分が全てを知っていると思い上がっているのか。それこそ傲慢というものだぞ、ヘルミーナ」
「全てじゃないけどね、あの癇癪玉を作ったのはあたしだし、薬草の扱いについてはあんたよりはるかに物知りだとも。ウルスをあたしのところに寄越しな。自分からは絶対に来やしないだろうから、あんたが説得して連れて来るんだよ。まともな手当てをして、きれいさっぱり元通りに治してやるから。正直、あんなクズ野郎は一生あのまんまでいいと思うけどね、仕方ない」
忌々しげに言ったヘルミーナに対し、ヤンク司祭は警戒と敵意を隠しもせず唸り返す。
「その癇癪玉とやらを作ったのがそなたであっても、ユアナがそれに何を付け加えたか、そなたにはわかるまい。あれは悪魔のわざだ。でなければあのようになるはずがない!」
本気で言っているらしい司祭に、産婆は唖然とした。自分がやらかした失敗ぐらい理解しているだろうに、嘘をついている自覚もないのか。単に引っ込みがつかなくなっただけではなく、彼自身そのように思い込んでしまったのだろうか。
(この様子じゃ、失敗したなんて神様の前でさえ認めそうにないよ。こいつの面目を保ったまま訴えを取り下げさせるなんて、どうすりゃ出来るんだい)
さっぱり見当がつかずヘルミーナが途方に暮れていると、ヤンクは尊大に咳払いして追撃を放った。
「それともまさか、そなたもやはり悪魔のわざに通じていたのかね。ユアナが仕込んだ穢らわしい毒を取り除けるというのなら、その扱いを知っているということだ。毒を撒き、充分に染みこむのを待って表面だけ拭い去って恩を売り、深いところには残しておく。そういう悪魔のやり口を、私はよく知っているのだぞ」
「……呆れたね。あんたは最低の司祭だよ」
これは駄目だ。ヘルミーナは見切りをつけると、さっと踵を返した。
教会を後にした彼女は、その足でユアナの小屋へ向かった。畑仕事も手につかないらしく、祭壇の前にひざまずいて祈っている。憔悴した横顔は、村に帰って来たばかりの頃に戻ってしまったかのようだ。ヘルミーナは邪魔をせずに終わるのを待ったが、途中でユアナが気付いて振り返った。
「来てくれたのね」
「遅くなっちまったね。もっと早く事情を知ってりゃ、すぐに来たんだけど。ヤンクをとっちめに行ってやったよ」
「ああヘルミーナ、なんてことを。あなたは私よりもよほど……」
「いいんだよ、どうせあたしは元から嫌われ者だから、今さら司祭に喧嘩売ったからって何も変わりゃしないさ。そもそもヤンクの馬鹿は、誰が何を言おうとあんたを『魔女』にする、と決めちまってるようだしね」
ヘルミーナが司祭とのやりとりを話してやると、ユアナも絶望的な顔になった。傷を治してやってもやらなくても、爛れた原因を説明してもしなくても、どうやってもユアナが魔女だという結論にこじつけられる。
「そんな無茶苦茶な話ってある? そもそも私は襲われて、恐ろしい目に遭ったのよ。なのにそのことは無視するの? 逆らわないで大人しく犯されたら良かったって言うの? やめて、帰って、って言ってそれでそうしてくれるのなら、私だってあんな物使わずに済んだのに。力ずくで犯されそうになったから、力ずくで追い返したってことじゃない。なのに私は魔女にされて、教会に入れてももらえない!」
泣き出してしまったユアナの肩に、ヘルミーナはそっと手を置いてさすってやる。神を敬う彼女の気持ちは、ヘルミーナには正直あまり共感できないのだが、これまでずっと教会を通じて『同じ神に仕える同胞』に属していたのが弾き出されてはつらかろう、というぐらいは理解できた。彼女は自分のように、孤立なにするものぞ、と割り切れる人間ではないのだ。
だからヘルミーナは、あんな司祭の教会なんてこっちから願い下げだろ、と言いたいのを堪えて別の言葉を引っ張り出した。
「あんたは悪くない。それはあたしがよくわかってるし、神様だってきっとちゃんと見てなさるさ。だからやけくそになって、証言の時にウルスやヤンクをめちゃくちゃに罵ったりしちゃいけないよ。あたしの見るとこ殿様は計算高いから、本当にあんたを魔女だと決めて吊したりしちゃ色々まずい、ってぐらいの判断はつくと思う。少なくとも命は取られやしない」
「……いっそ死んでしまえたらいいのに。そうしたら楽園に行けるわ、エルショークのところへ」
「弱気になっちまうのも無理ないけど、それはもっと先の楽しみに取っておきな」
ヘルミーナは苦笑すると、不穏の影を払うように、強めに肩を叩いてやった。
「あんたは身動き取れないだろうから、あたしがコロジュに行ってまともな司祭さんを寄越してくれるように話を通してくる。それまで我慢してるんだよ、いいかい?」
嗚咽を堪えながらユアナがうなずくのを確かめると、では早速、と立ち上がる。戸口をくぐりかけたところで、やっと絞り出したような声が背後から礼を言った。
「ありがとう、ヘルミーナ。でも、どうか危ないことはしないでね。あなたまで魔女として裁かれてしまったら大変だし、村の女は皆、とても困るわ」
「わかってるよ。だからこそ、ここであんたを魔女扱いさせるわけにはいかないだろ。アガタのためにもね。あたしら女はどんなに嫌い合っていたとしても、こういう時にはひっくるめてお仲間になるしかないのさ」
皮肉めかしてにやりとした産婆に、ユアナは濡れた目をぱちぱちとしばたたいた。
「私はあなたを嫌ってないわよ?」
「もちろん、あたしだってそうさ」
ヘルミーナは珍しく声を立てて笑うと、そんな自分が急に恥ずかしくなったように首を竦め、急ぎ足に出て行った。
それきり何の音沙汰もないまま、日が過ぎた。ユアナはこれ以上余計な疑いを招かないよう、極力出歩かず他人との会話も避けて暮らしていたから、産婆が本当にコロジュまで行ったのかどうかさえ知ることができず、心細さを募らせていった。
実際には、ヘルミーナはまず村から出るのに一苦労させられた。司祭が要求したのか、領主の損得計算の結果か、コロジュへ向かう道に見張りが立っていたのだ。遠くから観察していると、売り買い目的が明らかな荷車などはそのまま通す一方で、徒歩の者は必ず呼び止めている。とりわけ女がいると問答が長引くようだった。
コロジュの教会に行く、などと馬鹿正直に答えたら止められるのは間違いない。ヘルミーナは数日かけてあれこれ方策を思案したものの、どれも上手くいくと思われず、最後には危険を冒して深夜にこっそり村を抜け出した。
幸運にも、獣や外道やならず者に襲われることなく無事にコロジュまで辿り着けたが、そこで不運に追いつかれた。教会のほうも何やら取り込み中だとかで、サモシュ村に来て裁判に口出ししてくれる司祭がいなかったのである。
ヘルミーナは取り次ぎの侍祭に切々と苦境を訴え、このままでは無実の女が火炙りにされてしまう、とまで話を大きくしたが、どうしても人手のやりくりがつかないと言われるばかり。粘りに粘って、伝令特使を走らせて近隣の教会に助けを求める、という譲歩をようやく引き出したが、それも四日五日と待たされてなしのつぶて。
痺れを切らせたヘルミーナは、とにかく大至急、絶対にお仲間の失態を庇わない司祭を寄越してくれ、実在するものならね、と言い捨てて村に戻った。無為に待たされている間に裁きがつけられてしまったら取り返しが付かない、と焦ったのだ。
そんな紆余曲折を経て、さすがに心身共にくたびれ果てて帰り着いたヘルミーナが目にしたのは、広場を埋める物々しい人だかりだった。
※覚書 農婦[人名欠失]の証言
「あの小屋ではいつも皆で神様にお祈りしたり、その日の礼拝のお話を振り返ったりしていました。ほかは、子供がいる人は子供の話を。薬とかおまじないとか、そういうのは何にもです。ユアナとヘルミーナはよく相談してましたけど、私やほかの皆は関係ありません。あの二人だけです。本当です」