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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
外伝『魔女の毒』
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四章


   四章



「意外と頑張るねぇ、あんたも」

「あら、こんにちはヘルミーナ」

柳薄荷ヤナギハッカと、いくつか役に立ちそうな苗を持ってきてやったよ。それと前に買った檜葉ヒバの精油が少し残ってたから、薄めて寝床に使いな。虫除けになるから」


 粗末な小屋を訪れた産婆は呆れ顔だったが、ユアナのためにあれこれと心を砕いてくれていた。積極的に関わってくるのは彼女だけだ。ほかは、子を亡くしたばかりだからと思いやってくれる者は遠巻きにして近寄らず、そうでない者は、明らかに「頭のおかしいやつ」の意味合いで「聖女様」などとからかった。

 小屋に移ってからのユアナの毎日は、荒れた住まいの手入れと教会の畑の世話、そして神への祈りに費やされていた。今も額に汗して畑仕事に精を出していたところだ。いたって質素で、なんら珍奇な行動もせず、誰にも迷惑はかけていない。にもかかわらず、村人の多くは彼女の試みを歓迎しなかった。


 当初は支援の姿勢を見せたヤンク司祭も、どうやらこれは長くなりそうだと気付いてからは、いささか迷惑そうな気配を隠さなくなった。一時のことだと説得されたユアナの親から疑いと非難の目を向けられ、焦りはじめたのだ。

 さりとて神に仕えたいという信徒を、一度は認めておきながら今さら家に帰れと追い払うのは、信用にもとる。というわけで彼はより強い権威を利用することにした。すなわち領主である。


「おっといけない。殿様が来るようだから、あたしは退散するよ。敬虔な信徒が祈りの生活を実践しようってところに、魔女が居合わせたんじゃよろしくないからね」

 領主屋敷のほうから歩いてくる人影を認め、ヘルミーナはせわしなく逃げ出す。ユアナは「大丈夫なのに」と苦笑したが、無理に引き留めはせず、新たな来訪者を待ち受けた。


 サモシュ村を治めているヴァイダ家の現当主ペトレは、司祭ヤンクと同じぐらいの歳だが、ずっと押し出しが良い。いかにも頼もしそうで、同時に抜け目ない狡猾さや貪欲さが振る舞いの端々にうっすらと滲み出ている。

 小村の領主にすぎないので、立派な城に住んで宝石と刺繍のきらびやかな服を纏い、ご馳走を食べて暮らしているわけではない。漆喰壁に瓦屋根の屋敷で、村人よりは仕立ての良い服を着て、そこそこ豊かな食事ができる、生活水準としてはその程度。都の政治にも縁遠く、農繁期には領主自身と家族も畑仕事に精を出す。しかし歴然と違うのはやはり、彼が村の土地と人々に対して圧倒的な権力を持っていることだ。

 普段はその力をふりかざして無体な要求をすることもなく、穏健で無難な支配者であるが、揉め事が起きると狡猾さが顔を出す節があった。もっとも、ユアナのこれまでの人生では関わりはなかったが。それも今日までのことか。


(私の噂が変にねじ曲げられて届いたのでなければ良いけど……待って、嫌だ、あいつまで一緒じゃないの。どうして)


 連れだって歩く領主と司祭に少し遅れて、野次馬なのか何なのか、ウルスまでがやって来る。嫌な予感がしてユアナはそわそわした。やっぱりヘルミーナにいてもらったら良かった、まだその辺にいて呼び戻せたりしないだろうか、と見回したが、もう影もない。ユアナはちらりと小屋の中へ視線をやった。


(あれを取って来ようかしら。でも殿様の前で下手なことは出来ないわね。横から口出しをされても、我慢するしか……)


 苦い気分で、棚に置いてある物を思い浮かべる。先日ヘルミーナがくれた泥棒退治の道具だ。ごく薄い樹皮や葉で何かを包んだ、てのひらに収まるほどの小さな球。特製の癇癪かんしゃく玉さ、とヘルミーナは魔女らしく笑ってから、真顔になって警告したのだ。


 ――いくら教会のすぐそばだって言っても、女の一人住まいは狙われるもんだからね。覗き見られるぐらいならまだしも、勝手に上がり込んで物色したり、狼藉をはたらく奴だっている。危ないと思ったら、そいつの顔にこれを叩きつけておやり。巻き添えくわないように目を瞑って息を止めてね。そうして一目散に逃げるんだよ。


 余計な感情のない、冷たく暗い声音だった。彼女自身がそのような目に遭ったのだと、言われなくてもわかった。

 ユアナは唇を噛み、領主に視線を戻す。もう声が届く距離だ。向こうも彼女に気付き、軽く手を挙げて来意を告げた。


「畑仕事のさなかに邪魔するぞ。訊きたいことがある」

「なんなりと、殿様」

 ユアナはぺこりとお辞儀をして、せいぜい慎ましやかに相手の出方を待つ。視界の端にちらつくウルスの姿は努めて無視した。

「そなたはここで修道士のような生活をしたいと言っているそうだが、この小屋と畑は、実はうちのものでな」

「えっ?」

 教会の所有ではなかったのか、とユアナは驚いて司祭に目をやる。ヤンクは肩を竦めて形ばかり謝った。

「すまんね、私もてっきり教会の敷地内だと思っていたんだが。そなたの試みについてペトレ殿にお話ししたところ、正式にはヴァイダ家の土地で、ずっと教会が借りている形になっているとわかったのだよ」

「まあ、そうでしたか。では、私がこのまま使うことは無理なのでしょうか」

「それを決めるために出向いたのだ。おまえが考えているのは、自分一人がここで静かに暮らすことか、それともここに人を集めて修道会の真似事を推し進めようというのか、どちらだ?」


 領主が問いかけ、腕組みして返答を待つ。彼としては、村の者が必要以上に寄り集まって何かをするのは望ましくないのだ。ユアナは女の身ゆえ村の集会に参加する資格もないが、それでも領主が警戒していることは、何となく感じ取れた。

 たとえば、宿屋を兼ねる酒場の亭主が客の動向を逐一領主に知らせていることは、村内で共有されている常識だ。パン焼き日に女ばかり共同窯で集まっておしゃべりする時も、話の流れがある一線を越えないよう、皆が暗黙のうちに調整している。

 領主への不満だとか暴動の企てだとかいった、あからさまに剣呑な事柄だけが問題なのではない。金儲けの話、村民が一致団結して何かを変えること、ただそれだけでも脅威として捉えられると、誰もがうっすら認識しているのだ。

 だからユアナは、難を避けて答えた。


「大それたことは考えておりません、殿様。私はただ、娘の魂を弔いたいだけです。同じ思いをする者が出ないように、母親自身と赤ん坊の世話について女同士で相談し、それぞれの経験を確かめ合う……そんなぐらいのことが出来たら良いとは思っていますが」

 慎重にそこまで言った途端、野次が飛んできた。

「村に二人も魔女は要らねえぞ!」

 むろんウルスだ。司祭がさっと振り向いて厳しく咎める。

「やめんか! 軽々しく言うな、この村に魔女など一人もおらん」

「へえ、そうかい? 俺にゃ魔女としか思えないがね。てめえのガキを死なせておいて、身軽になって好き放題に」

「黙ってろ」


 侮辱を断ち切ったのは領主の一声だった。さすがにウルスも口をつぐむ。ただし、言いたいことは言ってやったぜ、とばかりの歪んだ笑みで。

 ユアナは顔をこわばらせ、両手でスカートをぎゅっと握りしめて、懸命に激情を抑えていた。領主は疎ましげにウルスを睨んでから、彼女に向き直った。


「ああいう手合いもいる。家に戻ったほうが無難だぞ」

「……いいえ。表立って声に出すか出さないか、の違いでしかありませんから」

 ユアナは目を伏せ、かろうじて平静を保った声で答える。領主は「そうか」とため息をついた。

「まぁ儂としては、このあばら屋が修道院を名乗って聖域権や税金逃れを要求してこない限り、何も問題はない」

「ペトレ殿、しかし」

 あっさり容認に傾いた領主に、司祭が小声で抗議する。諦めさせるように頼んだではないか、と。しかし領主は軽く手を振って退けた。

「女が集まって大鍋でヒキガエルを煮ている、だとかいうのであれば、魔女かどうか以前に不気味だからやめさせたいがな。単に子育ての相談というのなら、むしろ推奨するべきだろう。無事に育つ子が増えたら、働き手も増える。実際おまえにしても、この畑からより多くの収穫が上がれば助かるだろうが」


 痛いところを突かれてヤンク司祭はぐっと詰まった。小さな教会を切り盛りするのは彼一人、日々の礼拝と自分の世話に加えて葬式だ結婚式だと忙しく、農作業は疎かになりがちだ。近隣の者の気まぐれな手伝いは当てにならないし、そのくせ心付けを求められる。その点、ユアナを住まわせておけば懐は痛まない。

 畑で育てているのは元々司祭の食事をまかなう野菜ぐらいで、たいした量はないが、今後もし余剰が出れば村内での物々交換に使えるし、なんなら隣市にまで売りに行けるかもしれない。そうして教会が潤えば、新しい燭台や祭壇布を買うことだって可能に……

 妄想に耽る司祭の沈黙を了承のしるしと取って、領主ペトレは尊大にうなずいた。


「異論無いようだな。では引き続きこの小屋と畑は教会に貸しておくから、女達に使わせてやるがいい。ただし、本当にヒキガエルを煮込んだり、月夜に踊りだしたりしないように、おまえがしっかり監督するのだぞ」

「畏まりました」


 司祭が頭を下げると同時に、離れて見物していたウルスが鼻を鳴らし、ふいと背を向けて立ち去った。領主の決定に盾突いてまでユアナを侮辱するのは、割に合わないと計算したらしい。このまま絡んで来なくなればいいが、とユアナは憂鬱にその背を一瞥した。

 邪魔者がいなくなったところで、領主はふむふむと興味深げに畑をうろつきだした。


「これはキャベツだな。それに豆と瓜。あっちは薬草の類か。産婆に教わったのか?」

「はい。私がこちらで暮らすことにしたと話したら、あれこれ融通してくれまして」

「あまり産婆に立ち入らせるなよ。ここはあくまで教会の畑だ、まじないの薬を作るのはよろしくない」

「わきまえております、殿様。ここに植えるのはほんの数種類、女の病や赤ん坊のために便利なものに限ると、最初に決めました。そもそも、たくさんは作れません。私は彼女ほど頭が良くもないですし、手が回らなくなって枯らしてはいけませんから」


 ユアナは答えて苦笑した。主な野菜は実家の畑で作っていたから勝手を知っているが、薬草の類は新たに覚えなければならないから難しいのだ。

 横からヤンク司祭が咳払いした。


「娘の弔いも、疎かにしてはならんぞ。祈りを欠かさず、主のおはからいに対して謙虚であらねばならん。他人の赤子までも守ろうというのは善い心がけだが、死と病を自力で追い払える、などと思い上がらんようにな」

「……はい。まことに、主の御心は深くはかりがたいものですね」


 ユアナはつぶやき、聖印を切った。そうして手を組み顔を伏せたが、それが祈りの仕草なのか、娘を奪った神への恨みが込み上げたのを堪えたのか、外から見るだけでは判然としなかった。




 ※覚書 ヴァイダ家所蔵 一〇二五年付の契約書より抜粋


 ……ヴァイダ家は前述の土地を教会に無償で貸与するものとする。教会が適切な管理運用を継続できなくなった場合、ヴァイダ家は返還を要求することができる。

 また貸与の継続期間中であっても土地の諸権利は領主に帰属するものであり、よって聖域権は適用されない。ここにおいて生じた事柄についての裁判権もまた領主が有するものである。


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