聖誕祭
2021年クリスマス短編(一日遅刻)
聖誕祭は教会の行事の中で最も重要で喜ばしいものだ。世界を救う聖御子が主によって地上に遣わされた幸いの日。冬至の三日後、人々は教会に集まり喜びの典礼に参列し、あらためて聖御子に感謝を捧げる。
本来はそれなりに厳かな気持ちで臨むべき行事であるが、暦も千年を越えた現在、大方の民衆の意識はむしろ付随する宴会に向けられていた。
規定に従えば祝宴は前夜に済ませ、聖誕祭当日は身を清め教会で信仰を新たにするものだ。しかし地方では宴会が後にされている村もあり、チェルニュクもそのひとつである。ずっと昔、必ず飲み過ぎて当日に支障をきたす司祭と領主がいたせいだ。
そんなわけで、今年着任した勤勉な司祭であるユウェインも慣例に従い、礼拝の後で宴会に加わったのだった。
領主館と小さな教会の間にある広場には大きな焚き火が勢いよく燃え、その周りで村人が腕を組んで踊っている。笛や鈴の音、歌声に手拍子。テーブルにはご馳走が並んでいる。豚や鴨のロースト、蕪や豆の滋味豊かな煮込み。甘い香りを漂わせるのは、乾し果物と木の実がぎっしり詰まったケーキに、熱々の焼き林檎。
チェルニュクのように小さな村でも、このぐらいの贅沢はできるのだ――司祭が一年こつこつと資金を積み立てていれば、そして領主の懐に余裕があれば。
着任して初めての聖誕祭を無事にやり遂げたユウェインは、ほっとした面持ちで村人達を眺めていた。先におこなった礼拝と説教の効果が、炎の熱と酒の力で蒸発しているのには苦笑を禁じ得ないが、文句を言うのは野暮だろう。
人生には喜びと楽しみが必要だ。もちろん、司祭の人生にも。木杯を口に運んで既に空だったことを思い出し、おかわりを取りに行こうかと樽のほうへ目をやる。その視界の隅に小さな人影が映り、彼は林檎酒の誘惑を忘れた。
――オドヴァだ。はしゃぐ様子もなく、父親や友達とも離れて、ひとりでじっと佇んでいる。祭りの空気にそぐわぬ寂しげな横顔を放っておけず、ユウェインは杯を置いて少年に歩み寄った。
呼びかけるより早く、オドヴァは司祭に気付いて顔を上げた。ユウェインは微笑みかけ、かたわらにしゃがんで話しかける。
「どうしたんだい、こんな所にひとりで。寒いだろう、火のそばに行かないかい」
「……」
オドヴァは小さく首を振り、ぎゅっと唇を噛んだ。ユウェインはいたわる表情になり、少年の腕をそっとさすってやった。母親を喪って初めての聖誕祭だ。場が賑やかなほど、その不在を感じてしまうのだろう。
だがその憶測が正しかったとしても、少年は母のことは口にしなかった。焚き火を見やって眉をひそめ、考え深げにつぶやく。
「こんなのおかしいです。だって、死んでしまうのに」
「聖御子様が?」
「はい。世界を救うために地上に遣わされた、ってことはつまり、神様は聖御子様を死なせるために送り出したんでしょう? ……今まであんまり考えてなかったけど、喜ぶことじゃないって気がして」
死を身近に経験したがゆえの気付きだろう。そうユウェインは察したが、本人が言わないことに触れるのは避け、あえて軽い口調で答えた。
「そもそも人というのは、何かと口実を作っては寄り集まって飲み食いしたがるものだからね。喜び祝うために肉を用意する、というより、皆で肉を分け合えたらそれ自体が喜びだ、という話かもしれない」
途端にオドヴァは、それってどうなの、とばかりのしかめっ面で振り向いた。はぐらかす大人を糾弾する目つきだ。ユウェインはちょっと笑い、立ち上がって少年を抱き寄せた。
「おいで。そういうのは一人で寒い所にいて考える話じゃないよ。どうしたって悲しい結論しか出てこないから。こうすれば少しは暖かい……さてそれじゃ、真面目に答えようか。とはいえ難しい問題だからね、どこまで君が納得できるかわからないけれど。君はさっき、神様は聖御子様を死なせるために送り出した、と言ったね? それを祝うなんて、実はひどいことなんじゃないのか、と」
柔らかな声音で物騒な言葉をささやいた司祭に、オドヴァはぎくりと身を竦ませたが、否定せずにうなずいた。よしよし、とユウェインは頭を撫でてなだめてやる。
「君は優しいね。だからそう感じてしまうのも無理はない。でも、ちょっと考えてごらん。仮に聖御子が神様から託された使命が、重大だけれど命と引き換えにまではしなくていい、別なことだったとしたら――聖御子様は死なずに済んだ? 今も生きているはず?」
「それは」
オドヴァは言葉に詰まり、ちょっと反論を考えてから黙って首を振った。
「そう、私達は皆、最後には必ずこの地上を離れる。でもそれまでの間に、誰かがしなければならない仕事を果たすように、神様から託されているんだよ」
「仕事……父上みたいに剣を取って戦ったり、村の皆みたいに畑を耕したり、ですか」
「それもだし、それ以外にも。誰かを愛したり、食事を作ってあげたり、心を慰めたり、といった『仕事』らしくないことも含めてね。ほとんどの使命は小さくて複雑で、わかりにくいものなんだ。たまたま聖御子様の使命は誰の目にも明らかで、やたらと規模が大きくて代償が重かったけれど、突き詰めれば何もひどい話ではないんだよ。地上でやるべきことをやった、それだけだ。ただそのおかげで過去の人々が救われ、今の私たちが生きているから、感謝のしるしとしてお祝いをする。……難しいかな」
まだ十歳の子供に、運命の複雑さを噛み砕いて教えるのは困難だ。いかに口八丁の悪魔でも、同時に“良き司祭”の箍をはめられていてはお手上げしたくなる。
だが幸いオドヴァは思慮深く、忍耐強かった。眉間に皺を寄せてしばらく唸ったものの、最後にはふうっと息を吐いて肩の力を抜いた。
「難しいけど、なんとなくわかった気がします。とりあえず少し楽になりました。……正直まだあんまり、お祝いしたい気持ちにはなれないけど」
「無理に浮かれ騒がなくたっていいんだよ。元々、聖誕祭はまじめにやるものだからね」
「皆は『口実にして飲み食い』してるだけ?」
「そういうこと。でもまぁ、それで大勢が一時でも人生の苦労を忘れて喜び楽しめるなら、聖御子様も口実にされるのを嫌がりはしないさ。心優しい男の子が、好物の焼き林檎にありつけるわけだしね」
司祭がおどけて言い、オドヴァもやっと笑みを浮かべる。さあ、行って食べておいで、と腕をほどいて背中を押してやると、少年は恥ずかしそうにテーブルのほうへ駆けていった。
彼が子供らしい顔に戻って好物を頬張るのを見届け、ユウェインはやれやれと肩を回しつつ振り返る。さっきから無言の圧を感じていた通り、保護者が不穏な目つきでこちらを睨んでいた。
「そんなに睨まないでよ、お父さん。大事な典礼を乗り切った後でこんな難題を投げられて、こっちはもう精魂尽き果てそうなんだからさ。“良き司祭”も楽じゃないねぇ」
「おまえに怒ってるわけじゃない。本当なら俺の役目だ。……すまない」
カスヴァは沈鬱に詫びると、司祭と並んで我が子を見守りつつささやいた。
「使命の話はでまかせか、それとも本当なのか? ユルゲン様も時々説教の中で人の使命に言及されたが」
「正解を知っているのは神ご自身だけだよ、カスヴァ。というわけで教会でもまだ論争中。運命論者は昔からいるけど、その主張を全面的に肯定したら、あらゆることが全部あらかじめ決まっていて、努力も勤勉も価値を失ってしまうからね。さっきの話は子供向けに簡単にしたもので……あの子がひとまず今だけでも、お母さんは使命を全うしたんだ、と納得できるようにと思ったんだ」
「……ああ」
無意味な人生、理不尽な死――ではなく、何かを為した、意味がある人生とその終わりなのだ、と人は思いたがる。まともに虚無を見つめたら生きてゆけない。
数多の虚しい人生を知る悪魔は、皮肉な微苦笑を浮かべた。
「良き司祭であるには巧みな嘘つきの才能が必要だね。何しろ僕は、聖御子が神の子じゃなくただの人間だったという事実を知っている」
「おい止せ」
カスヴァは小声で遮り、聞かれやしなかったかと周囲に目を走らせた。ユウェインは肩を竦め、大丈夫だよ、といなした。
「それでもね、こうして司祭として生きていると思うんだよ。現実にこうだったという事実とは別に、信仰の中の『事実』もまた力を持っている。聖御子も、教会が説く神も。かつての僕らの時代には気配すらなかったのに、今ではすっかり確固たる存在として人に力を及ぼしているんだから」
「つまるところ、信じる者は救われる、か」
カスヴァが自嘲を込めて鼻を鳴らした。ならば教会に疑いを抱き悪魔と契約などしてしまった自分は、決して救われまいと言うように。ユウェインがその背をぽんと叩いて慰めた。
「そうだよ。きっと君も、いずれはね。とりあえず今は食べて飲んで温まろう。魂はともかく、この凍えた身体を救わなきゃ」
「ああ、同感だ」
ユウェインが明るい声をつくったのに合わせ、カスヴァも苦笑で賛成する。
そう、食べて飲んで温まれば、少なくともみじめな気持ちからは抜け出せる。その後でなら、主と聖御子に感謝のひとつも捧げられるだろう。宴の名目をつくってくれたこと、幼い子供の心を慰める役に立ってくれたことに対して。
「たまにはおまえも、まともなことを言うんだな」
「君は時々ひどいこと言うよね」
気安い幼馴染みに戻って、軽口を交わしながら歩く。二人が焚き火のそばに寄り、賑やかな喜びの環に加わるのを待っていたように、空からひらりと雪のひとひらが舞った。
(終)