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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
後日談ほか番外
104/132

父と呼ぶなら

父の日SS師弟問答。

 少し気が緩んでいたのだろうか。家族の出てくる、不思議な夢を見た。


 悪魔に歪められる前のように平和で穏やかな、しかし幼い日の記憶ではなく、エリアス青年としてベドナーシュ家に溶け込んでいる夢。

 優しくて賢い母、無邪気に慕ってくれる弟。気の良い叔父や、いとこ達。そして、冗談が好きで時々おふざけが過ぎるけれど、憎めない父。


 皆が笑っていた。温かな親愛と信頼があり、いつまでも変わらないと信じられる、そんな夢で――だから、

「起きなさい、エリアス」

 頼もしい男性の声で起こされた時、つい口走ったのだ。


「お父さん……?」





 どうにも気まずい空気は、教会の食堂で朝食をとる頃になっても、師弟の周囲を去ってくれなかった。

 恥ずかしさと情けなさでうなだれたまま、エリアスは改めて謝罪する。


「重ね重ね失礼を申しました」

「詫びる必要はない。ただ、寝言とはいえ、気をつけることだ。誰かに聞かれたら頼りなく思われるぞ」


 応じるグラジェフもなかなかに沈鬱な表情である。計算上、二十歳の子がいてもおかしくはない、とは以前に思ったものの、そんな人生を歩まなかったのだからして、父親の実感など味わったことはないし、いきなり体験させられたくもない。

 老け込む気分を立て直そうと、彼は曖昧な声音で問いかけた。


「家族の夢でも見ておったのかね」

「はい。現実の記憶とは違うのですが」


 エリアスは答えてからふと気付き、訝しげに瞬きした。

 そういえば自分は父を『お父さん』と呼んだことはないのに、なぜだろう。娘として過ごした間は『お父様』だった。夢の中で今の自分として家族の一員に加わっていたから、司祭エリアスらしい呼びかけを無意識に選んだということか。

 声の主がグラジェフであるとは認識していなかったから、彼のことをお父さんと呼ぶに相応しい、だとか判断したわけではあるまいし……

 などとつらつら考えていると、向かいで当の師が不審げな顔をした。エリアスは咳払いでごまかし、これ以上気まずくならないように急いで話題を変えようとして、はっと重大なことを思い出した。


「父と言えば、前々から謎だったことがひとつ」

「うん?」

「我らが主について、なぜ『父』にたとえるのです?」


 ささやきで放たれた疑問を受け、グラジェフは「おっ」と小さく声を漏らした。眉間の曇りが晴れ、面白そうな目つきになって身を乗り出す。


「そなたはまた、いきなり不穏な核心を衝いてくれるな。教理を学んだなら理解していよう?」

「ええ、形としては。神は我々人間のような肉体や性別など持たない、しかしすべてのものの親、あらゆるものにまさる権威であるがゆえに『父』であると」

「そう、そして『母』でない理由は……」

「女は不完全であり従属する性であるから、たとえ“命を生むもの”であっても神を表すに相応しくない」


 下らない屁理屈だ、と軽蔑する心情を隠しもせず、エリアスは鼻を鳴らす。グラジェフはにやりとして言った。


「黄金樹の書庫に入れば、その点に関してなかなか興味深い記述が見付かるぞ。ともあれ今それだけ“形として”知っていながら謎だというのは、どういった点かね」

「この理屈そのものが間違っているとは思いますが、仮に認めるとしても、大前提として親だの権威だのといった要素は人間固有のものでしょう? つまり他人との関係において意味を持つものであって、“全にして一”なる神にはそもそも該当しない。確かに神はあらゆる存在を生み、あらゆるものを超越した存在であろうけれど、それを親と認識し権威を見出して平伏すのは人間の勝手なのでは?」


「然り。そなたは本質をよく捉えておる」

 グラジェフは満足げにうなずいてから、指を一本立ててくるりと反転の動きを示した。

「ではそこから再び教理に立ち返ってみようではないか。神とはいかなるものか、ではなく、神について記したものの性質について」

「それは……人間の性質? 教理の伝道者や編纂者の問題である、ということですか」

「我らが《聖き道の教会》なる組織もな。そなたが言ったように、神に平伏すのは我々の勝手都合。しかし一人一人がそれぞれ無関係に神を敬うのでなく、皆で一緒にするとなれば、集団が生まれ規律や序列が求められる。そうして形作られた組織を動かすのが男ばかりである以上、権威は『父』でなければならん、というわけだ」


 皮肉っぽく締め括ったグラジェフは、あからさまに不服顔の弟子に苦笑し、言い添える。


「学術的な真理も政治の前には道を譲る。よくあることだ」

「ああ……なるほど。解りました」


 納得も受容もしたくありませんが、とばかりのため息ひとつ。前途ある若者を失望させたままにしてはおけず、グラジェフは前向きな励ましを与えた。


「だがそなたの考察を論文として記録に残しておけば、政治が変わった時に日の目を見ることもあろうよ。何も無駄にはならん。さあ、問答も楽しいがそろそろ出発せねば。続きは歩きながら話そう」


 はい、とエリアスも気を取り直して席を立つ。二人分の食器を片付けながら、彼はふと悪戯っぽい目で師を見つめた。


「権威を父と言い表して疑わないことには不満がありますが、その文脈でなら私は喜んであなたを『父』とお呼びしますよ」

「止さんか。いや、止してくれ。頼む」


 途端にグラジェフは苦り切って唸り、次いでまさに権威をふるったと自覚して言い直した。まったくもって頼む口調ではなかったが。

 エリアスが軽く笑って食器を運んで行く。グラジェフは楽しげな弟子の背中を渋面で見送り、やれやれと頭を振って立ち上がったのだった。



2021.6.20


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― 新着の感想 ―
[良い点] 幕間や閑話は本編に匂いや奥行きを与えるようで、再読をまた楽しくしてくれます。感謝。
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