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(2)


 さて、その数日後のことである。



「ごめんくださいませ」


 妙齢の婦人の声に、スグリはぱっと顔を上げた。

 いつの間に入ってきたのだろうか、カウンターの前に二十代後半くらいの美しい婦人がいる。綺麗な黒髪を夜会巻きにして銀の簪を挿し、品の良い葡萄色の着物に象牙色の帯を締めた夫人は、どこか愁いを帯びた顔でこちらを見ていた


「いらっしゃいませ。ご入り用のものは何でしょうか」

「あの……お嬢さん。わたくし、本日は謝罪に来ましたの」

「え?」


 突然の申し出にスグリは驚く。まじまじと婦人を見やれば、その切れ長の目の涼しげな美貌に、かすかに見覚えがあった。婦人は深々と頭を下げる。


「先日は、愚息がこちらのお店で大変失礼なことを致しまして、誠に申し訳ございません。代金の方を支払いに参りました」

「……あっ!」


 やっとスグリは気づく。あの狐の少年と、この婦人の顔は、とてもよく似ていたのだ。

 この和風美人は、化け狐の化けた姿だったのか。完璧に人間に化けていたので、スグリは気づけなかった。

 婦人は下げていたススキ模様の黒い巾着から、千円札を取り出して差し出す。


「本物でございます。お確かめ下さいませ」

「は、はい……」


 確かめると言っても、どうすればいいのだろうか。眉に唾を付けるとか…?と、困るスグリに代わり、いつの間にかキッチンから出てきたミントが対応する。

 カウンターに飛び乗ったミントは、化け狐の婦人に向かって軽く片前足を上げてみせた。


『よお。薄野すすきのの奥方が出てくるなんて、珍しいこともあるもんだな』

「あら、まあまあ、黒の御方おかた様ではございませんか。お久しぶりでございます」

『その呼び方やめろって。……いやー、しかし、あんたの息子はなかなかいい具合に育ってるじゃねぇか。見事にこいつ、騙されたからな』

「よして下さいましよ、黒様。こちら様にご迷惑をお掛けして、本当に恥ずかしいったらありゃしません。まさか赤橙の魔女様の御身内をだまくらかしたなんて、親族一同、肝が冷えたどころではございませんでしたよ」

『いやいや、それでこそ化け狐じゃねぇか』


 和やかに会話するミントと婦人を、スグリは呆気に取られて見やる。

 すると、ミントが『安心しろよ、それはさすがに本物だ』とスグリの手の中の千円札を示して言った。

 ミントが言うなら大丈夫なのだろうと、スグリは「確かに受け取りました」と婦人に向かって頭を下げた。婦人は白いほっそりとした手を口に当て、ほほ、と上品に笑う。


「まあまあ、ご丁寧にありがとうございます。元はといえば、こちらの粗相でございます。お詫びと言ってはなんですが……よろしければ、お嬢さんを私共の茶会にお招きしたく存じまして」

「え……茶会ですか?」

「ええ」


 婦人は持っていた黒い巾着をスグリの前に掲げ、大きくその黒い口を開いて見せて――




 ざあっ、と波のような音がする。

 風がススキの穂を揺らす音だとわかったのは、スグリの周囲に、ススキの原が広がっているからだ。

 スグリの胸ほどの高さがある、ふわふわとした狐の尾のような白い穂が、夜の闇にいくつも揺れている。見上げた黒い夜空にぽっかりと浮かぶのは、白銀の満月だ。

 いつの間に夜になったのか。その前に、ここはどこなのか。

 ぽかんと口を開いて月を見上げていれば、ふくらはぎが何だかくすぐったい。揺れたススキの穂が当たっているのかと思いきや、足元にいたのは大小の狐だった。大きい方はしなやかな体つきの若い狐で、小さい方はまだ幼い子狐だ。

 くすくす、きゃっきゃっ、と笑いながら、スグリの足元をその豊かなしっぽでくすぐって、ススキの原の中へと逃げて行く。

 風で揺れるススキの中、不自然に揺れる白い穂。慌てて後を追いかければ、小さく開けた場所に出た。六畳ほどの広さの原に、なぜか四畳半分の畳が敷かれており、茶席の用意がされている。


『おう、先にやってるぜ』

「ようこそ、おいでませ」


 見慣れた黒猫が、黒い茶器に前足をかけて抹茶を啜っていた。葡萄色の着物を着た婦人は、三つ指をついてスグリを迎える。

 お茶を点てるのは、渋い木賊色の着流しに紺色の羽織を羽織った男性だ。後ろで結わえた長い銀髪が、月に照らされて輝く。

 男性はスグリに一礼して、白い茶器を差し出した。


「お客人。一服どうぞ」


 低く朗々と響く声に、スグリは誘われるまま、黒猫の隣に正座する。

 正面の婦人の膝に子狐が飛び乗り、若い狐は茶席の周囲を飛び回る。婦人は膝の上の子狐を撫で、男性は飛び跳ねる若い狐に「大人しくしなさい」と嗜める。


 白い茶器の隣には、お茶菓子として洋風饅頭が添えられている。饅頭の柔らかなカスタードの甘さと抹茶の渋さとほろ苦さは絶妙に合っていた。お月様の味だね、と誰かが幼い声で言う。

 手に取った小さな黄色の満月はやがてスグリの口の中に消えていったが、夜空の銀色の月は煌々といつまでも輝いていたのだった。



*****



『――おい、スグリ。起きろ』


 頬に何か、ぺちぺちと柔らかいものが当たる。

 やわかい、気持ちいい――。再び心地よい眠りに誘われるスグリだったが、小さな溜息が聞こえて、今度は頭の上で何かさくりと音がした。


「いっ!?」


 丁度つむじの部分に、まるで針で刺されたかのような痛みが走って、スグリは跳ね起きる。眠気が一気に覚めた。

 つむじを押さえて涙目になるスグリを呆れた目で見てくるのは、たった今、頭皮に爪を立てた使い魔のミントだ。


『ったく、店番中に居眠りしやがって。人の事言えねぇじゃねぇかよ』

「え?あれ……ススキの原は?」

『はぁ?』

「ほら、ミントもいたじゃない。着物の綺麗な男の人がお茶点ててくれて、奥さんと子狐と若い狐が……」

『……お前それ、全部狐に化かされたんじゃねぇのか?』


 ミントはにっと牙をむき出して笑った。スグリは面食らう。

 狐?夢?あれが全部、幻だったのか?


「いや、でも、本当に……!」

『ま、居眠りも狐もほどほどにってこったな』


 そう言って、ミントは黒い尾を振ってカウンターから飛び降りる。その尾の一部が、なぜか白かった。不思議に思ってよくよく見れば、ススキの穂の端が、黒い尾についていた。


「あ……」


 そうして見下ろしたスグリの手元には、あのススキの原で食べた六人分の洋風饅頭の代金と――ススキの穂が一本、お土産のように添えてあった。




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