(2)
『やーい、ふられてやんのー。ざまぁ』
外に出れば、鼻で笑う青年の低い声が上から降ってきた。ナツメが見上げると、屋根の上に寝転がった青緑色の目の黒猫が、悠然としっぽを揺らしている。
『せっかく気を利かせて二人にしてやったのに、台無しだなぁ。嫌われたな、こりゃ絶対スグリに嫌われたなぁ』
シシシ、と髭を揺らして笑う様は、まるで不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のようだ。
そんなふざけた態度の黒猫――スグリの使い魔であるミントを睨み上げたナツメは、しかし何も言わずに目を逸らした。嫌われた、と実際に言葉にして突き付けられると、さすがにきつい。
ナツメは立てかけていた箒を手に取って、軽くミントに頭を下げた。
「失礼します、ミントさん」
『毎回毎回大変だねぇ。箒乗って高速で飛んできて、魔力も体力も結構使うだろうに。ま、さすがあの『青樹』の次男坊ってわけか』
嫌味な言い方に、さすがにナツメも言い返す。
「……そちらこそ、あの『赤橙ざくろ』の元使い魔のくせに、よく魔力の無いスグリに従っていますね」
『あぁ?別にあいつに従った覚えはねぇよ。お守りをしているだけだ』
「その割には放置しているみたいですが?」
『なぁに、好きな子いじめしかできねぇ坊やに傷つけられたスグリは、ちゃーんと俺が慰めてやるからよ。ははっ、俺の株だだ上がりだぜ。お前はだだ下がりだけどな』
「……」
本当に嫌味な使い魔だとナツメは思う。
わざわざ小さな黒猫の姿でいるところも、ミントという可愛らしい名前に変えているところも。そして、スグリを傷つけた仕返しをするように、ナツメが傷つくようなことを言うところも。
自業自得だと、ナツメもわかっている。
四歳のときにスグリに出会ってから、ナツメは彼女をいじめてきた。
少し傷つくようなことを言って、彼女が悔しそうにしたり、泣きそうになったりするところを見るのが好きだった。
そしてそれ以上に好きだったのが、彼女がいつも『魔法』に憧れていたところだ。
魔法で氷の花を作れば、頬を真っ赤にして、「きれい!ナツメくんすごいね!」と大はしゃぎで褒めてくる。箒の後ろに乗せてやれば、「たかーい!はやーい!」ときらきらした目で抱き着いてきた。
あれだけいじめても、魔法の前ではスグリは純粋にナツメを褒めて、喜んだ。その顔を見ることが一番好きだった。
ナツメは『五色』の一つ、『青樹』の本家に生まれた。次男坊ではあるが、家からも周囲からも大きな期待を受けている。
魔法なんてできて当たり前。空を飛べないなんておかしい。
頑張って勉強して、たくさん練習して、新しい魔法を覚えても、空を自由に飛べるようになっても。「さすが青樹の子」「兄弟揃って優秀ね」と自分自身が褒められることはほとんど無かった。
そんな周囲の圧力を受ける中、スグリを見つけた。
『青樹』と同じく、五色の『赤橙』の血を継ぎながらも、魔力をほとんど持たない子。周囲から期待されず、呆れられ、諦められた少女。
それでも彼女は、魔法に憧れていた。勉強も練習もして、諦めなかった。
ナツメからいじめられれば、怒って、泣いて。魔法を見ては、笑って、喜んで。くるくると表情を変えながら、魔法を好きでいた。
だから、彼女が魔法学校に入れずに、諦めて街から出て行ったことに愕然とした。自分に何も言わずにいなくなったことに、無性に腹が立った。
その気持ちは今も消えずに、彼女を前にすると昔のように意地の悪いことを言ってしまう。本当に言いたいことを、素直に言えない。
“また一緒に魔法の練習をしよう”
“空が飛びたいなら、僕の箒の後ろに乗ればいい”
“街に戻ってきてよ、スグリ”――
ナツメは俯き、唇を強く引き結んだ。空気が動く気配がして、黒猫が屋根から軽やかに降り立つ様が視界の端に映る。
『お前の都合ばっか押し付けんなよ、坊や。あいつはお前とは違うんだ』
「……」
『あいつは、あいつ自身が望んでいた魔女には絶対になれねぇ。それがわかったから、あいつは街を出たんだろうが。それを無理やり戻すってのも酷だぜ?』
「……わかっています」
わかっているけれど、戻ってきてほしいと思ってしまう。
一緒にいてくれればと願うのだ。
拳を強く握るナツメを、ミントはそれ以上責める気は無いようだった。
『あーあ、若いねぇ、青春だねぇ』と揶揄う声音で、黒猫はしっぽを揺らしながら玄関の方へと歩いていった。玄関の前で一度立ち止まった彼は、ちらりと首だけ振り返って言う。
『まあ、まずは坊やがちゃんと告白できるようになってから出直すこったな。……あー、何だったら、ハートチョコレート奢ってやろうか?』
「……いいえ、結構です」
大事なことをいつも魔法の力に頼っている自分だ。これくらい自力で叶えなければ、それこそ目も当てられない。
ナツメはミントにもう一度深く礼をして、ローブを翻しながら煉瓦の道を歩き出した。
*****
かたり、と猫用扉が開く音が聞こえる。
『おーおー、また泣いてんのか』
店内からダイニングキッチンに入ってきたミントに、スグリは「泣いてない」と小さな声で返した。まだ泣いてはいない。我慢している。
ダイニングのテーブルの下に潜り込んで膝を抱えるスグリの耳に、ととっ、と小さな足音が届く。
『相変わらずワンパターンな、お前。叱られたり落ち込んだりしたら、狭いとこ入って小さくなって隠れてんの。猫みてぇ』
「猫はミントの方じゃない」
『さぁ?どーだろーなー』
ミントはいつも通りのふざけた声音だ。落ち込んでいるところを見て、そしてたぶん、スグリが落ち込んでいる原因もわかっているだろうに、ミントは特に気にした様子もない。スグリにとっては、そちらの方がありがたかった。
膝に伏せていた顔を上げれば、傍らにミントが座っている。
『ほらよ』
ミントが、口に銜えていたものをスグリの傍らに落とした。透明のビニールで包装されたそれは、掌サイズの大きなクッキーだ。
四つのハートが集まった、四葉のフォーチュンクッキー。マダム・ザクロの魔法菓子の中でもトップ3に入る人気のお菓子だ。
美味しそうなきつね色で、それぞれの葉には、水色、黄色、桃色、黄緑色の淡い色のアイシングで細いハートの縁取りが描かれている。
『それ食って元気だしな』
「またお店から勝手に取ったの?伯母さんに怒られるわよ」
『今回はちゃんと奢ってやるよ。ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさと食えって』
鼻先で押され催促されて、スグリはクッキーの袋を手に取った。包装から取り出した四葉のクッキーの中心部、接着している部分をぱきりと折って、四枚の葉にする。
どれから食べようか。迷いながら手にしたのは、黄色のアイシングの葉だ。
一口齧れば、さくさくとした軽い食感。香ばしさと甘さが口の中に広がる。と、同時に――
「うぅっ……」
スグリの視界は潤んで歪み、頬にぽろぽろと涙が零れる。堪えていた悲しみが、一気に膨らんで胸から溢れ、涙となって出ていく。
クッキーにかかった魔法、『哀しみ』のせいだ。
四葉のクッキーには、それぞれ魔法がかけられている。『喜怒哀楽』の感情を少しだけ高める魔法だ。
四枚の葉に、四つの感情。アイシングの色は関係なしに、クッキー生地にランダムにかけられた魔法なので、どの色がどの感情なのかわからない。まさに運試しの、|占い≪フォーチュン≫クッキーなのだ。
「……私、つ、ついてないっ……よけい、かなしくなったじゃないっ……。もうっ、なんでさいしょに、これ、えらんじゃうの……ばかぁ……」
『いいじゃねぇか、今のうちに泣いとけ泣いとけ。すっきりするぜ』
「う~……」
『だいたい、最初が一番悪いってことは、後は全部マシってことじゃねぇか。お前、ついてないどころか、ついてんだよ』
「……そう、かな……」
ぼろぼろと泣きながらも、クッキーは美味しいしミントの言葉に励まされるし、気付けば一枚食べ終わっていた。
エプロンで涙を拭って、次のクッキーを選ぶ。水色のアイシングだ。
さくさくと齧っていれば、次第にふつふつと何だか腹が立ってきた。
「……大体、ナツメ君、意地悪なのよ。毎回毎回、わざわざこんな田舎まで来て、嫌味だけ言って帰るなんて!本当に暇人で悪趣味なんだから!もっと有意義なことをするべきだわ!」
『あー、お前のそのえげつない鈍感さ、ちょろっとあいつに同情しないでもないが俺は好きだぞー』
「何か言った!?」
『いんや何でも。ナツメのやろー、さいてーだぜー』
「そうね、そうよね!」
次は、黄緑色のアイシング。
「……なんか、すっきりした。たまには悪口も言った方がいいのね。……ふふ、なんだか少し、楽しくなってきちゃった」
『その調子その調子』
「今日の夕飯、張り切っちゃおうかな。ミントの好きなもの作るね。何がいい?」
『茶碗蒸しと揚げ出し豆腐と厚焼き玉子』
「わかったわ。でも猫舌大丈夫?」
『熱いものを熱いうちに食べるのが粋ってもんだぜ』
「それでいつも火傷してるじゃない」
くすくすと笑いながら、最後に残ったのは桃色のアイシングのクッキーを手に取る。スグリはいつも、この桃色を最後に食べるようにしていた。
口に入れれば、これまでで一番の美味しさが広がる。
同時に広がる、『喜び』の感情。顔を綻ばせるスグリに、ミントは澄まして言った。
『ほらな、お前は運がいい。最後に一番いいのが当たるんだからな』
「……うん。ありがとう、ミント」
呟いたお礼の言葉は、彼に届いていたはずだ。しかしミントは何も言わず、『茶碗蒸し~』と変な調子の歌を歌いながら、テーブルの下からさっさと出てしまう。
優しいのか、気まぐれなのか。いまだに掴みどころのない使い魔に、スグリは苦笑したのだった。




