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第二話 四葉のフォーチュンクッキー(1)


「ただいまー」


 自転車を家の裏手に置いたスグリは、裏口から中に入った。

 薄暗い廊下を抜けて、ダイニングキッチンに入る。テーブルに鞄を置いて手と顔を洗い、壁に掛けてあるエプロンを取った。

 赤いエプロンをつけ、白い生地に赤の水玉模様の三角巾を頭に巻いて、キッチンから店に通じる扉を開ける。途端に、甘い香りが流れてくる。

 カウンターに近づけば、専用のマットの上に寝そべっていた黒猫が頭をもたげて、明るい青緑色の目でスグリを見やった。


『おかえり。おせぇよ』


 低い青年の声が、スグリの頭の中にぶっきらぼうに響く。

 黒猫は、スグリの使い魔であるミントだ。責めるような彼の声音に、スグリは軽く肩を竦める。


「仕方ないじゃない。今日は学校で委員会の集まりがあるって言ってたでしょう?」


 スグリが通っているのは、この田舎町に一つだけある高校だ。のんびりとした校風の高校までは、農道を自転車で走って二十分かかる。秋が深まってきたこの時期はいいものの、真夏や真冬の通学は少々きつい。

 今日も、所属している図書委員会の会議が終わってから自転車をとばして帰ってきたのだ。おかげで、部活に入っていなくても日々の自転車扱ぎで体力はついた。


『箒で飛べりゃ、五分もかかんねぇのにな』

「……意地悪よ、ミント」

『おっとわりぃ』


 ちろっとピンク色の舌を出したミントは、一度伸びをして、カウンターの上から飛び降りる。


『じゃ、あとはよろしくなー』


 そう言って、ミントは長くしなやかな尾を振りながら、スグリが入ってきた扉に付けられた猫用扉から出て行った。



*****



 スグリの本名は、黒野すぐり。

 大きな街の郊外の小さな田舎町の高校に通う、十五歳の女子高校生である。

 普通の高校生と少し違うのは、魔女の血を引くということと、使い魔の声が聞こえるということ。そして赤橙せきとうざくろの菓子店「ポムグラニット」の店番をしているということだろうか。


 スグリの母方の伯母である赤橙ざくろは、魔法菓子の第一人者「マダム・ザクロ」として有名な魔女だ。日本で十本の指に入る、強い魔力を持つ魔女でもある。

 ポムグラニットはそんな伯母が直接経営する唯一の店であり、伯母の魔法菓子のファンの間では、幻の店と言われている。

 しかしながら、交通の不便な田舎町の片隅にあり、店主である当の本人は世界中を飛び回って常に不在。しかも置いてある菓子は、伯母が実際に作ったものとはいえ、街でも買える魔法菓子ばかり――。熱心なファンが来ても、ほとんどはがっかりして二度は訪れない。

 だから普段から客は少なく、たいていは地元の元気な老人達や家族連れ、スグリの友達くらいだ。スグリが学校に行っている間はミントが店番をして、学校から帰ってきたらスグリが店番をするようになっている。

 しかし猫のミントがどうやって店番をするのか。彼に聞いてみたら、返ってきた答えは『寝たふりしときゃ、客も帰ってくのさ』である。店番になってない。


 なんだかずるいわ、とスグリは椅子に座って、一人になった店のカウンターに頬杖をつく。

 客が来る気配はなく、今日も閉店まで待ちぼうけかな、と思った矢先だ。入口の扉に嵌められたガラスに人影が映った。

 スグリは急いで椅子から立ち上がり、扉が開くのを待つ。「いらっしゃいませ」と言いかけて――


「げっ……」

「客に対してその態度はないんじゃないかな?」


 思いっきり顔を顰めたスグリに対し、店に入ってきた少年が悠然と微笑む。

 綺麗な栗色の髪に青色の目を持つ少年は、フード付きの黒いローブをまとっていた。ローブの襟からは、白いワイシャツと、青地に銀色のストライプ柄のネクタイが覗いている。街にある魔法学校の制服だ。

 ローブの裾を揺らしながら、少年は長い脚で店内をゆっくり歩く。


「相変わらず閑古鳥が鳴いているね、この店は」

「……お客様、ご入り用のものは何でございましょうか」

「なんでそんなに他人行儀なんだい?昔みたいにナツメ君でいいのに。ねえ、スグリ」


 スグリは、少年――青樹夏馬せいじゅ なつめを、苦虫を噛み潰したような表情で見やった。


 ナツメは、スグリの一つ年上の幼なじみだ。

 スグリが三歳の頃からの付き合いがある彼は、見た目こそは天使のように美しい美少年であったが、中身は悪魔そのものだ。誰にでも愛想が良く親切なのに、スグリに対しては違った。


『こんな魔法もできないなんて信じられない。仕方ないから、僕が教えてあげようか?できるかどうかはわからないけど』

『まだ空も飛べないの?残念だな。今度みんなで流星群の夜空を飛ぶのだけど、スグリは参加できないね。よかったら、僕の箒に乗せてあげようか?』


 顔は優しく微笑みながら、ざくざくと嫌なことを言ってスグリを傷つけるのが彼の常だ。中学にあがるとき、魔法学校に入学することができなかったスグリに「魔女のくせに何で入れないの」と無慈悲に詰ったものだ。

 もっとも、スグリが普通の中学に入ると同時に田舎町に引っ越してからは、ナツメと会う機会はなく、平穏に日々は過ぎていった。


 ところが一年半くらい前だろうか。ナツメがポムグラニットに突然現れた。

 ここから街までは車で一時間以上、電車やバスを使えば三時間近くかかるのに、どうやってと問えば、箒を掲げられた。


『飛べば二十分もかからないからね』


 学校の帰りに寄ってみただけ、とナツメは軽やかに笑った。十五歳以上になれば街の外を箒で飛ぶことができる許可を得られるとかなんとか言っていたが、スグリは苦手な彼の登場に愕然としたものだ。


 以来、ナツメは月に一度、ポムグラニットを訪れるようになった。

 そんな日は、スグリはとても嫌な気持ちになる。

 だって、ナツメに会うと、自分が本当に魔力の無い、落ちこぼれの魔女なのだと自覚してしまうからだ。

 

 黒いローブ。

 綺麗な色のお洒落なネクタイ。

 魔法学校指定の箒。


 魔女や魔法使いを目指す子供にとって憧れで、その制服を着て空を飛ぶことが、魔女の血を引く者達のステータスとなっているくらいだ。

 もちろん、スグリだって憧れていた。


 日本の五大魔女本家『五色ごしき』の一つである『赤橙せきとう』の血を引くスグリ。

 しかしながら、周囲の大きな期待は、スグリが生まれてしばらくして打ち消された。

 魔力を持つ者は、同時にその身体に色を持って生まれる。髪や目の色が、普通の日本人と異なって特徴的な色を持つのだ。『赤橙』であれば赤い髪を持ち、『青樹』であれば青い目を持つという具合に。さらに、持つ色が二色以上、濃い色になればなるほど魔力は強くなる。

 しかしスグリは、黒髪に焦げ茶色の目を持って生まれた。普通の、魔力を持たない人間と同じ色だった。

 そして色が示す通り、スグリには魔力がほとんどなかった。かろうじて、使い魔の言葉を聞けるだけだ。

 それでも、できないとわかっていても魔法を練習したし、何度も転げ落ちて怪我しても箒にまたがったし、たくさん勉強して魔法学校も受験した。……結局、全部うまくいかなかったけれども。

 もちろん、それを機に家を出て、ここに引っ越してきたことは良かったと思っている。今通っている高校では、気の置けない友達もできて学校生活は楽しい。ポムグラニットの店番で、いろいろなお客様を迎えて話すことも好きだ。


 だけど、ナツメが来ると、ふと思い出す。思い出してしまう。

 街の実家に住んでいたころの、肩身の狭い思いを。堂々とその場所にいれなかった惨めな自分を。

 憧れて、頑張っても、手の届かない場所。

 そこに悠々といるナツメを見ると、羨ましくて嫉妬すると同時に、自分が情けなくなる。そんな気分になるから、嫌なのだ。



 できるだけナツメを見ないように、スグリがカウンターに視線を落としていれば足音が近づいてくる。顔を俯けていれば、背の高い彼の顔は見なくてすむ。


「お決まりになりましたか?」

「そうだね……じゃあ、栗と薩摩芋のモンブランを一つ。ここで食べて行こうかな」

「……かしこまりました」

「いつも通り、紅茶をお願いするよ」


 ナツメの注文に重い気持ちになりながら、ショーケースからモンブランを取り出す。

 栗の渋皮煮の薄茶色のクリームと、薩摩芋の明るい黄色のクリームの二色からなるモンブランは秋季限定で、秋の実りをより味わえる気分になる。常連の婦人は、子供の頃にやった芋掘りや栗拾いを思い出すと言っていた。

 添える紅茶は、癖のないセイロンの茶葉だ。ポムグラニットでは基本的にスイーツの邪魔をしない、癖がそれほど強くないセイロンやアッサムを用いる。シンプルな焼き菓子の際には、お客様の希望があれば香りのあるアールグレイや爽やかなダージリン、その他のフレーバーティーを出している。チョコレートだったら濃いアッサムや深煎りの珈琲などだ。


 モンブランをお盆に乗せて、入口近くのテーブルの一つに置いた。「紅茶をお持ちしますので、しばらくお待ちください」とお決まりの台詞を言って、キッチンの方へと向かおうとした。

 すると、ふいにナツメに腕を掴まれて、スグリは驚いた。顔を上げると、青い目に間近で見下ろされていて、緊張が走る。


「やっとこっち見た」

「な、なに……」

「スグリも一緒に食べない?どうせ暇でしょ。奢るよ」


 微笑むナツメの顔は、昔に比べてずいぶん大人びたものになっていた。少年から青年に移り変わる顔の輪郭はシャープになり、可愛さよりも精悍さが増したように思える。背もぐんと伸びて、スグリより頭一つ分は優に高く、細身ながらもしっかりとした身体つきになっていた。

 会う度に男の人らしくなるナツメは、時折こうやってスグリを誘ってくる。しかし、裏で何を考えているかわからないと警戒するスグリは、一度も誘いを受けたことはなかった。どうせ、柔らかい言葉で意地悪なことを言ってくるのは目に見えている。


「いえ、結構です」


 即座に断って、スグリはカウンターへと早足で戻り、キッチンの扉の向こうに急いで姿を隠した。

 はあ、と大きく溜息をついてから、紅茶を準備する。湯を沸かし、ポットを温め、紅茶の茶葉を入れながらも、スグリは縋るようにミントの姿を探したが見つからない。ミントが来てくれれば、少しは心強いのに。

 こぽこぽとお湯をポットに注ぐ頃になってもミントは姿を見せなかった。店の中にナツメと二人っきりという嫌な状況に戻らねばならないことに、スグリはもう一度大きく息をついて店内へと戻った。



 モンブランを食べるナツメは、意外にもそれ以上スグリに意地悪なことは言わなかった。


「さすがザクロさんだね。相変わらず美味しいや」


 ナツメはいつも美味しそうに食べるので、そこだけはスグリも少し嬉しくなる。伯母の作るお菓子が褒められるのは、姪としても店員としても誇らしいことだ。


「ありがとうございます」


 食べ終わったナツメに一礼して、紅茶と皿を片付けようとした時だった。


「……スグリは、いつまでここにいるの?」

「え?」


 椅子に足を組んで座るナツメが、珍しく笑顔を消して、スグリを見上げている。


「いい加減、街に戻ってきたら?街にも普通の高校はたくさんあるんだから、こんな田舎町に住まなくていいんじゃないの。おばさん達寂しがってたし、カエデちゃんも会いたがってたよ」

「……」


 突然の言葉に、スグリは硬直した。

 身体だけでなく、心もまた強張って、軋む。


「僕もここに来るの、少し疲れるしさ。今なら時期的にまだ……」


 ふつりとスグリの中で何かが切れた。

 それは怒りの糸だったのか、悲しみの糸だったのか。自分でもよくわからぬまま、口が開く。


「じゃあ、来なくていいわ」

「っ……」

「もう来ないで。私、ここにいたいもの。……戻りたく、ないもの」


 スグリの言葉に、ナツメは青い目を見開いた。彼の薄く開いた唇が何かを言おうとして、けれども迷うように開閉する。

 何か言われるのは嫌で、何か言うのも嫌で、スグリは一度頭を下げてからお盆を持ち、逃げるようにキッチンの扉に向かった。

 ナツメの声は、追いかけてくることはなかった。



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