(2)
『――そういや、今回の『紅葉流し』はお前らがするのか?』
ミソカの笑いが収まり、ノゾミも慣れてきたのか隠れることをしなくなった頃。
店内のベンチに並んで座り、お気に入りのカスタード饅頭を頬張る狐の兄弟に、ミントがそんなことを尋ねた。
「はい。そろそろ引き継ぎをと、父が」
『とか言って、この間のいたずらの罰とかだろ。薄野の奥方が言いそうなことだぜ』
「あはは、さすが黒の御方ですね。何でもお見通しだ」
『その呼び方やめろ。つーかお前、分かってて言ってんな?』
「いえいえそんな。黒の御方様のご高名は両親から聞いておりまして」
『おうおう、いい性格してるなぁお前。薄野の旦那より性質悪いぜ』
二人(二匹と言うべきか?)の言い合いを聞きながら、緑茶を出していたスグリは首を傾げる。
「紅葉流しって?」
『そっか、お前は見たことなかったな。普段はこいつら、薄野の一族だけでやる行事だ。前回、ちょっと問題があってここに来たんだよ』
「前回……四年前は嵐のせいで、『紅葉流し』の前に紅葉が散りましたからね。今年の紅葉はいつもより遅いので」
ミントの言葉に続いて、ミソカが答えた。
「僕らが棲む集落の近くに、紅葉がたくさん生えている場所があるんです。紅葉流しは、紅葉が真っ赤に染まる時期に行うものですが、時折天候などで予定が狂ってしまうこともあって……」
『そん時、赤橙の祖先が手を貸したそうでな。それ以来の付き合いだ。ここ三十年くらいはザクロが担当してる』
ミントとミソカが次々に言うが、スグリには『紅葉流し』という行事があることと、それを伯母が手助けしている、ということしか分からない。
「紅葉流しって、どういう行事なの?」
スグリが尋ねると、ミント達は顔を見合わせる。やがて、ミソカが口を開いた。
「……でしたら、参加してみますか?」
***
ミソカの提案に、ミントは最初こそ渋ったものの了承を出した。
曰く――『知っといても別に得は無いが、損も無いな』とのことだ。
ミソカ達が棲むのは山奥で、普段は人間が立ち入ることが不可能な場所だが、持っている巾着袋であっという間に移動できるらしい。以前の月夜の茶会の時と同じだ。
そもそも、彼らが棲む場所は人間がたどり着けないよう術が掛けられているため、一族の案内が付かないと、見つけることすらできない。
山に入るとあって、動きやすい服装に着替えたスグリは店に『CLOSE』の看板を出して鍵を掛けた。
「それじゃあ、行きましょうか」
ミソカが黒い巾着袋を開く。ざあっとたくさんの葉が風で揺れる音が聞こえて――
気づけば、スグリは山の中腹にいた。
周囲を見回すと、紅葉や楓といった落葉樹が生えている。少し色づき始めているようだが、紅葉にはまだ遠い。
辺りを見回していると、とん、と肩に重みがかかった。ミントだ。肩に乗った彼は、足元をしっぽで示した。積まれているのは、菓子の入った白い大きな箱である。
『ぼーっとしてないで、それ運ぶぞ』
「あ、うん」
お菓子の箱は全部で八箱ある。気づけば傍らにはミソカが立っていて、さっと五箱を抱えた。スグリも残りの三箱を抱えようとしたが、そこに小さな手が伸びてくる。どうやらノゾミも箱を運びたいようだ。
ノゾミの視線を受け、スグリは一箱彼に差し出した。
「ノゾミ君、これ持ってくれる?」
「う、うんっ」
頬を赤くしながらノゾミは大きな箱を受け取り、兄を真似てしっかりと抱える。そこまで重くは無いが、大きな箱だ。転ばないかと心配したが、さすが山に生きる狐。時折箱を抱え直しながらも、足取りはしっかりとしている。
スグリも箱を抱え、転ばないようにしながら狐兄弟の後を追った。
やがて尾根に辿り着き、ヒソカが足を止める。
「この辺りでいいでしょう」
少し開けたその場所からは、山の中腹から裾野に向かって広がる、落葉樹の広大な林が見下ろせた。緑色の木々の中、三割ほどが黄色や茶色、赤色に紅葉している。
眺めの良いその場所で、ミソカは箱を降ろして中身を出す。
それは、紅葉の形をした、薄い緑色のクッキー。マダム・ザクロの期間限定『紅葉ラング・ド・シャ』だ。
薄いさくっとした生地の間には、ホワイトチョコクリームが挟んである。袋から取り出せば、生地の部分が緑色から黄色、そして赤色へと変化する様子を楽しめる魔法菓子だ。
普通なら一個ずつ個包装されているが、今回は特注で、箱の中の大袋にまとめて入っていた。
ミソカは袋を次々と開けていく。スグリとノゾミも、彼に倣って袋を開けた。甘い匂いが広がる中、緑色のクッキーが徐々に黄色へと変わっていく。
ざああ、と尾根から裾野に向かって風が吹き、葉が揺れた。
これがすべて紅葉していたら、美しいことだろう。木々を見下ろしながら、風に流れて舞う紅葉を想像していたスグリだったが、その視界に何かが過ぎった。