(6)
『ったく、最後まで油断ならねぇ奴だぜ。結局目的は果たしていきやがった、あの野郎……』
店の中に移動し、ミントはぶつぶつと愚痴を言いながら、スグリの傷を診る。
ジーンに舐められた傷は、特別に異常は無かったようだ。ミントが軽く鼻先を押し当てると、ふわりと温かな風が掌を撫でた。
『……よし、傷の浄化もしたから大丈夫だろ。次はナツメ、お前だ』
「あ、いえ、僕は……」
『いいから早く来い』
たしたしと黒いしっぽでベンチの板を叩くミントに促され、ナツメは大人しく隣に座って傷を見せる。
ナツメの頭の周りを風で覆い、怪我の状態を見るミントの様子を、キフルが横目で見やった。今は小型化して、大型犬くらいの大きさになりテーブルに着いている。
『……口惜しいが、我は治癒の魔法は得意でない。すまぬな、娘』
「いいえ、そんな! ……助けに来てくれて、本当に助かりました。ありがとうございます」
『気にするな。困ったときは我を呼べと言っただろう』
「でも……」
『他に契約主もおらぬ隠居の身だ。たまの遠出があった方が、張り合いもある』
そわそわと翼を動かしながら、キフルはちらりと黄金色の目でスグリを見る。
『……白い花の種を、忘れてきた。また、持ってくる』
かまわぬか、と遠慮がちに伺いを立てられて、スグリは一も二もなく頷いた。
「もちろんです! お待ちしています」
『……うむ』
「ああ、そうだ、花壇の用意をしとかなきゃ! 種はいつ頃撒いたらいいですか?」
和気藹々と花の話をするスグリとキフル。
ミントの治療を受けるナツメは、呆気に取られて眺める。そんなナツメにミントは苦笑した。
『まあ、気持ちはわからんでもないがな……ほら、終わったぞ。怪我は治した。頭ん中も異常はねぇようだが、気になれば病院に行け』
「ありがとうございます、ミントさん。……その、いいんですか? ドラゴンとあんなに気安く……」
『心配するな。ありゃあ、孫に激甘な爺さんと同じだ』
甘党だけにな、とミントが言うと、キフルがじろりとそちらを睨む。
『聞こえておるぞ、猫風情が』
『おおっと、耳が遠いと思ってつい口が滑っちまったぜ』
『誰の耳が遠いだと? 貴様こそ自制が足りぬのではないか? これだから未熟なひよっこは』
『誰がひよっこだ。お前こそ、猫と鳥の区別もつかないなんて耄碌が過ぎてんじゃねぇのか?』
『貴様、言わせておけば!』
『あぁ? やるかコラ!』
今度はミントとキフルが睨み合い、舌戦を開始する。
バチバチと飛ぶ赤と緑の火花。どこか遠い目をするナツメに、スグリは「大丈夫?」と声を掛ける。
「ああ。ミントさんが治療してくれたから」
ナツメは傷のあった部分を隠すように前髪を直した。眉を顰める彼の横顔を見ながら、スグリはぽつりと謝る。
「ごめんなさい……危険なことに巻き込んで、怪我させてしまって」
「……なんで君が謝るの? 怪我をしたのは僕の落ち度だ」
「でも」
「そもそも、僕は何もできなかったしね。役立たずもいいところだよ。ミントさんのお守りが無かったら、キフルさんが来てくれなかったら、今頃は……」
苛々と言葉を紡ぐナツメは、しかしそこで大きく溜息をついた。せっかく整えた前髪を、くしゃりと掻き上げる。
「……ああ、もう!」
「ひゃっ!?」
突然大声を上げるナツメに、スグリはびくりと肩を揺らす。
「な、ナツメ君?」
「君に謝られたら、僕の立つ瀬がないじゃないか! 少しは格好をつけさせてよ!」
「は、はいっ」
「僕が、君を助けたかったから、助けた! それでいいだろ! 君に謝ってほしいわけじゃ……な、い……」
そこでナツメは我に返ったようで、白い頬にさっと朱を走らせた。
「……」
「……」
互いに無言になり、店内に沈黙が落ちる。
やけに静かになったと思ったら、いつの間にかミントとキフルは舌戦を中止して、こちらを興味津々に見ていた。
ミントはにやにやと口元を歪めて言う。
『……なあスグリ、お前疑問に思わないか? なんでナツメがあんなタイミングよく助けに来れたのか』
「え?」
「ミントさん!」
『いやなぁ、一応お前の帰りが心配だったから、ナツメに連絡しといたんだよ。スグリが吸血野郎に狙われているってな。そうしたら文字通り、すっ飛んで助けに来たんだぜ?』
しし、とひげを揺らして笑うミントと、羞恥に顔を赤くするナツメを、スグリは交互に見る。
「そうなの? ナツメ君」
「……」
ナツメは無言のままだったが、彼の耳は真っ赤になっていた。
そういえば幼い頃、肌の白い彼は、怒ったり恥ずかしがったりして感情を昂らせるときに、顔と耳を真っ赤にしていたものだ。
もっとも、この店で再会してからは、大人びた態度で意地悪を言う彼は、そんな様子など欠片も見せなかった。
目の前のナツメと、過去のナツメが結び付き、ふいに懐かしさを覚える。
……ああ、そうだ。
魔法が使えないスグリを箒の後ろに乗せて空を飛んでくれたのは、彼だけだった。
親戚の子供達にいじめられて落ち込むスグリを慰めるために、氷の花を作ってみせてくれたのも彼だった。
魔法の練習にも勉強にも、最後まで辛抱強く付き合ってくれたのは、彼だった。
――意地悪だったけれど、苦手だったけれど、スグリはナツメが嫌いなわけではなかった。
ずっと憧れていて、だから、魔法学校に入学できなかったことを詰られたときにひどくショックだったのだ。
彼に見放されたのだと、とても悲しかったのだ――
不意にそんなことを思い出したスグリは、じわじわと自分の頬が熱くなっていくのがわかった。
ナツメがわざわざ、街から箒で飛ばしてまで自分を助けに来てくれた。そのことが、単純に嬉しかった。
スグリはぱっとナツメの方を向いて、頭を下げる。
「ナツメ君、その、助けに来てくれてありがとう」
「……」
スグリの礼に、ナツメは青い目を瞬かせ、ふいと顔を逸らせながらも「……どういたしまして」と小さく答えた。彼の耳はまだ赤いままだった。
***
その夜、赤橙ざくろに声を掛けるものがいた。
打ち合わせの帰り、高層ビルの間を箒で飛ぶ彼女に声を掛けたのは、ビルの屋上に佇む青年だ。
強い夜風にあおられる金髪に、赤く光る目。ジーンだ。
ザクロはまったく動じた様子はなく、箒の向きを変えて宙に停止する。
「あら、誰かと思えばストーカーじゃないの」
「おや、ひどいな。君のファンってだけなのに」
「一介のファンはこんな空の上まで追いかけてこないわよ。我が家に勝手に入り込んだりもね。倫悟郎君ってば、次にあなたが来たとき用にって対吸血鬼用の捕縛網まで買ったんだから」
「おっと、それは怖いな」
ジーンはおどけて肩を竦めてみせる。
「だったら、彼がいないときに遊びに行かせてもらうよ」
「お断りよ」
ザクロが緑の目をすっと細め、ジーンを見やる。
「私、一途じゃない浮気性のストーカーはもっと嫌いなの。……よくもうちの姪っ子に手を出してくれたわね」
「情報が早いね。さしずめ、あの元使い魔の猫からかい?」
「ええ。覚悟はよくて?」
言葉と同時にザクロの手の中に赤い球体が生まれた。濃縮された魔力の塊だ。ジーンは降参というように両手を挙げてみせる。
「さすがに君に攻撃されたら、僕も無傷ではいられないよ。……君の姪には、もう手は出さないと誓おう」
「信じると思う?」
「一応目的は果たしたからね。……ねえ、君が大事にしているスグリちゃんはさ」
ジーンは柔らかな笑みをザクロに向けた。
「本当に、魔力が無いの?」
「……」
ザクロがわずかに目を瞠って赤い唇を引き結ぶのを、ジーンは見逃さない。
「あの子の血からは、いろいろな魔力の味がしたよ。魔力は無いって聞いていたのに、奇妙なこともあるものだね。もしかして、あれが噂に聞く、六番目の幻の――」
「あなたには、関係のない事よ。スグリに『魔法』は使えない」
きっぱりと言ったザクロに、ジーンは「ふぅん?」と小首を傾げる。
「まあ、そういう事にしておくよ」
目を細めて笑ったジーンは、ひときわ強い風が吹いたと同時に黒い霧状になり、さあっと夜の虚空へと消えていった。
ザクロはじっとそれを見つめた後、小さな溜息を吐く。複雑な感情の混ざった息もまた、夜の空気へと溶け込んで静かに消えていったのだった。
これにてブラッディ・ゼリー編は終了です。
後半ぜんぜんお菓子が出せなかった……