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第一話 菓子店ポムグラニット



 大きな街の端っこの、小さな町の隅っこに、小さな菓子店がありました。

 お店の名前は「ポムグラニット」。果物の「ざくろ」という意味です。

 ポムグラニットには、おいしいお菓子がたくさんあります。

 そんなの当たり前だって? そうですね、菓子店ですもの。

 だけど二つだけ、普通の菓子店と少し違うところがあるんです。


 一つは、魔女が作った魔法のお菓子を売っていること。

 そしてもう一つ。

 小さな魔女と小さな使い魔が、店番をしていることです



*****



「なんて辺鄙へんぴなところにあるのかしら」


 車から降りた蓉子ようこは、小さく息をついた。

 蓉子の住む街から、車で一時間以上かかる郊外の田舎町。その端っこに、目的の店はあった。

 

「蓉子さん、荷物をお持ちします」

「けっこうよ。私一人で行くから、あなたは車で待っていて」


 扉を閉めたお抱え運転手にそう言うと、蓉子の父よりも年上の彼は、渋い表情を見せる。


「ですが、その……あの店には……」

「魔女がいるのでしょう?今時、珍しくもないじゃない」


 魔女や魔法使い、吸血鬼や狼男、エルフやドラゴン、その他の人外の生物が迫害されていたのは、三世紀も前の話だ。現代社会では彼らの存在は認められており、蓉子の住む大きな街には魔法学校なんてものがあるくらいだ。渋滞する道路の上を悠々と箒で飛んで通学する魔女の姿を見かけることだってある。

 年配の者の中には未だに彼らに対して偏見を持つ者もいるが、蓉子らの世代の若者達にとって、魔女や吸血鬼はアイドルのように憧憬を寄せる存在だ。これは、昨今人気のドラマやアニメ、漫画の影響が強いのであろう。

 しかしながら、年配の運転手は魔女に対してあまり良い印象を持っていないようだ。眉間に皺を寄せて、苦い息をつく。


魔法菓子マジックスイーツなら、街の中心部でもたくさん売られているじゃないですか。わざわざこんな人気のない場所に、お一人で行かれるのは、少々……」


 危険なのでは、と言いたいのだろう。言葉を濁す運転手に、蓉子は軽く肩を竦めた。


「危険なことは何もないわ。あの『マダム・ザクロ』の直営店なのよ?彼女が人に害をなすと思って?」


 マダム・ザクロ。

 本名は、赤橙せきとうざくろ。日本で十本の指に入る魔女の一人である彼女は、魔法菓子の第一人者として有名である。

 魔法菓子は名前の通り、魔法のかかったお菓子のことだ。


 喜怒哀楽の運だめし、四葉のフォーチュンクッキー。

 動いて踊って楽しい、ジンジャーマンクッキー。

 舐めていると色も味も変わる、虹色変化のキャンディー。

 カロリーゼロで満腹になる、ふわふわ雲のロールケーキ。

 告白の勇気を少しだけもらえる、ハートチョコレート。

 初恋の思い出が必ずよみがえる、甘酸っぱいレモンのタルト。

 

 様々なお菓子を生み出す彼女は、有名パティスリーや大手菓子メーカーと協力し、魔法菓子を世に広めていった。もちろん人間の心身への影響が無いよう安全性は保障され、政府からの許可も得ている。

 ほんの少しの魔法がかかった、特別なお菓子。それが魔法菓子である。


 そして、そんなマダム・ザクロがパティスリーも菓子メーカーも通さずに、直営する店があると言う。

 噂で聞いた蓉子は、わざわざその店がある場所に足を運んだわけだが、予想していたよりもはるかに田舎町だった。

 田畑の横の、ガードレールも無い(かろうじてコンクリートで舗装された)農道の一角。小さな林に覆われた場所に店があるらしく、車から降りただけでは店すら見えない状態だ。


「……とにかく、一人でも平気よ。何かあれば電話ですぐに呼ぶから、待っていてくれる?」


 運転手を一瞥して、返事を待たずに蓉子は歩き出した。林の中へと伸びる赤煉瓦で舗装された小道を、焦げ茶色のローファーで踏みしめて進んでいけば、やがて開けた場所に出た。


「わぁ……」


 明るい陽射しが降り注ぐ広い緑の芝生に、庭木と草花が植えられている。無造作に植えられた季節の花々が咲き誇る様子は、テレビで見た英国のお洒落な庭のようだ。そしてその庭の奥、赤煉瓦の小道が続く先に店はあった。

 くすんだ赤橙あかだいだい色の屋根瓦に、古ぼけた白い漆喰の壁。茶色の木の扉と窓枠がしっくりと合っている。

 玄関の上の赤いビニール生地の庇には「pomegranate」と白い文字が書かれていた。ポムグラニット――英語で果物の「ざくろ」を意味する言葉だ。

 まるでおとぎ話にでてくるような、可愛い小さな家である。もう少し、神秘的な魔女らしい雰囲気を想像していた蓉子は肩透かしを食らったような気分になる。運転手には平気だと言っていたが、やはり無意識に気負っていたものがあるのだろう。脱力した息をついた後、蓉子は店に向かう。

 木の扉に手をかけて引き、蓉子は中に足を踏み入れる。

 外観と同じく白い壁に囲まれたそこは、六畳ほどの広さがあった。部屋の三分の一を占める古びた木のカウンターとショーケース、その後ろの棚にはガラス戸が嵌め込まれて、中には色とりどりのケーキや、鮮やかなゼリーや、きつね色の焼き菓子がたくさん並んでいる。入口の左右にはイートインコーナーであろうか、二人掛けのテーブル席が二つと、三人掛けのベンチが置いてあった。


「……こんにちは」


 カウンターには人の姿が無い。近づくと、カウンターの上の黒いものが動いた。

 びっくりしたが、何のことはない。黒いものの正体は猫だった。

 艶やかな黒い毛並みの猫は寝ていたようで、耳をぴくりと振るわせた後、頭をもたげて蓉子を見やる。鮮やかな青緑色の目に見つめられて、蓉子はどきりとした。

 もしかして、この猫、魔女の使い魔なのかしら――。

 しかし黒猫は、ふいっと蓉子から目を逸らすと「にゃあ」とのんきに鳴いた。何だ、普通の猫かと思っていれば、足音が聞こえてきてカウンターの奥の扉が開く。


「どうしたの、ミント?」


 扉から出てきたのは、赤いエプロンをつけ、白い生地に赤の水玉模様の三角巾を頭に巻いた、まだ若い少女だった。

 中学生くらいだろうか。緩やかな癖のある黒髪を二つのお下げにした少女は、どんぐりのような茶色の目を丸くして、蓉子を驚いたように見つめた。


「あっ、いらっしゃいませ!」


 慌てたように挨拶する彼女は、どうやらこの店の店員のようだ。テレビや広告で見る、赤髪に緑の目を持つグラマラスな美女のマダム・ザクロではない。


「……あの、マダム・ザクロはいらっしゃる?」


 訊ねてみると、少女は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「すみません、おばさ……店主オーナーは不在でして……」

「そう……」

 

 本人に会えるかと期待していたので、蓉子は残念な気持ちになる。まあ、マダム・ザクロは多忙で世界中を飛び回っていると聞くから、店にいなくても仕方の無いことだ。

 蓉子は気を取り直して、カウンターに近づいた。


「ここは、マダム・ザクロのお菓子を扱っているのよね?」

「はい」

「マダム・ザクロが実際に作ったものが置いてあると聞いたのだけど」

「はい、ありますよ」


 そうして店員の少女がショーケースを示す。しかし、そこに並んでいるのは、街の中心部でも見られる魔法菓子と同じものばかりだ。


「……もう少し、特別なものはないの?」

「特別、ですか?」

「ええ。もっと、特別な魔法がかかっているとか、食べると魔法が使えるとか、空が飛べるとか……」

 

 言ってしまった後で、蓉子ははたと我に返る。小さな子供のような発想に、自分で恥ずかしくなった。


 そう、実は蓉子は、魔女にすごく憧れていた。

 魔女のように魔法を使ったり、空を飛んだりしてみたい――。送り迎えの車の窓から空を見上げては、何度もそう思ったものだ。

 魔法菓子も大好きで、普通のお菓子よりも高いそれらを、お小遣いをはたいて買った。


 しかし、魔法のような素敵な時間はほんの少しだけ。

 ジンジャーマンクッキーは五分で動かなくなるし、キャンディーは溶けてしまえば味も消える。

 ハートチョコレートに告白の勇気をもらっても、成功するとは限らない。初恋を思い出すレモンのタルトには、涙がぽろぽろ零れた。


 お菓子の魔法は、幸せな気持ちにしてくれるけれど、幸せにしてくれるわけじゃない。

 それでも、魔法に憧れて、魔女に憧れて。

 マダム・ザクロに会えれば、マダム・ザクロが作った魔法菓子を食べれば、彼女みたいになれるんじゃないかって――

 

 夢のような話だとわかっている。

 魔女は、魔女の血を引くものにしかなれないと聞いた。

 こんな子供じみた話、笑われるかしら。恥ずかしさで俯いたまま、そっと視線を上げて様子を見やれば、店員の少女は真剣な顔で拳を口元に当てている。


「食べると飛べるお菓子……そうしたら、私も飛べるようになるかしら……」


 ぶつぶつと小さな声で呟く彼女に、カウンターの黒猫が「にぃ」と短く鳴く。不思議と、呆れたような響きを伴っているように聞こえた。

 すると、店員の少女は我に返り、黒猫を恨めしそうに見やる。


「もう、ミント、少しくらい夢持ってもいいでしょう?空が飛べるようになるお菓子ってとても素敵じゃない!そりゃ、私は飛べない魔女だけど……」

「あなた、魔女なの?」


 少女の言葉に、蓉子は思わず問いかけていた。すると、少女はびくっと両肩を跳ね上げた後、しおしおとその肩を落とす。


「……い、一応……」

「すごいのね」

「ええっ!?いえっ、いいえまったく全然ダメダメですよ!空も飛べないし、魔法もほとんど使えないし、使い魔の声しか聴くことできないし……」

「使い魔って、その黒猫のこと?」

「は、はい」


 ミントです、と少女が両手で示せば、黒猫は億劫そうに身体を起こして座り直し、軽く頭を下げる。黒猫の緑の目は、確かにミントの葉のような鮮やかな明るい色をしていた。

 

「……使い魔って、人の言葉を話せるの?」

「あ、いいえ。話すというより、その、頭の中に声が直接届くというか、響くというか……」


 しどろもどろに説明する少女の傍らで、黒猫はにやにやと目と口元を歪ませて、「にゃー」と鳴いてみせる。すると、少女は白い頬を赤く染めて「もうっ!」と黒猫に手を伸ばす。

 黒猫は捕まる前に素早くカウンターから降り、入口近くのベンチに飛び乗ると澄まし顔で横たわった。くわぁ、とこれ見よがしに大きく欠伸する様子は、何だか店員の少女をからかっているようでもある。

 蓉子が呆気に取られていると、少女は伸ばした手を慌てて引っ込めた。咳払いして姿勢を正した少女は、蓉子を見やる。

 

「ええと……魔法が使えるようになる魔法菓子はありませんが、店主が直々に作った、美味しいお菓子はあります。それでよろしければ、いかがでしょうか?」


 魔女のお菓子。

 魔女にはなれないけれど、魔女が本当に作ったお菓子。


 蓉子は、それでもいい気がした。

 目の前にいる少女も魔女だけれども、空も飛べなくて、魔法も使えないと言った。猫の言葉がわかるという、普通っぽいけれど、普通じゃない女の子。

 『魔女』に幻滅したわけじゃない。彼女達への憧れは、きっとこれからもずっと抱くのだろう。

 けれど、こんな風に、蓉子の夢のような話を呆れずに聞いてくれる魔女がいる。

 空を飛ぶ魔女もいるし、夢のような不思議なお菓子を作る魔女もいる。


 ……うん、それでいいじゃない。

 それに、マダム・ザクロが実際に作ったお菓子を食べられるのだもの。ここに来た甲斐は、充分あるわ。


 肩の力を抜いた蓉子は、店員で魔女の少女を見上げて微笑む。


「……いただくわ。おすすめは何かしら?」

「今の季節でしたら、旬の柘榴ざくろのシロップを使ったレアチーズケーキがおすすめです。わくわくして、少し楽しくなる魔法がかかっています。それから、梨のコンポートが乗ったタルトに野葡萄のぶどうのシャーベットを添えたもの。こちらは、秋のセンチメンタルな気分を味わえます。そうだ、ここで食べていくこともできますよ。無料で紅茶かコーヒーをお出ししています」

「そう、それなら……」


 綺麗なケーキやゼリー、素朴な焼き菓子が並ぶショーケースをのぞき込みながら、蓉子は頬が次第に綻んでいくのを感じた。

 魔法菓子じゃなくても、お菓子はそれだけで心躍らせる魔法みたいものなのだと、あらためて思いながら。



*****



 真っ赤な柘榴のシロップと野苺を乗せたハート形のレアチーズケーキを、小さなお客様は大層気に入ったようだ。フォークを上品に使いながら、ぱくぱくと美味しそうに食べていた。

 運転手を待たせているの、と大人びた口調で話す彼女は、家族と運転手へのお土産用に、一番売れ筋の四葉のフォーチュンクッキーを買っていったものだ。

 赤いランドセルを揺らし、軽やかな足取りで帰っていく彼女を見送っていれば、いつの間にか隣にいた黒猫が、長く細い髭を揺らして笑う。


『まだ十歳にも達してないくせに、ずいぶん大人びた子供ガキだったな』


 頭の中に響く、大人の男性の低い声。粗野な口調で笑うのは、使い魔のミントだ。


「ミント、『ガキ』なんて言葉、お客様に失礼よ」

『ガキはガキだろ。いやー、魔女になりたいだなんて発想が可愛いねぇ。子供らしくていいってもんじゃねえか。スグリと同レベルだ』

「なっ……私はもう十五よ!」


 スグリこと黒野すぐりは、むっと唇を尖らせて抗議する。

 しかしミントはどこ吹く風で、澄まし顔で店の扉の方へと身を翻した。


『さぁて、暇な店番の続きでもしますかね』

「暇って言わないの!そりゃ、確かにお客様は少ないけど……」


 ミントの後に続こうとしたスグリだったが、広い庭の向こうの林の入口で、小さな女の子がこちらを振り返ったのに気付いた。

 一度お辞儀してから元気よく手を振る彼女に、スグリも大きく手を振り返す。

 魔女に憧れる女の子に、スグリはいたく共感していた。だってスグリもまた、空を飛んでみたいと思っている女の子だったから。


「空が飛べる魔法菓子かあ……」


 スグリの伯母である赤橙ざくろに作ってくれるよう、今度頼んでみようか。

 きっと断られるだろうけど、夢を持つのは悪いことじゃない。


 赤煉瓦の道を駆ける少女が、ふわりと跳ねる後ろ姿を見送った後、スグリも真似してジャンプしてみた。

 赤いエプロンと水玉模様の三角巾が、ふわりと軽やかに浮き上がった。



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