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秋夜詩抄

タイトルは【しゅうやししょう】と読むのです。詩抄の名の通り、テーマに沿うものを集めた詩集のように季語や浪漫を詰め込みました。秋の夜というフィルターを通して、季節の美しさを再確認できたらと思います。

お題「秋の夜長」で書かせて頂いた作品。

─────『黄昏堂』の店主、栄四季【さかえしき】には年の離れた二人の姉がいる。同じ顔と同じ声を持つけれど、まるで性質の異なる二人の姉が。



曙町4丁目【彼は誰【かわたれ】】通り東。そこは数多の職人達の店が軒を連ねる職人街と称される場所である。傘、金物、団扇、着物、家具や装飾具、高級茶にいたるまで職人街ではありとあらゆるものが手に入るのだ。そのやや外れに、『黄昏堂』は在った。何のことはない、西洋風のいわゆるオーダーメイドの錠前を扱う店である。四季少年は年若き黄昏堂の店主であるのだが、何故か彼より七つも年の離れた姉は店を継いでいないのだった。何より変わっているのが二人の姉は半年ずつこの街を訪れるだけで、残りの半年は姿をくらましてしまうということである。何時の事であったか、四辻の青果店の店主が四季に尋ねたとき、彼は困ったように笑いながら「いいえ、姉は隣町から山を二つ越えた里で療養している母のところへ交互に行ってやっているのです」と言ったので、町の人達は栄家の者を身近に親のいない可哀想な若者たち、という風に扱っていた。

 さて、入道雲が高い空に存在感を発揮していた夏はいつしか過ぎ去り、季節は朝晩がやけに肌寒く空気のきんと澄んだ秋へと移り変わろうとしていた。八百屋を通りすがれば、まだ青味の残る柿やら土のついたままのサツマ芋やらが売り台を占領している。とんぼとすれ違うことも多くなり、どこか置いて行かれたような寂しさが胸の内にわだかまっているような、そんな季節が四季は嫌いではなかった。買い物帰りに通った東雲神宮の境内で萩が赤紫の小花をつけて咲き誇っているのが目につく。もう夏はとうに終わってしまったのだなあとため息を吐けば、金魚売りの親父が夏と変わらぬ褌姿で桶を担いで追い抜いてゆくものだから、彼は思わず苦笑した。慣れ親しんだ職人街を抜けて、黄昏堂の立て付けの悪い引き戸を力いっぱい引っ張る。傾いた陽の赤っぽい光に慣れた瞳は薄暗い店内を上手く捉えられず、思わず細めた彼の目に飛び込んできたのは海松色の羽織の背中であった。

 「薬屋の旦那!いらしてたんですか」

白髪交じりの黒髪に、気の弱そうな笑顔。丸眼鏡の猫背の男はよく黄昏堂にやって来るお得意様である。

「やあ、四季くん。ちょうど小鳩【こばと】ちゃんと話していたところだよ」

「旦那、すみません。小鳩姉さんは今夜にも……」

「残念だよ。うちの薬棚の引き出しの錠前が錆び付いてしまってね、新調しようと思ったんだけどねェ……」

肩をすくめた旦那の奥で、和綴じの帳簿を抱えた小鳩が申し訳なさそうに眉を下げる。その拍子に、頭の高い位置で結い上げた黒髪がさらと揺れて肩口に一筋零れた。

「本当にごめんなさいね。董子【すみれこ】は鍵を作りませんから……」

「あはは、そうだよねえ。それに董子さんは滅多に外にも出てこないから、ボクも頼めないしなあ」

「菫姉さんは出てきてもきっとお請けになりませんよ……そうだ、じゃあこんなのは如何ですか。ほらこの竜胆の。あ、それともこっちの牡丹一華の…」

四季の示した硝子張りのケエスの中を、薬屋の旦那は覗き込む。深紅の布を張ったそこにはくすんだ色合いの鍵たちが鎮座していた。この間小鳩が丁寧に削って仕上げたばかりのとっておきである。持ち手には細かな花の文様や葉までが彫り込まれており、先のほうは錠がこじ開けられてしまわないように複雑な形状になっていた。

「やあ、これは綺麗だなあ。舶来の胡椒の粒をしまっておこうと思っていたので、花の飾りはもってこいだ。だけど四季くん、これ錠の方は何処にあるンだい」

「あ、いえまだ錠は出来ていないんです。これに合わせた錠を、菫姉さんが作りますから」

「そうか。なら、そいつが出来上がってからまた来るとしよう。や、どうも邪魔をしたね」

そう言って羽織を直した旦那は、戸に手をかけながら振り返って小鳩のほうに呼びかける。「それじゃ小鳩ちゃん、また春に。気をつけて行ってらっしゃいよ」

「まあ、お気遣いどうもありがとうございます。旦那様もお元気で」

はいはい、と明るく返事をしながら、薬屋の旦那は店を出ていった。

途端にしんと静まり返った店内に小鳩のため息が落ちる。明り取りの窓から、太陽がもう落ちかけていることが見て取れた。埃っぽい店内には申し訳程度の通路があるばかりで、ガラスケエスやら棚やらに雑多な珍品が並んだ店内は、ただでさえ黄昏堂が何屋であるのかを分からなくさせるというのに、今彼女が腰かけている辺りは店の中でもとりわけ異色な……所謂西洋風の喫茶室とも言うべき様相を呈していた。廃材になっていたギリシア風のめ柱を中心に色硝子の窓に面して高椅子を置いた一角は、四角い店から半円型に飛び出した温室部屋なのである。作り物の人魚の剥製の入った大金魚鉢に紛れて、硝子に閉じ込められた蝶の標本やら柱時計のコレクションが飾られている。鉄製や銀製の大小様々な鳥籠が吊り下げられたその部屋は、小鳩も董子も大変気に入っているようである。

背の長い西洋風の椅子に横向きに腰かけて、小鳩は行儀悪く足をぶらぶらさせた。菖蒲色の袴の裾からほっそりとした足首が覗いて、四季は一瞬どきりとしてしまう。小鳩は時折女人にあるまじく無防備なのだった。

「ねえ、四季さん。あんな嘘ばかり、嫌になってしまいますわ……私は董子のこと、何にも知らないのに」

「仕方がありませんよ。小鳩姉さんと入れ替わりで菫姉さんが出てくるのですもの。さあさ、今夜は秋分ですよ。支度をしなくちゃ」

「……嫌だと言ったら?」

ことりと首を傾いで小鳩が四季の方を見やる。表情が抜け落ちたその顔は、零れそうな瞳や足元まで流れ落ちる見事な黒髪も相まって、魂の宿らぬ等身大の人形のようにも見えた。

「姉さん、僕はそのままでも構わないけれど……菫姉さんはその着物、お嫌いだと思いますよ」

すると小鳩はくすりと笑んで、そうらしいですね、と呟いた。

「どうして私たち、お互いのことをちっとも覚えていられないのかしら。頼りになるのはこの日記だけよ」

彼女は大きな革表紙の本を手に取った。頁側に取り付けられた鉄製の錠が物々しいが、それは姉達二人だけが持つ鍵を差し込まなくては開かない作りになっている証である。それは普段寝室の奥に設えた桐箪笥の一段に並べてあった。返事のない弟に痺れを切らし、小鳩が再び口を開く。

「あの子は可哀想ですね。いつ目覚めてもあたたかな春や夏は過ぎ去っていて、夏の忘れ物を少しばかり拾うだけ。風はどんどん冷たくなって、そのうち町はひどく冷たい白い花に覆われてしまうのよ。あの子が眠るときまでに、赤い椿はすっかり落ちて梅や桃が花開くけれど見事な桜はついぞ見ることができないでしょう」

「でも、小鳩姉さんだって、寒いけれど美しい冬の朝を見ることは出来ないじゃありませんか。山が一面鮮やかに色を変える紅葉だって」

「ええ………そうね。ねえ四季さん、貴方は幸せ者ですよ。記憶の途絶えることもなく巡る季節を肌で感じることができる。私は雪に閉ざされてしまうまで、せめて部屋に緑が絶えることのないよう置き土産をすることくらいしかできないんですもの」

そう言って小鳩は本棚の隙間に置かれた小鉢を指差した。本来ならば青菜や茄子の煮浸しなどを入れる器である小鉢には半分ほど水が張られ、立派に根を張って萌木色の葉を伸ばすサツマ芋が飾られていた。芋の実は美味しく粥にした記憶があるので、恐らく少し大ぶりに先の方を落として育てていたのだろう。小さな観葉植物ではあるが、それは春夏を司る彼女の感性そのものであるかのように素朴で愛らしかった。


 陽が落ちて、ガス燈の青白い明かりがぼんやりと通りを照らすようになった。窓を開ければ吹き抜けてゆく風はどこか清々しく、紺青の空に瞬く星々も冴え冴えとしている。夏に比べて随分と長くなった夜は、書き物机に向かうには格好の雰囲気を醸し出していた。真夜の時は近い。柱時計の針が動くのを確認しながら、四季は大きく抉れた銀色の月の光が差し込む寝室へ、燭台を片手に踏み込んだ。

姉は、真白のシーツの上に横たわって目を閉じていた。部屋に満ちる静けさがどこか息苦しく、四季は自分の足音がやけにぎいぎいと煩いのを不安に思いながら歩を進める。

「……四季さん。今年はこれでお別れね」

ふいに小さく囁く声が聞こえ、ふ、と微笑む気配が部屋に落ちる。長い眠りに落ちる不安を抱えるのは姉の方なのだ。

「小鳩姉さん!また春に起こしにゆきます。だから、」

「四季さん。さようなら、また春が来たときに」

被せるように答えた声が溶けるように消え、小鳩の気配が急速に失われていく。かちり、とローマ数字の12を指した柱時計が、厳かに時の切り替わったことを告げた。

ボーンボーンという時計の音の後、しんと静寂が部屋を支配する。そして、ふいに目の前の姉の目が開かれた。

「……また秋なの?」

開口一番、董子は冷めた口調でそう言った。

「ええ、また」

四季がそう答えれば、董子は眉をしかめてゆらりと体を起こした。

「おまえ、お茶を入れて頂戴。嫌だわ、こんな真っ白のを着て……小鳩は本当にセンスがないのね。着かえたらすぐに降りるから」

確かに姉の姿は頭から足の先まで白づくめで、禁欲的な乙女の彫刻のようだった。董子の好みでないのを分かって、小鳩はその西洋風のドレスを着たのだろう。

階下に降りて花茶の支度をする間に、彼女はいつものように降りてきた。たっぷりのフリルのついた黒いドレスに銀のリボンを締め上げたコルセット、夢のように広がるスカートのドレープ。黒レースのヴェールのついたボンネットを被り、耳元輝く真珠のイヤリングは流れ落ちる黒髪に上品な華やかさを与えている。小鳩と違って、菫子は派手に着飾るのだ。そして編み上げ靴の細い踵は、まっすぐにあの喫茶室へ入っていった。

月光満ちる喫茶室ほど董子に似合うものはないだろう。夜風に揺れるリネンのカーテンがすいとそよいで、宝玉をはめ込んだ人魚の瞳に月が映りこむ。董子はそばの棚から海の色の硝子筆を一本引き抜いてインク壺に浸すなり、あの日記にさらさらと書き込みはじめた。

さて四季はと言えば、牡丹や百日紅の花びら、柘榴、蜜柑の葉、氷砂糖の入った花茶を陶器の茶碗に注いでいた。これは董子のお気に入りである。ちなみに小鳩は桜の花びらを浮かべ、甘く似たサクランボを底に沈めた花茶を好んでいるのだが、互いに互いの気に入りの茶は決して手を付けないのだった。

「ご苦労さま。ねえ、おまえ、もう寝ていいわよ」

さらさらと筆を滑らせながら、董子は譫言のように言う。菫子は決して四季の名を呼ぼうとはしない。それはもうずっと昔からのことで、故に四季は毎度秋分の夜だけは小鳩との違いに面食らうのである。

「ねえ、菫姉さん。忘れないうちに言っておきますけれど、小鳩姉さんの作った竜胆の鍵に似合う錠を作ってくださいよ。薬屋の旦那が待ち望んでおられるんですから」

「野暮ね、そんなの明日に言って頂戴よ。私には忘れないうちに書かなきゃいけないことが山のようにあるんだから」

「一体目覚めたばかりで何を書くってェ言うんです?」

すると董子は不機嫌そうに早口に答えた。

「どうして私が小鳩で、姉さんが董子じゃないのかって書いているのよ。私が眠るころにはまだ菫は咲かないでしょう。私だって一度くらいあの花を見たいのに、ずるいわ。おまえも小鳩も」

「そりゃあ春分の日は菫の開花には程遠いですけれど。姉さん、去年もこのやり取りをしたでしょう……ほらここに、菫の砂糖漬けならございます」

四季はトレイの上の、陶製の器を掲げて見せた。毎年必ず董子は、起きぬけにかの花を所望するのだ。

「やぁね、流石に覚えてるわよ……ねえ、おまえ。私が可哀想だと思う?」

「姉さんが?どうして」

面食らってそう答えれば、董子はふと首を傾いで妖艶に唇を吊り上げた。結んでいない黒髪が、さらりと流れる。

「私には春も夏もない。ただ、枯れた葉の踊るばかりの秋や、冷たく吹きすさぶ風と短い昼の冬があるだけなのよ」

彼女が一体何を考えてそれを弟に尋ねたのか四季にはさっぱりわからなかったが、しかしふいに夕方の小鳩の言葉が思い起こされて、四季は何か焦ったように思いのたけを打ち明けた。

「いいえ。僕はそうは思いませんよ……これから木の葉は鮮やかに色を変え、町の石畳は黄色や赤や茶の絨毯で覆われるでしょう。空気はメランコリイを帯びて甘く、長い夜に晩酌を楽しめましょう。葉を落とした木はどこか寂しく、けれど空気の冴えた冬の朝の日光が次第に町を照らしてゆく様は一際美しいではありませんか。火鉢にくすぶる赤も綿のような白雪も。台所には大根やかぶらが並び、湯気の立ち上がる様のなんと郷愁的なことか。春待ちの気配も、白や赤の椿の凛とした美しさも、臼から取り出したばかりの餅も酸っぱい蜜柑も、小鳩姉さんはご存知ないのです」

余程意外だったのか、途中から目を見開いて聞いていた董子はやがて目を少しそらすなり、

「あら、おまえは随分と贔屓してくれるのね」

と小さく呟いた。秋冬を司る姉の嬉しそうな横顔を拝めたのは、一体何年ぶりのことだろうか。

秋分の夜は深まっていく。この先の夜がじわじわと昼を侵食していくように、四季の心もまた小鳩から董子へ、移り変わろうとしていた───。



────『黄昏堂』の店主、栄四季には二人の姉がいる。同じ顔と同じ声を持ち、季節を違える二人の姉が。

反省点は山のように御座います。

ただ、私の中に渦巻く浪漫を詰め込んでみたかった。オチが迷子なのは仕様です。いえ、言い訳です。


小鳩と菫子、二人は全く別の人格でありながら一つの肉体に囚われているのです。多重人格と一口には言えない何か、しかし一つ言えるのは。

栄 四季は確かに人間であるということ。


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