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―Story is art― 【第二回・文章×絵企画】  作者: 些稚 絃羽
halさまイラスト 『第二回・文章×絵企画用』より
6/14

失くした剣と苦い蜜

イラスト:halさま ( http://5892.mitemin.net/ )

指定ジャンル・必須要素:スチームパンクファンタジーか推理モノ


→→ ジャンル:推理 (イラストは表紙として)

  この作品は17,970字となっております。


挿絵(By みてみん)




「博士ッ!!」


 ダンッという激しい音と共にドアが開く。開ききったドアは壁に勢いよく当たり、真鍮でできたドアノブがめり込む嫌な音がした。あまりに粗暴な行動に反して、そこに居たのは愛らしい顔で威嚇する少女。感情に反応した赤い犬耳がぴんと毛を立たせている。


「……リア、お前は何回言ったら壁を壊さなくなるんだ、んん?」

「毎回ちゃんと自分で直してるんだから問題ないでしょうが、えぇ?」


 反抗的になったものだ、誰に似たのか。男はそう思いながら身体を正面に戻し、パイプを唇の端に咥えたまま深く大きな溜息を一気に吐き出す。煙がもわりと塊で立ち上ると、緩やかにうねりながら天井の排気口に吸い込まれていった。

 ――クライド・ウォーレン。それが男の名だ。


「第一、こうなるのは博士のせいなんですからね! またあたしの剣を勝手に持ち出したでしょ!」


 少女――リア・エイミスは、早速壁の修理をしながら背中越しにクライドへの文句を垂れ始めた。握ったスプレーガンからは専用の特殊な壁材が飛び出て、それを素早くコテで塗り広げると陥没していた壁は一瞬にして元通りになった。その手付きが職人並みに手馴れているのは何度となくこの行為を繰り返してきたからだ。

 リアは壁を壊すことを悪いことだと思っていない訳ではない。直す手間やノブに付く傷を思えば、もっと慎重であるべきだとも思っている。

 しかしどうしたって冷静ではいられないのだ。


「いや、今日は見かけもしなかったが」

「絶対嘘。いつもいつも調子のいいこと言って誤魔化すんだから! 何度も同じ手にかかるだろうなんて馬鹿にしてんじゃないですよ!」

「だから俺じゃねぇって言ってるだろ」

「だから信用できないんだって言ってるでしょ」

「……そうかっかするな。母さんみたいになれねぇぞ」


 言ってしまってから、クライドは自分の失態に気付く。

 確かにリアの母親でクライドの学友だったエレナは可憐な淑女だったし、そのうえ勇気があり剣の使い手でもあった。

 リアの父親で同じく彼の学友だったロッドも心優しく仲間思いで、腕っ節の強さは学校一だった。

 二人は誰が見てもお似合いで、結婚してからは持ち前の勇敢さと優しさで街の護衛隊に所属していた。決して、あんな酔っ払いの喧嘩に巻き込まれて死んでいいような人間ではなかった。それはリアがもうすぐ七歳になる頃だった。

 十年経った今も、両親の死がその胸に傷として残っていると分かっていたはずなのに、思わず軽口のように使ってしまった。口から離したパイプが机に当たり、かつんと音を立てる。

 リアはきっと泣いてしまうだろう、今までにも二度ほどこんなことがある。彼女は一度泣くとなかなか泣き止まないから気を付けようと思っていたのに。また、彼女が泣くとどうしてだか左の肩から指先までの義手が疼く。作るのを手伝ってくれた彼女の両親の抗議だろうか。

 クライドは自身に向けた舌打ちを口の中で鳴らすとそっと後ろを振り返った。


「リア、あのな」

「……あの剣は、あたしのだもん」


 クライドが声をかけたのと同時に、リアが言う。


「あたしのなのに、勝手に使わないで」


 俯きがちに、少し悲しげな声でリアはそう続けた。どうやら母親のことはあまり気にしていないらしい。寧ろ彼女を思わせる話し方にクライドは小さく息をつくと、いつも通りに言葉を投げかける。


「何度も言ったが俺は今日、お前の剣を一度も見てない。昨晩、お前が薬液の充填をしてるのを見てそれっきりだ。

 ……まぁ、何だ。今まで勝手に使ってたのは悪かったよ」


 珍しく素直に謝ったクライドに対して、いつもならいじり倒すリアがいやに大人しい。

 家中を隈なく探しても見つからず、どうせあいつだろうと踏んで詰め寄ったクライドさえ持っていないことが分かった今、リアは成す術を無くしてしまった。

 大切な剣なのに。リアは思う。宝物は? と聞かれればすぐにあの剣を思い浮かべる、そのくらい大事な存在を自分は失ってしまった。両親には悪いが、今も持つ二人への喪失感や悲しみと並ぶほどに甚く傷付いている。二人を失った分はクライドが少しずつ埋めてくれているのだ。


 そんなリアの思いにクライドが気付くはずもなく、悲嘆に暮れたリアに半ば呆れて声を上げる。


「おいおい、そんな落ち込むなよ。確かにお前の剣だが、作ったのは俺だぞ? 無くなったならまた作ればいいだけだろう」

「……だから、だもん」

「何?」

「博士があたしのために初めて作ってくれた剣だからだもん……」


 リアは言い直すも、クライドにはその意味が分からない。背凭れに深く身体を預けた。

 リアの剣は二人が言うとおり、クライドが作ったものだ。彼はリアから博士と呼ばれてはいるが、実際はそうした類の職業を生業としている訳ではない。彼の作る剣や銃といった武器はかなり精巧でそこらの店には余裕で勝るが、これは趣味でしかない。

 かと言って、リアに作った剣が片手間に用意したものかといえば断じて違う。それまで作ってきたどんなものよりも――エレナにあげた短剣やロッドのための鎧よりも、更には自分愛用のピストルよりも――慎重に時間をかけて、少女の力でも十分身を守れるような造りにしてある。

 それはこの先もし自分さえ彼女を守れなくなった時のための、言わば保険だった。当然クライドに死ぬ気は更々ないが、最近はエレナとロッドが生きていた頃よりもずっと治安が悪くなってきている。クライドのそれとは天と地ほどの差があるにしろ、小者な輩が持つ武器だって性能が上がってきている。何があるか分からないこのご時世じゃ、十七の少女だって自分を守れなくてはいけないのだ。

 あれと同じものを、というとすぐに作れる訳ではないが予備に一本置いているのがある。性能は劣るが新しいものができるまではそれを使わせていれば問題ないだろう。しかし、リアは余程あの剣が気に入っているらしい。

 初めてでも二回目でも、クライドにとって違いは見出せない。


「お父さんもお母さんも居なくなって、寂しくて仕方なかった。死ぬってことがどういうことかはあんまりよく分からなかったけど、悲しいことだけは理解できた。

 それでも博士が迎えに来てくれて一緒に暮らすようになって。十歳の誕生日にあの剣をプレゼントしてくれた時、毎日夜遅くまで部屋に明かりがついてたのはあたしのためだったんだって分かって。……嬉しかった。ひとりじゃないって言ってもらえた気がして嬉しかった。

 だからあの剣はずっとずうっと大切にするんだって、博士のこともあたしがあの剣で守るんだって、そう思ってたのに……」


 リアが吐露した思いがクライドの胸に刺さる。

 幼く悲しみの淵に居た彼女にどう接していいか分からず、いつもに輪をかけたぶっきらぼうさで振舞っていた自分はきっと嫌な大人だっただろう。今だって子供のような喧嘩は日常茶飯事で、嫌われてはないにしろ離れていくのは時間の問題だと思っていた。

 それでもリアはクライドのことさえ守る気でいたという。それは暗にずっと一緒に居るつもりであることが窺えたし、実際そのつもりだった。


「……最後はどこで見たんだ?」

「え?」

「お前がどうしてもあれがいいってんなら、探すしかないだろう……生憎、俺は探偵だからな」


 彼の言葉に、リアの表情がぱあっと明るくなる。そして首が取れそうなくらいに頷くから、クライドは仕方ないなと息を吐く。少女に振り回されている今の自分を見たら、あの二人は笑うだろうと思いながら。


 プロ以上の腕を持つ鍛冶師クライドは、本業の探偵としてリアの後を追って出て行った。

 勿論、パイプと銃は忘れずに。




**********




 探偵家業が儲かるかと言うとそんなことはない。

 富裕層の住む街の探偵は毎日仕事のために走り回っていると聞くが、この街はどちらかといえば田舎の部類に入るため、金回りはあまり良くない。

 クライドは金儲けは金持ちがするものだと考えている。

 勿論金がなくても生活できるのかと問われればそれは無理だ。趣味の武器作りだって材料を安く手に入れるルートはあるがタダではないし、パイプという嗜好品も決して安くはない。リアとの二人分の生活費も加えるとどんどんと数字が増えていく。

 しかし不安定な仕事とはいえ僅かばかりの収入はあるし、更にはクライドにはプロ以上の腕もある。彼の噂を聞き付けてやって来る人達にどうしてもと頼まれれば売ってやることもある。当然相手は大いに選ぶが。

 そうしていれば毎月生きていくために必要なくらいは十分に賄え、富んではいないが貧しくもなく生活できている。何より趣味に当てられる時間が多いのが、この街で探偵をしていることのメリットなのだ。




「メープルファッジ、メープルファッジ、安らぎの香りに誘われて~

 メープルファッジ、メープルファッジ、あなたもおいでよ、この街へ~」

「……その歌、歌うなって言ってるだろ」


 家を出て中央通りを進みながら、クライドは隣のリアに苦い顔をする。

 通りはすっかり秋めいて、赤や黄に色づいた葉が風に乗って足元を駆けて行く。脇を通って行った新聞配達の少年も、大きなポーチを揺らしながら肌寒そうに手の甲を撫でている。ふと香った甘さにクライドの鼻がむずりとした。

 街全体が落ち着いた雰囲気を醸し出す中で、リアの歌声は明らかに浮いていた。


「何言ってるんですか、この街に住んでるんだから歌わなきゃでしょ」

「そんな甘い名前出されたら気持ち悪くなる」


 えー、とリアは不満そうだ。

 リアが歌っていたのはこの街、メープルファッジに観光客を増やそうと作られた歌だ。歌自体に罪はないが甘ったるいお菓子と同じ名前が連呼されるために、甘いもの嫌いのクライドにはぞっとする歌だった。聴く度に心の中で、あれのどこが安らぎの香りだ、と毒づくくらいに。


「で、最後に剣を見たのはいつなんだ?」


 クライドは頭を振って、耳に残る甘い名前をこそぎ落とす。それから余所見をしているリアを一瞥すると改めて問いかけた。

 リアはどうにも緊張感がない。今にも泣きそうに剣への思いを語ったのと同じ少女だとは思えなくて、クライドは密かにがっかりしている。

 当のリアはと言うと家を出た目的をすっかり忘れていたようで、素っ頓狂な声を上げてからうーんと唸り始めた。


「家で薬液を充填したのが夜の八時で、それからいつも通り玄関の外で素振りを始めて。

 そこからどこに置いたか分からないんですよねぇ」

「いつものとこに戻さなかったのか?」

「戻した記憶は……ないですね、へへ」

「何がへへだ、馬鹿」


 クライドは煙と共に息を吐く。

 曲がった先の路地は薄暗く、やや陰気な雰囲気がある。そこを通る人は普段から少ないが、迷いなく進むクライドは頻繁に出入りしているひとりだ。リアはそれにちょこちょこと付いて行く。


「いやぁ、素振りの途中で喉が渇いてね?

 作り置きの紅茶があったなぁ、と思って家に入ったらもう空になってて。仕方ないから新しく淹れ始めたところで眠くなってきて、その後すぐに寝ちゃったんですよねぇ」

「その間、剣は?」

「あ、玄関に置いたままだった」

「……この馬鹿」


 ゴツン、と重い音がしてリアがギャッと頭を押さえる。振り返ったクライドがげんこつをお見舞いしたのだ。


「ひ、ひど……」

「完全に自分が悪いんじゃねぇか、同情の余地なんざあるか」


 リアは頬を膨らませ口を尖らせると、むーと漏らすだけに留まった。今回ばかりはクライドの言葉が正しいと自分でも分かっているからだ。反論できない。

 クライドはそれ以上彼女に意識を向けることもなく、足を止めた。突然のことに、ぶつかる直前で何とか踏み止まったリアが彼の横から顔を出す。

 路地の突き当たり。一層暗く湿っぽく、肌寒さを感じるようなこの場所に、壁に埋もれるような格好で取り付けられた木製のドアがあった。角は丸みを帯び、表面には正体の分からないくすんだ緑色の筋が走っている。リアはごくりと唾を飲み込んだ。

 クライドは躊躇することなく、ドアノブに手を掛けそれを引く。ギャーと、苦しむカラスのような音が辺りの石壁に跳ねた。リアが止めるより先に彼は中へと入ってしまう。置いてけぼりを食らったリアは、まるで戦場へと旅立つような顔で足を踏み入れた。



「うわぁ、何ここ……」


 そこには予想外な光景が広がっていた。

 壁一面に並べられていたのは、銃や剣といった武器の数々。リアが持てば一発で潰れてしまいそうな巨大なものから、ねずみでも使えそうな小型のものまであり、その仕様も様々だ。中には大きな宝石がついているものまである。その光が反射して、古びた室内もまともに見えた。

 これまでクライドの作る武器を間近で見、自身でも使ってきたリアでさえ、一度にこんな量の武器を目にしたことはない。荘厳ささえ感じるその場所に、リアはだらしなく口を開けて圧倒されていた。


「クライド、今日は女連れか? けど未成年は犯罪だぜ?」

「黙れ、顔面凶器。こいつはリア、居候だ」

「ああ、前聞いた子か。なかなかのカワイコちゃんだな」


 呆けているリアを無視してクライドは誰かと話を始めた。低くもクリアな彼の声とは違うしゃがれた声に、リアは覚醒する。奥のカウンターの前に立つクライドに目を向けるが、話相手の姿が見えない。リアは近付く。


「博士、誰と話してるんですか?」

「あ? こいつと」


 クライドが指したのはカウンターの中。乗り上げるようにして覗き込めば、そこにはカウンターより低い身長の男が立っていて、目をくりくりさせながらリアを見つめてきた。一見可愛らしく見える仕草だが、しかし明らかに年齢はクライドより上だろう。貧相な頭と額や目尻に刻まれた深い皺がそのことを物語っていた。

 その男は短い手をひらりと振ると、あのしゃがれた声を上げる。


「よ、お嬢ちゃん。俺はギャビーだ。よろしくな。さぁさ、挨拶代わりに熱いキッスでも」

「近寄るな、万年発情期。一生オモテの世界に出られなくしてやろうか」


 見下ろすリアへと手を伸ばしていた男――ギャビーにクライドの言葉の矢が刺さる。わざとらしく傷付いたように胸を押さえる彼のことを、クライドはリアにこう紹介する。


「この武器庫の店主だ。こんな性格とナリだが、武器の目利きはピカイチ。ウラの世界でこいつを知らない奴はモグリってくらいに名の知れた男だ。武器のことはこいつに聞けば大抵分かる」

「……武器庫って言うな。人の店を倉庫みたいに」

「何か文句あんのか、いつでも警察に突き出す準備はできてんだぞ。罪状は幾つつくだろうな?」

「怖ぇよ、それだけは勘弁してくれ……」


 ふたりのただならぬやりとりを聞きながらも、リアの目線はギャビーの方に釘付けになっていた。厳密に言えばその頭に。


「……たぬき?」

「熊、な。お嬢ちゃん、たぬきはひどいぜ」

「あ、ごめんなさい」


 ギャビーの頭にはたぬき、ではなく熊の耳が生えていた。たぬきに見えたのは彼の丸いお腹のせいだろう。

 リアは自分以外に獣の耳をつけた人間に会ったことがない。まさか、と目を擦ってみてもそれはなくならなかった。現実だ。熊の耳の下に人間の耳までついていることも。

 ギャビーが一瞬、リアから天井へと目線を上げる。そして可笑しそうにくつくつと笑った。


「お嬢ちゃんもクライドにやられたクチかい? 赤い犬耳なんて可愛いじゃねぇか。

 俺ももっとかっこいいやつか、せめて熊耳一本に絞ってほしかったぜ」


 人間の方の耳を触りながらギャビーはそう言った。リアが天井を見上げてみると、そこには大きな鏡が設置されていた。カウンターより低い背の彼は、その鏡で店内の様子を見ているようだ。

 名前を挙げられたクライドはひとつ舌打ちをする。心底嫌そうに顔を顰めて、


「お前の場合は当然の報いだし、こいつは自分で被ったんだ。俺は悪くない」


と腕を組んだ。リアは今はもう使い慣れた犬耳を器用に動かしながら、その時のことを思い出していた。


 クライドから剣を貰ってすぐのこと。今日は入るな、と言われていたクライドの部屋にリアは彼の外出中にこっそり入った。帰ってきたら脅かしてやろうと思ったからだ。

 初めてひとりで入った彼の部屋は好奇心を擽るもので溢れていた。

 特に作業台の上に置かれていた、濃い橙色の液体。小瓶に詰められていたそれが何かの薬品であることは、薬品の充填が必要な剣を貰ったリアにはすぐに分かった。薬品には色んな種類があって危険だとは聞いていたが、あまりの綺麗な色にもっとじっくり見たくなった。

 思い切り手を伸ばして指先にそれを捉えた瞬間、バンと開いたドアの音に驚いたリアは瓶を上へと放り投げてしまった。

 クライドが駆け寄ったが遅く、閉まりの甘かった瓶は逆さになってリアの頭上に中身をぶちまけたのだ。



「……そもそもそんな薬、作るのが悪いんだろうが」

「武器を使わなくても相手を戦意喪失させる方法だ。獣耳なんて生やされたら、近付こうなんて思わないだろう」

「まぁ、確かに戦意は喪失するわな、これじゃ」


 ギャビーは微妙な顔をするが、リアは気に入っていたりする。あの後、ひとしきり怒ってリアを泣かせたクライドが似合っていると言ってくれたからだ。苦い顔ではあったけれど。



 クライドが思い出したように、声を上げる。ここには目的があって来ていたのだった。


「昨日の夜九時から今まで、俺の作った剣を持ち込んだ奴はいないか。LEAH(リア)と刻印してあるやつだ」


 その言葉にリアは気付く。自分の剣が売られている可能性に。

 クライドの作る精巧な武器を欲しがる人は幾らでもいる。見る人が見ればクライドのものだとすぐに分かってしまうだろう。ましてや本人の家の前に置かれていた剣。分からなくとも予想はできたはずだ。

 もし売られていたとしてもここにあれば問題ない。お金はあまりないが、クライドに免じて安値で買うことはできないだろうか。

 そんなことを考えていたリアの耳に、ギャビーの声が届く。


「確かに来たな。今日の明け方だ。寝てたところに来たからよく覚えてる」

「なら今から五時間前ってとこか。買い取ったか?」

「んにゃ。どこの誰か知らねぇ奴からクライドのもん、買う訳ねぇだろ」

「……そこは買っとけよ」


 クライドの言葉にギャビーが目を瞬かせる。丁度、いいこと言っただろうとすまし顔を決めていたところだったのだから当然だ。

 しかしクライドの考えもまた当然。ここでギャビーが余計な気を回さずに買い取っていたなら、捜査は終わり。無事に剣を取り戻せてめでたし、だったのだから。

 がっかりしながらも、リアは気になっていることを口にする。


「あの、それ本当に博士の作った剣だったんですか?」


 クライドがした紹介の言葉を信用していない訳ではない。彼が言うのだからかなりの目利きのはずだが、リアにはギャビーがまだ信用できる人間なのかが分からなかったのだ。

 リアの質問にはクライドが答えてくれた。


「鍛冶師は自分の作ったものに署名をする義務がある。通常は加工をして見えないようになっているが、その装置を使えば加工の下の署名を確認できる」


 顎で示した先で、台に乗ったギャビーが装置のレバーを引く。身体の半分はあるその装置は、上に取り付けられた煙突のようなものからキメの細かい蒸気を吹き出している。ギャビーが別のレバーを時計回りに回すと、蒸気は様々な色に変化していく。見る武器によって使い分けが必要だからだ。

 大抵のものは見ただけでそのつくりを理解してしまうクライドだが、この装置の仕組みだけは何度見ても分からない。ギャビーは実は凄腕の機械工でもある。

 ギャビーが凄いだろうと鼻歌交じりに操作しているのを横目に、その凄さの分からないリアはクライドに問う。


「博士は趣味なのに、それでも署名が要るんですか?」

「趣味であってもそうだ、人を傷付けるものを作っているからな」


 武器は自分や他の人を守る以前に、相手を傷付けるもの。それを理解しているから彼の武器が好まれるのだと、ギャビーは思う。鍛冶師の人となりが武器には如実に表れるのだ。世界中の誰よりも武器を見てきたギャビーだからこそ分かることだった。


「で、持ってきたのはどんな奴だった?」


 クライドが心なしか落ち込んでいるギャビーの意識を本題に戻す。ちらりと切なげな瞳をリアに向けると、ギャビーは覚えていることを話し始めた。


「格好は、薄手のトレンチコートだった。明らかに女物だったが指先まで隠れるくらいぶかぶかでな。あれは多分十二、三の華奢なガキで、しかも男だ」

「女物を着たガキ?」

「あぁ。肩まであるブロンドの髪は地毛だったし声も中性的、ケツも俺好みに張っていると思ったが、靴が男物だった。俺の背じゃ見えないと踏んだんだろうが、それで女のふりしたガキだってピンときたぜ」


 リアはその口調に博士より探偵っぽいなどと考えてしまった。彼女はまだクライドの仕事ぶりを見たことがないのだ。

 リアの考えていることに思い至ったクライドは、あいつは無類の女好きだから気をつけろ、と耳打ちする。ギャビーの観察眼はなかなかのものだったが、それは女性への嗅覚が凄まじいことが主な要因だった。

 あのケツは偽物だったんだなぁ、と残念がるギャビーを横目に、リアは大きく頷いた。


「ガキでここを知っているくらいだから、この辺りの人間だろうな」

「でも武器マニアとかだったら遠くても来るんじゃないですか?」

「お嬢ちゃん、本当の武器マニアならガキだってクライドのもんを手放したりはしねぇよ」


 ギャビーが言う。それほどのものなのか、クライドの作る武器は。そのことを知って、リアはますます自分の失敗の大きさに気付いた。

 家族同然で共に居るからと言って、当たり前のように思ってはいけなかった。大切にしているつもりがただの“つもり”に過ぎなかったのだと反省する。もし無事に自分の元へ戻ってきたなら、今度こそもっと大切にしようと心に決めた。


 ある程度の必要な情報は手に入った。この街の住人を知り尽くしている訳ではないが、その年頃の子供が住んでいる家や立ち寄る場所には心当たりがある。クライドはギャビーに軽く礼を言うと立ち去ろうと踵を返した。

 が、すぐに呼び止められた。


「そういやぁ、そいつアレの匂いが染み付いてたぞ。クライドの嫌いなあまーいやつ」

「くっそ、最悪だ」


 汚く吐き捨てたクライドはリアを促して外へ出ると、八つ当たりに閉じたドアを思い切り蹴った。蹴破られはしなかったものの、その振動で周りの武器が落ちる音を聞いたギャビーは、


「俺、情報提供者だぞ? あぁ、おっかねぇ」


と肩を震わせるのだった。




**********




「……ここしかねぇよなぁ」


 クライドは溜息混じりに呟く。情報提供者への感謝など微塵もなかった。

 彼が嫌いなあまーいやつ、それはこの街の名前でもあるメープルファッジだ。その専門店へとふたりはやって来ていた。

 何の迷いもなくここにやって来たのは、その少年に匂いが染み付いていたという言葉があったからだ。その匂いのするところ、つまり作っている所に身を置かねば匂いが染み付くことはない。そして実のところこの街にあるメープルファッジの店はたった一店舗。ここしかないのだ。


「もっと家の近くにもあったらいいのになぁ」

「ひとつの街につき一店舗って決まってるんだから仕方ないだろ」


 軽くえずきながらも、こんな匂いを毎日放たれたら早死にしそうだ、という言葉は飲み込んだ。流石に店の前で暴言は吐けない。

 ここからの選択肢はふたつある。ひとつはこの店の従業員で十二、三歳のブロンドの髪の息子を持つ人が居ないかを調査する。もうひとつは店の裏手を通った少年が居ないかを調査する。この二択だ。


「どうして外に居る子を探すの? コートに匂いが付いてるんだから、従業員を探すのが普通じゃないですか?」


 リアの発言にクライドは首を振る。彼にとっては後者の方が有力な選択肢に思えている。


「従業員がコートを掛ける所っていうのは大抵隔離されている。特にこんな匂いのきつい店では多少配慮されているだろう。だからコートに匂いは付きにくい」

「ほうほう」

「反対に店の裏手には排気口があって、中の甘い匂いは全て外へ出て行く。現に今、表のここまで漂ってきているだろう? ということは排気口の近くに居れば匂いは簡単に染み付くはずだ。

 つまりそのガキはギャビーの店に行く途中、その裏道を通ったんだろうってことだ」

「すごい! 博士ったら、本当の探偵みたい」

「……本当の探偵だっての」


 呆れながらも頬が緩んだ。鍛冶師としては尊敬してくれているリアに探偵であることを認められた。何てことない推理と言うほどでもないことで目を輝かせる彼女に、どこか誇らしいような気がして義手のはずの左腕がむず痒い。意味もなく曲げ伸ばしを繰り返してみた。

 じゃ早速捜査しよー! と意気込んだリアだったが、一歩踏み出した拍子にぐーと腹の虫が鳴いた。


「捜査の前に、メープルファッジ買って行きません? ほら、腹持ちいいし!」

「金持ってきてないから無理」

「えぇー! やだやだ、食べたい! お腹すいたよぅ」


 駄々っ子のように手足をばたつかせる姿に、お前のためにここに来ているんだろうがと思いながらも、クライドはやはりリアに甘い。お金を持ってきていないためにそれを買ってやることはできないが、腹の足しになるものはないかと視線を走らせた。

 するとその先にうんと枝を伸ばした大きな木を見つけた。ただの木ではない。クライドはそこに駆け寄るとリアを呼ぶ。

 お腹がすいて苛立っているリアは渋々といった様子で彼の元へやって来た。


「何ですかー?」

「この木を見ろ。メープルモドキって木なんだが、メープルより甘い樹液が固形で採れる面白いやつだ。腹の足しにはなるだろ」

「え、何それ、すごい!」


 早く、と急かされながらクライドはポケットに入れていたナイフを取り出し、しゃがみ込んで脛の高さでその幹に三角の切込みを入れる。切った表面の皮を剥ぐと同時に琥珀色のゼリービーンズのようなものがころころと幾つも出てきた。リアは急いで手を持っていくと、掌に乗ったそれを興味深そうに眺める。その間にもどんどんとそれは掌に溜まっていく。

 リアの両手にいっぱいになった頃、クライドが剥いだ皮を戻すとそれは止まった。


「こんな木があるんですね」

「今ではこの街くらいらしい。メープルファッジの名前が付いてはいるが、メープルの木は高くて植えられなくて、安価になっていたメープルモドキを植えたって話を聞いたことがある」


 そう言ってクライドは、食べてみろ、とリアに促す。色はメープルシロップそのものだ。仄かに香る甘い匂いに誘われるように、手の使えないリアはその山に顔を埋めるようにして一粒口に含んだ。

 リアの反応を待つ。どんな喜びようを見せるだろうか。

 が、リアは一噛みした後、動かなくなった。どうしたんだと聞こうとすると、リアの顔が苦痛に歪んだ。


「博士の嘘つきぃ……苦いし不味いし、うげぇ」

「は? いや、そんな訳が……」


 幼い頃からこの木の存在を知っている。そもそもエレナが頻繁に食べていたのだ。彼女の父親はメープルモドキの蜜を集める仕事をしていて、エレナのおやつはいつもメープルモドキだった。甘くて美味しいんだと食べていた彼女の言葉が嘘の訳がない。しかし今のリアの苦しみ方も嘘ではない。

 クライドはリアの手から一粒取ると口に放り込んだ。


「……美味い」

「げー、博士、味覚音痴ぃ」


 リアはそう言うが、クライドには本当に美味しく思えるのだ。匂いの甘さに反して口に広がるのは心地よい苦味と渋み。子供のリアには分からないだろうと考えてから、昔のエレナの言葉を思い出す。

『メープルモドキはね、吸収した水分と養分の質によって味が変わるの。この辺りは水自体が柔らかいし養分も豊富だから甘くて良い蜜が採れるけど、最近水害があったあの地域のは今美味しくないんだって』

 そうだ、この木は吸収したものによって味が変わるのだ。だがここの木はいつだって美味しいんだと話していた記憶もある。何かあったんだろうか。


 動かした足元でチャリ、と高い音がする。足を上げて見ると、深い緑のガラス片が辺りに散らばっていた。それは幹の根元にも幾らか付着していて、傍には細い筒状のものと厚い円形のものも転がっている。それらを頭の中で組み合わせると、見覚えのある形が出来上がった。


「くそ、俺の力作を割りやがって」


 それはボトルだった。ワインボトルを真似たが、中に入れる薬液の濃度に耐えるよう底に厚みを加え、更に剣全体に上手く薬液が循環するよう口の形にもこだわった、クライドお手製の薬瓶。リアの剣に使うためだけに何度も試行錯誤して作り上げた、至高の逸品だった。

 剣が盗まれたことは仕方がない、リアの不注意もあった。それが元のまま返ってくるなら水に流してやろうと思っていた。しかし今ここに無残に散らばる残骸を見て、同じようには思えない。

 彼の呟きが聞こえたのか、苦さに悶えていたリアがクライドに近付く。顰めた顔からまだ口の中の嫌悪感を拭えていないのが分かるが、ガラス片に気が付いた瞬間、眉間の皺が一層深くなった。


「これ、わたしの剣の薬瓶……どうしてこれだけが?」

「使えないのが分かったからだろうな」


 リアの剣の特徴はそこにある。薬液を充填している完成形(・・・)の状態では、持ち主のリアでなければ最大限の効果を発揮することはできない。他の者がいざ使おうとしても剣は全く言うことを聞いてくれなくなる。反対に、薬液が充填されていなければ誰でも扱うことはできるが、精々刃物として料理に使えるくらいなもので、対人には役に立たない。薬液自体は人の肌をかぶれさせる十分な効果があるが。

 リアの剣を盗んだ少年は恐らく、手に入れたはいいが手に負えず、使えないならギャビーの店に売ろうと考えたが追い返され、ここで薬瓶を割る結果になった。薬液がなければ使えると気付いたのか、単なる八つ当たりでかは分からない。薬瓶がなくなることで自由になった剣を持って少年はここを立ち去った。


 蜜が苦くなった原因はその薬液だろう。木にとっては害以外の何物でもない薬液が根元の土へと注ぎ出され、吸収のいいメープルモドキはそれをしっかりと受け入れて、蜜を苦いものに変えてしまった。クライドの記憶では、メープルモドキは四、五時間をかけて吸収した水分を枝の隅々まで行き巡らせてから、新たな蜜を作る。これは丁度、少年がギャビーの店に訪れた時間と苦い蜜が出来上がる時間と合致した。


 ギャビーの店への行き帰りの両方でメープルファッジの店の付近を通っているということは、その少年にとってこの辺りが拠点であることは間違いない。

 残る疑問はふたつ。まずは明け方に売りに行ったことだ。


「人目につかない時間がいいと思ったんじゃないですか?」

「それも一理あるが、人目につかないという点では夜の方が暗がりに紛れられる。それにうちからこの辺りまでは歩けば二十分かかる。その間に剣が自分に使えないことは分かったはずだ。あいつの店はその道中にあるのだから、さっさと諦めて売ろうと思ってもおかしくはない」

「あ、そっか」


 つまり何か明け方の方が都合がいい理由があったのだろう。クライドとリアは共に首を傾げた。

 クライドは同時にもうひとつの疑問についても考えていた。しゃがれた声を反芻する。


「偽物の、ケツ……?」

「博士ったら、変態」

「あいつと一緒にするな」


 リアから冷ややかな視線を受けたクライドはむっとしながら、ギャビーから聞いた状況を想像していた。

 腰の辺りが何かで膨らんでいる。サイズの大きいコートでその中は分からない。女性らしさを表現しようとしていたのかとも考えたが、聞いたところでは小柄な少年だ。同じ年頃の子の中では標準体型のリアでも胸の下まで隠れるほどの高さのあのカウンターでは、恐らく肩くらいまで隠れていたのではないか。真っ先に見たはずの胸について、ギャビーの口からは何も出てこなかった。特別なことはなかったということだろう。


「明け方が都合がよくて……腰に何かを提げて……あ、そうか!」


 呪文のように答えの断片を言葉に乗せてみる。そしてひとつ思い至った結論を確かめるため、傍を通り過ぎようとしていた青年を呼び止めた。


「あんた、この辺に住んでるか?」

「え? あ、クライドさんだ! うち、すぐそこなんです。良かったら来てください! ずっとお会いしたいと思ってたんだぁ」

「えっと……それはまた今度な」


 思わぬ対応に戸惑うクライドは青年と幾らか距離をとった。押しの強い人間は苦手なのだ。

 青年は瞳を輝かせながらクライドを見つめ、リアはそのふたりを物珍しそうに眺め、クライドは人選ミスに空を見上げるという不思議な構図が出来上がった。

 気を取り直し、クライドが聞く。


「それで、この辺りの新聞配達人を知らないか? ブロンドの髪の男の子だと思うんだが」

「あぁ、デリックのことですね。まだ子供なのにすごいよなぁ、妹のサラちゃんを養うために毎日走って」


 あっさりと答えが返ってきた。

 新聞配達人。明け方に大きな荷物を提げている必要があるのは彼らくらいだろう。比較的田舎のこの街では十代で仕事をしている者は多いが、新聞配達も郵便配達もその仕事自体が少ない。郵便配達人とは毎日のように顔を合わせているため、新聞配達人だろうと当たりをつけた。クライドは新聞は読まない性質だ。


「親は居ないのか?」

「ずっと母親のエイダさんとの三人暮らしだったんですけど。なんでも、中心街の方へ行った時に運悪く事故にあったらしいんですよ。それで、そのまま」

「そんな……」


 リアが苦しい声を出す。少年と自分を重ねたのかもしれない。クライドは右手をリアの頭に載せる。今言葉にできることはないが、ただ自分の存在を彼女に伝えたいと思ったからだ。


「そのデリックはどこに住んでる?」

「この店の裏手にある小屋みたいな家ですよ。あぁ、でもこの時間ならもうすぐ……ほら、帰って来ましたよ」


 青年が指差す先に小さな人影を見る。帽子を深く被り、寒そうに身を縮こませて手の甲を擦っている。

どこかで見たことがあるぞ、と考えて思い至った。家を出てすぐ、ギャビーの店へと向かう時にすれ違った少年だった。クライドは舌打ちをする。そんなに近くに居たとは。


「助かった、ありがとうな」

「いえ、クライドさんのお役に立てて嬉しいです! でももしお礼をしてくださるって言うなら、ぜひ銃を作るところを見てみたいなぁ、なんて」


 図々しくおねだりする青年への溜息を飲み込んで、クライドはできるだけ優しく言葉を返す。


「悪いが、鍛冶は近くに人が居ると気が散るんだ。だから見せてやることはできねぇ」

「そういうことなら仕方ないですね……」

「え、博士、いつもわたしの隣でやって……モゴッ」

「本当に悪いな。あと、聞いた俺がこんなこと言うのもなんだが、あんまりペラペラ喋らない方がいいぞ。あと言葉はもっと選んだ方がいい、モテねぇぞ」


 そう言ってクライドはリアの口を左手で塞いだまま、抱えるようにして青年から離れた。青年は突然のことに呆けていたが、単なるアドバイスだと思ったのか、嬉しそうな元気のいい返事が辺りに響いた。

 リアがあまりの苦しさにクライドに体当たりするとそこでようやく気付いたらしく、悪いな、と言いながら解放した。

 リアは荒い呼吸で酸素を吸い込みながら、思い切り睨みつける。


「その手で顔を覆うなんて、殺す気ですか……!」

「お前が余計なこと言いそうになるからだろ、空気を読め。

 そんなことより、ほら」


 睨みの効かないクライドが先を顎で示す。リアの瞳もそこで初めて対象を捉えた。

 道の中央を塞ぐように立つふたりに、やがて少年の視線が上がる。澄んだ色をした彼の瞳が驚愕と恐怖に震えた。それ以上近付くことは許されないとでも言うように、ふたりにかなりの距離を置いてゆっくりと足を止める。

 クライドは息をつく。もう逃げる気はないらしいと、やや身構えた身体を解いた。


「デリック、だな?」

「……はい」


 デリックは短く答えるとハンチング帽を脱ぎ、結って隠していた髪を解く。途端に滑らかなブロンドの髪がさらりと流れ、少女のように美しい少年の顔が現れた。

 彼は頼りない表情で笑う。


「あなたが探偵だって知っていたら、こんな無謀なことはしませんでした。てっきり鍛冶師だとばかり」

「まあまあ有名だと思っていたんだが」

「新聞をとってくださっていたら知っていたと思います」

「そうやって顧客を増やす訳か」


 少年の、年齢に見合わない大人びた話し方にクライドは苦笑いを浮かべる。賢そうな少年だ、普通なら盗みを働くなどしそうもない。そんな彼を動かしたのは一体何なのだろう。

 デリックが動く。身丈に合ったコートを開くと、そこには間違えようもない自分の剣があってリアが驚きの声を漏らす。剣は刃を下に向けて、身体に添うようにベルトで固定されていた。デリックはベルトを解いて剣を手にすると、天に掲げながら感慨深げに声を上げる。


「さすがですね。持ち主じゃないってすぐにバレてしまいました。この剣は生きてるみたいだ」

「どうして盗んだ? 理由次第ではなかったことにしてやってもいい」

「気の迷いってやつじゃないですかね」

「……母親が亡くなったことと関係があるのか?」


 ――この街の人はお喋りが多いから嫌いだ。

 クライドの追求に、吐き捨てるようにデリックが言う。どうやら図星らしい。


「盗んでどうなる? 金か? 母親が戻ってくると思っている訳ではないだろう」

「そこまで子供じゃないですよ」


 思わずといった口調で反論して、大きな溜息をつく。重そうに下ろした剣が地面に触れ、それをデリックは感情を落とした瞳で見つめる。その様子はやはり十代そこそこのものではない。世間を達観した風ですらあった。

 リアは複雑な心境でデリックを見つめている。剣を盗まれた被害者としての怒りと、同じく親を亡くした身としての同情と。頭ごなしに罰することはできないと彼の続く言葉に耳を澄ませた。


「妹が居ることももう知っておられるんでしょう?」

「あぁ、名前はサラだったか」

「えぇ。まだね、五歳なんですよ。……母さんが死んで、守れるのはもう僕しか居ないんだ」


 幼い妹を抱え、毎日ひた走る少年。頼れる者もろくに居ないのだろう。自身ですらまだ子供だというのに、その背に負ったものはどれほどか。リアは恵まれた自分の環境を思い、クライドは救えたリアのことを思う。


「でも僕は喧嘩は弱いし、身体も小さい。そんな僕じゃ何かあった時も守ってやれないって分かってるから」

「だから、盗んだのか。武器があればいいと、思ったのか」


 小さく頷いたデリックに向けてクライドは足を進める。リアは咄嗟に止めようとしたが手をすり抜けていった。

 クライドが優しいのは十分知っているが、喧嘩っ早いのもその頭で直によく知っている。デリックの話を聞けば同情の余地はあるとリアは思う。だから殴ったりしないでほしいと小走りに追い、言えない代わりに控えめにベストの裾を掴んだ。

 デリックの方は、自分の二倍ほどある体格のクライドが近付いてくるのを見て一歩後ずさったが、覚悟を決めた。殴られても仕方がない。警察へ連れて行かれても文句は言えない。ただ妹のことだけが頭を過った。


 クライドはデリックの前に立つと、貸せ、と言って剣を奪い取る。そして様々な角度から眺めて数回頷いた。


「綻びもないし、下手に使ってはないみたいだな。まぁ薬瓶は割られたが」

「……すみませんでした」

「手、見せてみろ」


 謝罪には反応を示さず、今度はデリックの右手を取る。クライドの手にやすやすと包み込まれてしまう彼の小さな手。その手の甲は赤く変色し、かぶれていた。


「割った時にかかったのか」

「少し」

「痛いか」

「……少し」


 本当は針で細かく刺すような痛みがあるはずだ。クライドも経験したことがあるから分かる。最後まで強がっていたいというのは男の性かもしれない、と小さく笑みが零れた。

 怪訝な表情を浮かべるデリックを見据えて言う。


「許してやる。これが代償だ」


 指が凹凸をなぞる。その布越しの温かな指先と感触が、一瞬痛みを和らげてくれたように思えた。久々に与えられる温もりに、デリックは思いがけず目頭を熱くした。

 そのかぶれは大して長くない。三、四日で綺麗になるだろう。クライドはそれを黙っておくことにした。 これは彼に課した代償だから。


 これで立ち去っても良かった。剣は戻ってきたしデリックの反省も見て取れた。しかしこう見えてお人よしなクライドはそれだけで終わらせたくなかった。デリックの陰に幼い頃のリアを見たからかもしれない。


「言っておくが、武器を手にすれば強いってのは間違いだ。身の丈に合ってないならなおさら。

 本当に強くなりたいなら、心を鍛えろ。手足を動かせ」

「心を、鍛える?」

「妹を守りたいんだろう? だったらその気持ちを強くするんだ。人を愛せる奴が強くなれる」


 リアの両親は強かった。互いを愛しリアを愛し、それが力になっていた。傷付けるためじゃなく守るためだったからこそふたりは強く、また武器を使いこなしていた。


「持つものに振り回されるようじゃいけない。もっと食って筋肉をつけろ」

「そんなお金……」

「住むとこはあんだろ? 小さいのがふたり食うくらいなら用意してやる」

「……え? 本当ですか?」


 妹が可哀想だからな、とそっぽを向いて答えた。その様子を見てリアはクライドが照れているのだと気付く。正直にデリックのためだと言ってもいいのに。そう思いながらも、それが博士だよねとくつくつと笑った。そして胸を張ってクライドの前に立つ。


「わたしが美味しいの、作るからね!」

「そっちの方が心配だろう」

「まぁ、失礼しちゃう!」

「あ、あの! ……ありがとうございます!」


 デリックが大きく頭を下げると、小さな雫がキラキラと散った。その頭にクライドは手を置いて、ぐりぐりと荒っぽく撫でる。リアはそれがほんの少し羨ましかった。

 顔を上げたデリックは涙で頬を濡らしていたが、それでも大きく笑っていた。年相応に可愛らしく、無理をしていたのだろうと察しがつく。クライドはもう一度、今度は幾らか優しくその頭を撫でてやった。


 じゃあな、と声をかけてデリックの横を通り過ぎる。クライドに続いてリアも歩き出す。去って行く背中を振り返ると、デリックはまた深く頭を下げた。遠く見えなくなるまでずっと、そうしていた。




「博士、わたしが持って帰ります」


 そう言うリアにクライドは黙って剣を渡す。頭の中は次に作る武器で一杯だった。剣にしようか、銃にしようか。探偵業はこれで終了、ここからは趣味の時間だ。

 リアは受け取った剣を胸に抱えて、先程のクライドの言葉の意味を考えていた。日頃から何でもかんでも人に聞くな、と言われているリアはまず、自分で答えを出そうと努力する。しかしどんなに考えても分からない。

 隣のクライドも何かを考えているらしい、義手の継ぎ目をしきりに触っている。こういう時に話しかけると煩がられるのは分かっているが、今はそれよりも答えを知りたい。いつものメープルファッジの歌が聞こえてきて、けれど今度は歌わなかった。


「博士」

「次は何だよ」

「博士が強いの、あたし知ってます。博士も誰か愛してるんですか?」

「……はぁ!?」


 クライドはぎょっとしてリアを見返した。その純粋な瞳に羞恥が募る。

 リアが変に勘繰って尋ねている訳ではないことは分かる。自分だって特に深く意味を乗せたつもりもない。しかし改めて言葉にされれば、選んだ言葉の種類に恥ずかしくなる。愛だなんて、そんな。

 勢いよく顔を戻し、帰路を急ぐ。待ってくださいよ、と追いかけてくる声に顔がちらついて仕方ない。追い討ちをかけるように思い出されるのは、デリックに告げた時に裾が握られているのに気付いたことと、それを知って左腕が淡く疼いたことだった。

 タイミングよく家に辿り着き、どしどしと中に入っていく。リアはなおも追求する。


「博士ってばー」

「お前には絶対教えてやらん! さっさと独り立ちしろ!」

「えー、でもその前に剣直してくださいね」

「分かってるよ!」

「へへ、博士はやっぱり優しいですねっ。第二のお父さんって感じ!」


 ダンッと激しい音を響かせて自室のドアを閉める。外では、わたしには静かに閉めろって言うくせに、と文句を垂れる声。遠ざかっていく気配に、深く息を吐きながらドアを背にしゃがみこむ。


「……嬉しいなんて思ってねぇし」


 歯の隙間から押し出すように呟いたその言葉は、誰の耳にも届くことなく空気に消えていく。ふにゃふにゃと落ち着かない口元を誤魔化すように、クライドはパイプを咥えた。

 葉を入れてすらいないパイプを通して吸った空気が妙に苦く、感化されているなと思わず笑った。



  



halさま、ありがとうございました。


また盛り込みすぎて、今度は文字数を大幅にオーバーしました……。

最後までお読みくださり本当にありがとうございます……。

スチームパンクは存在は知っていたのですが、どう作品に組み合わせたらいいのか分からずエッセンス程度にしか扱えませんでした。難しい。

でもふたりの会話は弾むように出てきたので、楽しかったです。

どうか、どうかギャビーを気味悪がらないでください!!


それからメープルファッジ。イギリスの有名なお菓子らしいですね。名前とかなり甘いことしか知らない。

食べてみたいなぁとこんな感じで登場させてしまいました。クライドはボロクソ言い、リアがべた褒めで相殺してくれるといいなと願いながら。

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