その腕に抱かれて
イラスト:鹿汰さま ( http://10773.mitemin.net/ )
指定ジャンル・必須要素:男性が「烏天狗」であること。
→→ ジャンル:恋愛 (イラストは挿絵として)
この作品は4,266字となっております。
「どうして分かってくれないの!?」
「何度も言っているだろう! お前には勿体無いくらいのお方が求婚してくださってるんだ、何を拒む理由がある?」
「大丈夫よ、大切にしてくださるわ」
「お母様まで……私の気持ちを無視しないでください!」
私は家を飛び出した。激しく名を呼ぶ声が聞こえたけれど、止まらなかった。振り返ることもしなかった。
十七を迎え、周りは結婚を急かすようになった。
多くは十六で武家人と結婚させられる。自分が愛した人ではなく、周りが決めた人と。ここは貧しい小さな村だから、そうやって婿に頼って生計を立てている。婿になる人の階級が高ければ高いほど、村での扱いも上がっていくという下賤な話。
私はそれが嫌だった。自分が愛した人でなければ、一緒に生活することもできないと思っている。両親もそのことを理解してくれていた。つい最近まで。
私を嫁にしたいと名乗り出た人がいる。それも近くの城の次期当主というお立場らしい。何でも、奉公に一度伺った時に、私を好いてくださったとのこと。
それを知った両親は目の色を変えて私に結婚を勧めてきた。最初はにこやかだった両親が、拒み続ける私にきつく声を荒らげるようになった。私を通してそのお方の懐を見ているのが分かり、あったはずの尊敬の念は地の底まで落ちてしまっている。
「羽琉、羽琉……」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
茂みを抜け、その名を呼べば、待っていたかのように声が振ってくる。目の前の大樹が身体を揺らしたと思うと、同時に声の主が地へと降り立った。
人の身体に烏の手足と翼をもつ男性。額に付いた紋様は烏天狗の証。
その名をまた呼び、彼の胸に飛び込んだ。彼の人ならざる手が、控えめに背中を叩いてくれる。
「茅代、何かあったのか?」
私の名を呼ぶ声が心まで沁みる。あまりここへは来ないようにと言われていたけれど、突然来ても怒らずにいてくれる彼は、優しい。久しく会えなかった分を埋めるような気持ちで見上げれば、彼の困った顔が間近にあって、どうしようもなく切なくなる。
抱き締め返してはくれないその腕から抜け出るのは簡単で、一歩引いてしまえばふたりの間には容易く距離ができた。
「縁談があるの」
「縁談? まだ十七だろう?」
「もう十七よ。皆は十六で結婚していく。知っているでしょう?」
私が言うと、彼は口を閉じた。それから、もう十七か、と呟いた。
私が生まれるずっと前から、羽琉はこの村を知っている。ここを根城にしているから。
彼と出会ったのは四つの時。今と同じこの場所で、美しい漆黒の翼に目を奪われた。不思議と初めから怖くなかった。彼の内面にある優しさが伝わったからだろう。
長生きで物知りな彼の話は何を取っても面白く、それから度々彼の元を訪ねては遊んでもらっている。この話は誰にもしていない。
「十七じゃ、もう子供とは呼べないな」
「皆はそうは思ってくれない。
結婚して初めて女と呼ばれるなんて差別だわ。愛のない結婚をして、それで何が変わるのかしら」
それは村の風習。誰が決めたかは知らないけれど、結婚をした日から大人であると認められる。結婚しなければいつまでも少女から抜け出せない。哀れだと侮辱的な目を向けられる。
「大人なら、そういうことは言わない方がいいぞ」
からかうようにそう言うと、彼の硬い爪が額をなぞって乱れた髪を直してくれる。
その口が、結婚するなと言ってくれたなら、どんなにいいだろう。
「……止めてくれないの?」
「俺は烏天狗だからな」
歯痒い。私は人で、彼は烏天狗。許されないと分かっていても、こんなにも愛おしく思ってしまうのに。彼も少なからず、私を好いてくれていると分かるのに。
どうして人でなければならないの。どうして愛する者と共になれないの。どうして。
「愛しちゃ、いけなかったの?」
「茅代……」
「あなたが何だろうとどうでもいい! 羽琉は羽琉でしょう?
私はあなたが烏天狗だから惹かれた訳じゃない、羽琉だから惹かれたのに」
胸が苦しくて、これ以上彼を困らせたくなくて、私は駆け出した。それから、これが初めての告白だったと気が付いた。
言葉にしてはいけないとずっと心に留めてきた。伝えてしまえば後には引けなくなる。想いが大きくなることは考えなくても分かった。だからずっと言わずにいた。彼にも何も問わなかった。けれど言わずにいたとて、想いは膨れるばかりだった。
彼は正しい、分かってる。一緒になんてなれない、分かってる。私は人で、彼は違うのだから。
彼と共にはいられなくても、彼といた日々がきっと私を支えてくれる。愛してなんていないけれど、嫁入りをして家族を助ける方を選ぶべき。彼もそれがいいって言うはずだから。
私は嫁入りを決めた。
それから三日後、早々に婚礼が執り行われることになった。
あの日、帰るなり結婚を決めたと宣言した私に両親は心底驚いた様子だったけれど、気が変わらないうちにと準備を進めだした。
婚礼は城で行なわれる。次期当主の妻となるのだから当然だろう。しかし自身と両親が城内で場違いに浮いているのは言うまでもない。白無垢も初めてした化粧も、似合っているとは思えなかった。
「美しい……」
夫となる人は呟いて、嬉しそうに微笑んだ。凛々しく男を象徴するような顔立ち。知らず知らずに彼と比較して、似ても似つかないなどと考えていた。
似ていなくてよかったかもしれない。この人を見る度に彼のことを思い出してしまいそうだ。
けれど似ていてくれたなら少しでも愛せたかもしれない、と考えて首を振る。外見だけではきっと、余計に空しくなるだけだろう。
大した言葉も交わさない私を緊張しているのだと解釈してくれたことだけは、有り難かった。何も考えず、何も思わず、ただ今日を終えようと目を瞑った。
婚礼の儀は着々と進んだ。促されるままに動く私は、まるで人形のよう。そんな日がこれから続くのかと思うと気が遠くなるけれど、人形のようでいいなら幾らか気楽にも思えた。いつか来るだろう、世継ぎを求められる日のことは考えないようにした。
ついに契りを交わし、夫婦として城下を練り歩く花嫁道中という風習があることを初めて知った。花嫁道中を無事やり終えた時に婚礼が完了するのだという。華やかな打掛に着替えても、やはり実感が湧かなかった。
籠に乗せられ城下へと向かいながら、隣との距離にそっと眉根を寄せる。まだ婚礼は終わっていないはず、と思いながらもそれを拒むことはもうできない。この人の中では既に、私はこの人の所有物なのだ。
籠がゆっくり下ろされる。手を引かれ降り立てば城下の人達の列がずっと続いていた。この立場が否が応にも人目に晒されることを悟る。この道を行ってしまえば逃れることはできないのだと、見えない圧力が身体を押し潰そうとしていた。
「行こう」
一瞬躊躇して、最後の抵抗に出された手ではなく羽織の袖を小さく摘んだ。それを責めるような目が周囲から向けられたものの、当人は私の自らの行動に喜んでいるようで、嬉々とした表情で一歩を踏み出した。
掛けられる祝福の言葉に、何の感慨も浮かばない。浮かぶのは困ったような彼の笑顔だけ。
あれが最後になってしまった。もうこれから二度と会うことはないだろう。でもそれでいいんだ、また会ってしまえば想いが募るだけ。忘れるよう努力しなくては。
足元だけを見つめ、参道をゆっくりと進んでいく。お付の人が差し出す傘が影を落とし、少し足が肌寒い。自分で持つと言って、強引に傘を奪った。これで多少、顔が隠れる。
そろそろ終わる頃だろうか、そう思い顔を上げる。人の列の切れ目が見え、やっと終わるのだと息をついた時、どこからか悲鳴が聞こえた。化け物、と確かにそう聞こえた。
それを皮切りに人々が叫びながら散り散りになる。それらの視線の先を捉えようと参道の先を見れば、誰もいなかったはずのそこには翼を広げた羽琉の姿があった。
「化け物がっ……」
私は暴言を吐く背に守られるように隠された。今の私にはその背が醜くくすんで見えた。
羽琉は真っ直ぐとこちらに近付いてくる。今すぐにも駆け寄りたいのに、汚らわしい腕に庇われて動くことができない。せめて声だけでもと、力いっぱい彼の名を呼んだ。
「羽琉!!」
「茅代、迎えに来たよ」
もう二度と会えないと覚悟していた彼に名を呼ばれるだけで、胸が熱くなる。その腕に抱かれたいと、心が叫ぶ。
彼と私の様子に血走った目が振り返る。そして彼を見て、見るに耐えない形相で唾を散らした。
「化け物が何をほざく!」
「違う、彼は!」
もう黙っていることなんてできなかった。感情の高ぶるまま、私の心を言葉にする。
「彼は、私が愛した烏天狗よ……!!」
「その言葉が聞きたかった」
彼の声が耳元でして、気が付けばその腕に肩を抱かれていた。対面する人波には、夫となるはずだった人も両親もいる。自分の身を案じて動けない彼らは、どれも哀れな化け物のような顔をしていた。
「悪いが、この姫君は連れて行く」
「ふざけるな!」
「やめて、娘を返して!」
両親の声が届く。それが娘を失うことへの悲嘆の声ならどんなによかっただろう。城の人たちに寄り添うように佇む姿は、両親とさえ思いたくなかった。
見上げた彼の瞳に涙を浮かべる自分が映る。
「茅代、俺も君を愛してる」
「羽琉」
「俺と行くこと、躊躇いはないか?」
愛を伝え、愛を返されること。これ以上の幸せはない。彼の傍でなければ有り得ない。
彼が化け物と呼ばれるならば、彼を愛した私も立派な化け物だろう。何と呼ばれようと構わない。彼と生きる道を選べるならば、人であることは自らここで捨ててやる。
躊躇いなど、彼を好きだと気付いた時から少しもないのだからと、大きく頷いた。
「どうか、連れて行って」
私の言葉に朗らかに彼が微笑んだ。
「それならもう、君を放さない」
そう言うやいなや、彼は私を横抱きに抱え走り出す。風に乗った傘が頼りなくふわりと転がるのが見えた。
やがて彼はその大きな翼を羽ばたかせて、少しずつ少しずつ空へと飛び上がる。掴んだ布地の感触が確かで、この人の伴侶になるのだと思うと唇が震えた。
きつく掴み直した私に、怖いか、と彼が問う。首を振った拍子に涙が零れた。
「怖くない。あなたと一緒だから」
私を抱える彼の腕にも力が入る。爪が当たり、それは痛みさえ覚えるほど強く、しかし愛の証だった。
すべてが愛おしく感情が身体を駆け巡るから、彼の首に回した腕を引き寄せて、私は初めてその頬に唇を預けた。
誰にも認められざる花嫁道中。空の彼方を今行きて、私は女となるのです。
鹿汰さま、ありがとうございました。
優しい色合いはやっぱりどうも恋愛にいきますねぇ。花嫁道中ということでしたし。
烏天狗に少しも予備知識がないので、茅代の想いに重きを置いたものになりました。人でないものとの恋を描くのは難しいですね。
これをもちまして、第二回・文章×絵企画の作品投稿を終了致します。
イラストをお借りしました絵担当の皆様、改めましてありがとうございました。
そして、お読み下さったすべての方に心より感謝申し上げます。
是非、他の作者さまの作品にもお立ち寄りいただいて、それぞれの違いを楽しんでいただけたらと思います。
本企画を最後までお楽しみくださいませ。




