満月が叶える願い事
イラスト:ももちゃん さま ( http://9532.mitemin.net/ )
指定ジャンル・必須要素:なし
→→ ジャンル:童話 (イラストは挿絵として)
この作品は7,095字となっております。
今日はお祭りの日です。
年に一度、花の丘で行なわれる「満月祭」。満月が一番大きく、美しく輝く日をお祝いするお祭りです。
君はそのお祭りを知らないって?
もちろんです、このお祭りは山の住人しか参加することができないお祭りなのですから。
山の住人は沢山います。りすやうさぎなどの小動物から、熊やライオンのような大きくて怖い動物達まで様々です。
そしてその中には違う動物の血が混ざった種類の子もいます。――動物と人間の子も。
レイは、狼と人間の間に産まれた、狼族の子供です。けれどそれが嫌で嫌で堪りません。
レイはいつも思っています。どうしてわたしは中途半端なのだろう、と。
両親のことが嫌いな訳ではありません。ふたりとも大事に愛してくれます。
ただ狼であるお父さんのようにもなれず、人間であるお母さんのようでもない。人間の身体に狼の耳と尻尾が付いたその姿を、彼女は中途半端だと感じていました。きっと神様が間違えてしまったのだと思うようになりました。彼女のような動物と人間の子は、この山には彼女を含めて二匹しかいないからです。
だから決めていました。今年こそ願いを叶えてもらえるよう、強く強く満月に祈るのだと。
満月祭は動物達にとって、お祝いであると同時に願いを叶える日でもあります。一層大きく美しく輝く満月はそんな力を宿しているのです。
レイはもう何度も同じ祈りをしています。きっと他の動物よりも多く、またその思いも強く。
“なるべき姿になれますように”。それが彼女の願いです。
朝から、今晩のお祭りのことが気になって仕方がありません。
それは他の動物達も同じようです。ただレイ以外のほとんどは、皆で楽しむ宴のことを気にかけているようです。口々に足りないものがないか、という話をしています。
レイはひとり、木陰に座って皆の話を聞くともなしに聞いています。手元に転がっていた小枝を取ると地面に小さな穴を掘り始めました。
彼女は多くの場合、ひとりぼっちです。他の動物達と上手く付き合えないのです。だから話し掛けられても上手く返せません。笑うのも難しいのです。そうしていつの間にか近付いてきてもらえなくなりました。
ひとりでいるのは嫌いではありません。けれどほんの少し、寂しくなる時があります。
「レイ、そこで何をしてるの?」
呼び掛けられて振り返ると、そこにはレイと同じく狼族の女の子が立っていました。ミオです。
レイとミオは同じ年の同じ日に産まれた、双子のような存在です。
しかし風貌も性格も対称的です。短い髪に動きやすいズボンを履くレイとは違い、ミオはさらさらの長い髪にいつも可愛らしいワンピースを着ています。そしてミオは明るく誰とでも仲良くなれます。山の人気者です。そしてレイのことを誰より気に掛けてくれます。
レイはそんなミオを尊敬しています。自分の姿に臆することなくいられるミオを。自分もミオのようになれたらいいのに、と何度思ったか分かりません。ミオのことが大好きです。
けれど最近は少し、違う気持ちもあります。人間の数えで十五にもなったからかもしれません。疎ましく思う時があります。
「別に、何も」
「ねぇ、今年も一緒に歩こうね」
「……うん」
満月祭が行なわれる花の丘は、ふたりが住む山を中腹まで降りて、そこからまたしばらく歩いた先にあります。遮るものがなく、星を散らしたように沢山の花が咲くその丘で見る月は本当に綺麗です。
動物達は夕暮れが始まる頃にねぐらを出て、歩いて丘まで向かうのがお決まりとなっています。ふたりは毎年並んでお話しをしながら丘へ向かうので、ミオは今年も誘ってくれたのでした。
うん、と答えたのは嬉しかったからです。でも時間がかかったのは、放っておいてほしいとも思ったからでした。
答えたレイに、ミオはにっこりと嬉しそうに笑って走っていきました。向こうの木陰でミオを待つ小さなお友達がいるからです。
どうして構うのだろう。自分といても楽しくないだろうに、とレイは思います。子供たちと楽しそうに話すミオを見ながら。
ミオといるのはとても楽しいです。お気に入りの景色の話や、最近見つけた面白い花の話、誰かが失敗した狩りの話を聞かせてくれるのです。
だけどレイはお話しできることがありません。いつもひとりで山の隅にじっとしているからです。
ミオといると色んな世界を見せてくれます。子供たちの輪に入って遊んだり、大人達の冒険の話を聞いたり、同じ年頃の子と可愛い花のアクセサリーを作ったりして、楽しい経験をさせてくれるのです。
だけどレイには見せてあげられる世界がありません。すべてミオが知っている世界です。
ミオといるとその時だけ、自分を中途半端だと思わなくなります。ミオは自分の姿を気にすることなく誰の元へも行くので、自分もおかしくないような気がするからです。
だけどレイは思い出してしまいます。一時忘れただけで姿が変わる訳ではないからです。
そんなことを思うとレイは、ミオにはわたしの気持ちは分からないだろう、と考えてしまいます。一緒にいると、何だか惨めで、自分にがっかりさせられます。
どうして皆は、ミオは、自分の姿を簡単に受け入れることができるのだろう。狼にも人間にもなれない、こんなにも不確かな存在なのに。
レイは小枝を放り投げて、膝に顔を埋めました。
**********
太陽が半分ほど沈み、夕暮れの色が濃く空を染めています。山の住人達は花の丘へと歩いています。
「それでね、その時ユタさんが怒ったの。 わしの枕を返せー! って。
でもそれでお地蔵さんを枕にしてるのがバレて、シノさんにこっぴどく叱られてた」
人間の大切なものをそんな風に扱うな、と長のシノさんを真似したミオの声が小さく響きます。その間延びした口調に、レイは思わず笑ってしまいました。
「似てるでしょ?」
「うん、似てる」
やはりミオといるのは楽しい。今は純粋にそう思えました。
ぞろぞろと、前も後ろも山の住人達の姿が並んでいます。それは年に一度の奇妙な光景。でもそれを見ると満月祭への期待が自然と高まっていきます。願う先へと導かれているように思えるからです。
その列の中でふたりは並んで歩いています。久々に訪れるふたりだけの時間。ふと隣を見れば、ミオもレイを見て可笑しそうに笑いました。
いつから背中を眺めるようになったのだろう。ずっとこうして並んでその顔を見ていたのに、とレイは考えます。今では遠くから、ミオの背中を見ることの方が多くなりました。
本当は分かっています、自分がミオを遠ざけてしまったこと。ミオが離れたのではなく、レイが離れ、それを気遣ってミオがあまり近付かなくなったこと。
だけど今更、前のように近付くのは抵抗があります。まだミオを否定する気持ちが拭えず、なのに寂しさを埋めるためにそうするのは、虫がよすぎると思うのです。
「……レイは今年も、あのお願いをするの?」
ミオが真面目な顔をして聞きます。そんなことを聞かれたのは初めてでした。なるべき姿を求めたことは最初の二年しか話しませんでした。誰かに話すと叶わないかもしれないと思ったレイは三年目からミオに言わなくなりました。それでもミオは、レイがずっとそう願っていたことを知っているようです。
「どうして分かったの?」
「狼か人間か、そのどちらかになりたいって話してくれた時、とても真剣だったから。レイは一度決めたらやり遂げるまで頑張るでしょう? だからまだ、そのお願いを続けているんだろうなって」
ミオの目に映るレイは、狼であり人間です。願いが叶っていないことは一目瞭然でした。
レイは迷いました。今のミオに、今年もそのお願いをするのだと言うのを躊躇ってしまいました。何も恥ずかしいことではなく、真剣に、また切に願っていることなのに、どうしてだか上手く言葉にできなくなりました。ただ前へと歩きます。
ミオも何も言わなくなり、ふたりの足音だけがずっと耳に届いていました。
花の丘の入口が見えてきました。前を行く動物達の姿が吸い込まれるようにしてそこへと入って行きます。
辿り着く前に、何かを答えないと。そう思えば思うほど、頭の中が真っ白になっていきます。
入口がもうすぐそこまで迫った時、ミオが言いました。
「わたしはそのお願い、叶ってほしくないな」
逃げるように駆けて行ったミオ。その声は彼女が起こした風に流れていきました。
ミオの言葉はレイにとって、とても残酷なものでした。その時初めて、ミオに突き放されたと感じました。
**********
あちらでもこちらでも宴会が始まりました。誰かが何かを話し、周りがどっと笑う賑やかな声が聞こえてきます。
そこから少し離れた静かなところに、レイはいました。たったひとり、胸の前で固く手を結んで月を見上げています。もうしばらくその状態です。大きく美しく輝く満月に、祈っているのです。
何度祈っても、どれだけ願っても、レイの姿に変化はありません。ただその心の中は目まぐるしく騒いでます。
叶わないでほしい。
ミオの声が耳元に残って、幾度となく囁いてきます。
叶わないでほしい。
彼女の笑顔も優しさも、何を信じていいのか分からなくなっています。本当にひとりぼっちになってしまいました。
結んでいた手をほどくと、血液が指先まで通うのを感じます。かなり強く握っていたようです。腕をだらりと下ろすと花びらの柔らかな感触が伝わってきます。視線は月へと向けたまま、心を落ち着けようと手を地面に這わせました。
どのくらいそうしていたでしょうか。やがて何かの気配が近付いてくるのが分かりました。耳を動かせば足音も聞こえます。動物達は足音なんて出しません。遠くでお母さん達がお話ししているのが見えます。自分でも彼女達でもないとすれば、足音の正体はひとりしかいません。レイは少し、身を硬くしました。
「レイ」
聞き慣れた、透き通るような声が後ろから聞こえました。何事もないように振り返れたらどんなにいいだろう。そう思いながらも、その勇気はレイにはありません。
足音がゆっくりになって、それから止みました。自分の少し後ろにミオが立っている気配がして、耳を塞ぎたくなる衝動に駆られます。何とか耐えますが、やはり振り返ることはできません。
そんなレイに、ミオはその場から動かず話します。どんな表情をしているのか、レイには分かりません。
「もしさっき言った言葉でレイを傷付けてしまったなら、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
謝罪の言葉を聞いて、レイはますますどうすればいいか分からなくなります。謝ってほしかったような気がするのに、いざそうされるとそれが自分のしてほしかったことか曖昧になるのです。
ただね、と続くミオの声に、鼓動の音さえもどかしいような気持ちで耳を傾けます。
「ただ、レイはレイのままでいてほしいって思ったんだ。今のレイが好きだから」
ミオはそれを伝えてどうしたいのでしょう。願っても無駄だと諦めさせたいのでしょうか。レイは視線を落とします。
満月に祈ったとして、これが叶わぬ願いだということは、随分と前に気が付いていました。満月祭での願い事が叶ったという話もお祭りに華を添える迷信のようなものだとも分かっています。いつまでも信じているほど子供ではないのです。
けれどいつか、少しでも早く自分を認められるように。毎年繰り返す願いは、ある意味で願掛けでした。
願い続ければ、いつか。
「ねぇ、レイ」
足音がして、気配が動いて、ミオが見える位置にやって来ます。赤いワンピースの上に付けているのはエプロンです。料理を作ると言っていたからそのためでしょう。人間の真似をしているようです。
ミオが顔をこちらに向けます。レイは見たことのないミオの切なげな顔を見て、驚きに目を見開きました。
「レイはこの姿、嫌い?」
その声はか細く、泣いているようにも聞こえました。
「わたしと同じその姿が、嫌い?」
人間の身体と狼の耳、狼の尻尾。ミオは自身の姿を見せて“中途半端”なこの姿が嫌いかと問います。
違う、と叫びたいとレイは思いました。わたしが嫌いなのはわたし自身で、ミオもミオの姿も嫌ってなんかないのだと。中途半端で嫌いなのは身体なんかじゃなく、自分自身なんだと。そのことにレイ自身、今初めて気が付きました。
けれど喉の奥でどんなに叫んでも、声になりません。先程と同じです。言葉にしなければ伝わらないのに、言葉にすることができません。空しい吐息が重なるだけです。
ミオを悲しませたくない、泣かせたくない。そう思ってからレイは、今でも自分にとってのミオは親友なのだと気付きます。どんなに羨ましくても、それがどんなにもどかしくても。どうしたってミオのことを考えてしまうのは、レイにとってミオがかけがえのない親友だからです。
ミオはふと、宴の続く丘の中心へと視線を向けます。他の動物達の輪に囲まれて笑う両親が、その先にはいます。
「わたしはね、好きだよ。お父さんとお母さんの子供だってすぐに分かるから。
他の皆と並んだらおかしいかもしれない。誰かが人間との子なんて、って言うかもしれない。だけどそれは小さなことだよ。
わたしはわたしで、わたし以外にはなれないもん」
ミオは強いです。他の皆と違うことを恐れたりしません。自分が自分であることを大切に思っています。
やはりレイは羨ましいと思います。そんな風に思えるミオが、心底すごいと思います。
「それからね」。ミオが身体ごとレイに向き直って言います。
「レイは自分のことを狼にも人間にもなれない、なりそこないだっていつか言ったけど。わたしは違うと思うんだ。
半分ずつしかないんじゃなくて、半分ずつも持ってるんだよ」
意味が分からず、レイは首を傾げてミオを見返します。少しずつミオの声にいつもの張りが戻ってきています。
「他の種族の皆はお父さんかお母さんのどちらかの姿で産まれてくるでしょ? だから姿に合った特徴しか持ってない。
だけどわたしたちは違う。耳が良くて目も良くて、手を動かせて二本足で立てて。両方のね、いいとこ取りをしてるんだよ」
そう言ってミオは耳をくるくると動かしながら、手を握ったり開いたりして見せます。そんな当たり前の行為が、何だか素敵なことのようにレイにも思えてきました。
半分しかないけど、半分もある。なりそこないじゃなく、いいとこ取り。
どちらも持っている自分は、ほんの少し特別に思えます。ミオがレイの考えに同調するように、
「わたしたちは、特別なんだよ」
と言いました。そしてバツが悪そうに目を逸らします。
「レイとわたしだけ特別なのが嬉しいから、レイの願い事が叶わなかったらいいって思ってた。
もし叶っちゃったらわたしはひとりぼっちで、ひとりぼっちの特別じゃ、嬉しくないもん」
沢山の動物達に囲まれて毎日楽しくても、ミオが考えるのもやはりレイのことでした。レイが自分から離れたいと思っていることに気が付いてもそれを尊重できたのは、同じ姿で繋がっていると思えたからでした。
なのにもしレイの願いが叶ってしまって、本当に狼か人間の姿になってしまったら、きっと今までのようではいられません。できたことができなくなって、使えたものが使えなくなって。ふたりはまったく違うものになってしまうのです。
レイは、ひとりぼっちの特別の意味を考えていました。
自分の隣からミオが走っていく度、言いようのない不安に襲われます。同じ山に住んでいて遠く離れることはないと分かってはいても、すべてを失うような気配さえ感じてしまうのです。
もしかしたら自分が特別じゃなくなったら、ミオはこんな気持ちになるのかもしれない。レイはそう思いました。ミオがそんな気持ちになることは、レイにとってもつらいことです。
姿が変わることは恐らくこれからもないでしょう。けれどもしそうなったとしたら。あんなに嫌だったはずなのに、自分が自分でなくなることは、とても悲しいことだと思いました。
「叶わなくて、良かったよ」
久しぶりに出した声は掠れて汚く感じましたが、ミオは優しく微笑んでくれました。
すぐに自分を認めることはできません。今のままでは“中途半端”な自分のままだからです。それでも確かに、変わる努力をしたいと思いました。
レイはミオに言います。
「ミオ、わたし、自分が好きになれるような自分になる。頑張るから……隣にいてくれる?」
それは精一杯の宣言でした。ただ、まだひとりで頑張るのは不安です。隣にはミオがいてほしいと思います。ミオと一緒なら、どんな風にもなれる気がしています。
ミオは大きく頷くと、言いました。
「もちろん! でも、ゆっくりでいいよ」
「どうして?」
だって、とミオは続けます。
「レイが今のままだってわたしはレイが大好きだし、今のままだって世界はこんなに綺麗だから!」
その時。風が吹き、咲き誇る花達を強く揺らしました。花びらが一斉に舞い上がります。レイはその光景に思わず声を漏らしました。
「うわぁ」
「ほらね、こんなにも素敵でしょ?」
ミオが大きく手を広げ、くるりくるりと回ります。
蝶のように飛んでいく花びら、ふわりと広がるワンピースの裾、揺らされて強くなる花の香り、嬉しくて零れた一筋の雫。
大きな満月は、すべてを見守るように優しく辺りを照らしています。
動きを止めたミオはレイの元まで来ると、その隣に腰を下ろしました。そしてふたりは並んで、一緒に月を眺めます。
「わたしね、今日の願い事叶ったよ」
「え、どんな?」
レイが聞き返します。驚くレイに視線を移すと、ミオは大きく笑って言いました。
「レイとまた、ずっと一緒にいれますように!」
ももちゃん さま、ありがとうございました。
一年ぶりに童話を書いてみました。イラストの柔らかい雰囲気が童話に合うかなと。
もっと可愛らしい感じでいこうかと思ったのですが、あえてこういう路線で。
ミオの明るさの中にある芯の強さみたいなものが描けていたらいいなと思います。




