君は彼女の妹で
イラスト:太郎さま ( http://9610.mitemin.net/ )
指定ジャンル・必須要素:「妹」という単語が入ること。
→→ ジャンル:恋愛 (イラストは挿絵として)
この作品は6000字となっております。
たまにふと気付いたように掠める細い肩に、いちいち息が詰まりそうになる。そして密かに隣を盗み見れば、恥ずかしそうに見上げる視線とぶつかって、抱き締めたくなる衝動を必死で抑えなくてはいけなくなる。
高校二年、夏。
初めての彼女との二回目のデートは、幸せともどかしさと、未だ残る緊張の影に身体の内側がぐるぐる渦を巻いている。
一年以上、心の中で静かに燃やしていたこの気持ちがこんな風にカタチになるなんて思いもしなかった。
自分が奥手なのは重々承知。何とも思っていない女子が相手でも距離が近いとどぎまぎするし、軽く手が触れ合っただけで次の日までちらちら様子を窺ってしまうくらいに奥手だ。奥手と言うのもおこがましいかもしれないけれど。
そんな僕が隣の彼女、木崎奈央と恋人になってこうしてデートをしているなんて、今でも正直信じられない。しかも木崎も僕のことを好きだったなんて、夢なんじゃないかと思うくらいだ。
あの短くも激しい夕立の日、登校中に車に傘を轢かれるという不運な出来事がなかったら、お互いに想いを抱えたまま卒業していたんじゃないかって気がする。僕は困るくらいに奥手だし、木崎は大人しくて控えめで、あまり自己主張が強くないから。
置き傘があると思って置いて来ちゃった、とはにかんだ木崎と教室で二人きり、雨が止むのを待っていた。これまでにないくらい話をして、お互いの好きなものを教え合って。思いがけず口走った「好き」の言葉。
誤魔化したくなくて伝えた二回目に、頬を赤くして応えてくれたあの瞬間はきっと忘れられない。
あれから気付けば一ヶ月が経った。二回目のデートも目立った失敗はなく、今は夕暮れの中を並んで帰っているところ。この調子だと夏休みは楽しくなりそうだ。
向かうは木崎の家。奥手だからって、分かれ道でバイバイするほど気が利かない訳じゃない。ただ内心は、木崎のお父さんと鉢合わせしないかとびびっていたりするんだけど。
特に会話もなく、足を進める。二人分の足音と、時折通り過ぎて行く車の音だけが僕達の間にある。
お互いに口数が多い方ではないと分かっているし、最初のデートこそ頑張って話そうとしたけれど、木崎の方が無理しなくていい、と言ってくれた。不思議と会話がなくても居心地が悪いことはないし、寧ろただ並んで歩いている今に幸せを感じている。
そんな至福の時間にも当然終わりはやって来て。
木崎の家が見えてきた、もう一分もかからない距離だ。前回と同じように僕はそこで足を止めて、木崎はそれに合わせるように立ち止まった。
「……じゃ、僕はここで」
名残惜しい。明日は月曜で、学校で会えるって分かってはいても、やっぱり離れがたい。そんな我儘が通るはずがないから、せめて物分かりの良い振りをして颯爽と帰ろう。
そう思って木崎が動き出すのを待った。
「あのね……渡したい物があって」
気恥ずかしそうに僕を見返すその上目使いに、ぐっと拳を握る。
上目使いなんて高尚なテクニックを木崎は誰に対してもする。決して計算ではないし背がかなり低い訳でもないけれど、多分自信のなさから来ているんだろう。
……理由は何にせよ、可愛すぎるから少し控えてほしい。僕の前であっても。
「渡したい物?」
「うん。持って来ても良かったんだけど、会う前に崩れたら嫌だなって思ったから家に置いてきたの。
取って来るから家まで一緒に行こう?」
駄目? と首を傾ける仕草に平常心ではいられないけど、そんな邪な自分を知られたくないし、出来るだけ平静を装った。
「いいよ、行こっか」
嬉しそうに頷いた木崎とまた歩き出す。前を見つめる瞳に夕日の色が反射してきらきら光っている。白い肌は柔いオレンジに染まって、触れるときっと温かいだろう。
あぁ、この人とずっと一緒に居たいなぁ。
「ここに座って待っててね」
玄関の中に恐る恐る入ると、木崎は靴箱の隣に置かれていた小さな椅子を指して、それからパタパタと廊下を奥へと駆けて行った。
それを見送って指示通り腰掛けると、不躾に見えない程度に周りを見回す。木崎の家は彼女の見た目と同じように清潔感のある明るい家だった。それに木崎の匂いがする。……何か変態っぽい?
そんなことを考えていると、上の方から物音がする。
一瞬忘れかけていたけれど、木崎が傍に居ない今、玄関に座っている見知らぬ男にこの家族は一体どんな反応を示すだろう。そもそも何の挨拶もなしにここに居るってどうなんだろう。
どうしよう、何て説明したらいいんだ? いや、誤魔化そうとするなんて木崎の気持ちを考えると最低なことだし、ちゃんとお付き合いしてるって言うけども。ちゃんと言えるだろうか?
……木崎、早く戻って来てくれ……!
規則的な音が鳴っている。ダンダンダンッと続いてそれが足音だと気付いた時、二階のドアが開いてひとりの女の子が姿を現した。
この近所の中学校の制服を身に付けた女の子は、これでもかと踏み鳴らしながら凄い勢いで階段を降りて来る。反動でスカートの裾がふわふわと上がるのも気にせず、下まで降り切ると僕に向かって近付いてきた。しかもしっかり僕に睨みを効かせながら。
「えっ、ちょっ、怖っ!」
「あのっ!!」
靴箱と壁に逃げ場を奪われて身動きが取れなくなった僕の目の前まで来ると、女の子は前のめりに顔を突き出した。木崎さえ入ったことのないその距離に、驚きと戸惑いと、微かなときめきが胸を掠める。
「お姉ちゃんの彼氏ってあなたですか!?」
「え、あ、お姉ちゃん?」
女の子は怒りを露わにした表情でそんなことを言う。
そういえば家族構成なんて話はしたことがないけれど、木崎には妹が居るのか。
頭ではそんな風に冷静に考えていながら、女の子の顔に僅かにある木崎の片鱗を感じて、心臓が飛び出そうなほどに鳴っている。
「わたし、妹の麻央ですけど。挨拶もできないんですか?」
眉間の皺が更に深くなり、声に凄みが加わったところで我に返り、急いで立ち上がる。
「な、奈央さんとお付き合いしています! 渋谷航です!」
「知ってます」
自己紹介をして最敬礼で頭を下げる。投げやりに言葉を返されて、更に小言でも言われるかと思ったけれど、それはないらしい。代わりに、向けた旋毛の辺りに痛いほどの視線は感じる。
頭を下げたまま状況を理解しようと試してみる。
僕に敵意を剥き出しにして寄って来たこの女の子は木崎の妹、麻央ちゃん。セーラー服を着ていることからして中学生。つまりは木崎より二つか、最大で五つ違い。でも雰囲気を見るに一年生という感じはしない。じゃあ、二年生か三年生か……。
パタ、パタと音がして思考を止める。視線の先にはスリッパを履いた麻央ちゃんの足があり、いかにも苛立ちが隠せないと言うように床を叩いていた。
無言なのに顔を上げろと言われている気がして、じりじりと顔を上げた。
腕を組んで僕を見下ろすその顔は愛らしさを残した般若のようで、全力で怖がるべきか、まだ中学生の女の子なんだと安心すべきか分からなかった。
それにしても妹でこんな感じなら、木崎の怒った顔も可愛いんだろうなぁ。
「人の顔じろじろ見ないでくれます? 不愉快です」
「あ、すみません……」
まだ中途半端だった姿勢を伸ばして正面に見据える。じろじろ見るな、と言われたからあまりしっかり見ることはできないけれど、やっぱり木崎と似ていると思う。特に優しい目元の辺りが。
何を言うべきか、というより何をしても怒られそうなこの状況で僕の方から話し掛けていいものか。
そう思いながらちらりと麻央ちゃんの様子を窺うと同時に、言っておきますけど、という棘のある声が飛んでくる。麻央ちゃんは詰め寄るように身体を伸ばすと、はっきりと言い放った。
「あなたをお義兄ちゃんだなんて、私は呼んであげませんから!」
「へ、おにいちゃん……?」
何だその、ちょっとドキッとするワードは。あと、その胸元で握った拳は飛ばさないでね?
じゃなくて、おにいちゃんってこのシチュエーションでいくと、義理の兄ってことだよな? 僕と麻央ちゃんが義理の兄妹の関係になるのは、木崎と僕が結婚した時であって。結婚……結婚?
……え、僕、木崎と結婚するの?
「この前、お姉ちゃんがやけに幸せそうに帰ってきたから何かと思ったら、好きだった人と付き合うことになったって言って」
いいのかな、あんなに可愛い子と結婚とか。犯罪とかにならない?
いやしかし、僕と付き合い始めて木崎が幸せそうだったなんて、嬉しいなぁ。勿論信じていたけど、本当に木崎も僕のことを好きでいてくれたんだな。
「その日からやたら恋愛ドラマに興味を持ちだすし、その割に恥ずかしがって半分も見れないし」
僕も恋愛ドラマ、よく見るようになった。手つないだり、キス、してるシーンになると想像したりして……恥ずかしくなる。
もしかして、木崎もそうだったりするんだろうか。
「寝言で「わたるくん」とか呟いてるし、その後に首振って「しぶやくん」って言い直してるし。……お蔭で会う前に名前覚えちゃったじゃないですか」
それで名乗った時に、知ってるって言ってたのか。
夢に出てくるくらい、僕のことを考えてくれているんだ。僕達はいつも苗字で呼び合って、それは付き合い始めても変わらないけれど、名前で呼びたいと思ってくれているってことだろう。それなら僕も、奈央、って呼んでみてもいいかな?
「ちょっと、聞いてるんですか!?」
「はいぃ、聞いてます!」
すぐにはっきりと返事をすると、麻央ちゃんは納得いかないと言うように短く強い鼻息を漏らす。
麻央ちゃんはどうしてここまで僕のことを毛嫌いするんだろう。何か気に障ることでもしたか? いや、ファーストコンタクトで既に怒ってたし。何か理由があるのかもしれない。
「ずっと仲良しで、どこに行くのも一緒で。お姉ちゃんが高校に行きだしてから忙しくてあんまり一緒に居られなくても、わたしちゃんと我慢してたのに。
折角時間ができてお話ししようと思っても、お姉ちゃんが話すのはあなたのことばっかりで。
今日だって、勉強見てもらおうと思って部活から帰ってきてからずっと待ってたのに、全然帰って来ないし。
……わたしからお姉ちゃんを取る彼氏なんて要りません!」
――そっか、麻央ちゃんは寂しかったんだ。
木崎の中心がいつの間にか自分から僕に変わってしまって、放っておかれているような気持ちになったんだろうな。僕は一人っ子だから分からないけど、もし兄弟が居たら同じように思ったかもしれない。
木崎といつだって一緒に居たいけれど、それで麻央ちゃんを傷付けるのはやっぱり違うと思う。
恋って皆が幸せっていう訳にはいかないだろうけど、せめて木崎が笑う時には家族である麻央ちゃんにも笑っていてほしいと思う。
……まぁ、初対面から嫌われているっていうのもあまりに悲しいし。
「ごめんね。取るつもりはなかったけど、そんなに寂しい思いさせてごめん。
僕は学校でも会えるし、できるだけ君が悲しまないように、姉妹の時間をちゃんと取れるように配慮するよ」
配慮する。だけど、いつも譲れるかは分からない。
木崎とよく似た、眩しいくらいの瞳をじっと見つめる。
「……でも、君がお姉ちゃんを大好きなように、僕も木崎のことが大好きなんだ。
学校では会えるけどもっと他の日に、今日みたいな休みの日とかにも会いたいって絶対思う。木崎と行ってみたい所も沢山あるし、会ったら時間を忘れてしまうだろうし、少しでも長く一緒に居たいって思ってしまうと思う。
だからその時は、木崎と居る時間を僕にくれないかな?」
彼氏、って称号だけじゃ不満なんだ。好きの気持ちが実ったなら、今度はいつでも時間を共有したいと願ってしまうから。ごめんね、物分かりが悪くて。
僕が話している間に俯いていた顔がゆっくりと上がる。それでもまだ、目元で揃えられた前髪に隠れて、その瞳の色は分からない。
「わたし……」
「ごめんなさい、待たせちゃった……!」
麻央ちゃんが何か言いかけた時、廊下の奥の扉が開いて木崎が戻ってくる。
僕がひとりではないのに気が付いて一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐに嬉しそうに笑う。その瞬間、周りに花が咲いたように見えたのは幻覚だろうか。
「二人で話してたの?」
「うん。木崎の話を聞いてたんだ」
「え、やだ。麻央ちゃん、変なこと話してないよね?」
「大丈夫。……あ、航って呼んでくれていいよ?」
からかうように言うと木崎は一気に顔中を赤く染めて、やだもう! と隣の麻央ちゃんの肩を軽く叩く。身体をふらりと揺らした麻央ちゃんは、苦笑いを浮かべて木崎を見上げていた。
恥ずかしさに顔を隠そうとした時、自分の手に箱を持っていることに気が付いた木崎は、はっとした顔をする。
「そうだった。渡したかったのはね、これなの」
差し出された箱を受け取る。ケーキ屋で見るような形の、取っ手のついたものだ。断りを入れて箱を開けると、中にはチーズケーキが一ピース、可愛らしく収められていた。
「昨日たまたま作ってね、上手にできたから渋谷くんにも食べてほしいと思って。そんなに甘くないように作ったから、食べれると思うの……!
よかったら、食べて?」
そう言いつつ、わざわざ僕のために作ってくれたんだろうと思うと、心臓の辺りが不思議な感覚になる。ぎゅっと締め付けられるようなのに、撫でられるようにむず痒くて、無性に心地良い。
その感覚に浸っていると黙ったままの僕に不安になったのか、いつも以上に眉を下げて木崎が僕を見上げる。
……こんなに幸せでいいのかな。
安心させたくて、嬉しい気持ちを伝えたくて、僕は最上級の笑顔で言った。
「ありがとう……奈央」
口元をふるふると頼りなく揺らしながら照れ笑いを返してくれる。小声で呟かれた航くん、という声はそれでもしっかりと僕の耳まで届いた。
夕日に染まった頬よりも、耳まで真っ赤な今の方が温かそう。そう思うと自然に手が伸びていた。
「……やっぱり、温かい」
「あぁ、やだやだ。玄関先でいちゃつくなんて不謹慎です!」
僕達を遠ざけるように間に割って入った麻央ちゃんが、半ば叫ぶようにして言う。その頬も少し赤くなっている。
一度僕をじっと見つめると、拗ねるように口を尖らせて視線を下げた。
「お姉ちゃんをこんなに笑顔にしてくれるから、お義兄ちゃんって呼んであげてもいい、ですよ?
……まだ早いけど!」
そう吐き捨てて二階へと階段を上がっていく。翻るスカートから視線を急いで木崎、いや奈央の方に向ける。
きょとんとした顔で麻央ちゃんを見送っている奈央。その後ろ姿を見つめながら思う。
麻央ちゃんがお義兄ちゃんって呼んでくれる日を実現させたい。――奈央と、幸せになりたい。
やがて奈央がこちらを向く。お互いに気恥ずかしさに小さく笑みを零して、じゃあまた、と別れを告げる。
僕達はドアが閉まりきるまで、ずっと手を振り合っていた。
太郎さま、ありがとうございました。
恋愛ジャンルとタイトルで、彼女の妹との恋だと想像された方が居られたら万々歳。敢えて外してやろうという意地の悪さ。
若干ツンデレな妹、初めて書きましたが楽しかったです!
メインで出てこないところが何とも言えませんが……。
是非、他の作者さまが書かれる妹ちゃんをお楽しみに!
ではまた。