机上の戦争(山口県版)
はじまり、はじまり。
(1)
「『空論』やないん?」
私は今、
「戦争しちょるそっちゃ」
戦闘状態にある。
1号館4階の隅に、音楽室がある。
「えー。で、どこ?」
変わった長机の並ぶ、一番左側、後ろから2番目。
「ここ」
ここが、出席番号35番の私の席であり
「あー…あ!これ!?」
そして、私の戦争相手たちの席でもある。
事の発端は、ビバルディの『四季』だった。
先生が
「『四季』を聞いて、頭に浮かび上がったイメージを絵にしなさい」
そういう課題を出したのだ。
音楽は好きだけど、絵心は全くもって自信のない私は困った。
頭の中にはとても綺麗なイメージが湧くのだが
(・・・うー)
どうしてもそれをプリントに写すことができない。
ずっと、ラフスケッチを机の左隅に描いていたが、やはり上手くいかない。
そうしている内に時間が来て
(やーばっ)
自分でも笑えてくるような拙い風景画を描き、ため息とともに提出した。
次の音楽の時間
「ん?」
私は、前回のラフスケッチがまだ残っていることに気づいた。
珍しいことだ。大抵掃除時間に消されるものなのに。
しかも
(・・・はぁ!?何これ!?)
絵の横に、読んで字の如く
『←何これ』
と、付け加えてあったのだ。
誰だか知らないけれど
(舐められちょる)
そう思い、私はシャーペンを走らせた。
『↑ビバルディの四季!』
そして、私たちの戦いが始まった。
『←まじ?これ東岐波のゾウ山やし』
『↓ええやん わかるやろ!』
『↑もうちょっとマシなん描きーや・・・』
音楽の授業は、週に2回。火曜と金曜。
そのどちらの日も、返事が書いてあった。
(マシなんって。お前こそ描いてみろっつーの)
『↑あんた描いてみーや』
すると次の時間、驚くべき事が起きた。
(うわ、上手い・・・)
私の絵のすぐ上に、アルプス山脈がそびえ立っていた。
一目でわかる。ハイジみたいな牧場の描き込みまである。
しかし、それだけではなかった。
『↑by PIKASO』
『↓これ、上手!』
(え?)
第3の人間と思しき書き込みが出現した。
(2)
(そうやん。この席に座るんが2人だけなわけないし!)
考えられる事態ではあったが、しかし予想外だった。
「あのさー、あたし今」
里子に援軍を求めてみた。
「机上で戦争しよるんよね」
「くっ・・・これマジ上手いね」
「ピカソって誰って感じよ。綴り間違っちょるし」
昼休み、購買のサンドイッチを食べ終えてから、音楽室に来た。
「で、くっ、これね。第3者」
里子を睨む。
「なんなん、笑いたきゃ笑いーや!」
「シズ、ダメ!あんたマジヘタ!面白い!」
先生の特別設計で、音響に定評のある室内に声が響いた。
「あんた、美術選択やけぇって・・・」
里子は同じクラスだけど、選択が違うので音楽は受けていない。
「ちょっと描けるけぇってね!笑いすぎやけ!」
「あ、ちょい待って!」
里子がアルプス山脈を指差す。
「何こいつ?」
覗き込むと、アルプスの左下部分に、どこか見覚えのある猫のマークがあった。
「これって・・・」
「ちーだ。ちーちゃん」
「うっそ」
去年、私たちと同じクラスだった、千佳。
「はー!?あれシズやったん!?」
千佳が、驚いたような、がっかりしたような表情をして
「ふ、ふっ、そか。あれ、シズやったんや」
その後大笑いした。
久しぶりにこの3人で話す。
「新しい出会いとか期待しちょったのに。運命的な」
あの頃は、毎日10通以上の手紙のやりとりをしてた。
「あそこ女子の席やん」
『ひょんなことから生まれる出会い』だとか、そんなのを期待する話はいつも盛り上がった。
「あー。なんだ」
だから今回の事も、相手を見てなんだかひどく納得してしまった。
「でも、そしたら・・・」
3人の息が合う。
「第3者は?」
事態は風雲急を告げる。
(なんこれ!?)
状勢は混乱を極めた。
(これは・・・ヤバいよねぇ・・・)
私の絵の上のアルプスの絵のさらに斜め右上に、新しい風景画が生まれていた。
『↑これどうよ? BY GOHHO』
『←んが うまい』
『↓コッチ スキー』
さらに、その斜め右下にも。こちらはもう風景ではなかった。
『バイ・よっちん☆』
『←カワイイ♪』
おそらく、この机に座るあらゆる生徒が『参戦』を表明したのだろう。
3人座れる長机の、私のスペースとされる部分は、もう半分近くが黒かった。
(こりゃもう、第3者の話どころやないわ・・・)
そして次の授業の時間
「わ・・・」
落書きは全て消されていた。
(3)
机がまっさらになってから、2日後の昼休み。
真相は意外な所から入ってきた。
千佳の友達が音楽室の掃除当番で、第3者の正体を知っていたのだ。
火曜は、午前中にうちのクラスの授業があり、午後から千佳の授業がある。
なので、掃除に来たときにはすでに最初のやりとりが成されていた。
面白がって音楽の渡辺先生に報告した所、渡辺先生も『残してみたら』と言ったらしい。
「あの渡辺が?鑑賞中とかにしゃべったらめちゃ怒るクセに」
「静かにしちょかんにゃいけんのやろ。別に書くのはええってことやないんかね?」
そういうものなのだろうか。
「で、正体は?」
「それがさー・・・渡辺らしいよ」
私たちのやりとりは掃除メンツ、そして渡辺先生にウケており、ずっと観戦していたそうだ。
そしていよいよ千佳が絵を描いたとき、先生が思わず『上手い!』と書いてしまったと。
「まじで・・・そうやったんや」
「けど、そしたら急に書き込みが増えて、収拾つかんくなったけぇ、消したんて」
「はぁー」
たまごサンドをほおばりつつ、千佳もため息をつく。
「ねー。折角新しい出会いとか思いよったのに」
「渡辺と付き合ったら?」
「髪無いじゃん」
千佳はそう言ったが、私の方は
「センセー、今度ビバルディのCD貸してぇや」
その一件以来、渡辺先生に興味を持ち、よく話をするようになった。
ついでに
「野間君クラシックとか結構聞くんて!今度CD貸してくれるって」
同じ部活の男子とも仲良くなった。
「脈アリなんやないん?行けるって」
里子が茶化す。
戦争は終結したが、私の青春は続く。
(おしまい)