Scourge of Dawn(暁の惨劇)
この章はスプラッター的要素が強くなっています。出来るだけ直接的表現は避けるようにしましたが、物語の構成上、必要な章であるため削除することができません。グロの苦手な方は『あとがき』でストーリーのあらましだけをお読みになって下さい。
「どうかしたのか?」
「暫定国家が襲われようとしています。すみません、カジさんは後から来て下さい」
「何があった? 雄一郎は無事なの――」
カジが言い終わる前に伊都淵は駆け出していた。
「控えっ、銃」
その号令に隊員達が向けていた銃口を逸らし「元へっ、銃」の号令で戦闘態勢が解かれた。一歩前に出た隊員がフードと脱いでゴーグルを跳ね上げる。そしてもどかしそうに手袋をはめた手でネックウォーマーをずらした。雄一郎の覚醒した視界は隊員の青紫になった虹彩が見て取った。
「冷たいじゃないですか隊長、自分達も同行させて下さい」
「板橋……お前等だったのか」
隊員達の全てがそうした訳ではない。しかし彼等がトコログリアの接種を済ませた相良の部下八名であることを雄一郎は感じ取っていた。
「俺は自分の良心に従った。指揮系統に背き、帰る場所をなくすのは俺ひとりで充分だ。今ならまだ誰も気づいてない。お前達は戻れ」
「だめですよ、隊長。関谷だって連れているじゃないですか。我々はそれぞれの意思でここに立ち、我々の意思で隊長を行動を共にしたいと願っています」
「お前達……」
建物に取り付けられた回転灯が回り、電子サイレンが鳴らされた。雄一郎は出発を促す。
「ここでのんびり話している時間はないようです。ですが皆さんの帰る場所がなくなった訳ではありません。行きましょう」
「これを」
板橋と呼ばれた隊員が雄一郎に差し出してきたのはクロスボウがはいったケースだった。
間に合ってくれよな――ローラーブレードを履いたような速度で伊都淵が疾走を続ける。心臓は早鐘を打ち、肺の要求する酸素量が追いつかない。首都高速のオフランプをくぐった付近で懐かしい波動を感じて足を止めた。視覚・聴覚・嗅覚を全開放する。氷壁に視野を遮られた一画に向け、声を発した。
「鈴木君か?」
「その声は……伊都淵さんですか?」
崩壊した高層建築物が氷の渓谷を築き、雄一郎の脱出ルートと伊都淵の進路の選択は狭まられていた。軽自動車一台すり抜けるのがやっとの隘路が氷壁を挟んで並ぶ。北に下る雄一郎達と南を目指す伊都淵、建国の使途達は分水嶺のような場所でほぼ半年ぶりの再会を果たした。
「私を探しに?」
「ああ、カジさんも少し後で来る。だが今は――」
伊都淵の視線をたどり、雄一郎は暫定国家の屈折型ピラミッドに顔を向ける。輪郭が変わったように見えたそれは、もぞもぞと質量を膨らませてゆく。
「あれは……第二世代か、一体どこから――」
雄一郎は600m先に視界の焦点を合わせる。数体の第二世代は二箇所ある入口を取り囲んで氷塊を投げつけている。やがて他の数体が歩哨小屋を叩き壊すと、構造物として使われていた軽量鉄骨や外壁材を手にドアを叩き始めた。エアロック並みの厚さを誇るドアはびくともせずに異形の侵入を拒むが、それでも諦めることなく叩き続ける。別の一段は鋭い爪で氷柱を削り出していた。
「あのサイレンは我々の離脱に気づいて鳴らされたものではなかったようだな」
相良が雄一郎に肩を並べて言った。
二十体に一体の割合で大きくフランジの張り出した第二世代がいる。全ての行動はそいつから指示が出されているようで、削り出した氷柱を抱えてコンクリート壁に突撃するグループと壁を登り始めるグループに別れた。巨躯をものともせずよじ登って行く様は、密林の王者、面目躍如たる雄々しさがあった。
「奴等がどういった経路で来たのかは今は重要ではない。折角脱出したところを悪いが救出に行くぞ。暫定国家の馬鹿どもめ、BLBの特性も知らずに……」
伊都淵が外壁の材料として指定した氷なら、十州道のアークのように第二世代の掌をもってしても取り付くことはできないが、コンクリート壁の荒れた表面なら繊毛が密生した掌で雑作なく登れてしまう。同じく通気性のない外壁を選んだことよって設けねばならなかった排気口に、黒い影はどんどん呑み込まれていった。
予期せぬ事態の招来に呆然と建造物を見ていた自衛隊員達も我に返り、先に走り出した伊都淵と雄一郎を追う。
「ドアは大丈夫か?」
走りながら伊都淵が相良に訪ねる。
「原発格納容器並みの厚さがあります。氷柱を叩きつける程度では絶対に壊れません。しかし……」
「しかし?」
「9.02が襲った時点で、建物は完成してなかったのです。氷に覆われて暫く身動きの取れなかった我々が材料を見つけ出す術はありませんでした」
「つまり、鉄筋の通ってない場所があるということか」
伊都淵は相良の思考に侵入して先を読み取った。
「まずいな――君達は下から侵入しようとする連中を始末してくれ。鈴木君、君は俺と一緒に」
民間人である伊都淵の指示に従うことに迷いはある。しかしそれに抗うことが自身の魂を裏切ることだと相良に悟らせていた。
「はっ!」と短く応答する。
通気口から建物にはいった異形は即座にボイラーの熱で焼かれる。後続は同胞の死を悼む素振りも見せず焦げた肉塊を火炉に落とし込んでいった。ブリザードで体毛が濡れそぼった異形の屍はボイラーに不完全燃焼を引き起こす。数体が蹴り込まれると遮蔽壁が完成した。それを踏み越え、我先にと巨大な排気筒に取り付いた太く長い腕は、押し、捻り、叩く。ものの数分で排気筒は床に転がり落ちていた。先ずひとつ、建造物への通路が確保された。
元来、獣性は環境の僅かな変化にも敏感である。フランジの張り出した一体が、建物の外壁に顔を擦りつけるようにして周囲を廻っていた。物音に、温度の変化にと神経を尖らせる。目的の場所を探し当てた異形の唇は、この世の者とは思えぬ禍々しさでめくれ上がり、氷注を抱えたグループを呼び寄せていた。
「どうなってる! 誰か報告をしろっ」
暫定国家政府合同作戦本部――雄一郎が最初に連れてこられたヘッドクォーターで元首の席についた一松が声を張り上げる。怯えきった様子の科学者達は顔を見合わせるのみ、ピーピー泣き叫ぶ愛人達の肩を抱いてやることさえ忘れているかのようだった。
隊員が一斉掃射を始めた時、既に何体かは付き崩した外壁から侵入した後だった。排気口側に回った伊都淵の耳に断末魔の声が飛び込んでくる。まばらに聞こえる銃声は悲鳴にかき消されてしまった。
「鈴木君、奴等の脳波を均せっ!」
伊都淵が叫ぶ。視界の届く限りの異形に向け、浮遊する電位を集めようとするが不慣れな雄一郎は集中力を乱されて上手く行かない。クロスボウの連射に切り替えて壁に張り付いた異形を一体、また一体と撃ち落として行く。視界に捉えた全ての異形を脳死に追いやってゆく伊都淵に比べればかなり効率が悪い。十体ほど仕留めた時点で矢の収められたケースに突っ込んだ手は宙を探った。
「こうするんだっ!」
伊都淵が走り寄って雄一郎の額に手をかざす。殺戮の公式が明確なイメージとなって脳内に流れ込んできた。
壁を突き破って侵入した一段は器用にドアを開けて回り、獲物を見つけ出すとその鋭い爪で切り裂いて栄養源にする。シギントの異常表示に電源を調べに来た技術者にも異形の脅威は容赦なく襲いかかっていた。大きく背中を切り裂かれた技術者は最後の力を振り絞って高圧電線の両極に手を掛けた。取り分を争って技術者の四肢を引っ張り合っていた三体が瞬時に黒焦げとなって倒れる。そして屋内の電源は落ちた。
二方向からの侵入を許してしまった暫定国家内では人々の悲鳴と獣の咆哮が乱れ飛んでいる。本来は果実を主食とするオランウータンだが木々も農園もなくなったこの世界ではゴキブリの雑食性のほうが顕著となっている。しかも〝食いだめ〟の効く遺伝子を持っており、他種のプレデター(捕食動物)のように満腹になったからといって殺戮の手を休めることはない。次に良質なタンパク質を摂取する機会など約束さてない氷の地で、第二世代による捕食行動は飽くことなく続けられた。片手にひきちぎられた人間の足を掴んでなお別の獲物から手を離そうとしない異形も居る。胃に収まりきらなくなると排泄してでも消化器官に空隙を作ろうとするものも居た。頚部を、腹部を切り裂かれた人体が居住区のフロア全体に累々と横たわっている。〝阿鼻叫喚の巷〟を描くとすればこれ以上相応しいな光景はない。
居住区最後のドアが打ち破られると、女性の長く甲高い悲鳴が起こる。それは絶叫に変わり、そして止んだ。その声はこの惨劇を生き残ることの出来た僅かな人々の耳につき、生涯離れることはなかった。
パニックに襲われた人間の振る舞いというものを上手く表現しているのがホラー映画だ。犠牲者は自らを逃げ場のない場所へと追い込んでゆく。警官隊の生き残りを伴って地下フロアに逃げ込んだ真壁も同様だった。反逆者を閉じ込めるはずの監房の隅で肩を寄せ合い、鳴りを潜める。回廊は異形の群れに支配されていた。奇声を上げて走り回り、床に出来た血溜まりや散乱する臓腑に足をすくわれて転倒する様は状況が違えば滑稽にも見えたのだろうが、それを笑う者などひとりとしていない。暗闇の中、ただひたすら異形の狂宴が去ることを身をすくめて祈り続けていた。
「あれは一体……」
伊都淵が腰の辺りで握った拳に力がこもる度、壁に取り付いた第二世代がバラバラと剥がれ落ちるように落下してくる。その様子を眺め呟く関谷の視線を他の隊員達も追った。
「すげえ……あのふたり、エスパーなのか?」
相良の助けで暫定国家を脱出した雄一郎は伊都淵と合流する。時を同じくして異形の集団が暫定国家に襲いかかっていた。人々を救うため、たった十二名で挑む伊都淵達。暁を血で染め上げる闘いが始まった。




