The next opponemt(次なる敵)
「アーク……ですか?」
恒例となった定時連絡で伊都淵さんが言った。
――そうだ、A・R・K 氷のドームって呼び方はどうも個性に欠ける。ノアの箱舟はゴフェルの木で作られたんだ? ゴフェル、ゴエル、コーリ、氷 ばんざーい! ばんざーい!
……大丈夫か、このオヤジ。依子さんが無事に男の子を出産されて、どこかのタガが外れてしまったのではないだろうか。勿論、能力に秀でたおふたりにお子さんが産まれたのは喜ばしいことだ。その子が成長すれば僕のような臨時雇いへの依存度も減り、真由美さんとの家庭を築ける日も遠からず訪れるはず。氷で出来た住居でも、団欒で温かい家庭を。
「では、バイオ流体緩衝材はどう呼べばいいのでしょう」
長ったらしいので〝赤いヤツ〟で済ませていたが、ドームの愛称を考えていた伊都淵さんなら、きっと素敵なネーミングを思いついていたに違いない、と僕が訊ねる。
――えっ? あっ、うーん、それは……
しばし間があった。
――〝赤いヤツ〟でいいんじゃないのか?
考えてねえのか、このオヤジは……
――そうか、その田下氏は、おそらく呼吸器系の疾患があったのだろうな。P300Aが免疫細胞を活性化させることはわかっていても、それに必要な投薬量も効果の個体差も明確にはなっていない。あの時、伊都淵が頭を開かせていてくれればな――もう少し公共精神に富んだ男だったなら、その人も救えたのかも知れないな。
これは所教授の声だ。杜都市の親機に音声会議装置を繋いだため、定時連絡は衛星電話ミーティングに姿を変えていた。つまり端末があればどこからでも参加者全員の声が聴けるようになった訳だ。
――こらっ! 所、お前は諦めたって言ってたじゃないか。パパになって上機嫌な俺に水を差すようなこというな。
――ええ、あの人が居なければ、我々もどうなっていたか……ドームの建造は順調です。ここには設備も整ってますし、住民も勤勉な方々ばかりです。
これは雄さんの声だ、カルト集団にとっつかまって、随分と酷い目に遭われたらしい。そして伊都淵さんのクレームはスルーされていた。
――とにかく、無事で良かった。そこのド……アーク建造は順調に進んでいるのか? 雄のことが心配で仕方ない人が、ここにいる。元気な声を聞かせてやれよ。
中ノ原市の声は誠さんに代わっていた。雄さんのことが心配で仕方ない? 誰だろう……
――亜希子です。ご無事でなによりでした。
――いえ、藤井さんはそこの生活に慣れましたか?
なんだよ、いつの間に雄さんたら彼女をこしらえてたんだ。しかも女性が『アキコです』って言ってんだから、もうちょいフランクに話しかけてやればいいものを――相変わらずの堅物だな、僕が手本を見せてやろう。
「あのう……誠さん、真由美さんはそこに居ないんですか?」
――ああ、具合が悪くて休んでる。タケ坊のせいだぞ。
僕のせい? なんで? 所教授と誠さんの含み笑いが聞こえてきた。
――悪阻だよ。梓が診たから間違いない。
えーっ! 確かにあの時、真由美さんは『ここにあなたの分身がいる』とは言ったが――えっ? まさか……マジで? ばんざーいっ! ――って、僕も伊都淵さんレベルだ……
――やるじゃねえか、この百発百中男め、嫁さんを亡くしてどれだけも経ってないくせによお。
……。この混ぜ返しはターちゃんだった。
――では、本題に入ろう。現在建造中のものを入れ、ド……アークの数は23、みっつのパーティーだけではこうは行かなかっただろう。生存者が新たな生存者を発見し、知恵と技術を共有し合う。短波無線とサイトの活躍も非常に有効だったな。残念ながら、ド……アークの建造総数は300~400に下方修正せねばならないが、コミュニティー同士の連携が顕著になっているようだ。持つものが、持たざるものへ。労力の足りない所へは労力を、医師が必要なド……アークには医師をと、みんなが助け合っている姿は胸を打つものがある。
スルーされ続けた伊都淵さんが、急に畏まって話し始めた。彼の言うとおり、真柴さんのような方々があちこちに居られたのだろう、これも喜ばしいことだ。ただ、命名した伊都淵さんでさえ完全には〝氷のドーム、イコール、アーク〟とはなっていないようだった。
――丈君が最初に建造に手を貸したドームではクローラも作り上げたそうだな。
「ええ、電子機器に詳しい女性がいらしたんです。リーダー格の真柴さんって方は機械工作が得意だったようで、僕が見つけてきた軽トラックを伊都淵さんの設計通りに作られたそうです。防護柵も作っていただきました」
――そうやって移動手段を手に入れることが出来れば、更にアーク間の交流も広まってゆくはずだ。
――でもさあ、あっちに二人、こっちに三人って感じで生存者が見つかる俺のパーティーでは既存のド……アークに収容するパターンが多いんだ。なにせお年寄りが多い地域だからな。
ターちゃんが言った。僕達もここに来る途中、四人の女性を見つけていたが、そこにド……アークを建造しろとはとても言えず、佐伯先生のところに身を寄せてもらっていた。
――それもやむを得ない。お年寄りでなくともコミュニティの人数が少なければド……アーク建造は無理だ。そういった場合には既存のアークで引き取るしかない。そしてそのアークが満員になれば、新しいものを建てればいい。ただ、全てのアーク建造に我々が力を貸すというのも良くないように思え始めた。
――パラダイムを示した後は、ある程度人々の自主性に任せようと言うのだな。
所教授が訊ねる。
――ああ、反対か?
――いや、お前の言う通りかも知れん。なんでもかんでも人に任せるのが習い性になってもいけない。鈴木君、トコログリアの残量は?
――10瓶を切っています。
――本田君、小野木君は?
――似たようなもんかな……
「僕は、えっと……14瓶の残りです」
実はまだ18瓶残っている。決してサボっていたわけではないが、残量が一番多かったことに気が引けてサバを読んでしまったのだ。
――川崎君にクローラで届けてもらおうと思っていたが、そういうことなら一度、帰還するのもいいだろう。君達にも休暇が必要だ。
休暇! 僕は飛び上がらんばかりに喜んだ。中ノ原市を経って二ヶ月半、それでもう真由美さんに再会できるなんて。
――ところで伊都淵、それはお前の発案なのか?
少し間があって伊都淵さんが答えた。
――……いや、カジさんだ。だが、俺もそれもいいかなと思ってたところだったし……
――だろうな、お前のような甘い男が、そんなことを言い出すはずがない。俺は最初から人々の自主性を重んじるべきだと思っていた。個々が強くならねばならんのだ、特にこんな世界では。
――鎮静の見られる今だから言えることだろう、それは。厳しいばかりでは人々も途方に暮れていたはずだぞ。それに、そう思ってたなら最初から言えよ。カジさんの発案だから賛成だって? さっきから気分の悪いヤツだな、お前は。
――お前は昔から弱者に甘すぎるんだ、それが小さな新大脳皮質のせいかどうかはわからんがな。
――あっ! この野郎、みんなが聞いてる前でそれをいうか。お前が昔、梓、梓ってボロボロ泣いたのを黙ってやってるのに(P300A参照)
――泣いてなどおらん!
――いいや、泣いたねっ、おんおん泣いた。
――くっ……もう、杜都市にトコログリアは送らんからな。
――へっへーだ、成分構成さえわかれば、どれだけでも作れますよーだっ!
子供か、このふたりは……誰もなにも言わないところをみると、みんなも呆れ返っていたのだろう。
――あたっ!
――っつう……何をする
パチンと音がして二人の声が上がった。これはおそらく業を煮やした依子さんと梓先生二人の頭でも叩いたのだろう、いい気味だ。
その時、どの回線でかはわからなきが、けたたましい音で警報が鳴り出した。
――誰のところだ?
――どうやら、ここみたいだ。
警報はターちゃんと村山さんが担当する十州道のコミュニティで上がっていたようだった。
――侵入者あり! 通信、切りますっ!
子供の喧嘩みたいなものを交えながらも和気藹々と進んでいた衛星電話ミーティングに緊張感が漲っていた。




