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The end of Treat(驕りの終焉)

「出ろっ」

 相良の行動は迅速だった。しどけなく船を漕ぐ見張りの警察官――おそらく身分を詐称して暫定国家に受け入れてもらった男――を銃床でより深く眠らせると、男の胸ポケットからカードキーを抜き取り、雄一郎の監房に走り寄ってそれを差し込む。カチリとロックが外れる音に雄一郎は跳ね起き、相良の目が語るものを瞬時に汲み取った。

「関谷さんも出してあげて下さい」

 腰を屈めて無機質な金属性のドアを向けると、雄一郎は斜め向かいの監房を指差す。

「わかってる」

 監房・発電設備・機械室と、居住区の設けられていない地下フロアだが、どこに監視機器があるかわかったものではない。熟睡している関谷を起こすのに大声を出すのは憚られた。相良は関谷の肩を揺すって目覚めさせ、声を上げかける彼の口を塞いで目配せを送る。関谷の身支度を促して監房を出ると、外で待つ雄一郎に声を潜めて告げた。

「残念だが、君の荷物は取り戻せない。気づかれる前にできるだけ遠くまで逃げよう。こっちだ」

 雄一郎は履いていたエンジニアブーツを脱いで両手に持つと、相良の後に続いた。大きく螺旋を描く階段を上り、人々が寝静まった回廊を抜ける。エントランスのエンジンドアがたてる微かなスライド音さえ、やたら大きく感じられた。

「首都高速の下を抜け、一気に北に下る」

 雄一郎は頷いた。背後で関谷の喉がごくりと鳴る。北詰橋門のあった場所目指し、三人は走り出した。関谷が履くスリッパの音が、氷の世界の静寂に珍妙なリズムを刻む。そして雄一郎は聞いた。複数の半長靴が氷を蹴る音を。

「止まれっ」

 相良が左手を身体の横に出して言った。バラバラと靴音が乱れ、白い防寒衣に身を包んだ一団が三人の前に立ちはだかる。病院跡で雄一郎を拘束した自衛官達だった。数丁の銃口がスリングの金具を鳴らして向けられる。

「どちらへ?」

 ネックウォーマー越しにくぐもった声が発せられた。

「邪魔をするなら撃つ」

 相良も臨戦態勢をとる。しかし向けられた銃口八に対し、こちらは相良の一丁のみ。雄一郎の手にクロスボウはなく関谷も丸腰。圧倒的に不利な状況だった。

 監禁中、実験台にした見張りの男は無帽だったが、目の前の隊員はヘルメットの上に更にフードを被っており、脳波の操作を覚えたばかりの雄一郎が酸素供給のみを断つのは至難の技だと思われた。

『全部を均しちまえば片が付く』伊都淵の言葉を実行に移すのは時期尚早だと考えた雄一郎は、隊員達に深傷を負わすことなく窮地を脱する手段を探していた。


「あれは?」

 カジの指差すほうに伊都淵が顔を向ける。

「多分、山手線ですね、通る電車もないのに架線だけが残ってるのも寂しいもんです」

「ということは都内にはいっているのか?」

「ええ、もう2時間も前に。荒川を渡ったのに気づきませんでしたか?」

「なにも考えず、ひたすら足を前に出すことだけを考えていたよ」

 自嘲の笑みを浮かべるカジに伊都淵は言った。

「そろそろ見えてきます。しかし酷いもんだな、この辺りは見渡す限りのビル群があったはずです――」

 南に向けた視界を開放する伊都淵の目に悪夢のような光景が飛び込んできた。

「――まずいっ」


 九死に一生を得てたどり着くことが出来た生存者達の目に、氷の廃墟の中、居丈高に浮かび上がるシルエットは砂漠のオアシスにも映ったことだろう。建造時に想定した敵対勢力への威嚇にもなっていたかもしれない。だが、原始的な外敵には逆効果でしかなかった。

 野放図に電力を消費する照明と排気口から立ち昇るエミッションスモークは格好の攻撃目標となる。煌々と照らし出される屈折ピラミッド型の暫定国家を目指し、一早く到着したのは伊都淵でも真柴達の一行でもなかった。

 根深い飢餓感を遺伝子乗り換えの段階で植え付けられた第二世代がどうやってここまで来れたのかはわからない。だが海浜公園跡に座礁した貨物船から続く異形の列の先頭は東京駅のあった地点まで延びていた。

 静かに忍び寄る脅威は暫定国家の安眠を妨げることなく、そのまま永眠へ誘おうとしていた。


「元首、元首、起きて下さいっ!」

 まだ4時じゃないか。誰だ、こんな時間に――

 ドアをドンドン叩く音と緊迫感が滲む声に、ナイトスタンドのデジタル時計に目を遣った一松は上体だけ起こして不機嫌そうな声で返す。

「なんだ、こんな時間に」

「シギント担当管の内田でございます。衛星の機能が戻りました。ですが――」

 赤眼鏡の声だった。

「ですが、なんだ」

「熱源感知装置の表示に異常が見られるのです」

「またぞろ、どこかから生存者がやってきたのではないのか。時間も考えず非常識な奴等だ、全く」

 暫定国家の非常招集に応じたのは、命からがらといった体でやってきた凍死若しくは餓死寸前の人々であり、国家の――いや、一松の思惑である。側近の強化と武力増強には程遠い現状だった。

「いえ、光学分解の機能が戻っていないため画像の確認までは出来ておりませんが、熱源を示す輝点の質量も指数も膨大でして……」

「わかりやすく言えっ!」

 早朝に叩き起された上、要を得ない説明をくどくど述べる内田に一松の苛立ちが極まる。

「機械の不調でなければ数百の個体がこの暫定国家に向かっていることになります」

 この時点でようやく一松は事の重大さに気づいた。

「なんだと! 即応の連中に調べに行かせろっ」

「それが相良陸尉以下9名の行方も不明でして……、別の者が真壁司令を呼びに行っております」

 回廊を慌ただしく駆け回る靴音、響きわたる怒声が、安穏たる日々の終わりを告げようとしていた。


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