D-day(上陸)
「後、一時間ほどで到着するってよ」
どこで見つけてきたのか、行町がタバコをくゆらせながら言った。ガソリンタンクがあるのに危ない奴だ。
「そうか、もう携行缶も代用品も底を突いた。サイトはこっちに向かってるのがもう一団居ると言った。このデカいタンクを投げるつもりだが、銃撃の援護を頼むぞ」
「ここ数年、訓練以外で発砲したことはなかったのに、9.02以来、ベトナム戦争の兵士並みに撃ち続けて随分と命中精度も上がった。任せておけよ」
行町は呑気な感想を口にしてくれるが、僕は次から次へとやってくるホモローチの船団にほとほと嫌気が差していた。妻だった(過去形なのが哀しいが)日向子がよく言ったには、僕は〝冒険しない男〟なんだそうだ。レストランに行けば毎回同じ物しか注文しないし、洋服も無難な色しか選ばない。その僕が1.6の安全率(想定より1.6倍の行程と敵の数を見越した)を見越した作戦その1が既に破綻しようとしている。三年~六年に一度しか繁殖期を迎えないオランウータンや、かなりの頑張り屋さんでも年子がせいぜいの人類(家畜並みの繁殖能力を持たれる特異な方々は別として)からは到底考えられない繁殖率だった。いくらなんでも生存者全員に遺伝子導入を試みるはずがない。それに雲南省で生き残った連中が吉林省まで容易くたどり着けるはずもない。蜀と夫余には日本を縦断する倍以上の距離があるのだ。僕の読みは、かなりの確立で的を得ていたはずだ。
一隻きり残っていた脱出ボートの準備を始める。クレーンは折れて使い物にならないため、マリアと両端を持って海に落とすしかない。
《乗れない》とマリア。確かに人ひとりがやっとくぐり抜けられる程度のハッチしかついてない。少しキャノピーを剥がすとしよう。僕の考える上陸プランは、この屋根つきボートでなければ成功しない。
「接岸しないのか? さっき調べたが雪上車は使えそうだぞ」
上陸の準備を始めた僕達を見て沢口さんが言った。
「ええ、走るのは慣れてますから」
「君等はそうでも、我々は……」
「いえ、皆さんは沖合で待っていて下さい。接岸すると奴等に乗り込まれる恐れがあります。泳いででも船を襲おうとする奴等もいるでしょう。そうなった時、航海士さんや機関士さんを誰が守るんです」
「そんな訳に行くかよ!」
「C-4の取り扱いが僕に可能なのはわかったろう? リモコンで爆破するにはさっきの雷管ではなく起爆スイッチを埋め込む。違うか?」
行町の反論を封じ込める。
「君は、それを一体どこで……」
イトペディアで教わったと言っても信じてはもらえないだろう。沢口さんの問い掛けには答えず、僕はローラーブレードを持ち上げて言った。
「更に言うなら、僕達は時速60kmで走ることができる。それについてこられますか?」
決して能力を自慢したかった訳ではない。ホモローチ製造工場を見つけ出し、爆薬を仕掛けたら即座に退散して、爆風の及ばないところまで避難した後に起爆装置のボタンを押す。アバウトではあるが、それが〝作戦その2〟だった。正直、肉弾戦はこりごりだった。
ふたりは納得した風でもなかったが、僕は差し迫る危機に彼等の意識を向けた。
「最後のが来たようです」
既に船団を形成する船はバラバラだった。漁船を漕いで進めようとするホモローチもいる。幼い頃、父さんの膝の上で観た海賊映画のような光景がノルスタジアを誘った。
「船を止めてもらって下さい。今度は進行方向に防御線を張ります」
吹雪に煙る前方にはアメリカをも凌ぐ国力を手に入れ、そして今や紀元前の闘いを世界に向けて挑もうとする大国の地表が見えてきた。〝しらせ〟の巨大なプロペラが逆回転を始める。なんとか船団のところまで飛んでくれ。僕は両手で持ち上げたガソリンタンクを力一杯放り投げた。着水地点はホモローチ船団の10m程手前だったが、奴等は大きく上がった水しぶきをものともせずに進んでくる。数秒後、耳をつんざく轟音と共にガソリンタンクは弾け飛ぶ。爆風を避けるようにして他の航路の有無を確かめに行っていたサイトが戻ってくる。
《どの航路も流氷で閉ざされかかってるわ》
となると次は陸路によるホモローチ上陸を懸念せねばならない。本陣を叩かない限り、このイタチゴッコは終わりを告げないのだ。
《行こう》
僕はボートを海面に投げ落とし、舷梯を降ろす。脱出ボートの後部ハッチを蛮刀で切り裂くと、なんとかマリアが乗り込めるだけの空隙を作ることが出来た。海面上、数メートルに立ち昇る炎の防御線を突破するためには出来るだけ開口部は小さくしておきたかった。船首ではまばらな銃撃音が聞こえる。黒焦げになりながらも炎をかいくぐってくるホモローチを一掃しようとする行町のものなのだろうと推測した。
「行ってきます。なんの連絡もなく12時間で戻らなければ、躊躇せず僕達を置いて出航して下さい。火が消えて流氷で陸路が繋がれば、奴等必ずこの船を襲ってきます。僕がボートに移ったらすぐに舷梯を上げておいて下さい」
大国中国だ、吉林省といえど四国並みの広さがあり、大きなビルの建ち並ぶ市街地だってあるだろう。だが、あれだけのホモローチを生み出す施設が街中に作られることはないだろうと踏んでいた。伊都淵さんの予測も同様『山間部にあるだろう』だった。
沢口さんが右手を差し出す。僕は彼の手を握りつぶさないよう注意して握手を返した。
「わかった、必ず戻って来いよ」
「そのつもりです」
《いよいよだ、充分に注意してくれ》
ボートのエンジンをかけ、一時間で暗記した操縦マニュアルに沿って僕はボートを発信させた。目指すはみっつの国境線が交わる地点だ。全速で炎をくぐる際、ちりちりと空気の焼ける音がした。
僕達がボートをつけたのは予定通りの地点だ。島国生まれの島国育ち、海外旅行に行った先はやはり島であるハワイだけ。そんな僕にとって陸上で国境線が交わるというのは非常に不可思議なことのように思われた。しかし冷たく国を分断する高いコンクリート壁も鉄条棒も見当たらない。いや、あったにはあったのだろうが、9.02の衝撃波がきれいさっぱりとそれを取り払ってしまったのだろう。コンクリート壁の基礎らしき部分に立って僕は思った。
『長城に至らずば好漢にあらず』変な髪型をした国家主席は、かつてそう曰ったそうだが、秦の時代には遼東から臨まであったと言われる人類史上最大の建造物も、時代と衝撃波によって完膚なきまでに粉砕され、いまや見る影もない。と、先遣隊(とは言え一羽だが)のサイトが教えてくれる。ならば、と思いを馳せる三国志縁の地〝赤壁の古戦場跡〟はここより2000kmの彼方。僕は観光を諦め、使命に集中することにした。これから横断するのはアフロで眼鏡のおっさん死去後、権力の座を狙う有象無象によって大規模なクーデターが繰り返され、挙句の果て何を血迷ったのか自国内で☢ミサイルを爆発させて全世界の大顰蹙を買ったテロリスト国家だった。
《君の出番だ、頼むぞ》
僕は一歩に第二世代の匂いを辿ってもらうことにした。船上では何も仕事を与えられなかった一歩の張り切りようといったらない。僕の依頼を聞くが早いが一目散に駆け出していった。
犬の悲鳴というものをご存知だろうか? 発声器官の都合上、〝キャン〟とか〝ヒイン〟とかでしか人の聴覚では捉えられないが、僕には確かに『しぇえええ』と聞こえた。余談になるが、『尻尾を巻いて』という諺は全ての犬種に当て嵌るものではない。何故ならポメラニアンや一歩のように最初から尻尾が丸まってのもいるからだ。とにかく、中国版? いや、北朝鮮版かもしれない。かなりの数のマンイーター(人喰い)を先導して一歩が駆け戻ってきた。
背後から銃声が響き、数名の〝人喰い〟が血飛沫を上げて倒れる。脱出ボートに隠れて密航を図った行町が小銃を構えて立っていた。




