Consentrate(集結する意思)
くそう、最早ここまでか……私はなんのために中ノ原を出たのだ。深い悔恨が所の精神を貫き、己を怨嗟する声が脳裏に響く。凶悪な咆哮と共にホモローチ第二世代が八体、所の乗るクローラを追いかけてきていた。連中が姿をあらわしたのは、かつて広大な茶畑に囲まれたサービスエリアがあった付近からだった。バッテリーの残量を表示する目盛はひとつしか残されていない。血も凍るような咆哮が近づいてくる。追いつかれるのは時間の問題かと思えた。クローラが速度を落とし、荷台に大きな衝撃が走る。一体の異形が飛び乗ったようだ。「やられて堪るか」と車室内を見回すが、整頓されたコクピットにはドライバーの1本もない。異形は手にした棒状のもので後部ウインドゥを叩き始めた。
弾性があり耐衝撃性も高いポリカーボネイト製ではあるが万能ではない。叩き続け折れた棒状のものを放り投げると、異形は部分的にめくれ上がったシール部位に手をかけて引き剥がしにかかった。全てを剥がすことが出来ず、苛立つような咆哮を上げた異形は鼻を突くような異臭がする丸太ん棒のような腕を差し入れてきた。
クローラの荷台にもう一体が飛び乗ったような衝撃が伝わる。バッテリー残量を示す目盛はすっかり消えていた。「すまん、梓。後を頼んだぞ、伊都淵」覚悟を決め、車を飛び出して走れるだけ走ろう。所は緊急停止――川崎誠が取り付けたその機構はクランクプーリーの回転を利用してワイヤーのついたアンカーが路面に打ち出される――のボタンを押した。つんのめるようにクローラが左右に激しく振られて停止すると、荷台に飛び乗ったばかりの一体が大きく前方に投げ出された。
助手席に置いたアタッシェケースを掴んで車を飛び出した所の耳元でシュッと空気を切り裂く音が聞こえた。なんだ? 起き上がり距離を詰めてこようとしていたホモローチが小さく身体をわななかせる。そして、氷の上にどうと倒れこんだ。
今のうちだ、少しでも先に。と駆け出そうとする所の背後でクラクションが鳴らされた。所が目を遣ると乗ってきたクローラとよく似たシルエットが停止するところだった。
「所教授ですかー!」
「そうだー! 君達は?」
「龍ヶ崎のコミュニティの者です。鈴木さんの救出に向かわれるんですよね?」
運転席の男がジェット型ヘルメットのシールドを上げながら歩いてくる。異形の集団は、彼の乗ったクローラの後方に、動かぬ塊となって散在していた。
「真柴といいます。暫定国家の放送を聞き、鈴木さんの救出に向かう途中です」
クローラから同じヘルメットを被った四人が降り立った。よく見ると所の乗ってきたクローラとはキャビンのっ形状も駆動方式も異なるようだ。ひとりが無線機を口元に寄せる。
「中ノ原ですか? こちら龍ヶ崎コミュニティの四名です。たった今、所教授を保護しました」
「君達は一体……」
「――すると君達は小野木君の?」
「ええ、彼は言いました。伊都渕さんも自分も所教授が居ればこそ今がある。トコログリアがなかったら生存者も今よりずっと少数だったはずだ、と。あなたは我々の希望なんです。間に合って良かった」
真柴は彫りの深い顔に人懐っこい笑みを浮かべた。
「あれは、どうやったんだね?」
「臭化パンクロニウムです。江州市のアークは病院跡に作られていまして、地下には廃棄予定のシレット(使い捨て注射器)がたくさんありました。それに臭化パンクロニウムを詰めて圧搾空気で射出しています」
クローラ荷台の銃座を真柴が指し示した。
「筋弛緩剤か……呼吸器系を止めたんだな」
「ええ、対人用には塩化スキサメトニウムを用意しています。誰も傷つけることなく鈴木さんの救出が出来ればそれに越したことはありませんからね。佐伯医師――江州市のリーダーです。彼のお陰で随分と薬品にも詳しくなりましたよ」
真柴は腰に提げたシレット射出器を掌で軽く叩いた。
「そのクローラは……クローラではないのか」
「私の妻がつくりました。LPG内燃機関とのハイブリッドです。電力だけでは航続距離が足りず、最高速度もたかがしれています。ベーパライザ(気化装置)のヒーターが上手く作動せず出発が遅れてしまいましたが、こうしてあなたに追いつくことが出来た。大したものでしょう? さあ、先を急ぎましょう」
「う、うむ」
乗り込む前に目を遣ったハイブリッド車は、建機並みのごついタイヤに鉄板を折り曲げて作ったスパイクが無数に打ち付けられている。遥か昔、所が行く末を案じた若者達は、こうして立派に国を支える力となっている。所は胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。
「まだ着かないのか?」
膝に両手を当ててカジが腰を折る。息が上がり、辛そうに顔を歪めていた。伊都淵も足を止め、肩に食い込んだリュックを下ろした。
「そうですね……後、40kmといったところです」
「歳はとりたくないものだな」
「少し休みますか?」
大きく伸びをするカジに、伊都淵は気遣うような口調になった。
「いや、進もう。ブリザードと雲が衛星を遮っているうちに都内に入りたい。そう言ったのは君だ」
「しかし……」
「心配は要らん。体力だけならまだまだ君には負けんぞ」
心外だとでも言いたげにそう告げると、カジは再び歩きだす。伊都淵は雪煙に霞む十五年間追い続けてきた男の背中に目線を据え、下ろしていたリュックを担ぎ上げた。
「おうい! 止まってくれー!」
真柴の駆るハイブリッド車の前に数名の人影が飛び出してきて大きく両手を振る。彼等の着る服には派手な金糸銀糸が織り込まれており、助手席の所が訝しむ目付きになった。
「生存者なのか?」
「どうでしょう? でも、連中が手にしているのは銃のようです。まずいな……池田君!」
真柴の言葉に、減速しながらも走行を続ける車のドアを開けてひとりが荷台に移る。銃座を任されたようだが、圧搾空気で射出する注射針と火薬をエネルギーとする銃では、部の悪い戦闘となることが予想される。真柴は相手が略奪者でないことを願った。
「ここは、どの辺りになるのかね?」
同じ危機感を持った所だったが、ふと雄一郎と交わした通信の記憶が蘇った。真柴に訊ねる。
「ホログラムマップが正しければ、そろそろ海が見えてくるはずですが、この数時間、衛星との通信は絶たれています。十キロ前後の誤差はあるでしょう」
原発跡から数十キロ海岸線を上った地点で雄一郎がアークの建造を進めていたことを所は思い出した。
「止めてくれ、私が行って話を聞こう。彼等が不審な行動を起こすようなら君達だけで先に進むんだ」
「しかし――」
真柴の反論を待たずに所が車を飛び降りる。時速10kmほどに車速は落ちていたが、慣性エネルギーが失われることはなく、長身の所は大きく転倒してしまった。
「教授!」
真柴の声に「いいから行け」と所は手を振る。しかし、それには従わず真柴は車を停める。「警戒を怠るな」後部席のふたりが頷いたのと同時にドアを開けて所の許に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「行けと言ったのに」
妙な洋服の一団が声を張り上げる。
「今、教授といわれましたか? そちらは所教授の一行ですかー」
「そうだー、君等はっ?」
氷の道路でしたたか腰を打った所は声を発すると同時に「いつっ!」と苦痛を呈する。
おおっ! と前方から声が洩れ、続いて先頭に立った男が一団になにごとか話し掛ける様子が窺われた。
「我々は浜波のコミュニティですっ! 鈴木さんの救出に向かうのであれば同行させてくださーい」
「仲間のようだな。私はまだ運に見放されてはいないようだ」
所は寝転がったまま真柴にウィンクを送る。だが、それはあまり洗練されたものではなく、どちらかといえば痛みで顔をしかめたように見えた。




