Departure(出航)
既成概念に囚われた大人より、成長途上でこんな災禍に見舞われた子供達の思考は柔軟だ。野生の熊、イコール危険という概念はないのだろう。自衛隊員ですらおっかなびっくりだったマリアに駆け寄った子供達は、きゃあきゃあ言いながら彼女に触れていた。
一方、乱暴に撫でてくれたのが正だけだった一歩は不満そうに身体を伏せる。サイトは《食事をしてくるわね》と北へ向かう。僕は彼女が生存者の遺体をついばむことのないよう祈った。
「プランはわかった。C-4も信管も〝しらせ〟にある。しかし、燃料がなくて動かない船を君はどうやって動かすつもりなんだ。融雪システムも機能しないんだぞ」
僕のパフォーマンスを披露してない現時点で、この清水海尉の疑問はもっともなものだ。
「港に停泊されているんですよね? でしたら地下タンクが近くにあるはずです。電源のなくなった今、ポンプで組み上げる訳にも行かないでしょう。掘り出したタンクから何回かに分けて携行缶で燃料を運びます」
「掘り出すといっても……」
「まあ、見てればわかるって。あっちがバケモノなら、タケ坊は正義のバケモノなんだから」
ターちゃんの補足説明に僕は傷ついた。冠詞が〝正義の〟であろうと何であろうと〝バケモノ〟はひどい。
「港での作業に隊員の型を数名、船の運行に機関士と航海士さんをお借りしたいと思います。ここに来る途中に第二世代に遭遇したことからも、さほど時間的余裕があるとも思えません」
ふむ、と言って考清水海尉は考える顔になる。すると彼の後ろに居た隊員が素っ頓狂な声を上げた。
「あっ! どっかで見た顔だと思ったら、お前、畦道じゃねえか」
誰だ、懐かしくも忌まわしい僕の小学校時代の仇名を呼ぶ奴は――ヘルメットを脱いだその顔に、僕の記憶は一気に十五年を遡った。
「あっ! てめえ行町かっ!」
「知り合いか?」
清水海尉が訊ねると行町は「はっ」と畏まって答える。知り合いどころではない。先に述べた〝小学校時代に取っ組み合いの喧嘩をした〟その相手がこの行町静なのだ。なんと、自衛官になっていたのか。
仇名の由来を話せば長くなる。出来れば語りたくないのだが、或る事情もあって明かさねばなるまい。
タケ坊と呼ばれていた僕の少年時代、学校では馬鹿な行為をする者を〝たわけボウス〟と呼んだ。小学生の安直な発想が僕を〝ターケボウ〟と呼ぶようになるまでに大した時間はかからなかった。気弱な僕は最初のうちこそ素知らぬふりで受け流していたのだが、あまりにしつこく連呼する行町に、『お前なんかシズカちゃんじゃないか』と言い返し、間を置かずに取っ組み合いの喧嘩となった。双方が鼻血を出した辺りで、おっとり刀で職員室からやってきた担任が『名前は両親がつけてくれた有難いものだ、それを喧嘩のタネにするんじゃない』と僕達を引き離し、以来僕を〝ターケボウ〟と呼ぶ連中はいなくなったが、代わりに畦道(田を分けるの意)と呼ばれるようになったのが、ことの顛末である。
「こいつだけは嫌です」
強硬に行町の同道を拒んだ僕だったが、結局こいつと衛星科に居た経験のある沢口さんという海士長が、機関士・航海士以外で船に向かうメンバーとして選抜された。ターちゃんも村山さんも清水海尉も、何故だか行町までもが僕を見てにやにや笑っていた。
大陸まで最短距離を航海するとして往復約600海里、〝しらせ〟の最大速度は19.5ノットだけど海の状況が掴めない。砕氷で手間取ることを考え、安全率を1.6に設定して……少なくとも200リットルのディーゼル燃料が必要だった。最初に掘り返したタンクの内容物がガソリンだったため二度手間となったが、蛮刀2本で氷とコンクリートを割ってタンクを引きずり出す僕を〝しらせ〟乗組員だった4名は大きな口を開けて見ていた。
「……なるほど、確かにバケモノだ」
沢口さんの呟きは聞かなかったことにする。今の僕なら指先でお前なんかひねり潰してやるぞ、と行町の呆気にとられた顔を見て言った。
「給油口は?」
「あ……こっちだ」
掘り返したガレキと氷を積み上げて船舷との段差をなくし、甲板で待つマリアにタンクを押さえていてもらうと、僕はそのまま船に飛び乗った。
「漏斗みたいなものはないか?」
「普通はタンカーから直接給油するからな。携行缶に分けていれるか?」
そんな呑気なことをやってる時間はない。大陸まで18~20時間はかかると踏んでいた。
「じゃあ、これを使うぞ」
「あっ、待て……」
制止する行町を無視して引きちぎった汽笛の中心部を取り去り給油口に突っ込んだ。お国の所有する船を壊しても捕まらないのはこんな時ぐらいのものだろう。表情を歪める行町にそれを渡して指示を出す。
「ちゃんと押さえててくれよ」
ほぼ満タンの500キロリットルタンクを担ぎあげて〝しらせ〟への給油が始まった。燃料の内庄が大きく吐出口が小さいため脈動が起き、軽油が跳ねて行町の顔にかかる。いい気味だ、とは思ったが些か効率が悪過ぎる。僕は片手で蛮刀を抜くとマリアに渡し、タンクの反対側に穴をあけてもらった。
「よく慣れているんだな」
沢口さんが感心したように言った。
「その言い方はマリアに失礼です。彼女は自分の意思で僕達に協力してくれているんです。なっ」
こくりと頷くマリアを見て、沢口さんは手にした携行缶を取り落とす。一歩が黒い唇の端を持ち上げて笑っていた。
〝しらせ〟のエンジンがかかった。
「上陸してホモローチの本拠を潰すのは僕達だけでやります。船を動かしてくれる方が居れば結構です。アークに戻ってください」
僕のその提案に沢口さんは首を縦に振らず、行町もまたそっぽを向いていた。汽笛のなくなった〝しらせ〟は静かに出航する。通信用のアンテナだろうか、左半分が折れ曲がってはいたが、未だ船の最高部に位置するそこに、偵察に行っていたサイトが降りてくる。彼女の報告を聞くため、そして僕なりに戦況を見るために船橋ブロック裏手の梯子を上って行った。




