Elopement(所の出奔)
吹き荒れるブリザードの中、モーター音が段々と小さくなって行き、軽トラック型EVコンヴァージョンのクローラはその進行を停めた。
「ここで、車は乗り捨てましょう。低気圧が停滞していて天候の回復は望めません。充電を待つ間に数十キロは進めます。我々もローラーブレードを持ってくるんでしたね」
伊都淵がソーラーパネルに積もった雪を払いながら言った。
「あれを使っての移動は雄一郎やタケ坊の若さがあってこそ可能なのだろう、私達には無理だ」
荷台のシートを剥がしたカジは荷物が詰められたリュックを伊都淵に渡す。
「お言葉ですが、私はまだ五十二歳になったばかりですよ」
「強がるな、彼等から見れば充分に年寄りの仲間だよ」
「はは、違いないですね」
伊都淵の言葉に『違いねえ』が口癖だったかつてのパートナー、小野木淳一をカジは思い出していた。彼の遺志は農園で育った少年達に、そしてこの伊都淵にと受け継がれ、今また新しい世代へ伝えられようとしている。名を残すことなく潮流のみを置土産にこの世界を去っていった丈の父親の面影がやけに近く感じられていた。ふたりは全く摩擦抵抗のなくなった高速道路を歩き始めた。若いメカニックが好んで着そうなぶかっとしたツナギをフードのついたコートの下に着込み、何度もソールを取り替えたエンジニアブーツを履いた、よく似た体系のふたりだった。カジの白髪も伊都淵の広い額も正の妻かおりが編んだニットキャップで覆われ、遠目には見分けがつかない。
「勝算はあるのか? 話し合いに応じる相手とも思えん。タケ坊も言っていたが、相手の兵力規模も装備もわからぬまま、ふたりで飛び込んでゆくつもりではないだろう?」
「いえ、たったふたりだからいいのです、このしょぼくれた姿を見て重火器を持ち出してくることもないでしょうしね。作戦らしい作戦などなにもありません。下手に計画を練らないほうが臨機応変な対応ができるというものです」
さらりと答える伊都淵だった。
「なるほど、そうかも知れない。しかし早いもんだな、月日の流れというのは。君が我々の私設ボランティアに合流してもう十五年、色んなことがあった」
「止めましょうよ、昔話は。なんだか辞世の句を聞かされているような気になります。私は雄一郎君もあなたも、勿論私自身も生きて杜都市に戻るつもりでいます。多少の犠牲は払わねばならないでしょうがね」
高速道路が思ったより起伏に富んでいて、思ったよりも曲がりくねっていないことを知るには、舗装や設備の修繕を行うための仕事に就いている、つまり自分の足で歩いたことのある人々にしかわからないのかも知れないな。長いまっすぐな登り坂を見上げて伊都淵は思った。
梓へ
私がいかに世慣れていない男だったかを知ったよ。手紙の作法さえ知らない。
こんな時期だから許して欲しい。いや、こんな手紙一通で君に別れを告げることに許しを乞うべきなのだろう。そして君の夫として至らない男であったことを詫びたい。思えば結婚して以来、君を旅行に連れていったのは学会を兼ねたモントリオールとブリュッセルだけだった。さぞや不満もあったろう、と今更ながら反省をしている。
ついに最後まで言葉に出来なかったことがある。それは十五年前、伊都淵に指摘されたことだ。私は君のとっての絶対神であろうとしたばかりに、君の女性である部分を尊重していなかった気がする。謝罪ばかりになってしまうが、君には絶え間ない感謝を送り続けていたことを覚えておいて欲しい。
君は止めたが私は行かなくてはならない。今や君にも伊都淵にもトコログリアを精製する能力があり、私がいなくても人々が窮することはない。しかし伊都淵にもし何かあれば、人々は心の支えを失う。私の身柄と引き換えに鈴木君の解放を暫定国家に頼んでくるつもりだ。心配は要らない、暫定国家が私に何をさせようとしているのかは定かではないが、恐らくは連中のためにトコログリアを精製させようというのではないだろうか。だとすれば命まで取られはしまい。それに科学者が居るのであれば、彼等が成分構成を知った時点で私は用済みとなる。遠からず解放してくれるだろう。
川崎君達に話せば、きっと引き止められはずだ。だから黙って出てゆく。小野木君や鈴木君ほどの若さも体力もない私だ、クローラを借りてゆくことを詫びておいてくれないだろうか。必ず、どこかの高速上に置いて行く。楽をしたいがためではない、一刻も早く鈴木君を解放してもらうためだ。屈強な若者の多いここだ。連れ戻されないよう、少し細工をしておく。
創太郎
通常回線を用いた暫定国家元首一松の要求は中ノ原でも受信されており、リアルタイムではなかったが所創太郎の耳にもはいっていた。彼の行動が、それを受けてのものであることを梓は悟った。
就寝中でも急に起き上がり、『思いついたことがある。外で考えてくる』とラボを出て行くことのある所だった。荷物も持たず、ぷいと寝室を離れた彼を梓は特に変だとも思わず、戻らない創太郎を待つうちに机にもたれかかって眠ってしまい、目覚めた朝、白衣のポケットにいれられた封筒に気づいた。
ラボの階段を駆け上がり、手袋をしてないことも忘れアークのシャッターを叩く。みるみるうちに赤く腫れ上がって行く両手の肉が裂ける前にシャッターは開かれた。
「梓先生じゃないですか、こんな時間に一体どうしたんです?」
川崎誠が寝惚け眼をこすりながら顔を覗かせる。
「創太郎が出ていったの! 鈴木君の身代わりになるって」
「なんですって!」
所の出奔を聞かされた誠は一気に眠気が消し飛んだ。カーキ色の防寒着を引っ掴んで自分の部屋から取って返すと「クローラで所教授を追いかける」と夜警のスタッフに告げた。スタートボタンを押すクローラに反応はない。〝READY〟のまま放置し、バッテリーを放電させてしまってある。
「誰が一体……」
〝細工をしておく〟そう置き手紙にあったことを梓は思い出す。
「創太郎だわ、きっと。お願い、伊都渕君に連絡をとって」
衛星電話に呼び出しのランプが灯る。伊都淵はマスクを外して受話器を顔に当てた。切迫した様子の梓の声が聞こえてくる。ただならぬ様子にカジも足を止めていた。
「――なんだって? いつのことだ」
――昨夜よ。お願い、なんとかして。
「君に頼まれるまでもない、命に代えても連れ戻してみせる。鈴木君も、所もな」
――伊都淵君……
「ああ、悪い。言葉のあやだ。心配するなって、あれ以来やってみたことはないが、俺の力は知ってるだろう?」
梓の眼前で手も触れずに2トントラックを横転させた光景が蘇る。伊都淵は幾つかの脳細胞と引き換えに幼女の命を救ったことがあった。
「そろそろ関東圏にはいる。衛星でこっちの動きを感ずかれたくないんでな。切るぞ」
――お願い、無茶だけはしないでね。
「わかってますって、所教授夫人」
「なにかあったようだな」
上空が完全に分厚い雲に覆われ、通信は切れた。ふうと息を洩らす伊都淵にカジが問い掛けた。
「ええ、所が鈴木君の身代わりになると言って暫定国家に向かったそうです」
「彼は君の同級生だったな、すると五十二歳か。無茶な中年男達だ」
「ははは、こんな世界です。普通じゃ生きていられませんよ。先を急ぎましょう」
「うむ」
あのクローラの航続距離はせいぜい200kmといったところだ。暫定国家までの距離の半分しかない。伊都淵は、ひしひしと押し寄せる不安を胸の奥へと追いやり、足取りに力を込めた。




