Seeds of uprising(或る蜂起)
「申し訳ありません、こんなことになってしまって」
雄一郎に食事を届ける役目となった関谷が声を落として言った。
「所教授がここにおいでくだされば、鈴木さんを解放すると元首は言っておられます。何故、連絡を拒まれるのですか?」
雄一郎から奪った衛星電話で所への接触を試みた暫定国家だったが、伊都淵の設定したスクランブルが、その回線を繋げることはなかった。そして雄一郎は通信を拒み続けていた。
「私に申し訳ないと思った時点で、君はその答えを見つけているはずだよ。しかし凄いな、ここの食事は。囚人にまで温かいスープを振舞ってくれるんだから」
雄一郎の声に悲壮感はない。微量ではあったがP300Aを脳細胞に吸収しきっていた彼は、この拘束が見た目ほど厳重なものではないと思い始めていた。例え閉ざされた檻の中でも知性が成長を続けることを悟っていた。発電機能のない状況で右腕の稼働時間は限られてしまう。電池の消耗を抑えるため、食事も用足しも左手だけで行うようにしていた。
「おいっ! いつまで喋っている。飯を置いたらさっさと行けっ」
パイプ椅子に腰掛けた見張り役の警察官が立ち上がって怒鳴った。雄一郎は警察官に意識を向け、時間をかけて酸素供給の神経伝達回路を探し当てて断ち切る。伊都淵のような手際の良さはないが、警察官はどさりと椅子に倒れこんだ。
「えっ?」その音に振り返った関谷は驚きの声を上げる。
「何をしたんですか?」
「話の邪魔にならないよう、少し眠ってもらった。2~3分もすれば目が覚めるはずだ」
続いて室内の監視カメラを塞ぐようにして立つと、雄一郎はステンレス製の格子を掴んでぐにゃりと曲げる。「あっ!」再び声を発しかけた関谷に、雄一郎は口の前に人差し指を添えて「静かに」と伝える。関谷はごくりと唾を呑み込むように喉を上下させた。
「あなたは何を考えておいでなのですか?」
「まだ、考えはまとまってないんだ。こんな面倒なことをしなくても、その気になればドアハンドルを捩じ切ることだって出来る。だが、今ここを逃げ出したところでローラーブレードは取り上げられている。たいして遠くに行かないうちに捕まってしまうだろう。交戦はできない。東北のカリスマは人を傷つけることを好まないからね。誰一人怪我させることなくここを出て行く方法が見つかれば、その時は勝手に出てゆくさ」
雄一郎は曲げた格子を元の位置に戻しながら言った。
「元首の暫定国家設立宣言以来、ここの兵力は増加の一途をたどっています。どこで生き延びていたのでしょうか、中にはかなり右寄りの連中も居て、暫定国家の方針に疑問を持つ隊員はどんどん少数派になってきています。9.02以前、本当に自衛官や警察官だったかもわからないような連中にまで武器を持たせているんです」
「人間はしぶといな」
生存者の捜索中、なかなか探し出せなかった人々が、例え食事や住居のためとは言え姿をあらわし始めたことに雄一郎の口元が綻ぶ。
「笑い事ではありません。国家は彼等を所教授の拉致や東北の制圧に向かわせようと考えているんです」
制圧か、また無資格医療行為ででも摘発しようというのか。しかし、その憤りが言葉になる前に冷静な思考が舞い降りる。
「それは賢明な考えとは言えない。地下で潜んでいるだけならともかく、トコログリアなしで数百キロの移動は無理なことくらい何故わからない。この国の座標が大きく動いたことを信じてないから、そんなことを考えるのだろうが、あれだけの科学者が居て、どうして誰も伊都淵さんの説を確かめようとしないんだろう」
「こうなる以前より国の考えは変わりません。権力に取り込めないものは全て反逆者だとみなされます。反逆者の考えを肯定すれば、その者も同様の烙印を押されます。それを恐れているんでしょうね」
「……馬鹿げた話だな。とんだお山の大将じゃないか」
「確かに」
こんな状況にも関わらず、ふたりは顔を見合わせて笑った。
「誤解のないように言っておこう。我々に明確な思想はない。ただ、持つ者が持たざる者に与え、強き者が弱き者を守る。その理念に従って行動しているだけだ。庇護を求められれば受け入れるがなにも強制はしない。その体系が完全に構築されるまで、国家は不要だと伊都淵さんは考えている」
「おいっ! いつまで――」
気を失っていた警察官が起き上がっていた。
「今、行きます」
去り際、関谷は意図をもった視線を雄一郎に送っていた。
「ですが、隊長も元首の言動には疑問をもたれていたではないですか」
「馬鹿者! 衛生科のお前はどうあれ、中央即応連隊の我々は防衛大臣……今は元首の直轄の部隊だ。その我々がクーデターを起こすなど有り得ん! 反逆者の口車に乗せられたのか、お前は」
隊員詰所として与えられた部屋は8名の大部屋がふたつ、一松や科学者達が同じ広さの部屋を個室として占有していたことを考えれば、冷遇ともいえる扱いだ。隣室に、或いは廊下に洩れぬよう潜めていた声がつい大きくなってしまう。室内にカメラはなかったが、病的なほど細心な一松がなんらかの監視網を敷いているのではないかとの危惧がある。相良二等陸尉は、暫定国家に従順であることの表明に刻苦する。
「武力行使をしようというのではありません。鈴木さんが脱出されても捜索を送らせていただければいいんです。陸尉は彼等の行動を間違っていると思うんですか? 国家がなにも出来ない頃から彼等は人々を救出し、住居と食料を与え、あのバケモノから守っていた。本来、我々がすべきことではないのですか」
「我々の任務は我が国の平和と独立、そして安全を保つことだ。一市民の保護ではない」
「市民が居なければ国なんかないも同然じゃないですか!」
「衛星が機能していることを忘れるな、彼の足取りと違う場所に我々が向かえば、即座に背信行為だとわかってしまう。もう黙れ、これ以上、つまらんことを言うようならお前も営倉にはいってもらうことになるぞ」
関谷はやり切れない思いで部屋に居た隊員達を見回した。相良を含む9名全員が雄一郎からトコログリアの処置を受けた顔ぶれだ。関谷の視線は顔を背ける隊員達によって行き場を失っていた。
「失礼しました、関谷陸士長、退室します!」
握り締めた拳を震わせ、歯噛みしたくなるようなジレンマに耐えて関谷は部屋を出る。勤務担当の場を与えられた医務室に戻ろうとした彼を数名の警官隊が取り囲んで言った。
「関谷陸士長、いや、関谷元信。たった今、元首よりその任務を解かれ、国家反逆剤で逮捕する」
僅かに開いたドアの隙間からその様子を眺めていた相良は「言わんこっちゃない」といったように首を振り、もの問いたげな視線を向けてくる隊員達を見返した。