Raid(襲撃)
数体の第二世代が大きな氷柱を抱え、氷のシャッターに叩きつけている。まるで堅牢な城門を突破しようとする中世の兵士達のようだ。顔の横が大きく張り出したボス格の1体が指示を出すと、もうひとつのグループがやはりどこからか見つけてきた氷注を抱えて南側のシャッターへと進んでゆく。悲鳴を上げる心肺に鞭打ってたどり着いた今朝発ったばかりのアークを前に、30m程離れた氷壁に身を隠して眼前に繰り広げられる光景を見守る正と村山の姿があった。
「くそっ! 罠だったのか」
「ひい、ふう、みい……でも、思ったより逃げ出した連中は少なかったみたいだな。10体しかいないぜ。あの時はパニクってて多く数えちゃったのかも知れないな。あれなら、俺とムラさんでなんとかなるんじゃないか?」
小銃のスコープから目を離し正が言った。
「そうだな、気づかれないよう背後に回って一体ずつ仕留めて行こう。こちらに向かってくるようなら掃射だ」
しかしアークが襲われた時、第二世代の個体数を数えた正の計算は合っており、ふたりが今描いた目算のほうが間違っていた。アークに意識を向けていた彼等の背後に、10体前後の異形の影が音も立てずに忍び寄って行く。それが進化した異形の知恵なのか、陥穽は二重に施されていた。
「ここでは角度がついて命中精度が落ちる。あそこまで移動しようぜ。弾倉の中は?」
下方に向けての射撃が正確性に劣ることを清水から叩き込まれていた正は、ターゲットとの角度が水平に近くなる氷壁を指し示す。
「30発、フル装填されているはずだ」
村山はマガジンリリースボタンを押して中を確かめた。
「衝撃波に生き延び、極寒に耐え抜き、第一世代をやり過ごし、ようやく生活を立て直せると思ったら、これか……神も仏もあったもんじゃないな」
「それでも祈ろう。諦めの悪さは美徳だと、神に知らしめてやろうじゃないか」
「よっしゃ!」
身体を起こしたふたりはゴロゴロという重低音に気づく。目深に被ったニットキャップのせいで、どうしても物音への反応が遅れる。100mほどの傾らかな斜面をコンクリート電柱ほどの氷注が転がり落ちてきていた。
「危ないっ!」
逃げ遅れた村山を突き飛ばし、かろうじて第一波を飛び越えた正だったが、氷注の落下は止まない。でこぼこの台地を歪な円注形をした氷注が転がってくるのだ、その軌道を読むことは不可能だった。15mはあろうかという氷注は広範囲に渡って落下してくる。四本目を飛び越えたまではよかったが、5本目で正の身体は跳ね飛ばされた。
地面に叩きつけられた衝撃で小銃が手から離れる。「ムラさんっ! 大丈夫かっ」声を上げ、突き飛ばした村山を見るが意識を失ったように動かない。氷注の波状攻撃が止むと、斜面の頂点で不気味な咆哮が上がった。小銃に手を伸ばそうと身体を捻った正の右足に激痛が走る。
「やべっ、折れたか」
出血はさほどでもないが、上体の支えにはならない。両腕だけの匍匐前進で数メートル先の小銃を目指す。激痛に気が遠くなりかけるのを意思の力だけで堪えていた。小銃のスリングに手が届いた正はそれを手繰り寄せながらアークのほうを見やる。幾重にも作りこまれた遮蔽壁のお陰で全ての氷柱がヒットしたようでもなかったが、正面地上2メートル付近の外壁にクラック(亀裂)がはいっているのが見えた。
――あいつ等が気づいたらマズイ、正は掃射でこちらに注意を引きつけようとした。しかし小銃はレシーバーカバーが潰れコッキングハンドルが引けない。よく見ると銃身も曲がっていた。
「ちっくしょー! 万事休すか」
アークを囲んだ第二世代は攻撃の手を緩めない。嫌な音がしてシャッターが悲鳴を上げ始めていた。実はBLBは唯一とも言える弱点がある。連続する打撃に弱いのだ。津波や雪崩のように間断なく押し寄せる質量には上手く衝撃を逃がしてくれない。勿論全てが凍りついてしまったこの世界で津波の心配がないからこそ伊都淵はアークの建造に使うことに踏み切っていたのだ。第二世代がそれを知っていたとは思えないが、こうして正が考えている間も、氷中を打ち付けることを止めない。
「ムラさんっ! 頼む、起きてくれっ」
呼べど反応のない村山の許まで這って行くうちにシャッターは破られてしまうだろう。傾斜面の頂上で聞こえていた咆哮も近づきつつあった。
ダダダダッともパラララッともつかぬ音がして、一体の第二世代が斜面を滑り落ちてきた。アークから撃って出たのだろうか? 視線を振った先、アークの状況は変わらない。銃声らしき音に第二世代のシャッターを打ち付ける手が止まる。再度、セミオートで発射される音がして、5~6体の第二世代が落ちてくる。どの個体の身体にも銃創があり、呼吸を止めていた。
うわっ! 臭え! でも誰が? 見上げる正の目に、白い防寒衣を身にまとった自衛官の姿が映った。
「清水だ! いま、下りてゆく。撃つなよ」
戻ってくれたのか――地獄に仏とはこのことだな。正は丸めていた身体を氷の上に投げ出した。斜面を駆け下ってきた隊員達はアークを取り囲む第二世代へと向かって行った。
「寿命が縮みましたよ。本田さんもムラさんも居ないし、住民は震え上がっちゃって誰も銃を取ろうとしないしで」
〝しらせ〟乗組員だった自衛官の手でアーク内へと運び込まれた正に、飯沼が駆け寄って言った。恨みがましい目をアークの隅に固まって身を震わす人々に向ける。どの顔も怯えきっており、視線を合わせようともしない。民間人である住民に、たった一度きりの射撃訓練で第二世代を迎え撃てというのが、そもそも無理な話だったかもしれないな――正は新沼に「彼等を責めるんじゃない」といった感じで首を振ってみせた。足を診ていてくれた隊員に訊ねる。
「ムラさんは?」
「頭を強く打って気を失っているようだ。あの突き飛ばし方じゃあな。ヘルメットは置いてってやったろう?」
沢口という海士長が口の端を持ち上げて笑い、村山にかけられた毛布を肩口まで引き上げて答える。
「こいつは死んだ女房の手編みなんだ、ムラさんのもそうだ」
愛おしそうにニットキャップを見つめていた正が頭に被り直す。
「そうか……知らなかったとはいえ、悪かったな」
「いや、構わねえよ」
アークの中に清水三尉がはいってきた。
「三体、取り逃がした。我々は南極基地へ物資を運ぶのが任務だ。決して戦闘が専門な訳ではない。しかし、三体ぽっちでは再びここを襲おうとはすまい。他の居住区に武器は配り終わったのか?」
「ああ。あいつ等、ズル賢い奴等だぜ。あんた達が発ってもすぐに襲ってこようとはせず、俺とムラさんがここを離れるのを待ってやがったんだから」
「それは帰投する船上でも経験した。挟み撃ちだけでなく、ああして氷注を作り、それを武器にすることまで覚えたようだな。油断ならん奴等だ」
「前の黒い奴等なら音波だけで追い払えたんだけどな。でも、どうしたん? 氷が溶けてて海を渡れなかったとか?」
正の問い掛けを受け、隊員達は互いに顔を見合わせる。その様子から、なにか想定外の出来事があったのだと正は察知した。少し間があって清水三尉は重々しい口調で帰還の理由を告げた。
「トコログリアなしでの氷中行軍は無理だった。二度目のブリザードに襲われた地点では氷穴を掘ってしのぐ場所もなく、隊員三名が命を落とした。残った隊員まで死なす訳には行かない。我々は撤退を選択せざるを得なかった。暫定国家は何故、迎えに来てくれないのだ」
隊員の命を守れなかった指揮官の顔が悲痛に歪む。
「来れやしねえよ、あっちだって一個小隊が生き残っただけだそうだもん。しかもその暫定国家に居る連中でトコログリアの接種を済ませたのは、たった九名。考えてもみなよ、この国全体が南極の座標にあるんだぜ? 東京だろうが十州道だろうが気候に変わりはない。日本中が氷点下20℃以下で交通手段もない。お偉い方々のこった、自治体を装ってちゃっかりロハで調達したBLB、あれで作った怪しげな建物から外へは出てないんじゃないのか? 海の様子だってわかってないんじゃねえの?」
「そういうことか……」
「あんた達、あの放送は聞いたのかい?」
「うむ……」
清水の声には、どこか煮え切らなさが感じられる。
「それで?」
「それで、とは?」
「おかしいと思わなかったのか? 今の今まで生存者になんにもしてくれねえで、衛星が使えるようになった途端、国家の機能を取り戻そうと、あんた達や医者、専門技術のある人間だけを集めようとしてる。しかも『来い』てんだろ? 元首だかなんだか知らねえけど、家来じゃねえってんだい、俺達は! いててっ」
「脛骨が折れている、じっとしてろ」
興奮して身体を起こそうとする正の上体を沢口が押さえつけた。
「全隊員、外へっ!」
清水が号令をかける。
「大人しくしてろよ」
そう言い残して沢口も立って行った。