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Folly(愚行)

 出発の準備をする僕に、真柴さんが申し訳なさそうな顔をして言った。

「君が急いでいるのはよくわかるが、彼等がどうしても暫定国家に行きたいと言っている。中ノ原まででいい、先導してやってくれないだろうか?」

真柴さんの後ろにはこれ以上ないくらいに着膨れした八名の男女が立っていた。遅れてこのコミュニティに加わった人達だった。

「しかし……」

 今は悪天候ではなくても、いつ吹雪になるかなんかわからない。プラスマイナス1℃の誤差で外気温を測定できる僕の体内温度計は氷点下28℃を指している。皇居跡まで、ここから600kmはある。とうてい体温調整も出来ない人々が辿り着けるとは思えなかった。賢明な真柴さんらしからぬ判断だ。真柴さんが声を潜める。

「君の言いたいことはわかる。彼等ではおそらく鵜飼県にさえ到達出来ないだろう。そう我々も説得したのだが……」

 彼等が聞き入れなかったのか――表情に苦悩を滲ませる真柴さんにこれ以上、辛い思いはさせたくない。僕は彼の提案を受け入れることにした。

「わかりました」

「すまない」

 僕は雪ダルマのようになった八人の前に歩み寄って言った。

「案内出来るのは中ノ原まで、およそ200kmの行程です。僕ひとりなら今日中に行ける距離ですが、あなた方を連れて行くとなると三日はかかります。せめてトコログリアの到着を待って、接種を済ませてからの出発にされたらいかがでしょう?」

「暫定国家に人達はそんなものなしでも平気なんでしょう? 待ってる時間が勿体ないわよ」という声に混じって『三日で行けるのか?』『一日70km近く歩けっていうの? あの軽トラは貸してもらえないのかしら?』彼等の中からそんな声が上がる。この人達はそんな簡単な計算もしないままに、ここを出ようとしていたのか――僕は正直呆れていた。

「高速道路の高架橋に崩落箇所はありません。食料も中ノ原で多少はお渡し出来ると思います。ただ、どこかで『これ以上、進めない』とおっしゃられても迎えにきてもらえるなんて甘い考えは持たないで下さい。クローラも無線機も、どこかで頑張ってらっしゃる生存者捜索と救出のために使われるのですから」

「わたし達だって頑張って生き延びたわよ! 助けてくれたなら最後まで面倒を見るべきでしょ! あなた達には私達を安全な場所まで連れて行く義務があると思わない?」

 顔中、風呂敷か何かでぐるぐる巻きにしており人相は判然としなかったが、この声は越野さんだ。小さく「そうだよ」という声も聞こえる。

「9.02以前、僕はただの小学校教師でした。警察官でも自衛官でもない僕にそんな義務はありません。あなた方をここに連れてきて、食事と安心して眠れる場所を提供してくれたのは誰なんです? 何故、ここが不満なんです? 真偽さえ不確かな放送を信じてここを出ようとするあなた方を引率する僕の移動速度はバカバカしいほど遅くなります。どこかで助けを待ってる救えるはずの命を救えなくなる可能性だってあるんです」

 僕の言葉にふたりの男性が取りやめを表明した。越野さんが「ちょっと、あんた達、なにがあっても行くって言ってたじゃない!」と非難を送るが、彼等は『間違ってました、すみません』と真柴さんに頭を下げてアークに入っていった。

気持ちはわからなくもない。よりよい明日を求める、それが人間の向上心というものだ。だが、それは勝ち取るものであって誰かが与えてくれるものではない。誓って言うが、僕はおばさんだからといって冷たくしているのではない。現に佐伯先生のところに引き取ってもらった四名の女性は全員が五十代だったし、なおも移動の意思を捨て去らない人々のうち、ふたりは若い女性だったのだから。僕は伊都淵さんを呼び出して事情を伝えた。彼の返事は「やむを得まい」だった。

結局、翻意をしなかったのは6名、越野さん一家(気の弱そうなご主人とふたりの娘)と三十代前半の小田という男性、二十代半ばくらいの男性山口さんという顔ぶれだ。出来ればもうふたりほど考え直してくれると良かったのだが仕方ない。彼等を率いるのにローラーブレードは履いていられない。僕はエンジニアブーツに履き替えた。

「出発します」

 僕は真柴さんに会釈をして足を踏み出した。


 二時間も経たないうちに越野さんの娘が音を上げる。

「もう無理っ! 足が痛くてたまんないの、テントと食料しか積んでないんでしょ? ちょっとでいいからあれに乗せてよ」

 彼女は僕が引くホバーを指差して言った。

「君を乗せれば『次は私、次は俺』ってなるんじゃないか? 中ノ原から向こうはその足で歩くしかないんだ。甘えないでくれ」

「なによ、偉そうに」顔に巻いた布切れで表情はわからないが、膨れっ面になっていたはずだ。見かねた父親が「咲子、おぶってやろう」と声をかけた。そんなことをすれば、ただでさえチンタラした行軍の速度は更に鈍ってしまう。咎めようとする僕が口を開く前に「誰があんたなんかに」と、娘が拒絶を吐いた。咲子と呼ばれた娘はわざとらしく足を引き摺りながら歩き始めた。

「少し休ませてくれないか? 足の感覚がなくなって……」

 今度は11km地点で小田さんが僕に肩を並べかけてきて言った。

「戻ったほうがいいんじゃないですか? まだ10kmちょいしか進んでないんですよ。中ノ原まででさえ一日16~17時間、三日間歩き続けていただくことになります。天候が崩れれば、それが四日間にも五日間にもなるでしょう。休憩を多くとれば睡眠時間が圧迫されます。それを後約590km、歩き続ける自信がありますか?」

 こうなる以前、凍え死にしかけてた生徒のためにトコログリアを求めて避難所を出た僕は自分の居る場所さえわからなくなり数時間で氷像になりかけていた。いや、雄さんに発見されなければ間違いなくそうなっていた。トコログリアもバイオナビ機能もなしの彼等だ。真柴さんの言う通り、皇居跡はおろか、県境を越えることさえ覚束ない。このまま氷中行軍を続ければ中ノ原までに半数は命を落とすはずだ。

「戻りましょう、真柴さんは『退くことも勇気だ』と言ってらしたわ。これ以上、小野木さんに迷惑をかけることはできない」

 僕は、あの越野さんの娘らしからぬ発言に驚いていた。これはホバーに乗せろと言った我儘娘ではなく優子という妹のほうだった。同じ遺伝子を受け継ぎ、同じ家庭に育っても、こんな違いをみせるのは何が影響するのだろう? 彼女を良く知らない僕にとって、これは想像でしかないが、優子ちゃんは家族内での多数決に押し切られてこの氷中行に参加したのではなかったろうか。

「そうしよう、なっ」

 ご主人の説得に越野さんの奥さんは力なく頷いた。他の面々も疲労困憊しており、誰ひとりとして異を唱える者はなかった。

「意見はまとまりましたか?」

「はい、ご迷惑をおかけしてすみません」

 優子ちゃんがよく通る声で一同を代表して詫びる。

「では、全員、そのホバーに乗ってください」

 ホバーのキャパシティは500kg。見る限り70kgを越えるような体格の持ち主は居ない。彼等が乗り込むのを待つ間に僕はローラーブレードに履き替え「振り落とされないようにしっかり掴まっていてください」と言ってから氷の台地を蹴り始めた。


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