Tyrant(暴君)
『これは現存する全ての国民への通達である。本日、この放送をもって日本国暫定国家設立を宣言する。全ての国民は、国家の指揮下におかれ、土地、家屋、物資など全ての財産権は国家に帰属するものとする。だが、これは既得する全ての所有物を奪うものではない。可及的速やかに国家に申請さえすれば一定の条件下において継続して所有を認めるものなり。現在、国家は被害状況の把握に専心中であり、支援のあり方についても日夜検討を重ねている。従って一部の市民が国家の意思に反して多数を煽動することは認めず、それに従うことも許されない。この通達に従わない場合は、国家反逆罪が適用されることになる。国家の保護は与えられず、敵性市民として厳罰に処するものなり。一切の例外は認めない。 なお、今後新たに制定される法律は、この周波数による放送をもって制定・施行されるものとする。日本国暫定国家元首 一松道彦』
『元首宣言を補足する。現在、日本国暫定国家では医療技術のあるもの、各種エンジニア、自衛官、警察官を広く求める。採用されたものは優先的に住居と食事が供与されることとなる。採用場所は北緯22度東経114度、若しくは皇居跡にて随時を検討する。日本国暫定国家統合本部司令官 真壁康文』
「いったいぜんたい、なんなんだ、これは……」
僕がこの玉音放送気取りの声明文を聞いたのは、遠藤・中島両名の派遣に応じてくれた真柴さんへのお礼を告げようと寄った彼等のアークでのことだった。衛星通信、CB無線、短波無線と、全ての回線で流されているようだ。
「いつものことだよ。混沌が収まりかけた途端、権力の座に登ろうとする者が現れる。おっと、第二世代の脅威が残っていたな。『収まりかけた』は聞かなかったことにしてくれ」
真柴さんが僕に顔を振ったので「はい」と頷く。
「例の中央即応集団が残っていて、〝しらせ〟の連中も、このインチキ臭い政府に合流しようとしているんだろう? 防衛大臣の一松か、バリバリのタカ派だったな」
「ええ、一松は民自党正志会の会長でした。国民を二ヶ月半も放ったらかしにしといて、よくこんな好き勝手が言えるもんだ。どさくさ紛れにトップに就いておいて、なにが元首だ」
眼鏡屋が営業してないこの世界では当たり前の話なのだが、池田さんがかけた眼鏡のレンズは僕達がここを発った時よりヒビが大きくなっており、なんとも見づらそうだ。彼は怒りも露わに吐き捨てる。住民たちから「そうだ、そうだ」のシュプレヒコールが沸き起こった。
「どんな発言をしようと叩くべき世論がない。そう考えると、あのハイエナみたいなマスコミも独裁者を生み出す抑止力になっていたのかもしれないな」
真柴さんの言葉には諦念が滲んでいるように感じられた。
「知らんぷりしてればいいじゃないか。わざわざ、こんなところまでは連中も来やしないだろう」
「そうは行かないわ、衛星が機能を取り戻したのなら分光解析で生存者がどこに居るかわかってしまう。銃を持った連中に押しかけられたら対処のしようがないじゃない」
斎藤さんのお気楽な発言を成美さんがバッサリと切って捨てる。ただ、そう言いたくなる気持ちはわかる。極寒、餓え、ホモローチの脅威になにひとつ救いの手を差し伸べてはくれず、生存者がそれぞれの努力で生活を立て直そうとしている時に、後からやってきて『はい、あなたは我が国の国民だから国家に奉仕なさい』とか言われて『ああ、そうですね』という人も居ないだろう。だいたい伊都淵さんが鳴らした警鐘に国がなにがしかのアクションを起こしていれば、ここまで惨憺たることにはならなかったのではないだろうか。だが、これについては僕も大きなことは言えない。なにせ、母にうるさく勧められてやっとトコログリアの接種を受けたのだから。
「エンジニアは重用してもらえるってよ。成美ちゃん、行かないの?」
「行かない」
五十年配の女性の問い掛けに成美さんはキッパリと意思表示をされた。以前にはいらっしゃらなかった人だ。僕達がここを去ってから仲間に加わった方なのだろう。
「だって第二世代には音波もハーブも効かないんでしょう? 自衛隊が居るところなら安心じゃない」
今度は、成美さんは返事もしなかった。この年代のお節介は世界がどうなろうと普遍らしい。
「越野さん、大丈夫だってば。この丈君が居てくれればホモローチの百や二百、きれいさっぱり追い払ってくれるよ」
越野さんと呼ばれた中年女性は僕に訝しげな視線を向ける。僕の見世物的デモンストレーションを見てない人の目には、単なる頼りない青年としか映らなかったのだろう。そして斎藤さんは僕が中ノ原市に向かう途中であることをご存知なかった。僕としてもそうしたいのは山々だが、伊都淵さんは建造にかかる前のアークを放っぽりだしてでも戻れ、と言っていた。かなり差し迫った状況なのだと考えられる。
「航路が開かれたのは東北以北だけです。しかも連中の渡航手段は手漕ぎボートと来ている。これは僕の推測ですが、あんな偉そうなことを言うくらいだし国は自衛隊員や警察官を海岸線に配備するのではないでしょうか? だとすれば、ここにホモローチの脅威が及ぶことは当分ないだろうと思われます。実は僕、伊都淵さんの依頼で中ノ原に戻るところなんです」
僕の目算は間違っていた。大層に暫定国家などと呼んだものの、兵力も装備も雀の涙程度だったことを後に真柴さん達は知ることとなる。
「なんだ、そっかあ。心配して損しちゃったな」
「斎藤さん、危機への備えは肝要です」
真柴さんがピシリと釘を刺す。
「そ、そうだよね、やっぱし」
この斎藤さんは真柴さんの上司だったらしく明らかに年長でもあるのだが、こんな遣り取りを見ている限り、さほど頼り甲斐のある上司でもなかったのでは? と思ってしまう。癒やし系キャラとして充分に機能なさっておられたのだが……
「国がどう言おうと我々は我々のすべき事をする。今まで通り、生存者を探して保護をし、トコログリアの接種を勧める。新たにアークを作ろうとする人々が居れば出来るだけの助力をする。反対意見があれば遠慮なく言って欲しい」
僕が女性だったら惚れてしまいそうな真柴さんの決意表明だった。越野さんを含む、以前には居なかった十名ほどが何か言いたげな様子だったが、多くの賛同の声に口をつぐまれていた。
「丈君、ちょっといいかな?」
真柴さんは僕を外へと連れ出した。
「寺院跡に派遣したふたりを見ていて思ったんだが、トコログリアには人の感情に敏感になるという作用があるんではないだろうか? 勿論、その人が持つモラルを超えるほどの変化ではなく、なんて言えばいいんだろう。つまり自身の良心に従順になれるって感じかな。医師でもない俺の考察では説得力はないだろうがね」
トコログリアにブーストを効かせたようなP300Aを体内に取り込んでいた僕にはよくわからなかったが、言われてみればそんな気がしないでもない。誰だって人に嫌われるようなことは言いたくもなければ、したくもないだろう。それに気づけば争いを避け、周囲に受け入れてもらえる人間になろうとするはずだ。
「そうかもしれませんね」
「今の話し合いでもそうだったが、未接種の人々の発言は、どうも〝自分さえ良ければ〟的な印象を受ける。こんな状況で他人を気遣えと言うつもりはないが、折角まとまっているアーク内の調和を乱すことは避けたい。すまないが、中ノ原に戻ったら十一名分のトコログリアを融通してはもらえないだろうか? 勿論、彼等が望まない限り、接種を強要したりはしない」
人の上に立つ人間の苦労がよくわかる真柴さんの言葉だった。あの傲慢な放送を垂れ流していた連中に、この人の爪の垢を飲ませてやりたい。なんなら佐伯医師のヘソのゴマでもいい。泰然法師の耳毛でもいい。
「わかりました。あちらにもクローラがありますから、このアークとの中間地点でお渡しが出来るよう、頼んでみます。古都府のコミュニティも足りてないんですよね? 十一名分と言わず、出来るだけ多くを都合してもらうようにします」
「ありがとう」
真柴さんは僕のような若造にでも大きく腰を折って感謝を表明される。9.02以前の人々がなくしていたものを、この人達は持っている。彼等が苦しむだけの未来にしてはいけない。僕にもほんのちょっぴりだが、進んで人の役に立ちたいという気持ちの萌芽があった。