Upheaval(激変)
「行かない訳にはいかないよな」
「そうだな、燃やしたのが31体あったら20体前後が逃げ出した計算になる。他のコミュニティが襲われたら大変だ。清水海尉が置いていってくれた武器を分配しておかなければ」
「留守はどうする?」
正に普段の軽い調子はない。村山の引き算は、さらなるホモローチ第二世代の上陸の可能性を無視したものであること知っていたからだ。
「新沼君に頑張ってもらうしかないだろうな、たった30分ほどだが住民は射撃訓練も受けている。我々が出掛ける前に食料を探してきて備蓄を増やし、防護壁を下ろして立て篭っていてもらおう」
「我々って……たったふたりだぜ? それで20体を相手にするのかよ? キツイなあ」
「小野木君はたったひとりで60体近くのホモローチに囲まれて生き延びたそうだ。しかも丸腰で。同じ人間である我々だ、銃もある。それに奴等が必ず襲ってくるとは限らんさ」
村山は正の肩をポンと叩いて笑顔を作る。ただ、自分自身の言葉が希望的観測であることもよく理解していた。大陸から飲まず食わずで渡ってきた第二世代の目的は明確だった。
「タケ坊か、あいつは普通の人間じゃないぜ」
杜都市のコミュニティで顔を合わせていた村山だ。熊や犬と話す丈が伊都淵に近いものを持っていることは承知している。
「それでも、あの若さだ。長い一人旅や自分の変化に耐えるのはたいへんだったはずだ」
「まあね、ところで村さんの腕はどうなん? こう、160km/hを超える剛速球で向かってくるホモローチを薙ぎ倒すなんて芸当はもう無理なん?」
「わからん。あれ以来、ボールも握ってはいないからな。だが自己暗示という魔法は解けた。今はこいつが頼りだよ」
自動小銃を掲げる村山に頷いて正は立ち上がった。
「今夜の定時連絡で行動予定を報告、出発は明日早朝、だな。住民のみんなの食い扶持に負担をかけないで済むように食料を探してくるよ」
「頼む」
――誰も雄一郎からの連絡を受けてはいないのか。
カジさんの声が珍しく切迫していた。依頼されたトコログリアが揃った旨を伝えようとした伊都淵さんの呼び掛けに応答はなく、この定時連絡会への参加もない。実の親子以上の絆を感じさせるカジさんと雄さんだった。そんな声になってしまうのも無理はないだろう。
杜都市の音声が伊都淵さんの声に変わった。
――丈君、そこの進行状況は?
「基礎工事にかかったところです」
――既存のアークから技術者を借り出していると言ったな、君なしでも建造は可能か?
「ええ、多分」
――だったら君は急いで中ノ原のアークに戻ってくれ、サイトも一緒にだ。
普段の冗談を混じえた口調ではない、伊都淵さんの声にも緊張が張り詰めていた。雄さんが暫定国家というところに居たまではわかっているが、それ以降全く連絡の途絶えてしまっている。軽口を叩く気分になれるはずがない。僕も神妙な声で答えた。
「わかりました」
――すまんが休暇が早まった訳ではない、そう認識していてくれ。所は居るか?
雄さんの捜索に駆り出されるのだろうな、そう思っていた。
――ああ、ここに居る。
――丈君が戻ったら四肢の具合をチェックしてやって欲しい。
――梓に頼んでおこう。
――どうなっちまったんだよ、雄は。
これはターちゃんの声だ、十数年来の友人である雄さんを案じてピリピリしている様子が伝わってくる。
――この状況で判断を下すのは難しいが彼のことだ、きっと無事に居てくれるだろう。なんとしても見つけ出す。鈴木君の事は心配するな。君と村山君の試みも決して安穏としたものではない。今はそちらに集中してくれ。
――わかった。
ターちゃんの声の向こうで『はい』と小さく聞こえた声はおそらく村山さんのものだろう。彼等はたったふたりで他のコミュニティに武器を届けると言っている。
事態は今、大きく動き出そうとしていた。
一番近いアークでも50km以上の距離がある。天候次第では一昼夜歩き続けてもたどり着けるものではない。唯一の交通手段となる犬橇には小銃と弾薬が堆く積み上げられ、正と村山は小走りでの移動を余儀なくされていた。
「キッついなあ、三十路を越えてのロードワークは」
吐息さえ凍りつきそうな氷原を、息を切らして走る正と村山の姿があった。
「それを言うなら私はもう五十に近い。少し休もう」
「賛成」
橇を停めた村山は氷塊にもたれこむようにして身体をあずけた。正もへたりこむまでは行かずとも、それに近い仕草で氷の上に腰を下ろす。崩壊を免れた自動車道を使っての移動ではあったが、猫の目のように変わる天候がふたりの体力を奪っていた。
「どのくらい進んだ?」
正の問い掛けに村山はホログラムマップを起動した。
「これが正確なら28kmといったところだ」
「まだ、そんなかよ。今日一日じゃあふたつ回るのがやっとだな」
「仕方がないさ、クローラでもあれば行程も捗るんだがな」
設計図はたものの、十州道で見つけ出した生存者にそういったエンジニアはおらず、バイクのメンテナンスがせいぜいだった正にもクローラを作り上げる能力はない。橇と徒歩のみに頼る移動手段の限界は低い。
「自衛隊の連中、どうしてんだろうな」
「我々が発ったアークから本州までは300kmある。境界は曖昧になっているが、まだ十州道の南端にもたどり着いてないだろう」
「そっかあ……てゆうか、まだ海は渡れんのか? 氷が溶けかけたから〝しらせ〟も戻ってこれたんだろう?」
「氷が溶けたのは外洋だけだ。海底隧道が通っている場所でさえ100m程の水深しかない。南極の棚氷は200m以上の厚さのものがある。海峡全域がそうなってしまっていても不思議はない。氷河に気をつけさえすれば無事に渡れるだろう」
「そっか、言われてみれば南極大陸の面積って日本の34倍あるんだよな」
「よく知ってるな」
「言わなかったっけ? 俺や雄が一緒に居た農園の話。そこのオヤジが蘊蓄マニアだったんだよ。『お前等、知ってるか?』って、あれこれ偉そうに語ってたんだ。南極の話もそん時に聞いたんだけど、まさかこんなんなっちゃうとはね。何年か前の原発の危機についても言及してた記憶がある。そう考えるとなんだか預言者みたいだったな」
「小野木君のお父さんのことか? カジさんのパートナーだったという」
「そうそう、ミスター無表情のカジさんとは対照的に、やたら落ち着きのないオヤジだった」
「落ち着きがない……というと、つまり多動性障害のような?」
「確かに発達欠陥はあったろうな、あの子供っぽいところは。でも、そうじゃなくってさ、なんて言ったらいいんだろう……人間の感情をあらわすのに喜怒哀楽とかいうじゃん。ジュンさ――タケ坊のオヤジは、それに加えて困惑とか憐憫とか慈しみとで常に表情が変わってたんだ。顔色を窺うなんて出来やしないぐらいに」
「それでは一緒に居て仕事がやりにくかったんじゃないのか?」
「全然。究極の放任主義だったからな、ジュンさは」
話を聞くだけでは丈の父親像をさっぱり描けない村山だった。ただ滅多に見せることのない涙を流す正の様子から、彼等に強く慕われていたことだけは想像がついた。正がポツリと呟く。
「あのオヤジ……好き勝手やって死んでおきながら、葬式もやるなって言ったんだ」
「そうだったのか?」
「ああ。『葬式なんか生き残った者の自己満足でしかない、大事な仕事をほっぽり出して来なきゃならない人の迷惑になる』ってのが生前からの口癖でさあ、だから美代ち……奥さんも俺に知らせてはくれなかったんだ。もっとも、その時、俺はベルギーに居たんだけどね。休憩終了! 行こう」
村山に涙を見せたことが照れくさかったのか、正はすっくと立ち上がって先に走り出して行った。
「おっかしいなあ、奴等どこへいっちまったんだ? 道中も1体も見かけなかったぜ」
正と村山がふたつ目のアークに到着しても、ホモローチ第二世代の気配は感じられなかった。コミュニティの住民も上陸の知らせに怯えた表情を見せたが、姿を見かけた者は誰も居ないといっていた。
「確かに変だな」
「どこかで前の奴等みたく頭が破裂しちゃったのかもよ? タッキーも意外と心配性だから事態を深刻に考えすぎてたとかさ」
「そうであってくれればいいと私も願うが、もしや……」
「なによ?」
伊都淵は『知恵も膂力も第一世代と比較にはならないだろう』と言っていた。自衛隊員がアークを離れるのを待っていたとすれば……
「嫌な予感がする、戻ろう!」