Mislead(ミスリード)
「気味悪い奴等だな、それになんだこの臭いは……」
十名の隊員が〝しらせ〟に向かい、残った隊員と共に異形の死骸を片付ける正がボヤく。強烈な悪臭を放つそれらはトランファー・ジェニックが骨格にまで影響を及ぼしたのか、指先に繊毛が密生した腕が随分と長くなっている。上半身が異様に発達しており、摩擦抵抗の少ない氷の上でもなければ引きずることもできなかっただろう。砂漠に駱駝が適応したように、この異形も食料の乏しい極寒地に適応したようで、ぺしゃんこになった腹部にはなんの消化物も残ってないように見える。長い期間をかけ海を渡ってこられたのは、身体の一部を栄養に変える機能をゴキブリの遺伝子から取り込んでいたからだろう。氷上に放出されたピンク色の体液は変色することもなくジワジワと染み込んでゆく。あまりの悪臭に気分を悪くする住民が続出したため、清水は火炎放射で死骸の山を焼くよう隊員に指示を出した。皮脂――獣脂と言うべきか、それが燃料となった狼煙は〝しらせ〟に向かった隊員達が戻るまで燃え続けていた。
連れ戻った乗組員は十名、燃料の切れた船内でふたりが凍死していたと報告を受けた清水は、東の台地に向かって黙祷を捧げる。隊員も村山達もそれに倣った。犬橇に山と積まれた小銃と弾薬を使って射撃訓練が始まる。老人と子供を除く全員がそれに加わった。
「頭か胸を狙え。弾薬は6000発ほどあるが、奴等の乗る船の半分しか着けなかったとしても充分とは言えない。セミオートで射つんだ」
バラバラッと射撃音が上がり硝煙が香った。氷塊の上に置かれた空き缶を正確に撃ち落としていたのは正だった。
「うまいじゃないか、経験があるのか?」
「チャンプにはなれなかったけどモトクロスのレースで世界を転戦しててね、ストレス解消に射撃場に連れていってもらったことがあるんだ。これは反動が少なくて狙いやすいよ」
「そうか、本田君だったな。君が射手の指揮を取れ」
「了解っ!」
伏射の姿勢のまま片手を上げ、正が雑な敬礼を返す。清水は指導にあたっている隊員に続けるよう指示を出し、正の肩を叩いた。
「寒冷地用の小銃ではあるが、トラブルが起きないとは言えない。来い、分解を教えよう」
「目を瞑っていても分解組立ができるようになるまで繰り返せ。覚えるのではなく体得するんだ」
「もう覚えちゃったってば、マシンガンってこんな簡単にできてたんだな」
その言葉通り、正は清水を振り返りながらも手を休めることなく組立をしている。
「指も太く手先の不器用なロシア人用のものだからな。手袋をはめたままで分解組立ができるよう工夫がされている。射撃の腕前といい、君には適性があるようだ。しかし暑いな、ここは」
「体温を戻してないんじゃないの? 兵隊さんは体温調整に適性がないみたいだな」
言葉を飾らない正の直言が、額の汗を拭う清水に投げかけられる。
「そうだった……しかし凄いな、このトコログリアってのは。最初は半信半疑だったが、この極寒で生き残った人々が居た理由がよくわかった。どうして国はこれを採用しなかったのだろう」
体温の調整に成功した清水の額からすーっと汗が引いてゆく。
「トコログリアを接種すると、あっちのほうがダメになっちゃうって噂が立ったんだよ。アレが勃たないって噂が立つか……変な話だよな」
正が口にした冗談に清水が笑った。それは彼にとって9.02以来、初めて見せる笑顔だった。
「例の赤いヤツは知ってるでしょ? 高速道路やトンネルに使われた流体緩衝材。あれに国家予算を投じてまで採用しておきながら、所教授が開発したこれには知らんぷり。いいたかないけど、この国の施策には方向性ってものが全く見えてこないぜ。まあ二年毎にトップが代わってちゃあ無理もないだろうけど」
空になった薬瓶には獣脂がいれられている。それを摘んで語る正に、自身を責められた訳ではないが清水の顔に苦渋が滲んだ。
「村山君を呼んでくれ、そろそろ出発せねばならない」
「わかった」
レシーバカバーをはめクリーニングロッドを射し込むと、正は銃を置いて屋外に向かった。
「気持ちはありがたいが、君達の分がなくなるのではないか」
「外で活動できれば私達に食料の補給は可能です。それに慣れていないあなた方です。荷物になるかもしれませんが持っていって下さい」
村山は大きなリュックに詰められた食料を隊員のふたりに手渡す。
「そうか、では遠慮なく。乗組員を頼む」
受け取るべきか否か戸惑っていた隊員は、清水の言葉に嬉しそうにリュックを担いだ。
「ええ、いつかきっと生きてまた逢いましょう。必ず杜都市のアークに寄って未処置の隊員の方々にトコログリアの接種をなさって下さい」
清水は正式な敬礼で村山に答える。全ての隊員にトコログリアは行き渡っておらず、ここから本州に渡るだけでも300km近い距離がある。村山は隊員のひとりひとりと固い握手を交わしながら、祈るような気持ちで彼等の無事を願っていた。
「そうだったんですか、では、あのノイズも?」
――多分その暫定国家が発信した緊急招集だったんだろう。本田君達が逢った自衛隊員の話とも合致する。急いで戻ってもらう必要はないが、君か丈君に頼みたい仕事がある。
「処置が終わり次第、そちらに向かいます。トコログリアの増産を急いでください。ここには未接種者が二百名近くいます」
――わかった。処置を済ませた連中を君が何人か連れて戻って来い、彼等に渡すようにしよう。
「了解しました。では」
『トコログリアを接種する隊員を選抜するまで待て』と言われた雄一郎は手短に伊都淵との通信を終えた。正も村山さんも無事だったか、よかった――伝え聞いた状況に安堵する『自分は衛生科の隊員だった』と言う若い関谷一等陸曹に医務室へと案内される。医療に明るくない雄一郎にとって、どの機器がどんな用途に使われるのはわからなくとも、大病院のような設備が整った医務室に息を洩らした。これだけの施設と二百名からの人員があって、衛星が使えないというだけの理由で生存者の捜索に着手しなかったのか――暫定国家に対する疑問が彼の内で高まる。
「関谷さんも即応連隊の所属なんですか?」
「いえ、自分は隊の病院で研修中を受けておりました。衛生科の隊員です。地下に避難したものの、どことも連絡がつかず、しびれを切らして出ていった隊員は戻ってきませんでした。きっと、あのバケモノの餌食になったか凍死したかで……」
「これの処置が終われば少なくとも凍死の心配は遠ざけられます。第二世代にも銃撃は有効だと報告を受けました。弔い合戦の後方支援は君達が……」
顔を上げ、雄一郎を見返す関谷の虹彩が青紫に光った。
「君は……」
「バレちゃいましたね。自分は臆病なもんで……。上官は『あんなものはまやかしだ』と言ってましたが、こっそり指定病院に行ってトコログリアの接種を受けていたんです。隊の病院地下で生き残れたのは自分ともう一名。そいつは、運ばれる途中で死にました。同期だったんです、上官の叱責を恐れず、あいつにも接種を勧めていれば……」
唇を噛み締める関谷の顔が悲痛に歪んだ。
「そうだったんですか」
「ここの存在を知らされていれば、体力のあるうちに避難することも可能だったでしょう。最初からここを目指したのは、だい……元首と即応集団の一個小隊、先導車に乗っていた警官隊、ここで地磁気異常を研究していた科学者達以外は、あちこちの駐屯地から助け出された自分と同じような境遇の者ばかりです」
関谷の口調には悔しさと共に暫定国家への疑念が混ざっているように思えた。医務室に案内される途中、雄一郎は、この国が置かれた状況とはいかにも不釣合いな、薄着で長い爪を飾り立てた女性達を見かけていた。それについて訊ねる。
「さっきの若い女性達も自衛官なのですか?」
「科学者達が連れ込んでいたようです。外では餓えと寒さで人がバタバタと死んで行く――いまや死んで行く者も少なくなったことでしょうね。なのに、彼等の言い分はこうです。『国家を立て直すのは次の世代だ、そのために我々が出来ることは優れた遺伝子を後世に残すことである』と……笑っちゃいますよね」
選民思想だ――あの黒田や高橋と何ら変わらないではないか。命を賭してまで招集に応えようとする兵士達は、これをわかっているのだろうか。あの尊大な一松と科学者達に、明日を信じてコミュニティを立ち上げ、助け合い、生き抜いて行こうとする人々を導く器量があるのか。雄一郎は処置の準備に意識を集中することで憤りを紛らわそうとしていた。