Sharpness(迫り来る船影)
《そうか、ご苦労さん。よくやってくれた》
サイトの報告を受ける僕を、泰然法師と原田兄弟、中島・遠藤の真柴組、佐伯医師に派遣された乾さんと吉中さんの七名が興味深げな顔をして眺めている。なんでもありのこのご時世でもなければイヌワシと意思を交わすなど俄に信じられるものではないだろう。世界がまともになった時、この力は何かの役に立つのだろうか? 動物園の飼育係には適しているかもしれない。小学校教諭程度では意外と潰しが効かないものだ。
「で、どうだって?」
「第二世代の上陸は十州道のみ、それもおそらく海上自衛隊が制圧してくれるだろう」
「ばんざーいっ!」「やったー!」
原田兄弟は無邪気にはしゃぐ。
「自衛隊が出動したのですか? 彼等は今までなにをしてたのです? 政府の機能が戻ったのなら――」
抱いて当然の疑問を投げかける泰然法師を制して僕は答えた。
「十州道に停泊していた船体は〝しらせ〟だと思われます」
「南極観測船のですか? それでは――」
「ええ、おそらく法師様の想像通りかと。東北のカリスマは通信に混入してくるノイズを確認してはいますが、国家が機能を取り戻したようには思えません。9.02に襲われた時、高層建造物が密集した都市のダメージは計り知れないものがあったでしょう。通常国会の開催時期とも重なります。カリスマの警告を軽視していた彼等が――」
泰然法師が僕の言葉を引き継いだ。
「生き残っている可能性は少ない、そうおっしゃる訳ですな」
「残念ながら、その通りです」
よしんば生き残った政治家がいたとして、この氷の世界でなんの役に立つだろう。法師様の希望を砕くようで申し訳なくはあったが、あらぬ期待は大きな落胆を招く。僕は思ったままを口にした。
「じゃあさあ、他にも海に出ていた船とかが戻ってくるんじゃないの?」
「しらせは砕氷船なんだよ。氷が溶け始めたとはいえ全ての航路が回復した訳じゃない。普通の船では無事でいたとしても戻ってこられる可能性は極めて低い。あの衝撃波だ、航海中だった船舶は転覆か沈没していると考えたほうがいいだろうな」
「なんだ、それ」
期待をもって訊ねてくる海地に、こんなことを言わねばならないのは心苦しくもあるが、海岸線を飛び、日本海側を偵察してきてくれたサイトの視覚記憶には、期待をかけられる一隻の船影も映ってはいなかった。
「とにかく、帰ってきた人々がいる。自衛官なら災害派遣にも慣れてるだろう、きっと国の再興の力になってくれるよ。僕達は僕達に与えられた仕事をこなす、そうだろ?」
サイトの視覚記憶を覗いた伊都淵さんなら既に気づいてるはずの脅威があった。報告に一喜一憂する彼等の前で、僕がそれを口にすることはできなかった。
「――これが東北のカリスマの推測です」
「まさか……」
村山の説明を聴き終えた清水三等海尉は呆然として次の句が出てこない。
「粉塵が空を覆っていた頃は、推測でしかなかったんですが――南極に精通した船乗りのあなた方なら、この白夜の意味をご存知のはずではないですか?」
「……氷に閉じ込められた我々が船を動かせるようになった時、船位測定に於いてもっとも頼りにすべきGPSは使えず、星も見えなかった。機器に依存しすぎていたせいもあるだろう。コンパスは狂い、トランシットだけを頼りに海図を辿るしかなかった我々の航海は雲を掴むようなものだった。海も陸地も氷に覆われ、目印となるべきものはなにもない。やむ無く停泊していれば黒い化物に襲われ、奴等が居なくなったと思えば今度はさっきの奴等があらわれる。乗組員の過半数を失ったよ、あれが中国人の成れの果てだとは……まさしく悪魔の所業だな」
記憶を辿るようにゆっくり、悪夢を拭い去ろうとはっきりとした口調で清水は答えた。
「あの連中はその第二世代だというのがカリスマの予測です。待ってて下さい」
衛星回線から伊都淵の声が聞こえてくる。正が状況の説明にあたっていた。
「――いやあ、命拾いしちゃったよ。しらせサマサマだ」
――やはり、しらせの乗組員だったか。サイトの視覚記憶は鮮明だった、奴等はホモローチの第二世代だと思って間違いないだろう。今のところ上陸があったのは、十州道だけのようだ。
「あれはカリスマなのか?」
清水が村山に訊ねる。
「ええ、お話になられますか?」
しばし考えた末に清水は言った。
「止めておこう、政府は彼を認めていない。非戦闘員も含め、我々は防衛省の指揮下にある」
「この期に及んで、あなた方はまだ政府のいうことを信用なさるんですか? 危機を訴えた伊都淵さんの意見を聞き入れていれば、これほど多くの人々が命を落とすこともなかったというのに。あなた方が守るべきは国民ですか、それとも政府なのですか!」
その言葉には温和な村山らしからぬ激しさがあった。
「それでも国家がある以上、我々は命令系統に従わねばならない。船の燃料は尽きた。これより徒歩で暫定国家が設立された皇居跡へと向かう。非常時のみ使用を認められる特殊な周波数域に全自衛官召集の命令が下された」
村山は驚きの声を上げた。
「暫定国家ですって? 政府に生存者が居たのですか? あの衝撃波をどうやって……」
「無線機が壊れ、こちらから送信ができなかったため詳細はわからない」
「篠田さんを呼んでくれ」
会話を見守っていた新沼は、村山に言われて居住区へ看護師を呼びに走る。
「助けていただいたお礼です。氷点下30℃の屋外では移動するだけで命懸けとなることでしょう」
「それは?」
清水は村山のつまみ上げた薬瓶を怪訝そうに眺めた。
「脳神経外科の権威所教授が開発されたトコログリアという薬品です。広範囲の体温調整を意識下で可能にします。投薬には激痛を伴いますが訓練を積まれたあなた方なら耐えられることでしょう。9.02を生き延びた人々の92パーセントが接種を完了していました。隊員の皆さん全員の分はありませんので、南に向かわれるなら杜都市のコミュニティに寄って下さい。こちらから連絡しておきます」
「しかし……」
「疑念はわかりますが私達を信じてください。これなしではあなた方は十州道さえ出られません」
しばし考えた末に清水は決断を下す。
「わかった、船には民間人が十二名残っている。彼等をここで引き取ってやってくれないか? 本体に合流したら必ず連れに戻る」
「それは構いませんが、逃走したホモローチ第二世代が残っています。船に武器が残っているなら私達がお借りしてもいいでしょうか?」
「ああ、彼等を迎えに行ったら持ち帰るとしよう。氷の海に投げ出されたり化物に襲わたりして八十名居た隊員の残りがこれだけだ。彼等の装備がそっくりそのまま残っているよ」
悲痛な顔で語った清水は、続いて村山を戦慄させる事実を告げる。
「奴等の船は海を埋め尽くすほどの数だった。大半は氷に行く手を閉ざされたり餓死したりでここにたどり着いてはいないが……」
「海を埋め尽くすって、まだそんなに居るのかよ」
驚嘆の声を上げる正に向かって清水が続ける。
「数百艘はあった。漂着したボートの数とさっきの奴等の数から判断すると、一艘当たり十体から十二体が乗っている計算になる。油断するな、好むと好まざるに関わらず生き残るためには銃の使い方を覚えてもらわねばならん」