いざ、鎌倉
いくら僕が視覚を開放しようと、俯瞰で見ることのできるサイトに捜索能力は及ばない。彼女のお陰で生存者を見つけ出す効率はぐんと上がっていた。また、ドーム建造という具体的な復興プランは持たずとも、あれほどの災禍を生き延びた人々の中にはバイタリティと克己心に富んだ方が多く、身を寄せ合った人々は力を合わせて生活を再建しようとしていた。
そしてコミュニティ同士が連絡を取り合えるようになると、それぞれの技術は離れたコミュニティにも速やかに浸透して行く。医療技術のないコミュニティには医師が派遣され、発電設備が作れないところには電気技師が送られた。労働力のあるコミュニティでは僕達の助力なしでドームの建造が始まっているとも聞いている。これが伊都淵さんの目指す未来だったのだろうか、僕は彼の先見性に痛く感心していた。
外壁を積み上げる段になるとそのコミュニティを後にしていた僕にとって、工事の進捗状況は非常に気になるものだったが、ようやくプロデュースドバイ所教授の脳味噌の使い方にも慣れ、サイトの記憶を投影する――つまり、彼女に見てきてもらった映像を僕も見ることができるようになっていた。手を振る真柴さんや斎藤さん達の姿、佐伯医師があちこちのコミュニティに出張される姿を脳裏に映し出し、僕達の使命が順調に果たされていたことに安堵した。
「あなた方のお陰で、ここの人々も希望を持つことが出来ました」
僕と原田兄弟は、およそ1400年前になんとか天皇が造ったという大きな寺院跡に居た。政変・飢饉・干ばつ・大震災に天然痘の流行と、苦難の時代に建てられたこの寺院は医療や福祉に熱心だったそうだ。その意思を明確に引き継がれたのか、ここでただひとり命を取り止めた泰然法師だ。彼は存在を否定されていた地下建造物に生存者を集め、軽装だった人々に法衣を与えて暖を取らせ、食料として凍死した鹿の肉を振舞ったと言う。平時なら言語道断だと責められもしようが、この非常時に於いては素晴らしい判断だったと言えよう。
余談だが僕は結婚する前、日向子とここを訪れたことがある。ポケットに入れておいた鹿せんべいごと尻を齧られズボンを涎でびしょびしょにされた。多くの観光客が居て鹿を追いかけ回す訳にも行かず、いつか復讐してやろうと思っていた。泰然法師は意図せぬままに僕の恨みを晴らしてくれていたのだった。思わず知らず下がる溜飲に、原田兄弟は妙な顔で僕を見つめたものだった。
「いえ、我々は東北のカリスマの命に従って動いているだけですから。如何でしょう、こちらでもドームの建造を考えてはいただけませんか?」
「知恵とお力を拝借出来るなら願ってもないお申し出です。なにせ拙僧は寺のこと以外、何も知りませぬ故」
「なれば、早速有志を募ってバイオ流体の培養にかかりたいと存じます故」
……簡単に仰々しい物言いがうつってしまう辺り、僕はまだ自己が確立されていないようだ。
「じゃあ、その役目は拙者どもが、しかと仰せつかったでござる」
僕の憂慮など歯牙にもかけぬ様子で原田兄弟が言い、彼等は生存者の集まる中室と呼ばれるところへ身体を低くして走って行く。それじゃあ忍者だよ……
「ほっほっほ、楽しい方々ですな」
恐縮する僕をよそに、泰然法師は高らかに笑われた。これが本当の泰然自若ってヤツなのだな。
実のところ、僕は宗教家と呼ばれる人々にあまり良い印象を抱いてはなかった。彼等の説く教義だか教理だかは高尚だが、彼等自身、本当にそれに沿った生活をしているものだろうかという疑問があった。 亡くなった人々につけられる名前に値段の差があるのも納得が行かなかった。有り難がる物は目に見えず、聞いててもちんぷんかんぷんな経文も払う金額で違うと言う。ただ、これもやはり〝人〟によるのだろう。痴漢行為をする警官も居れば、生徒に手を出す(僕はやってない)教師だって居る。僧侶にせよ、一般人にせよ、悪いヤツは悪い。良い人は良いのだな、と思いました。何だか小学生の作文みたいになってしまった……
そんなこんなで僕達の次の仕事はこの寺院跡になった。解体された鹿の内臓がサイトの御馳走となるため犬や猫の死骸を掘り返す必要もない(これはゾッとしない作業だ)。山ほどの凍った鹿が敷地内に埋もれていた。
このコミュニティの住人は参道で土産物屋や食堂を営んでおられた方々が多く、女性比率と年齢層が高めだ。ご主人は五十代、六十代といったところで、二十代は土産物屋の看板娘だった女性と駐車料金の徴収係だった同じく女性がひとり、倒れた大仏の隙間に潜り込んで難を逃れた観光客の男性がひとりの都合三名。警備員の格好をした男性が二人居たが、どちらも四十代だった。これでドーム建造が進むだろうか、という懸念が僕にはあった。
「へーえ、そんなんできるんやあ」
「せやなあ、穴ぐらに住むよか、そっちのほうがええなあ」
「カリスマはんもえらいもん、思いつきよんなあ」
関西弁でそう言われると、何やら危機感が遠ざかって行く気がした。だが、和んでいてドーム建造は始まらない。食料がふんだんにあったことから、僕はあることを思いつく。
「是非お力をお借りしたいんですが」
――了解、二人送り込もう。
真柴さんは労働力の派遣を快諾してくれた。生まれ変わったように、勤勉になった中島、遠藤の両名を派遣してくれると言う。
――ここには若い男性は少ないが、病院の技師だった二人がやる気になっている。ただ、我々には交通手段がない。
「迎えにあがります」
佐伯医師の居るコミュニティからもふたりの男性を借り出す約束を取り付けた。
「こういう土地柄ですからな、重機リースの会社となると街の方まで行かんと……あっ、ちょっと待ってください。法華堂を工事しておったはずです。あそこに建設業者がぎょうさんの重機を持ち込んでおりましたな」
法師の話を聞いた僕達は氷の丘陵地帯へと向かう。ショベルカーでも見つかれば大幅な労力の軽減が図れるというものだ。現場では都合良く数台の重機とダンプカーが折り重なっていてくれたが、転倒したそれらのバッテリーから電解液が流れ出しておりスタータは回らない。大型のディーゼル発電機もあったのでなんとか持って帰れないものか……と、唇を噛んで考える僕に海地が言った。
「押しがけすれば?」
そうだっ! 何故、それに気づかなかったのだろう。丘陵地を上ってきた訳だから下り坂がある。そして僕に馬鹿力があることをすっかり忘れていた。えらい、えらい、と風真に頭を撫でられた海地は迷惑そうな顔をしていたが、僕は上機嫌となっていた。
「押すぞ、ギアは3速ぐらいに入れておいて、勢いがついたらクラッチを離すんだ」
「あいよー」
ショベルカーの運転席には風真まで乗り込んでいる。どっちか手伝ってくれたらどうなんだよ。
9.02以来、二ヶ月半ほど火を入れられることのなかったエンジンは、なかなか息を吹き返してくれない。それもそのはず、氷の坂道には一切の路面抵抗がなく、駆動軸側からクランクシャフトを回してくれるだけの力が得られないのだ。かかりかけたエンジンが雄叫びを上げる前にショベルカーはすーっと滑って行ってしまう。結局、平坦路を押す羽目となった。キャタピラで走行する重機だ、僕の馬鹿力をもってしても時速10kmまで上げるのは容易ではない。数百メートル押した辺りで、ようやくエンジンがかかり、僕は思いっきり排気ガスを吸い込んでしまった。
「ここで待ってるから二人で発電機を取ってきてくれよ、重機の取り扱いは慣れたもんだろ?」
四肢は梓先生ご自慢の品でも心臓はオリジナルだ。僕の心臓と呼吸器系は音を上げそうになっていた。へたりこんで力なく声を上げる僕に車上の二人は楽しそうに返してくる。
「りょーかーい」
いい気なもんだ……
疲労困憊して寺院跡に帰り着いた僕に、真柴さんから連絡が入った。
――二人は先ほど送り出した。ところで古都府は知っているかい? あそこの病院とコンベンションホールに20名以上の生存者が居るそうなんだ。短波無線で連絡が取れた。氷のドーム建造に興味を持ってくれている、なんとかして胚とトコログリアを届けてやることはできないだろうか? 培養が済み次第、我々が建造の手伝いに出向く。
頼もしい言葉だった。真柴さんや佐伯医師のような人々が、きっとどこかに生き残っている。いまは孤立していても、このネットワークは必ず繋がる日が来るだろう。そしてその時こそ、日本再興の日になるはずだ。
「サイトに頼んでみます」
伝説では赤ん坊をさらうとまで言われたイヌワシのサイトだ。500ミリグラム容器を数個運ぶぐらい雑作もないだろう。伊都淵さんの掲げる日本再建プロジェクトは、いま間違いなく独立独歩の道を歩み出していた。