◆魔女の店❶
「ようやく子守りが終わってよかったな」
上司は平然と告げるが、とても喜んで終われるような終わり方をしなかったから、同意はできない。
確かに早く通常業務に戻りたいとは願っていたが、まさか容疑者が精神を患って幕を下ろすことになるとは予想していなかった。
こうなると思い出すのは、あの黒髪黒目の少年の言葉だ。
そう長くはもたない――確かに彼はそう言った。
こうなることを見越していたとでもいうのだろうか。
正直、いまだに魔法やらまじないやら、そういった類のものは信じていないが、結局名前すら教えてもらえなかった彼のことには興味がわいていた。
「そういえば、まだ道具屋に礼をしてねぇじゃねぇか。――命知らずが遊び半分で電話なんて繋ぎやがるから、一時はどうなるかと……」
悪態をつく上司の眉間に皺が寄る。
スキンヘッドに左目の眼帯がトレードマークの彼は、ダグラス・ノッカー。中央本部に設置された特別捜査室の室長である。
先日の一件は、この部署に配属になってから初めて担当した事件だった。
ちなみにこの部屋の奥に置かれている電話線の繋がっていない受話器から“道具屋”に電話をかけたのは、一か月先に配属された先輩で、今はもうここにいない。
「もしよければ、僕が挨拶に行っても? 使いの彼に、返したいものもありまして」
「あー。そうしてくれるのは助かるんだが……」
「何か問題でも?」
「あの店は、誰でも入れるもんじゃねぇんだよなぁ……」
だるそうに頭を大きな手で摩ると、室長は腕を組んだ。
「まあ、ものは試しだ。知っての通り、ここに集まってくるのは他の部署で対応放棄された事件や依頼ばかりだ。中には人の手には負えねぇものも混じってる。たとえ魔女だろうがなんだろうが、借りられる手は借りてぇ」
――これを機に、その助手とうまくやってくれ。
そう言うと、室長は懐から小袋を出す。
どうやら硬貨が入っているらしく、机に置かれるとカチャリと金属音が鳴った。
「もし店に入れた時には、くれぐれも魔女を怒らせるなよ」
その後、受け取った硬貨の桁が想像の倍だったことを知って、否応無しに身を引き締められたのは余談だ。
◆
手土産には、年代物のワインを選んだ。
顔見知りの店で一番古くて状態のよいワインを購入し、彼に渡すために新しい眼鏡と、最近巷で流行っている焼き菓子を用意した。
王都東のセミタ横丁に到着したまでは順調だったが、問題はそこからだった。
「店の名前すら分からないなんてな……」
せめて目印のひとつやふたつ、教えてくれてもいいだろうに。
当然、部室を出る前に室長に詳細を尋ねたが、目印なんてものはないの一点張りだった。
もし辿り着けなくても気にするなとまで言われたが、まったく意味が分からない。
配属されたばかりの新人を、何か試しているのではないかとすら勘繰ってしまう。
「仕方ない。聞いてみるか」
店の名前すら知らないが、闇雲に歩き回るよりかはいいだろう。
――魔女の道具屋。黒髪黒目の少年が雑用係をやっている。
これしか手掛かりはないが、これでも騎士だ。
犯人を探して人に尋ねて回るのには慣れている。
「道具屋? 聞いたことがないね。何かの隠語かい?」
「うーん。お母さんからセミタ横丁の奥には進むなって言われてるから、あんまり詳しくなくて。迷いやすいから気をつけてくださいね」
「ああ、黒髪黒目の異人なら最近見るな。よくこの先のパン屋で買い物してるみたいだ。言葉も達者でいいやつだった」
「……地図に載らない店、でございますか。ごく稀に同じことを聞かれます。わたくしも大変お世話になっておりますが、残念ながらお店の場所は定かではございません。そう焦らずとも、あなた様にご縁があればおのずと辿り着きましょう」
何人か聞いて回って、一番手応えのある情報をくれたのは、古書店の老紳士だった。
雰囲気だけみればここが魔女の店だと言われても納得できそうな老舗。何かヒントがあるかもしれないと立ち寄ったのは正解だった。
「何か少しでも、店にたどり着くためのご助言をいただけませんか? 道具屋の店主と少年に、お礼の品を届けたいのです」
「……なるほど。あのお方がお力を貸してくださったのですね。それは運がいいことだ」
古書店の老紳士は膝の上で開いたままだった本を閉じる。
「横丁にはもう入りましたか?」
「いえ。まだこれからです。話を聞いてからにしようと」
「であれば、まず小径に入ったら、三回左に曲がってみてください。入る道はどこでも構いません」
「……それだと、元の道に戻るのでは……?」
「ええ。そうなるかもしれませんね」
疑問を返せば、至極当然のように頷かれた。
「もしそれで見つからなければ、何もない壁に突進してみるのもいいかもしれません」
「……もしかして、揶揄ってます?」
「はは。これは失礼。ですが、あの店に人の理など通じないということですよ。――どうぞ、ご武運を」
最後には笑われたが、悪い人には見えなかった。
これ以上聞き込みをしても、成果は出ないだろう。
こうなったら、自分の足で探すだけだ。
最悪、店に辿り着けなくても、黒髪の少年をパン屋で待てばいい。
やることが決まって、古書店を出る。
とりあえずセミタ横丁に入ると、半信半疑で目に入った道を三回左に曲がった。
そして。
「――え?」
どう考えても、元の道に戻ったはずだったのに、それまで絶対になかったはずの店が我が物顔で目の前に現れたことに唖然とする。
驚いてハッと後ろを振り返れば、そこには来たはずの道が消えていて、さらに混乱した。
悪い夢でもみているようだ。
ガラス張りのショーウィンドウには、日用雑貨が並んでいる。
ちゃんと看板も出ていたが、見たことのない異国の文字が並んでいて、読むことは叶わない。
呆然とその場に立ち尽くしていれば、からんからんとドアベル鳴った。
――誰かが出てくる。
身構えて、つい腰の剣に手が伸びた。
「あ?あんた、この前の。こんなところで何してんだ?」
すると姿を現したのは、一週間前に王立学院で出会った黒髪黒目の少年だったから、一気に肩の力が抜ける。
相変わらず愛想の悪い少年だ。しかし、ガラが悪いのとは違う。まだ十代半ばだろうに、説明のできない妙な落ち着きがある。
突然の来訪に驚いたのか、彼は何度か目を瞬いていた。
「迷ったなら送ってくけど、もしかしてこの店に用があるのか? 悪いことは言わねぇから帰ったほうがいい。ここにいるのは、バケモノだ」
「まったくもってその通りだが、客人を門前払いとは感心しないな?」
「げっ……」
声がしたのに驚いて振り向けば、僕の背後に人形のように目鼻立ちが整った少女が立っていた。
一体いつからそこにいたのだろう。否、そこには誰もいなかったはずだ。――そう認知した瞬間、本能が警鐘を鳴らした。
「馬鹿っ、やめろ。絶対に剣は抜くな!」
防衛本能から僕が剣を握り直したことに気が付いた少年は、慌てた様子で声を張った。
室長からは無礼がないようにと言われていたが、正直、それどころではなかった。
なんとか剣を抜くのは堪えたが、柄から手を離せない。
「おやおや。驚かせてしまったみたいだね。そう身構えなくても、取って食ったりしないから安心したまえ」
前に回ってきた彼女は、僕の前で微笑んだ。
それは紛うことなき慈悲だった。
彼女には逆らってはいけない。
おそらく、死より恐ろしい最期になるだろう。
見目こそ年端のいかぬ少女のソレだが、彼女こそ魔女であると今まで培ってきた経験と本能が訴えている。
気を鎮めなければ。
これ以上の失態は許されない。
剣の柄から指を一本一本はがして、姿勢を正す。
「……ご無礼をお許しください、魔女殿」
「気にしなくていい。どうやらキミは気配に敏感なようだね。わたしを見て己の身を守ろうとするとは優秀だ」
ふふふと笑う少女は、どこか楽しそうだ。
機嫌を損ねたわけではないと思いたいが、彼女の感覚を推し量ろうとすることすら、きっと間違いなのだろう。
「さあ。こんなところで立ち話もなんだ。店の中に入るといい。キミにはその資格がある」
「――おい」
魔女の誘いを、少年の黒目が咎める。
雇い主より一度顔を合わせただけの騎士に味方してくれるらしいが、主人が主人だ。彼に何かあっては寝覚が悪い。
たとえ何が相手だろうと、騎士としてあるべき姿は決まっている。萎縮していても用は終わらないのだから、吹っ切れた。
「ありがとうございます。実は先日のお礼をと思い、こちらを訪ねてきたところでした」
「礼? あぁ、久方ぶりに騎士団から連絡がきた件か」
実に人間らしい所作で、魔女は視線を泳がせたのちに前を向き直す。
「電話を掛けてきた彼は元気かい? 調整するのを失念して電話に出てしまったから、少し刺激が強かったかもしれない」
すまないね、と。苦笑して許しを求める様子は、まるで些細な失敗をしてしまったかのような詫びの仕方だったが、その彼は無断欠勤という名の行方知れずになっている。




