◆人を魅了する魔法❸
「わぁ、珍しい。もしかして東の国の方ですか? 言葉はお分かりになるのでしょうか?」
「大丈夫。こっちに来てから言葉に困った事はない。ただ、話し方はこんなだから先に謝っておくよ」
「いえいえ! とても流暢に話されるんですね。驚きました!」
男爵令嬢は愛嬌のある娘だった。桃色の髪に緑の瞳をした少女で、愛想もよく、可愛らしい印象を抱かせる。王子を誑かしているなんていうから、赤い唇の悪女のようなイメージがあったが、それとは正反対の人物像だった。
「それで、私になんのご用でしょうか?」
「まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に言うんだけど、あんたは自分の力を自覚して使ってるのか? 制御ができていないなら力を貸すけど、わざとやってるならもうやめろ」
「……ええっと。なんのことでしょう?」
この世界に紛れ込んでからというもの、どうやら脳味噌が受信するチャンネルがズレたらしく、見聞きするモノが増えた。
西洋風の世界なくせに日本語が通じるのは有難いが、余計なことまで視えるようになったのは弊害としかいえない。
――今の俺には、目の前の令嬢の虹彩が淡く光を帯びて視える。
「流石に自分が異性からモテることは分かってるだろ。あんたは妖精の血を引いてる。生まれ持った力のせいで、男を惹きつけてるっていえば理解できるか」
「妖精、ですか? すみません、私にはよく分からなくて……。あの、もっと詳しく教えてくれませんか――?」
きゅるんと効果音がつきそうな上目遣いをして、令嬢が手を伸ばしてくる。
俺もあのバケモノに出会っていなければ、きっとその目に飲まれて鼻の下を伸ばしていたのだろう。
しかし不本意なことに、あのバケモノにツバを付けられたらしく、こういった手合いの魔法は俺には効かなくなっている。
女子には優しくしろと言い聞かされて育ったが、気の強い姉に振り回されてた身からすれば、女子ほど怖いものはない。あれだけ男をはべらせておきながら節操のない振る舞いに、どう対応するかの方針は固まった。
「悪いけど、俺には効かねぇよ。それ」
「は――?」
伸びてきた手を払いのければ、それまで愛想の良かった人間からは鳴ってはならなかったはずの一音が漏れる。
「何それ。転移チート?」
「転移チー?……なに??」
「あなた日本人でしょ。この世界に転移して、神様にギフトでももらった? 自分だって能力あるくせに、私の邪魔をしないでくれる?」
地球の人間にはない髪色をした彼女は、あっさり俺の故郷を言い当てる。
この世界に来て初めて“知ってる”人間に、俺は面食らった。
「驚いた。地球のこと分かる人間に会ったのはあんたが初めてだ。俺、帰る方法を探してるんだけど何か知らねぇ?」
「知る訳ないでしょ。てか、何? ここが乙女ゲーの世界って知らないでこの学院にのこのこ来たわけ?」
「おとめげー……」
「ゲームよ。ゲーム。女子向けの、恋愛シミュレーションゲーム! ギャルゲーの男バージョンって言えば分かる??」
無理解に苛ついたらしく、スカートの下で足の揺りが早くなる。
残念ながら女子向けのゲームには明るくなければ、ギャルゲーも通っていない。ただ、今の説明で何が言いたいかは理解できた。
「ここがゲームの舞台だって言いたいのか」
「さっきからそう言ってるんですけど」
鵜呑みにするつもりはないが、そう言われれば地球と異様に似た文化にも、言葉が通じることにも合点がいくかもしれない。
今までになかった発想に感心していれば、男爵令嬢は呆れた眼差しを寄越した。
「異世界転生って知らないの? 私はあっちで死んだ後、転生してこの世界の主人公やってんの。やっと健康な身体を手に入れてボーナスタイム謳歌してるんだから、モブはさっさと消えてくれない?」
「…………」
知ってて当然だろうというニュアンスが混じっていて、ところどころ理解できなかった単語について詳しい説明は求められそうにない。
転生、というのは生まれ変わりのことを言っているのだろう。江戸時代には奥多摩でそういう人間がいたという物語も残っているくらいだから、今更騒ぐような概念でもない。
あえて地球の学問を引用するなら、彼女はこの世界から見てまれびとの位置付けになるのだろうか。
ともすれば、信仰されるのもまた一興か――。
「なるほどな。とりあえず、あんたが望んでやっていることだというのは分かった。だったら、俺は止めはしない」
「そ? 案外あっさりしてるのね」
「あんたが誰と付き合おうが、俺には関係ない話だからな」
本人に辞める意思がないなら、何を言ったところで無駄だ。説得したところで意味がない。
「ただ、同郷のよしみとしてひとつだけ言っとく。人の愛憎ってのをあまり甘く見ない方がいい」
ここがゲームの世界だというのは否定しないが、彼らも同じ人間だということだけは尊重するべきだ。
なにせ、ここにはホンモノのバケモノがいる。
アレに雇われてからというもの、俺には人間としての矜持が芽生えている。
人が人として暮らしているこの世界で、魔の道を選ぶなら、それ相応の覚悟はするべきだ。
「余計なお世話。小言が多い男は嫌われるわよ?」
しかし、彼女は清々しいほどの笑みを浮かべ、すでに聞く耳を持たなかった。
◆
「もう終わったのかい?」
席を外させた騎士は、律儀に割れた眼鏡を掛けたまま、ガゼボの柱で待っていた。
おそらく会話は聞こえていただろうが、そのうち令嬢の餌食になって忘れるだろう。
「話をしただけだからな。困ってるなら手を貸そうと思ったけど、不要らしい」
「それは、つまり……?」
「王子たちは、しばらくあのままだ」
「……君にもどうにもできないってこと?」
「俺はただの人間だって言ったろ。もともと他人をどうこうできるような力は持ってない」
こちらに来てから多少視えるものは増えたが、それだけだ。
彼女のように人を見るだけで魅了することができるような能力があれば、簡単に言うことを聞かせることができたかもしれないが、ないものはないし持ちたくもない。
「それじゃ、ずっと彼らは……」
「いや。そう長くはもたないから、そのうち目を覚ますよ」
「……どういうこと?」
質問ばかりで気が咎めたらしい。
腰の低い伺いに、俺は歩きながらもう一度中庭を返り見る。
「人は呪わば穴二つ。呪えば、その分返ってくる」
件の男爵令嬢がある日突然鏡の前から動かなくなり、そのまま退学になったと噂を耳にするまで、そう時間はかからなかった。




