第7話 クレーマー襲来
「総支配人、ターゲットが第一層『エントランス回廊』に侵入しました」
モニター室に、オーク隊長の緊張した声が響く。
壁一面の巨大なスクリーン(遠見の水晶を投影したもの)に映し出されたのは、殺気立った五十名の騎士団と、その先頭を行く勇者アルドの姿だ。
『総員、警戒せよ! ここは魔界の入り口、一瞬の油断が命取りになる!』
アルドが聖剣を掲げ、悲壮な声で叫んでいる。
騎士たちが剣を構え、ジリジリと進む。
本来なら、そこは薄暗く、じめじめとした死の回廊……のはずだった場所だ。
しかし、現在の第一層は違う。
「……あれ?」
先頭の騎士が、素っ頓狂な声を上げた。
「隊長、足元が……滑りません」
「なんだと?」
「それに、この壁……柔らかな光(発光苔)が等間隔に配置されていて、めちゃくちゃ歩きやすいです」
画面の中のアルドが、カッと目を見開いた。
『騙されるな! これは罠だ! 油断させて足を滑らせる気だぞ!』
彼はそう叫ぶと、ピカピカに磨き上げられた大理石(元はただの岩盤)の床を、ガンッ! と鉄靴で踏みつけた。
キュッ。
「……ん?」
滑らない。
私が独自配合した「防滑ワックス(スライム粘液配合)」の効果だ。
彼は踏ん張った姿勢のまま、少し恥ずかしそうに足を戻した。
モニター室で見ていた私は、冷静にマイクへ指示を飛ばす。
「第一段階、クリアです。お客様は緊張で肩に力が入っていますね。リラックスしていただきましょう。――プランB、フェーズ1『香りのお出迎え』、開始」
『イエッサー』
スイッチが押される。
回廊の通気口から、シュゥゥ……と白い霧が噴出した。
毒ガスではない。
ダンジョン産のハーブ「安眠草」と「柑橘系アロマ」をブレンドした、特製リラックスミストだ。
『毒ガスだ!! 全員、息を止めろ!!』
アルドが絶叫し、マントで口を覆う。
しかし、後方の騎士たちは間に合わなかった。
思い切り吸い込んでしまう。
「うっ……!?」
「こ、これは……?」
「いい匂いだ……実家の母ちゃんが焼いてくれたパイのような……」
「なんだか、剣が重い……眠く……」
騎士たちの殺気が、目に見えて霧散していく。
彼らは連日の強行軍で疲弊しきっていたのだ。
そこへ最高級のアロマを直撃させれば、どうなるか。
ガシャン、ガシャン。
剣を下ろし、あくびを噛み殺す者が続出する。
『貴様ら! 寝るな! これは精神汚染毒だ! 聖魔法【浄化】!』
アルドが必死に解毒魔法をかけているが、効果はない。
当然だ。それは「毒」ではなく「癒やし(バフ)」なのだから、聖魔法で消えるわけがない。
(ふふ、順調ですね)
私は手元の紅茶を一口飲んだ。
次だ。
「フェーズ2、『岩石ゴーレム部隊』出動。ただし戦闘モードではなく、『揉み解しモード』で」
画面の中で、壁の一部がズズズ……と動き出した。
岩の巨人が五体、通路を塞ぐように現れる。
『出たな魔物め! 全員、攻撃用意!』
アルドが聖剣を光らせ、斬りかかる。
一閃。
本来なら岩をも断つ聖剣の一撃が、ゴーレムの腕に直撃する――はずだった。
ボヨヨン!
「なっ!?」
聖剣が、ゴムまりのように弾き返された。
岩ではない。
私の【素材変成】で「高反発ウレタン」のような弾力を持たせた、特注の「マッサージ・ゴーレム」だ。
「貴様! 物理無効のバリアか!?」
アルドが叫ぶが、違う。
聖剣は「邪悪を斬る剣」。
しかし目の前のゴーレムには「害意」が一切ない。ただ「お客様を癒やしたい」というプログラムで動く純粋なマッサージ機だ。
だから、聖剣はそれを「敵」と認識できず、ただのゴム叩きになってしまうのだ。
ゴーレムたちは攻撃されても反撃せず、キョロキョロと騎士たちを見回した。
そして、一番疲れていそうな中年の騎士団長をロックオンする。
『カタ、コリ、ケンシュツ。セジュツ、カイシ』
「うわぁっ!?」
ゴーレムの巨大な手が、騎士団長をひょいと持ち上げた。
握りつぶす――のではない。
その背中を、絶妙な力加減で「グッグッ」と押し始めたのだ。
ボキィッ! ボキボキッ!
骨の鳴る音が響く。
『ぐあああああ!!(効くぅぅぅ!)』
「団長ぉぉぉ!!」
アルドが悲鳴を上げる。
彼には、団長が握りつぶされて断末魔を上げているように見えているらしい。
だが実際は、長年の腰痛が解消される音と、快楽の叫びだ。
「は、離せ貴様……あひぃぃぃ! そこ! 肩甲骨の間だぁ……!」
「次は俺だ! 俺もやってくれ!」
「足つぼはやめろ! 昨日の行軍で豆が……あだだだ! うぉぉぉ血行が良くなるぅぅ!」
阿鼻叫喚――ならぬ、快楽の悲鳴が回廊にこだまする。
五十名の精鋭騎士団が、たった五体のマッサージ機に行列を作って制圧されていく。
『な、なんだこれは……!』
アルドだけが、一人取り残されていた。
彼はゴーレムに斬りかかろうとするが、ふにゃふにゃのボディに剣が弾かれ、バランスを崩して尻餅をつく。
『幻術だ……これは高度な精神攻撃だ! 騙されるな、目を覚ませ! そいつらは岩の化物だぞ!』
彼は泡を飛ばして叫んでいるが、マッサージされている騎士たちは虚ろな目で「天国……」と呟くばかり。
(さすが勇者様。警戒心が強すぎて、リラックス効果を受け付けないようですね)
私は少しだけ彼を哀れに思った。
素直にマッサージされれば、その頑固な頭の凝りも治るのに。
「では、トドメといきましょう。フェーズ3、『飯テロ』」
私は厨房班に合図を送る。
中層エリアへの換気扇を逆回転させ、厨房の排気を全力で通路へ送り込む。
今日のメインディッシュは、「厚切りオーク肉の赤ワイン煮込み」と「焼きたてパン」。
その暴力的なまでに芳醇な香りが、空腹の騎士団を襲撃する。
グゥゥゥゥゥ……。
情けない音が、大合唱となって響いた。
「に、肉の匂い……?」
「焼きたてパンだ……バターたっぷりの……」
「俺たち、乾パンしか食ってないのに……」
マッサージから解放され、血行が良くなってさらに空腹になった騎士たちが、フラフラと匂いの元へ歩き出す。
その目には、もはや魔王への敵意など欠片もない。
あるのは「温かいご飯が食べたい」という、生物としての根源的な欲求のみ。
『待て! 罠だ! その先には魔女の釜茹でが……!』
アルドの制止も虚しく、騎士団は完全に統制を失い、ぞろぞろと中層エリア(食堂街)へと吸い込まれていった。
そこではエプロン姿のオークたちが、満面の笑みで取り皿を持って待ち構えているはずだ。
「作戦成功ですね」
私はモニター室で小さく拍手した。
隣で見ていたオーク隊長が、感涙にむせんでいる。
「ブヒッ……(素晴らしい……血を流さずに制圧するとは、まさに女神……)」
「いえ、ここからが本番ですよ」
私はモニターのカメラを切り替える。
一人残されたアルドが、悔しげに拳を地面に叩きつけ、それでもなお立ち上がろうとしていた。
『おのれ魔王……! よくも僕の部下たちを洗脳し、改造したな!』
彼はまだ戦意を失っていない。
むしろ、孤立したことで「悲劇のヒーロー」としてのスイッチが入ってしまったようだ。
燃えるような瞳で、カメラ(監視ゴーレム)を睨みつけてくる。
『待っていろミリア(の遺体)。僕が必ず、君を辱めた魔王を倒し、その魂を救ってみせる!』
(……まだそんな勘違いを)
私はため息をつき、マイクのスイッチを切った。
彼はこれから、最大の難所である「大浴場」を抜け、私の待つ最深部へとやってくるだろう。
そこは、究極の接客空間。
「魔王様、出番ですよ」
私は背後のソファでふて寝していたオーナーに声をかけた。
「……終わったか?」
「いいえ。一番厄介な『クレーマー』が一名様、本店へ向かわれます。私が直接対応しますので、魔王様は最後の威圧をお願いします」
「……フン。最初から俺が消し飛ばせば早かったものを」
ゼスト様は面倒くさそうに起き上がったが、私が差し出した「整髪料(ミントの香り)」を見ると、大人しく髪をセットされ始めた。
彼も分かっているのだ。
これが「正装」して迎えるべき、リゾートの威信をかけた戦いだと。
「さあ、いらっしゃいませ、アルド様」
私は最深部の扉を開け放つよう指示を出した。
勇者対魔王。
いえ、勘違いクレーマー対総支配人。
その最終決戦のゴングが鳴る。




