第6話 地上の異変、地下の繁栄
「――素晴らしい! まさか地下百階に、これほどの楽園があろうとは!」
ワイングラスを片手に感嘆の声を上げたのは、王都からお忍びで訪れた伯爵夫人だ。
彼女が優雅に腰掛けているのは、かつて数多の冒険者を噛み砕いた「人喰い箱」。
今は私の【神聖環境魔法】で牙を抜かれ、革の質感を極限まで柔らかくした「高級生体ソファ」に転職している。
「本当ですわね。見て、このスタッフの動き。まるで本物のスケルトンのようですわ」
「精巧な魔導人形だろう? 地上の技術ではあり得ない動きだ」
紳士がチップ(金貨)を渡すと、蝶ネクタイを着けたスケルトンが、カシャッと顎を鳴らしてスマートに一礼する。
客たちは、彼らが本物の魔物だとは夢にも思っていない。
「魔界」というコンセプトの、徹底したテーマパークだと思っているのだ。
(ふふ、ミミックさんが涎を垂らさないか心配でしたが……躾の成果ですね)
シャンデリア(発光苔の集合体)の下、私は満足げに頷いた。
あれから数週間。
商人ガストン様の手引きにより、「魔界リゾート」は地上の富裕層にとって「知る人ぞ知る秘密の社交場」となっていた。
「総支配人、本日の予約客は全てチェックイン済みです」
「トラブルはありませんか、ジェネラルさん?」
「はっ。一名、サキュバスのエステ中に興奮して鼻血を出したお客様がおりましたが、迅速に回復魔法で蘇生させました」
「素晴らしい危機管理です。追加のクリーニング代を請求しておいてください」
順調だ。
私の「掃除」と「改装」は、ダンジョン全体に行き渡りつつある。
以前は即死トラップだった「落石ゾーン」は、岩をソフトスポンジ化して「スリル満点のアスレチック」に。
「炎の回廊」は、温度調整をして「岩盤浴エリア」に。
そして、最強の魔物たちは「ホスピタリティ溢れるスタッフ」へと生まれ変わった。
(勇者パーティにいた頃は、毎日が泥と血にまみれた地獄でしたけど……)
私は、磨き上げられた大理石の床に映る自分を見た。
清潔な制服。整った髪。そして何より、目のクマが消えた健康的な顔。
今の私は、誰かの付属品ではない。
この巨大なリゾートを動かす、一人の責任者だ。
「……ミリア」
背後から、不満げな声がした。
振り返ると、黒いローブを纏った魔王ゼスト様が立っていた。
ただし、頭には「オーナー」と刺繍されたナイトキャップを被っている(私の手作りだ)。
「あ、オーナー。また抜け出してきたのですか? 寝室でお休みになっていてくださいと言ったのに」
「……眠れない」
彼はむすっとした顔で、私の背後から覆いかぶさるように肩に顎を乗せてきた。
重い。けど、甘い香りがして落ち着く。
最近の魔王様は、完全に「甘えん坊の大型犬」と化している。
「あいつらがうるさい」
「お客様ですか?」
「ああ。俺の城で、俺のワインを飲んで、俺のミリアをジロジロ見ている」
赤い瞳が、談笑する貴族たちを冷ややかに射抜く。
殺気が漏れかけ、ソファのミミックが「ひぃっ」と震え出した(客はマッサージ機能だと思って喜んでいる)。
「消していいか?」
「ダメです。彼らが落とす外貨が、貴方様の新しい枕カバー(最高級シルク)になるのですよ?」
私は彼の手を握り、指輪の感触を確かめさせるように撫でた。
「それに、彼らは貴方様の『信者』予備軍です。魔王様は寛大で、センスが良いと評判ですよ?」
「……フン。興味ない。俺に必要なのはお前だけだ」
彼はそっぽを向いたが、耳が少し赤くなっている。
チョロい。
いや、素直で可愛いと言うべきか。
「さあ、部屋に戻りましょう。膝枕をご所望ですか?」
「……耳かきもつけろ」
「はいはい、特別オプションですね」
私が彼を宥めて執務室へ戻ろうとした、その時だった。
ウゥゥゥゥ――ン!!
けたたましい警報音が、リゾート全体に響き渡った。
これは「一般客」の来店音ではない。
「敵対的侵入者」を知らせる、最高レベルの緊急アラートだ。
広間の貴族たちがざわめき出す。
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
パニックになりかけた瞬間、私は素早くジェネラルさんに目配せした。
彼は心得たように頷き、マイク(拡声の魔道具)を手に取る。
『お客様にご案内いたします。ただいま、当館入り口にて少々騒がしい団体様が到着されたようです。これより「防衛ショー」を開催いたしますので、皆様はVIPルームへご移動ください』
『なお、本日のディナーは「勇者討伐記念・魔界フルコース」を予定しております』
「おお、ショーか!」
「さすが魔王城、演出が凝っているな!」
流れるような誘導。完璧だ。
私はスカートを翻し、モニター室へと走った。
「状況報告!」
「入り口の監視ゴーレムからの映像です!」
オーク隊長が投影した映像を見て、私は息を呑んだ。
ダンジョンの入り口。
そこに展開していたのは、数日前の迷子たちとは比較にならない規模の軍勢だった。
煌びやかな王家の紋章旗。
完全武装の「聖騎士団」五十名。
後方には魔導師部隊。
そして、その中央に立つ、見覚えのある黄金の鎧。
勇者アルド。
彼は険しい顔で、巨大な聖剣を引き抜いていた。
その目は血走り、焦燥と狂気が入り混じっている。
(……来ましたか)
ガストン様の話通りだ。
アルドは、私が生きているかもしれないという「疑念」を消すために来た。
聖女の遺体を確認し、自分の正当性を証明するために、国軍まで動員して。
「……ミリア」
隣で映像を見ていた魔王様が、低い声で唸った。
その瞳は、先ほどまでの眠たげな色が消え、凍てつくような殺意に染まっている。
「アレか。お前を捨てた愚か者は」
「はい。元・婚約者です」
「不愉快だ。存在自体が、俺の視界を汚している」
ゼスト様が指輪を嵌めた手を持ち上げた。
指先に、どす黒い魔力が収束していく。
空間が歪む。
「ここから消し飛ばす。城の入り口ごと、塵一つ残さずにな」
本気だ。
彼なら、ワンモーションで地上の軍勢を蒸発させられるだろう。
でも、それではダメだ。
それでは「魔王の虐殺」になってしまい、人間との全面戦争になる。
せっかく築いたリゾートが、戦場に戻ってしまう。
私は彼の手を両手で包み込み、ゆっくりと下ろさせた。
「お待ちください、オーナー」
「……なぜ止める。あんなゴミ、掃除してやる」
「ええ、掃除は私の仕事です。ですが、ただ消すだけでは『営業妨害』になりません」
私はニッコリと微笑んだ。
きっと、今の私は魔王よりも悪い顔をしていると思う。
「彼らは『魔王討伐』という大義名分を掲げています。力でねじ伏せれば、彼らは悲劇の英雄になり、次々と人間が攻めてくるでしょう」
「……面倒だな」
「ええ。ですから、戦意を削ぎます。彼らのプライドを、常識を、そして『正義』を……徹底的な『おもてなし』で粉砕して差し上げましょう」
私はモニターに映るアルドを見据えた。
彼はまだ気づいていない。
ここがもう、彼の知る殺伐としたダンジョンではなく、予約必須の高級リゾートであることを。
剣も魔法も通じない「サービス」という名の防衛システムが、彼らを待ち受けていることを。
「ジェネラルさん、オーク隊長。プランB『勇者様御一行・激辛歓迎コース』を発動します」
「「イエッサー!!」」
「魔王様は、玉座でふんぞり返っていてください。最後においしいところを用意しておきますから」
「……フン。手際を見せてもらおうか、総支配人」
魔王様は満足げに口角を上げ、私の頭をポンと撫でた。
準備は整った。
さあ、アルド。
かつて貴方が「無能」と切り捨てた家事スキルが、どれほどの脅威か……身を持って体験してもらいましょう。
私は杖(お掃除スティック)を高々と掲げた。
魔界リゾート、最大の防衛戦の幕開けだ。




