第5話 魔界リゾート、オープン
「総支配人、報告します! 今度は『商人』を名乗る人間が現れました!」
スケルトン将軍(蝶ネクタイ着用)の報告に、私は作成中の「備品発注リスト」から顔を上げた。
「商人、ですか?」
「はい。武器は持たず、荷車に商品を積んでいるようです。『取引がしたい』と」
ついに来た。
あの日、冒険者たちを帰してから数日。
彼らが酒場で広めた「ダンジョンには極楽がある」という噂は、冒険者よりも先に、鼻の利く商人たちを動かしたらしい。
「通してください。ただし、泥だらけの荷車は入り口で車輪を洗浄すること。それから……」
私は手元のリストを見下ろす。
在庫切れ寸前の小麦粉、砂糖、そして何より重要な石鹸の材料(苛性ソーダと油脂)。
これらを補充する絶好のチャンスだ。
「丁重にお連れして。カモ……いえ、大切なお客様ですから」
◇
通された応接室(元・拷問部屋)には、小太りの男が縮こまっていた。
東の商業都市連合から来た商人、ガストン。
彼は部屋に入ってきた私を見るなり、安堵と困惑が混ざったような顔をした。
「お、お初にお目にかかります……。こ、この城の主だと噂の……」
「総支配人のミリアです。ようこそお越しくださいました」
私は完璧な営業スマイルで紅茶を差し出す。
もちろん、ダンジョン特産の「魔界ハーブティー(疲労回復効果付き)」だ。
「い、いただきます……うっ、美味い!?」
一口飲んだガストンの目が丸くなる。
彼は商人らしく、すぐにカップの中身を凝視し始めた。
「こ、これは『月光草』の葉!? 市場なら金貨一枚はする希少品では……!?」
「庭(中層エリア)に雑草のように生えていますので」
「ざ、雑草……」
ガストンが絶句している。
掴みは上々だ。
私は本題を切り出した。
「さて、ガストン様。当館は現在、プレオープンに向けて物資を求めています。貴方様の荷車にある食材や布製品、全て買い取らせていただきたいのですが」
「は、はい! 喜んで! ……ですが、その、お支払いは……」
彼はチラチラとこちらの懐具合を気にしている。
当然だ。ここは魔王城。人間の通貨などあるわけがない。
しかし、私には勝算があった。
「ジェネラルさん」
「ハッ!」
合図と共に、スケルトン将軍が麻袋をドン、とテーブルに置いた。
中からジャラジャラと溢れ出したのは、色とりどりに輝く結晶。
「ひっ……!?」
「掃除のついでに拾い集めた『魔石』です。あと、ドラゴンの抜け落ちた鱗と、使い古しの牙も少々」
ガストンの顔色が、青から赤、そして黄金色へと変わった。
彼は震える手で魔石の一つを手に取り、ルーペで覗き込む。
「こ、高純度……いや、国宝級の魔石だ……! それにドラゴンの鱗だと!? これひとつで城が建つぞ……!」
「当館ではただの産業廃棄物ですので。処分に困っていたんです」
実際、魔物たちにとっては自分の垢のようなものだ。
掃除のたびに掃き集めて捨てていたが、人間界では宝の山らしい。
「これで、荷車の中身と交換していただけますか?」
「もちろんですともぉぉぉ!! 荷車ごと差し上げます!!」
ガストンは平伏せんばかりの勢いで叫んだ。
商談成立。
これで当面のリネン類と食材は確保できた。
その時だった。
「……騒がしいな」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
物理的な温度が下がったのではない。
「死」の気配が、濃厚に満ちたのだ。
扉の奥から現れたのは、不機嫌オーラを全開にした魔王ゼスト様だ。
寝起きなのか、黒いシルクのパジャマ姿で、髪は無造作に乱れている。
抱き枕(私)が不在で目が覚めてしまったらしい。
「ヒィィッ……! ま、魔王……ゼスト……!?」
ガストンが腰を抜かして床に這いつくばる。
歯の根が合わない音が響く。無理もない。
目の前にいるのは、伝承にある「人類の捕食者」そのものなのだから。
しかし、ゼスト様は彼を一瞥もしなかった。
私の隣に来て、ドカッとソファに沈み込み、当然のように私の膝に頭を乗せた。
「……ミリア。俺の許可なく、また人間を入れたな」
「商談です、魔王様。リゾート運営に必要な物資を仕入れました」
「必要ない。人間など、俺が消せば済む」
彼は私の腰に腕を回し、商人に殺気を飛ばす。
ガストンが泡を吹いて気絶しそうだ。
ここで引いてはいけない。
私は膝上の魔王様の頭を、よしよしと撫でた。
「魔王様。この商人は『シルクのシーツ』を持っています」
「……なに?」
「最高級の肌触りです。今の玉座よりも、さらにふかふかで、スベスベになりますよ?」
魔王様の赤い瞳が、ピクリと動いた。
「……さらに、か?」
「はい。それに、美味しい紅茶の茶葉も、甘いお菓子も手に入ります。貴方様の安眠と快適な引きこもりライフには、彼らの協力が必要なのです」
私は諭すように言った。
彼はしばらく黙って私の指先を見つめていたが、やがて大きくため息をついた。
「……ずるい女だ。俺の欲求を知り尽くしている」
「優秀な支配人とお呼びください」
彼はふいっと顔を背け、虚空から何かを取り出した。
それは、黒曜石に真紅の宝石が埋め込まれた、重厚な指輪だった。
宝石の中心が、まるで心臓のようにドクン、ドクンと脈打っている。
「手を出せ」
「はい?」
言われるままに左手を出すと、彼は薬指にその指輪をはめた。
サイズが自動的に調整され、指に吸い付くようにフィットする。
「ま、魔王様? これは……」
「城の管理権限だ。結界の調整も、宝物庫の解錠も、配下の指揮権も、全てその指輪に紐付いている」
彼は私の指に口づけを落とし、赤い瞳で私を射抜いた。
「好きにしろ。城も、財宝も、魔物も、全部お前にやる。好きに改装して、好きに使え」
「え……全部、ですか?」
「ああ。その代わり」
彼の手が、私の頬を包み込む。
「俺の寝床だけは死守しろ。……お前がいないと、もう眠れないんだ」
ドキン、と心臓が跳ねた。
それは、どんな愛の言葉よりも重く、切実な響きだった。
世界を滅ぼす魔王が、全てを投げ出して「お前が必要だ」と言っているのだ。
(……責任重大ですね)
チラリと商人を見ると、彼はもはや恐怖を超えて、何か得体の知れないものを見る目で私を見ていた。
「魔王を膝枕し、あまつさえ全権を譲渡させた女」……彼の目には、私が魔王以上の怪物に見えているのかもしれない。
「承知いたしました、オーナー」
私はガストンに向き直り、努めて冷静に宣言した。
「商談は成立です。ガストン様、これから定期的に物資をお願いできますね?」
「は、ははははいぃぃぃ!! 喜んでぇぇ!!」
ガストンは床に頭を擦り付けた。
「あ、あと……最後に一つだけ、情報を」
「はい?」
「王都からの噂です。……勇者アルド様が、聖女様の『遺体』を探し回っているとか」
私の背筋が凍った。
「死亡確認が取れない、と苛立っているそうです。近いうちに、大規模な捜索隊が組まれるかもしれません……」
ガストンは震えながらそう告げると、逃げるように部屋を出ていった。
静まり返った応接室。
膝の上の魔王様が、不愉快そうに目を細める。
「……勇者か。目障りなら、今すぐ消してやるが?」
「いいえ」
私は首を振った。
魔王様の力を使えば簡単だ。でも、それでは根本的な解決にならない。
それに、彼が来るというなら好都合だ。
「お客様が来るなら、最高のおもてなしを準備しないといけませんね」
私は指輪をはめた手を握りしめた。
ここはもう、私の城で、私の職場だ。
理不尽な元婚約者だろうと、全力で「接客」して差し上げましょう。
「ジェネラルさん! スタッフ総出でエントランスの改装ですよ! 『勇者様専用・激辛コース』を作ります!」
魔物たちの歓声が上がる。
私の第二の人生をかけた、究極の防衛戦(リゾート運営)が始まろうとしていた。




