第4話 地上からの迷い人
「総支配人! 大浴場の湯加減、本日も最高であります!」
カシャン! と小気味よい音を立てて敬礼したのは、ピカピカに磨き上げられたスケルトン将軍だ。
今の彼は、錆びついた鎧の代わりに、私が古布で縫った「蝶ネクタイ」を首椎に着けている。
「ご苦労様です、ジェネラルさん。脱衣所のモップ掛けは終わりましたか?」
「はっ! 塵一つ残しておりません!」
「よろしい。では次は、休憩室のソファー(元ミミック)の機嫌を取っておいてください。座り心地が硬いとクレームが来ますから」
あれから数日。
魔王城……いいえ、新生「魔界リゾート」の改装は急ピッチで進んでいた。
私の魔法【神聖環境魔法】は、対象が「場所」であれば無敵だ。
毒の沼地はろ過して「薬湯温泉」に。
針の山は先端を丸めて「足つぼマッサージ場」に。
殺風景な石壁には、発光苔を植えて「間接照明」に。
魔王様は「枕(私)がいないと眠れない」と言って部屋に引きこもっているため、実務は全て私に任されている。
そんな平和な業務中だった。
ウゥゥゥゥ――ン!!
不意に、低いサイレンのような音が回廊に響いた。
侵入者警報だ。
中層エリア、新設した「エレベーターホール(元・落とし穴)」に反応がある。
「報告します!」
ジェネラルさんが眼窩の青い炎を揺らめかせた。
「中層にネズミが入り込んだようです。武装した人間が三名……。直ちに排除して参ります!」
彼は腰の大剣に手をかけ、殺気立っている。
以前の私なら悲鳴を上げていただろう。
でも、今の私には「経営者」としての自覚がある。
「待ちなさい、ジェネラルさん」
「はっ?」
「『排除』ではありません。あれは……『お客様』です」
私は杖(お掃除スティック)を持ち直し、ニッコリと微笑んだ。
「ちょうど大浴場の試運転をしたかったところです。モニター(実験台)になってもらいましょう」
◇
「はぁ、はぁ……! くそっ、ここまでか……!」
中層エリア。
そこには、見るも無惨な姿の三人組が倒れ伏していた。
戦士風の男、魔法使いの女性、そして軽装の斥候。
装備はボロボロ、全身泥まみれ。
オークの返り血と、ダンジョンの油、そして極度の疲労による脂汗が混じり合っている。
(うわぁ……汚い)
柱の陰から様子を伺っていた私は、眉をひそめた。
衛生スコア、マイナス百点。
あんな状態で歩き回られたら、廊下のワックス掛けが台無しだ。
「ガァァァァ……!」
私の合図より先に、オーク隊長が飛び出してしまった。
彼は侵入者を見て興奮し、鼻息を荒くしている。
手には巨大な棍棒。
「ひっ、オークジェネラル!? なんでこんな中層に……!」
「終わりだ……魔力も尽きた……」
冒険者たちは絶望の表情で身を寄せ合っている。
武器を構える力も残っていないようだ。
殺される。誰もがそう思った瞬間。
「いらっしゃいませぇぇぇぇ!!」
私はオークの背後から飛び出し、彼の棍棒を杖でバシッと叩き落とした。
「ブヒッ!?」
「隊長! お客様の前で武器を見せないでくださいと言ったでしょう! 笑顔です、笑顔!」
「ブ、ブヒィ(ニッコリ)」
オークがひきつった笑顔(※猛獣の威嚇にしか見えない)を作る。
冒険者たちはポカンと口を開けていた。
無理もない。
死神だと思っていた魔物が、エプロンドレスの小娘に叱られているのだから。
私は冒険者たちに向き直り、スカートの裾をつまんで優雅に一礼した。
「ようこそお越しくださいました。当館の総支配人、ミリアと申します」
「は……? 館……?」
「はい。お客様、大変お疲れのご様子ですね。泥も汗もひどい……あ、いえ、大変な激戦をくぐり抜けてこられた勲章ですね」
危ない。本音が漏れるところだった。
リーダー格の戦士が、震える手で剣を構えようとする。
「き、貴様ら、魔王の手先か……! 俺たちをどうする気だ!」
「どうもしませんよ。ただ、チェックインの手続きを」
私はジェネラルさんに目配せした。
彼は心得たように頷き、蝶ネクタイを正すと、目にも留まらぬ速さで彼らの武器を取り上げた。
「お荷物(武器)、お預かりします」
「なっ、速い……!?」
「さあ、こちらへ。当館自慢の『薬湯』で、その汚れ……いえ、お疲れを癒やしてくださいませ」
反論は許さない。
圧倒的武力を持つスケルトンに背中を押され、彼らはよろよろと私の後についてきた。
◇
案内したのは、かつて「腐食の沼」と呼ばれていたエリアだ。
「到着いたしました。大浴場『浄化の湯』でございます」
私が扉を開けると、白濁した湯気と共に、ヒノキ(に似た香りの魔界樹)の芳醇な香りが溢れ出した。
その香りを吸い込んだ瞬間、冒険者たちの肩の力がガクンと抜けた。
私の調合したアロマには、強力な鎮静効果がある。
広々とした岩風呂には、エメラルドグリーンの湯が満々と湛えられている。
「な、なんだこれは……」
「温泉……? ダンジョンの中に?」
呆然とする彼らを、私は更衣室へと押し込んだ。
「さあ、服を脱いで。その泥だらけの鎧は私が洗濯しておきますから!」
「え、あ、しかし……」
「早くしないと、オーク隊長が背中を流しに入っちゃいますよ?」
「ひっ! 脱ぎます!」
彼らは慌ててボロボロの服を脱ぎ捨て、ふらふらと湯船へ向かった。
チャポン、と音がする。
直後。
「「「あぁぁぁぁぁぁ…………」」」
魂が抜けるような声が響いた。
石造りの浴室に、恍惚の溜息がこだまする。
「な、なんだこの湯は……! 傷が、塞がっていく……?」
「魔力が回復する……いや、それ以上に、体が溶けそうだ……」
当然だ。
このお湯は、私の【神聖環境魔法】で極限まで浄化された「超・回復水」なのだから。
本来なら聖女の儀式で一滴ずつ使うような聖水を、源泉かけ流しにしているのだ。
疲労困憊の体には、劇薬レベルで効くだろう。
(ふふん、いいリアクションです)
私はその間に、彼らの汚れた装備を『瞬間洗濯』で洗浄し、ほつれを修繕しておく。
ついでに、風呂上がりの準備だ。
三十分後。
風呂から上がってきた彼らは、別人のように肌がツヤツヤになっていた。
特に女性の魔法使いなんて、十年は若返って見える。
目は虚ろで、完全に骨抜きにされている。
「お風呂上がりには、こちらをどうぞ」
私が差し出したのは、よく冷えた「フルーツ牛乳(魔界牛の乳+ダンジョン果実)」と、特製ランチプレートだ。
メニューは「オーク肉の厚切りステーキ・薬草ソース添え」。
「ど、毒が入ってるんじゃ……」
「いただきます!」
斥候の少年が我慢できずに肉にかぶりついた。
「う、うめぇぇぇ!! なんだこれ! 肉汁が爆発したぞ!?」
「なにっ!?」
他の二人も慌てて牛乳を一気飲みし、肉に食らいつく。
私の魔法で下処理された肉は、臭みが完全に消え、ダンジョンの濃厚な魔素が「旨味」として凝縮されている。
一口食べるごとに、ステータスが上昇する音が聞こえてきそうだ。
「うまい……うまい……!」
「俺たち、死んだのか? ここは天国なのか?」
男泣きしながらステーキを貪る英雄たち。
その横で、オーク隊長(※食材の提供者)が「ブヒィ(自分の肉じゃないからセーフ)」と安堵のため息をついている。
◇
一時間後。
すっかり洗脳……もとい癒やされた冒険者たちは、新品同様に磨かれた装備を身に着け、ダンジョンの出口(転移陣)の前に立っていた。
「あ、あの……お代は……」
戦士が恐縮しきって財布を出そうとする。
私は首を振った。
「本日はプレオープン期間ですので、無料です。その代わり」
私は人差し指を唇に当て、ウィンクした。
「当館のことは、内緒にしてくださいね? まだ準備不足ですので」
(これ以上来客が増えると、私のワンオペが死ぬので)
「は、はい! もちろんです女神様!」
「夢だ……これは最高に都合のいい夢だ……」
彼らは何度も頭を下げ、光に包まれて地上へと帰還していった。
見送った後、ジェネラルさんが私の横に立つ。
「総支配人。内緒と言っていましたが……」
「ええ。まあ、無理でしょうね」
私は肩をすくめた。
あれだけ感動して帰れば、酒場で喋りたくなるのが人間というものだ。
でも、それでいい。
「あそこには恐ろしい魔物ではなく、極上の温泉がある」という噂が広がれば、殺伐とした攻略組ではなく、金払いのいい観光客が来るようになるかもしれない。
「さて、今日の業務報告書を作成しないと」
私が執務室へ戻ろうとした、その時。
「……ミリア」
背後から、地の底から響くような低い声がした。
空気が一瞬で凍りつく。
振り返ると、柱の陰から、寝間着姿の魔王ゼストがじっとこちらを睨んでいた。
「あ、魔王様。起きていらしたのですか」
「……俺の許可なく、人間を風呂に入れたな」
「ええ、モニターとして……」
「俺の風呂だぞ」
彼は不機嫌そうに目を細め、一歩近づいてきた。
その瞳にあるのは、明確な独占欲だ。
「俺が一番風呂だと決めている。……残り香が、気に入らない」
「すぐに換気しますから!」
「あと、俺の飯がない」
「あ、すみません! すぐにご用意します!」
私は慌てて厨房へと走った。
どうやら魔王様は、自分のテリトリー(と私)が他人に使われるのが相当面白くないらしい。
手のかかるオーナーだ。
(でも、その拗ねた顔も少し可愛いと思ってしまうあたり、私もだいぶ毒されているのかもしれない)
こうして、最初のお客様対応は(盛大な勘違いを含みつつ)大成功に終わった。
地上で「伝説の隠れ家リゾート」の噂が爆発し、勇者の耳に届くのは、もう間もなくのことだ。




