第3話 ダンジョン大改装計画
チュン、チュン……。
小鳥のさえずり――ではなく、遠くで蝙蝠の羽ばたく音で目が覚めた。
「……ん」
重い。
体が金縛りのように動かない。
そして何より、目の前には壁がある。
白くて、すべすべで、逞しい胸板という名の壁が。
「……あ」
記憶が急速に巻き戻る。
昨日、私は魔王城に捨てられ、掃除をして、なぜか魔王様の抱き枕に採用されたのだった。
恐る恐る顔を上げると、至近距離に絶世の美貌があった。
魔王ゼスト。
彼はまだ、私の腰に腕を回したまま、深く静かな寝息を立てている。
あの凶悪な魔王が、まるで母親に抱かれた赤ん坊のような安らかな顔だ。
(……よく寝ていますね)
数百年ぶりの安眠だと言っていたし、無理もない。
それにしても、この状況は心臓に悪い。
そろっと抜け出そうと体を捩ると、彼の瞼が震え、ゆっくりと開かれた。
鮮血のような赤い瞳と、目が合う。
「……おはよう、枕」
「ミリアです」
「ああ……ミリア。……悪くない朝だ」
彼は低く掠れた声で呟くと、伸びをしながら体を起こした。
その動作だけで、覇気が部屋中に満ちる。
でも昨日までの棘々しい殺気はない。
十分に休息を取った猛獣のような、余裕のある気配だ。
「体が軽い。頭痛もしない。……お前、いい仕事をするな」
「それは光栄です。ですが、そろそろ離していただかないと……」
ギィィィィ――。
私の言葉を遮るように、広間の重厚な扉が開いた。
「魔王様! ご無事ですか! 昨夜、謎の光が漏れておりましたが……!」
ドカドカと入ってきたのは、異形の集団だった。
先頭に立つのは、全身鎧をまとった巨大な骸骨。
その隣には、筋肉の塊のような豚頭の魔人。
後ろにはゴブリンやゴーストたちが続いている。
魔王軍だ。
本物の、魔物の群れだ。
(ヒッ……!)
私は反射的に魔王の背後に隠れた。
やっぱり怖い。
いくら魔王様が機嫌良くても、部下たちは私を朝食にするかもしれない。
骸骨騎士が、玉座の異変に気づいて足を止めた。
「な……なんだ、この空間は!? 澱みがない……? それに、玉座が輝いているだと……」
彼の眼窩にある青い炎が、魔王の背後にいる私を捉えた。
「貴様か! 人間! 魔王様に何をした!」
「ブヒィッ! 喰ってやる!」
殺気が膨れ上がり、骸骨が大剣に手をかける。
しかし、それより速く魔王が片手を挙げた。
ただそれだけで、魔物たちは「ひっ」と声を上げて硬直する。
「待て。騒ぐな」
魔王の制止により、広間に緊張が走る。
私は魔王の背中越しに、恐る恐る彼らの様子を伺った。
その時だ。
私の目は、近づいてきた彼らの「細部」を捉えてしまった。
(……汚い)
骸骨騎士の骨。
関節部分に赤錆が浮き、肋骨の隙間には緑色の苔がびっしり生えている。
カルシウム不足なのか、表面もガサガサで、粉を吹いている。
オークの皮膚。
泥と脂が層になって固まり、所々ただれて膿んでいる。
強烈な獣臭と、腐敗臭。
(許せない……!)
恐怖メーターが限界を超え、一周回って「お掃除メーター」が振り切れた。
私の視界には、もう彼らが「恐ろしい魔物」ではなく「手入れ不足で悲鳴を上げている家具」にしか見えない。
「さあ、殺してやる……覚悟しろ人間!」
骸骨騎士が一歩踏み出した瞬間、私は魔王の背後から飛び出した。
「ストォォォップ!!」
「なっ!?」
骸骨が驚いて足を止める。
私は杖を突きつけ、彼らを指差して叫んだ。
「汚すぎます! あなたたち、その体で魔王様の御前に立つつもりですか!?」
広間がシーンと静まり返った。
骸骨騎士が、カチカチと顎を鳴らす。
「き、汚いだと……? 我々はダンジョンの魔物だぞ、多少の汚れや苔など……」
「多少ですって!? その肋骨の苔! 何年育てているんですか! それ、痒くないんですか!?」
「うっ……じ、実は少々、骨の髄まで痒いが……」
「オークさんも! 泥風呂はいいですが、上がるときくらい洗い流してください! 肌がただれてかわいそうです!」
「ブヒッ!?」
私はもう止まらなかった。
魔王が止めるのも聞かず、ズカズカと骸骨騎士に歩み寄り、杖の先を彼の脛骨に押し当てる。
「骨粗鬆症予備軍ですね。骨密度もスカスカです。……あーもう、我慢なりません! お客様、特別メンテナンスコースへご案内します!」
「は? メンテ? なにを……うわぁぁぁ!?」
私の魔法が炸裂した。
「【神聖環境魔法】――『骨格研磨』!」
キュイイイイン!
光の回転ブラシ(魔力)が、骸骨騎士の全身を包み込む。
苔をこそぎ落とし、錆を除去し、骨の髄まで高濃度カルシウムコーティング!
「お、おおお……!? か、痒い! いや、熱い!? 関節の軋みが……消えていく……!?」
骸骨騎士が恍惚の声を上げて崩れ落ちる。
数秒後。
そこには、理科室の標本よりも白く輝く、パールホワイトのスケルトンジェネラルが立っていた。
「……なんと」
彼は立ち上がり、自分の手を見た。
カシュッ、と小気味よい音がして拳が握られる。
「軽い! 百年ぶりに肩が回るぞ! まとわりついていた腐食の呪いが……完全に消えている!」
彼は嬉しそうに腕をブンブン回している。
本来のスペックを取り戻したその姿は、神々しいほどだった。
私は次なるターゲット、オークに向き直った。
「次の方ー!」
「ブ、ブヒィ!?(こ、殺される!)」
「逃がしません。『高圧洗浄』&『薬湯泥パック』!」
バシャァァァ!
聖水が高圧で噴射され、オークの毛穴に詰まった汚れと寄生虫を弾き飛ばす。
仕上げに、浄化された高級薬草入り泥パックでコーティング。
「ブ……ブヒィィィン(極楽ぅぅ……)」
オークはその場に大の字になり、至福の表情で足をピクピクさせている。
ただれていた皮膚はつやつやのピンク色になり、獣臭はフローラルの香りに変わった。
ゴブリンたちのボロ布も『瞬間洗濯』で真っ白に。
ゴーストの透け具合も『解像度アップ』で鮮明に。
あっという間に、魔王軍の幹部たちは「新品同様」にリフレッシュされていた。
「はぁ、はぁ……」
私は息を整え、額の汗を拭った。
ふと我に返る。
(や、やってしまった……)
相手はSランク級の魔物だ。
勝手に洗ったりして、怒らせて今度こそ殺されるかも。
恐る恐る彼らの様子を伺う。
ピカピカになった骸骨騎士が、ガシャンと膝をついた。
「……素晴らしい」
「え?」
「体が軽い。魔素の重みで腐りかけていた骨が、ミスリル鋼のように蘇った……。これならば、勇者の一撃すら素手で受け止められる!」
オークも、ゴブリンたちも、キラキラした瞳(?)で私を見上げている。
そこにあるのは殺意ではない。
カリスマ整体師を見るような、崇拝の眼差しだ。
背後で、魔王ゼストがククッと喉を鳴らして笑った。
「おい、お前たち。その人間は俺の『枕』だ。この城の管理を任せている」
「枕……? いえ、総支配人殿!」
骸骨騎士が最敬礼した。
「失礼いたしました! まさか魔王様が、これほど有能な軍師を召し抱えておられたとは! 我ら魔王軍、貴女様の指示に従います!」
「ブヒッ!(一生ついていきます、女将!)」
どうやら、認められてしまったらしい。
しかも「掃除」をしただけなのに、とんでもない誤解を含んで。
「え、ええと……」
私は戸惑いながらも、杖を握り直した。
こうなれば、毒を食らわば皿までだ。
私の居場所を作るためにも、この不衛生な職場環境を改善するしかない。
「分かりました。では早速ですが、そこの廊下のぬめり取りから始めますよ! 全員、デッキブラシを持って集合です!」
「「「はっ!!」」」
野太い返事が広間に響く。
こうして、かつて恐怖の象徴だった魔王城は、私の指揮の下、大規模なリフォーム工事……もとい「大掃除」へと突入することになった。
(勇者アルド。あなたが私を捨てたおかげで……なんだか私、前より充実した職場に再就職できたみたいです)
私はピカピカの骸骨たちを引き連れ、意気揚々と廊下へ繰り出した。




