表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられた聖女の再就職  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話 魔王様は不眠症


「……ただの、掃除だと?」


魔王の声が、困惑に揺れた。

先ほどまでの殺意に満ちた空気は霧散し、代わりに奇妙な静寂が広間に満ちる。


彼は玉座からゆっくりと立ち上がり、石段を降りてきた。

コツ、コツ、と硬質な足音が響くたびに、心臓が跳ねる。

近づいてくると、その背の高さが際立った。

見上げるほどの長身。圧倒的な威圧感。

至近距離で見下ろされると、蛇に睨まれた蛙のように体がすくむ。


(殺される……!)


私は杖を握りしめ、ガタガタと膝を震わせた。

いくら攻撃を一度防いだとはいえ、相手は人類の敵だ。

爪の先で弾かれただけで、私なんてシャボン玉のように弾けて死ぬだろう。


魔王は私の目の前で立ち止まり、長い指を伸ばしてきた。

ひぃっ、と喉が鳴る。

しかし、その手は私の首を絞めるのではなく、ふわりと私の頬に触れた。


「……奇妙だ」


彼は低く呟いた。

その赤色の瞳が、値踏みするように細められる。


「お前の周りだけ、空気が『静か』だ。俺の魔気が完全に中和されている。……人間、名は?」

「ミ、ミリア……です……」

「ミリアか。今の光、聖魔法の一種か? いや、教会のアレとは密度が違う」


彼は興味深そうに観察してくるが、私はそれどころではなかった。

至近距離で見て、気づいてしまったのだ。


彼の顔色が、土気色(つちけいろ)だということに。


端整な顔立ちだが、目の下には濃いクマが刻まれ、瞳は充血している。

肌は乾燥して荒れているし、髪もツヤがない。


(……不健康)


恐怖の向こう側から、またしても「お世話係」としての性分が顔を出す。

この顔色は、ただの過労じゃない。

慢性的な睡眠不足と、劣悪な住環境によるストレスだ。


私は勇気を振り絞り、彼の背後にある玉座――彼が普段座り、眠っているであろう場所――を指差した。


「あの……魔王様」

「なんだ」

「失礼ですが、最近よく眠れていないのではありませんか?」


魔王の眉がぴくりと跳ねた。


「……見てわかるか」

「わかります。その目の下のクマ、肌荒れ。それに……あんな埃っぽい椅子と、カビ臭い空気の中で熟睡できるはずがありません!」


私は勢いに任せて言い切った。

言ってから「殺されるかも」と後悔したが、魔王は意外にも黙り込んだ。

深く、重い吐息を漏らす。


「……眠れるわけがない。うるさいんだ」

「え?」

「俺の魔力だ。強すぎて空間を軋ませる。この城は、俺にとっては常に鐘の中にいるようなものだ」


彼はこめかみを押さえ、心底うんざりした様子で玉座を見やった。


「埃やカビなど些細な問題だ。……まあいい、最期に面白い芸を見せた褒美だ。苦しまずに殺してやろ――」

「お待ちください!」


死刑宣告が出かけた瞬間、私は大声で遮った。

生き残る道は、これしかない。

彼の悩みと、私の特技。

需要と供給を一致させるのだ!


「私が! 私がその『うるさい魔力』も、埃も、全部まとめてお掃除します!」

「……は?」

「私を殺したら、この部屋は永遠に汚いままです。でも私を生かしておけば、貴方様に『極上の安眠』を提供できます!」


私は必死だった。

杖を突き出し、ホテルの支配人のようにまくし立てる。


「お試しで結構です! もし気に入らなければ、その時は煮るなり焼くなりしてください。ですから、一度だけチャンスを!」


魔王は怪訝そうに私を見下ろしていたが、やがて気だるげに手を振った。


「……好きにしろ。どうせ、誰が何をやろうと俺が眠れることはない」


許可は下りた。

私は震える足に力を込め、玉座へと駆け寄る。


(見返してやります。私の魔法は、勇者にとってはゴミでも……ここでは救世主になれるって!)


まずは現状把握だ。

玉座の周りに立つ。

うっ、と鼻をつまみたくなるような淀み。

魔王の言う「うるさい音」の原因が、私には「こびりついた油汚れのような魔力の(おり)」として視認できた。

空間全体にギトギトしたノイズがへばりつき、彼を圧迫しているのだ。


「これより、客室清掃(ルームメイク)を開始します」


私はスカートの裾をまくり上げ、杖を構えた。

イメージするのは、前世の記憶にある最高級ホテルのスイートルーム。

静寂。清潔。適度な湿度。

そして、包み込まれるような安心感。


「【神聖環境魔法】――『空間浄化(エア・クリアランス)』!」


杖から放たれた光の粒子が、部屋の空気を洗浄していく。

カビの胞子を分解し、淀んだ魔素のノイズをろ過し、爽やかな森の香りへと変換する。


「なっ……!?」


背後で魔王が息を呑む気配がした。

空間を支配していた重苦しい圧迫感が、嘘のように晴れていく。


まだだ。まだ終わらない。

次は温度と湿度。

地下特有の底冷えする寒さと、ジメジメした湿気を調整する。


「『最適空調(パーフェクト・エアコン)』!」


光が壁や床に浸透し、石材そのものを発熱・吸湿させる。

部屋全体が、春の日差しのようなポカポカとした陽気に包まれた。


そして、最後はメインディッシュ。

あの硬くて冷たい、石造りの玉座だ。

あんなもので寝ていたら、体中が痛くなるに決まっている。


「ええい、これでも食らえです! 『素材柔軟化(ソフナー・ブースト)』!」


「硬い」という概念は、私にとっては「凝り固まった汚れ」と同じ。

私の魔法は、物質の緊張をほぐし、その素材が持つ「柔らかさ」を極限まで引き出す。


黒曜石の硬い表面が、光に包まれて波打った。

カチカチの石が、まるで高級ソファのように弾力を帯び、表面は洗い立てのタオルのような滑らかな手触りへと最適化される。


仕上げに、殺菌・消臭の『仕上げ(フィニッシュ)』を掛けて、完了。


「……ふぅ」


作業時間、わずか三分。

そこには、さっきまでの「魔王の処刑場」とは似ても似つかない空間が完成していた。

塵ひとつない床。

適度な湿度に保たれた、清浄な空気。

そして、見るからにふかふかの玉座。


「魔王様、終わりました。どうぞ」


私は振り返り、呆然と立ち尽くす主に手招きした。

彼は夢遊病者のようにふらふらと歩み寄り、恐る恐る生まれ変わった玉座に腰を下ろした。


「……なんだ、これは」


彼の体が、ずずん、と玉座に沈み込む。

石の冷たさはない。

人肌のような温もりと、雲の上に座ったような柔らかさが、彼の巨体を優しく受け止めた。


「空気が……軽い。静かだ。魔力が、暴れていない……」


魔王の赤い瞳が、とろんと微睡(まどろ)みに揺れる。

数百年、彼を苛み続けてきた「ノイズ」は、私の徹底的な「拭き掃除」によって完全に遮断されていた。


「これなら……」


彼は抗えない睡魔に襲われたように、玉座の背もたれに体を預けた。

長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が落ちていく。


「……悪く、ない……」


最後の呟きと共に、彼の意識は深い闇の底へと沈んでいった。


スー……、スー……。


静かな寝息が聞こえ始める。

あの恐ろしい魔王が、今は無防備な子供のように眠っている。


(……勝ちました!)


私は心の中でガッツポーズをした。

生き残った。

しかも、ただ生き残っただけではない。


私はちらりと、眠る魔王の顔を見た。

安らかな寝顔は、起きている時の威圧感が嘘のように美しい。

その顔を見ていたら、不思議と恐怖心よりも、「いい仕事をした」という達成感が込み上げてきた。


「ゆっくりお休みくださいませ、魔王様」


私は音を立てないよう静かに一礼し、散乱していた自分の荷物をまとめ始めた。

とりあえず命は繋がった。

でも、ここはまだダンジョンの最下層。

これからどう生き抜くか――。


そんなことを考えていると、不意に、眠っているはずの魔王の手が伸びてきた。

ガシッ、と私の手首が掴まれる。


「ひゃっ!?」


起きたのかと思ったが、彼は目を閉じたままだ。

ただ、その手は万力のように強く、私を離そうとしない。


「……行くな」

「え?」

「枕が……逃げるな……」


うわごとのように呟き、彼は私を抱き枕のようにぐいっと引き寄せた。

抵抗する間もなく、私はふかふかの玉座の上、魔王の腕の中に収まってしまう。


「ちょ、魔王様!? 近いです、重いです!」

「……いい匂いだ……静かだ……」


もがいても、びくともしない。

彼は私の頭に顎を乗せ、満足げに寝息を立て続けている。

どうやら私という「浄化発生源」が近くにないと、安眠できないらしい。


彼の体温と、甘い香りが全身を包む。


(う嘘でしょ……私、このまま就寝!?)


最下層での初夜は、まさかの「魔王の添い寝」から始まることになってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ