第10話 永久満室の楽園
「いらっしゃいませ! 魔界リゾート・ゼストへようこそ!」
カランカラン、と軽やかなベルの音が鳴り響く。
かつて死の静寂と淀んだ空気に包まれていたエントランスロビーは、今や沢山のお客様と、活気あるスタッフの声で満たされていた。
「お荷物をお預かりします、マダム」
「まぁ、ありがとう。……あら? あなた、以前よりも骨の艶が良いわね?」
「はっ! 総支配人に『カルシウム増量コーティング』をしていただきましたので! あと、毎日の牛乳も欠かしておりません!」
蝶ネクタイを着けたスケルトン・ジェネラルさんが、貴婦人のバッグをスマートに受け取っている。
その奥では、オーク隊長が子供たちに風船(スライム風船)を配り、ゴブリンたちが床を鏡のように磨き上げている。
人間と魔物。
かつて殺し合っていた両者が、ここでは「客」と「店員」として笑い合っている。
武器の代わりにタオルを持ち、敵意の代わりにチップを渡す。
それが、私の作った新しい「ダンジョン」の姿だ。
「……平和ですね」
私はカウンターの中で、予約台帳(向こう三年分まで満室だ)をチェックしながら微笑んだ。
あれから数ヶ月。
勇者アルドの一件は、世界中に衝撃を与えた。
公開された「断罪映像」によって彼の悪行は白日の下に晒され、王家は威信をかけて彼を裁いた。
聞くところによると、彼は王位継承権を剥奪され、北の果ての修道院へ幽閉されたらしい。
今は毎朝、冷たい石の床を雑巾掛けさせられているそうだ。
「汚れが落ちない……ミリアは毎日こんなことをしていたのか……」と泣きながら掃除をしているという噂も聞いた。
(因果応報ですね。……いえ、衛生観念が身につく良い修行でしょう。頑張ってください、元・婚約者様)
私は心の中で彼に別れを告げ、目の前の業務に戻った。
「ミリア様」
声をかけてきたのは、すっかり常連となり、当館の専属バイヤーとなった商人ガストン様だ。
彼は今日、大量の最高級食材と共に、一通の封書を持ってきた。
「王都からの親書です。……国王陛下より、ミリア様へ直筆の手紙です」
「あら」
受け取った封筒には、王家の封蝋が押され、金箔があしらわれている。
内容は読むまでもない。
『過去の非礼を詫びる』『聖女としての地位と名誉を回復する』『王宮魔導師としての厚遇を約束する』……。
要するに、「戻ってきてくれ」という懇願だ。
このリゾートが莫大な利益を生み出し、各国の貴族を取り込んでいることを知って、国益のために私を利用したいのだろう。
今さら「聖女」に戻れだなんて、虫が良すぎる。
「ガストン様」
「は、はい」
「これ、厨房の焚き付けに使ってください。紙質が良いのでよく燃えますよ」
「よ、よろしいのですか!? 国王の手紙ですよ!?」
ガストン様が目を丸くして震え上がる。
私はニッコリと、しかし目は笑わずに告げた。
「私はもう、聖女ではありませんから。ここの『総支配人』です」
聖女の力は、愛と献身が源泉。
今の私が愛を注ぎたいのは、国や教会ではない。
この埃一つないピカピカの城と、私の指示で生き生きと働く従業員たち。
そして――。
「……誰からの手紙だ?」
背後から、不機嫌そうな低音が響いた。
室温がスッと下がり、ロビーの空気が引き締まる。
魔王ゼスト様だ。
今日はビシッとした黒のタキシード姿(私が採寸して仕立てた)で、相変わらずの美貌を振りまいている。
ただし、その目は嫉妬で据わっている。
「あ、オーナー。なんでもありませんよ。ただのダイレクトメールです」
「……王家の匂いがするな。不愉快だ」
彼はガストン様の手から封筒をひったくると、中身も見ずに黒い炎で燃やし尽くした。
一瞬で灰になる。
「ひぃぃっ!?(ガストン様、本日二度目の気絶)」
「ミリア。言ったはずだ。お前は俺のものだと」
ゼスト様はカウンター越しに身を乗り出し、私の頬を包み込んだ。
ロビーのお客様たちが「キャーッ♡」「見て、魔王様の公開イチャイチャよ!」「尊いわ……」と黄色い声を上げる。
恥ずかしい。完全に観光名物になってしまっている。
業務中です、オーナー。
「戻るつもりなど、ないだろうな」
「……あるわけないでしょう」
私は彼の手のひらに自分の手を重ねた。
「私の居場所はここです。この城を世界一快適な場所にすると誓いましたから」
「フン。ならいい」
彼は満足げに鼻を鳴らすと、私の手を引いた。
「休憩だ。こっちへ来い」
「えっ、でもまだチェックインのピークタイムが……」
「ジェネラルに任せろ。……大事な話がある」
彼は強引に私をカウンターから連れ出し、最上階のバルコニーへと連れて行った。
そこは、ダンジョン全体を見下ろせる特等席だ。
かつては暗闇と瘴気に満ちていた空間が、今は発光苔のイルミネーションで輝き、まるで地上の星空を閉じ込めたような絶景が広がっている。
「綺麗ですね……」
「ああ。お前が変えた景色だ」
ゼスト様が手すりにもたれ、私を見つめる。
その瞳は、出会った頃の「気だるげな赤」ではない。
意思と、熱を帯びた「鮮やかな真紅」だ。
「ミリア。俺は魔王だ。破壊と恐怖こそが本分だった」
「はい」
「だが、お前が来てから……悪くないと思うようになった。静かな夜も、温かい食事も、誰かが笑う声も。……お前の淹れる茶の香りも」
彼は不器用に、けれど真剣に言葉を紡ぐ。
「俺の生き方まで、リフォームされた気分だ」
「ふふっ。それは光栄です」
「だから」
彼は私の前に跪いた。
世界を統べる魔王が、一人の人間に膝をつく。
あり得ない光景に、私は息を呑んだ。
彼は虚空から、以前の「マスターキー」とは違う、新たな指輪を取り出した。
それは透き通るようなダイヤモンド……いいえ、魔力の結晶石だ。
彼の瞳と同じ、美しい赤色が輝いている。
「契約更新だ、総支配人」
「え?」
「雇用契約ではない。……生涯のパートナーとしての契約だ」
彼の顔が、少し赤い。
視線を逸らしながら、それでも言葉を続ける。
「俺の横で、ずっと笑っていろ。俺の髪を乾かし、俺の食事を作り、俺と同じベッドで眠れ。……お前以外の『浄化』など、もういらない」
それは、魔王様なりの精一杯のプロポーズだった。
不器用で、独占欲が強くて、でも誰よりも私を必要としてくれる言葉。
「世界を敵に回してもお前を守る」という、重くて温かい約束。
胸がいっぱいになって、視界が滲む。
私は指輪を受け取ると、自分の薬指にはめた。
サイズはぴったりだ。吸い付くように馴染む。
「……条件があります、魔王様」
「なんだ。国の一つでも欲しいか? すぐに滅ぼしてくるが」
「違います! ……ちゃんと、毎日お風呂に入ってくださいね?」
「……チッ。努力する」
「それから、散らかしたら怒りますよ?」
「善処する」
「最後に……」
私は屈み込み、彼の首に腕を回した。
「私を、世界で一番幸せな従業員にしてくださいね?」
ゼスト様が目を見開き、やがて破顔した。
それは今まで見た中で、一番無防備で、少年のような笑顔だった。
「ああ。約束しよう。……愛している、ミリア」
重なる唇。
バルコニーの下から、魔物たちとお客様たちの盛大な拍手と冷やかしの声が聞こえてくる。
花火魔法が打ち上がり、地下の空を彩る。
私は元・聖女。
勇者に捨てられ、「次は絶対に働かない」と誓ったはずの元・社畜。
それなのに気がつけば、世界一忙しいリゾートホテルの総支配人になり、あまつさえ魔王様の妻になってしまった。
(まあ、悪くありませんね)
だって、ここは私が磨き上げた、私だけの楽園なのだから。
「さて、休憩終わりです! 仕事に戻りますよ、あなた!」
「……やれやれ。手厳しい妻をもらったものだ」
魔王ゼスト様は苦笑しながらも、幸せそうに私の腰を抱いた。
私たちの「国造り」はまだ始まったばかり。
今日も明日も、この楽園は「満室御礼」だ。
さあ、最高のおもてなしを始めよう。
「いらっしゃいませ! 本日も、ピカピカの笑顔でお待ちしております!」
(完)




