9 「どうした母さん」←本当にな
そして隣にいた清隆の母が持っているものに目がとまり、一華も中嶋も黙り込む。そこへ後から来た清隆が母を見つけて近寄った。
「どうした母さん、出刃包丁なんか持って」
「本当にな」
かすれた中嶋の突っ込みにはまるで反応せず……聞こえていないだけだろうが、老婆は眉間に皺を寄せてモソモソとしゃべる。
「またじいさんがいるからよぉ」
「あっはっは、それ親父じゃないよ母さん。中嶋さんの車だから」
「おいこら待て」
たまらず出刃包丁を取り上げ、タイヤの傷と合わせるとピタリと傷の大きさが合った。つまりこの事態は目の前の老婆が起こした事だというのはよくわかるが、もはやどこから突っ込んでいいやらといった感じで中嶋は固まっていた。
「なんべん刺しても死にゃしねえで」
「そりゃそうだ、それタイヤだから。それに親父もう死んでるから」
「どういう夫婦だったんだよ!」
とうとう我慢できず中嶋が全力で突っ込めば清隆があっはっはと笑いながら手を横に振る。
「あ、心配しなくても親父の死因は病死ですから」
「当たり前だ、出血多量による死亡だったら速攻警察署にブチ込むわ」
「これでも親父と母さんは親族の中でも指折りのおしどり夫婦でして」
「説得力ねえよ!」
「ちょっと晩年サバゲーにハマってただけですよ」
「サバゲーは刺殺しねえよ! ゲームはゲームでもデスゲームになってんじゃねえか!」
『落ち着いてサトちゃん、とにかくタイヤどうにかしないと帰れないよ』
一華の冷静な一言に我に返る。そうだ、こんな所でもたもたしていられない。タイヤは全部使い物にならないし、車に積んでいるスペアタイヤは一個。一応パンクを直す応急処置セットも入っているが、何せ刃渡り20センチの刃物で刺されたのだ。そんなもので処置して一番近くのガソリンスタンドまでもつかどうか。そもそも近場のスタンドがどこなのかもわからないが。
うーと唸りながら車を睨みつけていると、騒ぎを聞きつけたらしい他の親族がわらわら寄って来る。何があったのかと聞いてくるので清隆が事情を説明していると、迷惑そうに顔を顰めた者もいたが基本的には大丈夫かというリアクションだった。一応調査に協力的だった親族の一人がタイヤを見て「こりゃだめだ」と呟く。
「この辺りにガソリンスタンドは」
「個人経営のが近くにあるが、たぶんタイヤなんかねえぞ」
『マジでガソリンしか売ってないんかい』
その後数人にスペアタイヤがないかを聞いたがそういったものはなさそうだった。車を貸してもらえないかも聞いたが、皆車は仕事で使うので長時間貸すのはちょっと、という反応だった。それはそうだ、この辺りは車がないとどこにも行けないのだから。他の手段を考えるか、と諦めて立ち上がると先ほどの里津子が来る。
「これはもしかしたら今まで起きた不運の延長かもしれない。中嶋さんにはすぐにでもこの件を解決してもらわないとね!」
どこかわくわくとした様子で目を輝かせる里津子に中嶋は固まった。嫌な予感に汗が出る。
(このガキ、さっさとよくわからん事件を解決したいがために俺をここに残す気か)
「待て、それとコレとは関係な……」
「まあもともとそのつもりで呼んだんだし、泊まっていってもらったらいいんじゃないかな」
「あんなざっくりの調査じゃわかるもんもわからんだろう。協力するから泊まってけ。おーい、酒持って来い」
「勝さん単に酒飲みたいだけじゃないの?」
「こんな奴を泊める必要なんざ」
「泊めるのはウチなんだから別にいいじゃないですか叔父さん」
「なあに? この人に泊まってもらうと困ることでもあるの? やましいこととか」
「誰もそんな事言ってないだろう!」
「じゃあいいですね、あはは」
やいのやいのと親族同士が話し合い始め、誰も中嶋の声に耳を傾ける者はいない。中嶋は青筋を立てたまま黙り込んでしまった。一華はそっと中嶋の顔を覗き込み、若干引きながら一応声をかける。
『サトちゃん、顔に全員死ねばいいのにって書いてあるよ』
完全に殺意に満ちた目をしている中嶋は一応心の中で落ち着けと繰り返し呟くと、ポケットから携帯を取り出して事務所にコールする。
「小杉か、中嶋だ。今事務所に誰残ってる。お前だけ? じゃあお前でいいや、レンタカーの手配――」
「セェイ!」
「イテエ!?」
威勢のいい掛け声と共に中嶋の手が思い切り弾かれた。持っていた携帯は天高く吹っ飛び、数秒後バキっという音と共に地面に着地した。
眉間に皺を寄せて振り返れば、里津子が片足立ちでトントンとバランスをとって跳ねている。
『わー、凄い回し蹴り』
思わず一華がパチパチと拍手するくらい見事に里津子の下からの蹴り上げが中嶋の携帯、というか手に直撃したのだった。




