5章 お疲れさまでした
テストも無事に終え、なまった体を走り込みでほぐす。いくら仮想世界で走ったとはいえ所詮は仮想世界。現実の身体は凝り固まったように悲鳴を上げていた。
いつもの川辺をいつも通り走りながらテストのことを思い出す。
『やっぱりお前はクソ野郎だな』
『じゃあね朝日奈さん。いつかどこかで会う機会があったら、その時は、陽って呼んでよ。僕の名前。青島陽』
『あ、さひ、な……ころす、れいのとこ、つくまえに……!』
『今回の1位は村雨零さんになりました。おめでとうございます。島にたどり着いた方、テストを断念する方はヘルメットを外してご帰宅ください。お疲れさまでした』
結局私は1位になれなかった。青島が自爆したとき一瞬出遅れたから。あの時即座に動いていれば村雨に勝てたかもしれないのに。今になって悔しさがじわりじわりと脳を犯す。それに青島の自爆がなかったら村雨と五月の相手を1人でしなくてはならなかった。青島には感謝すべきなのかもしれない。だけど。
『僕が知ってる歴史ではあることをするんだよ』
『バイバイ!』
もうあんな事させたくなかった。見つけた青島は氷のように冷たくて、息もしておらず、ぐったりとしてまるで死んでしまったように感じた。挙句それを村雨に助けてもらうという始末。それに天野弟がいなければ溺れて呼び戻すことも出来なかったかもしれない。1位を取れなかったことよりも青島の息をしていない姿を見るのが嫌だった。
テストが終わった後もそうだ。起こすために青島の所へ向かったが、目の周りは赤く腫れて汗でぐっしょりとした身体。しばらく目を覚まさないだろうと天野弟に医務室まで運んでもらったんだ。帰る前に見た青島の顔はとてもいいものとは言えなくて。
悔しくて前が滲んできた。テストの時もそうだったな。なんで今日だけでこんなに涙が出そうになるんだ。気持ちが悪い。何も考えずに走りたいのに。
もっと自分を疲れさせようと全力疾走で走ろうとしたところ、聞き馴染みのある声が私を呼んだ。
「朝日奈さーん!」
黒いフワフワした髪が私のほうに向かってくる。青島だ。なんで。さっきまで医務室でぐったりしていたはずなのに。
「よかったー!お礼が言いたかったのに先生に聞いたら帰ったって言われて……でもやっぱりここにいた!」
ニコニコ笑ってるがそんな場合じゃないだろ。家に帰ってゆっくり休め。そう言いたいのに口が固まって何も言えない。
「先生に聞いたらね!僕合格だって!気絶したままだったら不合格みたいだけど起こしてくれたんでしょ?本当にありがとう!」
「……」
お前を起こしたのは村雨で私はただ吠えることしか出来てなかった。村雨が来なければお前は不合格だったってことだ。私には何もできていない。情けない現実に言葉が詰まる。
私が何も話さないことを不思議に思ったのか、青島が悲しそうな笑顔で私を見てきた。
「朝日奈さん大丈夫?ちょっとこっちで座ろう?」
腕を引かれて崖の方へ座る。初めて走り込みをした時に休憩した場所だった。手を握りながら青島が座り始めたのでそれにつられるようにして私も芝生の上に座り込んだ。
「……」
「そろそろ夏だから川の近くでも熱いね」
「……」
「手汗酷いでしょ?緊張してるのかな」
腕から伝わってくる青島の手のひらは少し熱いような気がした。でも先ほどまで走っていた私の腕も汗まみれなのできっとその手汗は青島のではないだろう。すると何かを覚悟したようにぎゅっと腕を握られ、笑った顔の青島と目が合った。
「朝日奈さん。今日は本当にありがとね。絶対に合格してやるって思ってたけど今回は朝日奈さんのおかげ。助かりました!」
「……」
「昨日の夜は不安だったけど、朝日奈さんが僕の好きなものの話をたくさん聞いてくれたおかげで不安だった気持ちも全部吹き飛んだんだ!だから今日のテストすっごい楽しかった!」
「……」
「島にもゴールできたし、僕の目的達成だよ!本当にありがとうございました!」
楽しそうな笑顔で語っているが、こちらとしては何一つ納得できなかった。ダサい交渉道具を持ってきた割に途中で自爆するわ合格を私のおかげだと言うわで本当に意味が分からない。青島じゃなければぶん殴ってるところだ。
「朝日奈さん……?怒ってる……?」
怒ってるに決まってるだろ!と言いたいのにそうではない気持ちのほうが強く感じた。どういう感情なのかわからない。『バイバイ!』と言われたときの絶望感。ぐったりとしたまま動かなかったときの焦燥感。コイツを見てるといつもそうだ。咳き込んで苦しんでるとどうしようもない焦りに襲われてイライラする。それに怒鳴り散らしたくもなるけれど、今はそうではない。どうしたらいいのかわからなくて、目に滲んだ水が頬を伝ってきた。
「ぅえ!?朝日奈さん!?どうしたの!?」
どうしたもこうしたもあるか。自分でもわからない。でもそれをぶつけていいのかもわからない。青島も焦っているのか背中を優しくさすってくれた。何とも言えない感情に支配されて消えてしまいたくなる。
「朝日奈さん?」
「もう、消えてしまいたい……」
「え?」
「消えてしまえばいいんだ」
思わず言葉に出てしまった。こんな意味の分からない自分など消えてしまえ。背中をさすりながら下から私の顔を覗き込んできた。情けない顔を見るな。
「消えたいなんて言わないでよ」
お前がそうさせたんだろうが。文句を言う為に睨みつけてやると何故か青島の方も泣いていた。
「悲しいこと言わないでよ。朝日奈さんが苦しんでるのを見ると僕まで苦しくなってくる。そんな思いさせたくない。僕にできることは何か無いのかなぁ」
見たこともないくらい悲しそうな顔で涙を流していた。今は私が悲しくなってたところだろ。お前が余計に悲しんでどうする。
「朝日奈さんはどうしたら消えたくなくなる?」
お前が消えてくれたら。お前が学校を辞めて普通の学校に通ってくれればそれだけでこんな思いはしなくてもいい気がする。でも、そうじゃないんだ。そうじゃない。私が感じてる悲しみの正体はこれじゃないんだ。
「自爆……」
「え?」
「自爆されたのが嫌だった」
テストの帰り道からお前と話してる今まで何度も繰り返して聞こえる『バイバイ!』の声。あの声を聴いた後の光を何度も思い出す。
「絶対合格したいって言ってたのになんであんなことしたんだよ!」
「朝日奈さん……」
「私に役立たずって言われたのに交渉しに来て、テスト当日は私の言いなりになって、やっと、合格直前まで来たのになんで自爆なんてしたんだ!」
泣いてるせいで声が掠れる。涙が溢れて止まらない。あの自爆がなければコックピットの中で1人でぐったりと気絶してることだってなかった。なのに、なのに……!
「なんで苦しい方を選ぶんだよ!」
私はお前の苦しい声が耳障りで嫌いだ。悲しい顔も目障りで嫌いだ。いつもアホ面晒してバカ話してりゃいいのに。体力がないのにこんな学校来て、テストでも顔色を悪くして、自爆までする。苦しいことしてばっかりだ。最後の二つに関しては私のせいでもあるので消えたくなってしまう。なんでそんなことがわからないんだよ。
「朝日奈さん、僕、いつも苦しくない方を選んでるよ」
「……はぁ?」
「むしろ苦しまなくていい方を選んでるんだ」
「この学校に来て何回咳き込んだと思ってんだ!何回コックピットの中でぐったりしてたんだ!今日だって息をしてなかったんだぞ!天野が、村雨がいたから……!」
「この学校に来なければ僕は僕のことを嫌いになっていたし、あの時自爆しなければ役立たずな自分を恨んでた。朝日奈さんの苦しそうな声を聴いて何もできない自分を嫌いになってたよ」
「学費のためなんだろ!?意味が分からねえよ!」
「学費のためだけじゃない。僕は、僕のことを1番に応援できる人間になりたくてここに来たんだ」
コイツは宇宙人か?言ってることの意味が何一つ理解できない。学費のために1年で卒業できるこの学校に来て、何度も訓練で墜落して、私みたいな偉そうなやつの言いなりになって、挙句退学しかける。コイツの行動は本当に意味が分からない。
「だって、自分という存在を肯定できるように頑張るって決めたから。だから僕は自分が応援できることをした」
どこかで聞いたことがある言葉だった。いつか誰かに、私が言った言葉。優しい背中と温かい声の持ち主に自慢気に話したことがあった。
『だって、私自身が1番の応援者でしょ?私という存在を私が肯定できるように、運動も勉強も頑張ることに決めたの。楽をしちゃうとその自分を応援できないかもしれないからね』
誰に言ったんだっけ。あまり思い出せないが私も私自身が肯定できる行動をいつもするようにしていた。
「あと、このお守りかな?仮想世界に持っては行けなかったんだけどずっと握りしめてたんだ。この感触だけで僕は頑張ろうって思えたんだよ」
青島が見せてきたのは返してもらってなかった天野弟のハンカチ。星のロゴが入った私と色違いのハンカチだった。
「朝日奈さんもこのハンカチ持ちながら走ってたなと思って。頑張ってる朝日奈さんにあやかろうとして持ってたんだ。なかなか返せなくてごめんね」
そのハンカチで私の涙を拭いてくれた。だけど拭いても拭いても治まらなくて、どんどん涙があふれ出てくる。テストの時のことも、涙と一緒にぽろぽろ漏れ出てしまった。
「お前が合格できたのは私のおかげじゃないんだ」
「え?」
「お前が自爆した後、私はお前のことを一切追いかけず島に向かった。でも1位は村雨に取られて、五月が泳いできたことを知ったんだ。海の上を探して、天野弟がお前を抱えた状態で海の上に浮いてて、それをお前が最初に乗ってた戦闘機で運んだ。目を覚まさせてくれたのは1位をとった村雨で私はほとんど何もしてない」
「朝日奈さん……」
「私は私のことしか考えてなかったんだよ」
情けなすぎて本当に悔しい。お前に偉そうに言っておいて私は役に立たなかった。村雨と五月の後姿を見た時、自分の浅はかさを思い知ったんだ。
「だからお礼を言われる筋合いはない。自分で勝ち取ったものだ。むしろお前が自爆までして五月を抑たのに私自身は目的を達成できなかった」
「そうだとしても、僕にとってはありがとうだよ」
「話聞いてなかったのか?」
「今回合格できたのは間違いなく朝日奈さんのおかげだよ?2番目の島まで戦ってくれて、海で僕のこと探してくれたんでしょ?僕こそ自爆までしたのに五月君は合格してるし村雨君が1位になってるしで何にもできてない。朝日奈さんがいなかったら僕今頃退学だったよ。だからありがとうって言う筋合い全然あるからね!」
楽しそうに笑ってる青島と目が合う。海を閉じ込めたようなキラキラした瞳。心なしか身体が軽くなるのを感じた。
言われてみればそうだ。何だって私はこんなに落ち込んでるんだ。役に立ちすぎだろ。ゴールしたのに海にまで探しに行ったのか。コイツのために。意味が分からない。適当に放り投げてりゃ良かったのに何をしてるんだ私は。
コイツのアホ面見てたらバカらしくなったので、頭をチョップしてやった。
「あてっ!朝日奈さん?」
「本当にそうだな。お前はもっと私に感謝したほうがいい」
「ぇえ!?何その急な方向転換!」
「次のテストじゃ脱落確定だな。それまでせいぜい頑張れ」
「なんだよそれぇ!僕だって頑張ったんだよ?」
「何を?」
「え、えっと、自爆とか?」
「結局海を探す羽目になったんだ。足しか引っ張ってねえじゃねえか」
「うぅ……そうだけど……!」
オロオロしている姿が見ていて気持ちがいい。すっきりした。危うくコイツのせいでうじうじ悩むところだった。八つ当たりなきゃ気が済まない。リズムよく何度もチョップをする。
「あてっいてっ!何回やるんだよぉ!お互いを褒め合う感じじゃなかったの?」
「お前のどこを褒めろって言うんだ。アイス食ってたところか?」
「それ褒めるところじゃないじゃん!もお!元気になったからって好き放題言いやがって!」
まあ、お前が燃料を貯めていたおかげで最後は島に上陸できたんだ。お前自身の力で勝ち取った合格と言ってもいいだろう。
なので私は青島のことを認めてやることにした。