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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

花喰い鬼の恋煩い

作者: toe


──鬼の行動の根本は、全て飢餓に繋がっている。


そんな話をしたのは誰だったろう。巫女として村を守っていた祖母かもしれないし、鬼婆と恐れられた白重(バクエ)だったかもしれない。ああ、確かにその通りだ。鬼の全ての感情は、飢餓に通じている。喜怒哀楽はもちろんのこと、愛憎も。……そう、愛すらも。


紺朴(コハク)に出会ったのは夏の祭り終わり、社の片付けに向かった夜のことだった。提灯が緩んで地面に降ろされていく。賑わいは薄れ、出店を飾っていた色とりどりの提灯や行燈も吹き消されていく。あんなにも場を満たしていた甘い飴の匂いや焼き物の香ばしい匂いも少しずつ霧散して、元の森の湿った匂いに変わっていく。祭りの後の静まっていく光景を、紺朴は神社の森の中に隠れて寂しそうに見つめていた。


最初に彼に会った時、私は当然腰を抜かしたものだ。美しい青年の姿──月に透ける白銀の髪と夕日のような赤い瞳──をしていても、その額に聳える一対の赤い角は隠せなかった。その角を見た瞬間私は震え上がって、お願いだから食べないでと懇願もしたほどだ。立てない私を目をまあるくして、壊れ物のように助け起こしてくれた紺朴は、私が伝え聞いていた鬼と全く違いすぎて、何を信じればいいのか分からなくなって──せっかく手を差し伸べてくれたのに逃げるように社を後にして、まだ片付けで忙しい祖母に泣きついたのを覚えている。


わあわあ泣き喚く私を宥め、話を聞いた祖母はなんと紺朴を知っていた。いつものように厳めしい調子で鬼は恐ろしく忌避すべき禍いと前置きした上で、紺朴をこう称した。「類まれに見る気性が穏やかで、人を食わず、人語を解する鬼」なのだと。彼は今のところ人を襲ってはいないよ、と語る祖母にひとまず安心した私に、けれどと続ける。


「今までそうだったからと言って、これからもそうとは限らないけれどね」


その声は憐れむようだった。



紺朴はその後も時折社に訪れていた。私がそれを知っているのは私も社に足を運んでいたからだ。人を食わない、人語を解して穏やかな鬼。あの口ぶりだと祖母は会話したことがあるのだろう──私はそれが羨ましかった。あれほど恐ろしがったくせに私だって鬼と話してみたいなんていう、単純で浅はかな好奇心。けれど、私がそれを後悔することはなかった。


紺朴は驚いたことに私を覚えていた。逃げた私がまた社に姿を見せて、あまつさえ紺朴に話しかけるのを信じられないものを見る目でみていた。それは、そうなのだろう。いつだって──どこでだって、鬼は恐怖の象徴で、忌避されるものである。けれど私が祖母のことを話すと納得したように紺朴は笑って頷いた。


「あの巫女殿は肝が据わっているからなぁ、孫娘殿もそうなのだな」


そう語る紺朴の声はこの世のものとは思えないくらい柔らかで、あたたかで、綺麗だった。美しい声だった。


だから、私は。


この寂しげで、美しくて、孤独な鬼に恋をしたのである。何も知らない──あるいはだからこそ──一介の小娘の分際で、愚かにも。


「名前はなんていうの?」


「巫女殿から聞いているだろう?私は紺朴。……お前さんは?」


「ヤカミ。ヤカミって呼んで」


「わかった、ヤカミ」


紺朴は優しかった。私が、きっと祖母も知らないことも知っていた。鬼は人を食うのは確かだけど、ほんの一握り、理性を持ち食わずにいる鬼もいるんだとか。


その例としてある日紺朴は白重を連れてきた。ざんばらの白髪に血走った目をして、耳まで口が裂けた恐ろしい形相のその鬼婆は、見た目の猛々しさとは裏腹に静かで力強い話し方をした。彼女の口調は私を叱る時の祖母を思い出させたのである──慣れているものに重ねてしまえば恐怖は薄れてしまうものだ。私は一部を除いてすぐに白重に慣れたし、ありがたい事に白重も私を気に入ったようだった。


「お前は紺朴が好きなのかい?」


「っぶふっ?!」


「なんだ図星かい」


ある日のこと。白重はそんな話を振ってきた。すっかり会合場所と化した社の森で、私の手土産の丸々太った鮭をバリバリと食べていた時に。

白重は人を食う鬼婆だった。だから、白重といる時は代わりになる肉を安全のために持ってこいとは紺朴の言である。白重もそれは自覚しているようで、最初干し魚を何匹か持って行った時は私を今にも噛みつきそうな目で見ていた。大きな獲物で食べ応えがあるものの方が、彼女は好みらしい。流石に鶏や豚の足は持ってこれないので、大きな魚一尾を献上するようにした。それを白重が食べている間は私たちは友人のように会話ができた。


「紺朴はいい子だよ。鬼にしちゃ鬼が良すぎるけどね」


「鬼が良すぎる?」


「そうだろう?いまだに人を食ったことがないんだ、私たちの根幹は食うことなのにさ、あいつは──そうさね、鹿も熊も食う。でも人は食わない」


もし鬼に善悪があれば、紺朴は善の鬼なんだろう。優しい鬼。愚かな鬼。遠い昔話のように、命を愛して蹂躙をやめた鬼。そんな紺朴を白重は愚かだと語る。鬼が良すぎる愚か者。


「私たちは人を食うものとして生まれてきた。お前たちが米を育てるのと同じように、魂に刻まれた宿命ってやつさ。それに抗う紺朴は馬鹿だよ。いい子だけど、やっぱり馬鹿だ」


「白重様……」


「そんな紺朴が好きなお前も、馬鹿だねえ」


バリ、と白重が鮭の頭を噛み砕く。私を見る目は哀れなものを見るようで、悲しげだった。まるでこれからの私たちを予見するようだった。



秋が過ぎて、冬になった。私と紺朴は手を繋ぐようになった。

冬になると食べ物がないからと白重は来なくなって、必然的に私と紺朴が二人でいる時間が長くなっていた。同時に彼の気持ちも知るようになる。


鋭く凶悪な爪を持つ手が、壊れ物のように私の手を握る。不気味な赤い瞳に、精一杯の慈しみが灯って溶けている。寒いだろうと獲った獣──川の水で綺麗に洗われて、血も脂もなくなった肌触りのいい──の皮を持ってくるようになって、それに私をくるんで抱きしめるようになった。その腕は触れたら壊れる紙細工を相手にしているように優しい。


「紺朴」


「どうかしたかい?」


「……ううん、あったかい」


それでいて決定的なことを私たちは言わないまま寄り添い合う。紺朴は雪を食べていきたいと溢すようになった。雪が溶けたら花を、花が枯れたら木の皮を、木の皮が無くなったら霞を。鹿を食べるのはやめたの?と私が笑いまじりに聞くと寂しげに紺朴は笑った。その意味を私が知るのはまだ先の話。


冬は沈んで、年が明けた。正月に出かける私を嗜める両親を祖母が宥めていた。鬼に会いに行っているなんて知れたらもう社には行けないことは分かっていた。それでも何も聞かず、何も言わずに私を庇う祖母を意外に思う。祖母は巫女だ。巫女は邪を祓うもので、いつかその役目は母に、そして私に引き継がれる。将来巫女になる私が邪悪の権化である鬼に会いにいくのを、恋をするのを黙認する祖母にどんな思惑があったのか、私は知らなかった。


「気をつけて行っておいで。暗くなるのが早いから、早めに出るんだよ」


「うん。ありがとう、おばあちゃん」


思えば、みんな知っていたのだろう。それでも恋をした少女に夢を見せ続けた。終わりがわかっていたからこそ、その幕引きに引き裂かれた心を受け止めてやれるように。


年を明けてから紺朴は痩せたように思う。そのかわり目がギラついて角が大きくなった気がした。しきりに寒い、温かいものが食べたいというので握り飯とお茶を差し出すが、それには手をつけずに紺朴は首を振る。抱きしめる腕のやわらかさが優しさか衰弱かわからなくなった。でも、もうすぐ冬が明ける。花が咲く。彼を苛む寒さと雪が、早く溶けることを祈った。


──鬼の行動の根本は、全て飢餓に繋がっている。


近くの村で鬼が現れたらしい。春が来る少し前の話だった。

村人全員、男も女も子供も関係なく食い殺されていて生存者はいないらしい。真っ白な雪が血と臓物で赤く染まって、それはまるで地獄のようだったそうだ。弔いに行った祖母が沈んだ声で語るのを聞いた。私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


──鬼の行動の根本は、全て飢餓に繋がっている。


この半年、この言葉を繰り返し聞かせていたのは誰だっけ?祖母が私を見る。厳めしい顔つきの先で、深い憐憫が浮かんでいる。その意味を悟った。悟ってしまった。


──祖母は、紺朴が村を襲ったと思っている。


違う、と首を振ろうとした。振ろうとして、私の中に繋がった線に気がついた。今人を食わないからと、これからもそうとは限らないと語る祖母の言葉。鬼婆である白重と会う時は手土産を持っていけと語った紺朴。食うことは宿命だと語った白重。でも、ここ最近紺朴は鹿はおろか、私が差し入れに持って行った握り飯も食べていない。食べることは鬼の宿命であり本能だ。それを避け続けて、後には何が残るだろう。


「ヤカミ──」


「私、社に行ってくる!」


「お待ち!ヤカミ!」


気づけば私は走り出していた。追いかける祖母の声はどんどんと遠のいていく。

違う。違う。紺朴はそんなことをしない。紺朴は人を食わない鬼だって私は信じている。縋っている。だって、こんな幕切れなんて嫌だ。こんな壊れ方受け入れられない。私たちに訪れる別れなら、もっと、もっと──


──いつか訪れると知る別れなら、もっと優しいものだと信じていたのに。


「紺朴!紺朴!」


しんしんと雪が降る中、真白な森で必死に紺朴を呼ぶ。声が反響して雪が落ちた。足跡もあっという間に消し去って、全て埋め尽くしていくような牡丹雪。あの村の血はこの雪にもう隠れただろうか。


「紺朴!どこ!?紺朴!」


「……ここにいるよ」


美しい声にハッとすると紺朴は目の前に立っていた。ずっと外にいたのだろうか、着物も頭も雪まみれだ。また角が大きくなった気がする。困った笑みがひどく弱々しく見えた。赤い瞳が獰猛に、まるで轟々と燃える炎のように輝いていているものだから、思わず私は怯んでその場に釘付けになった。そんな私をそおっと紺朴は抱きしめる。まるで世界から私を隠すように。


「どうしてきたの、ヤカミ。危ないよ」


「こ、紺朴、」


「鬼が出たんでしょう。巫女殿に止められなかった?」


「……っ、あれは紺朴じゃない!」


紺朴の体は冷たくて、骨ばっていた。こうして抱きしめられて、彼が酷く衰弱していることを知る。きっと冬の間私に巻いてくれていた毛皮はこの姿を隠す意味もあったのだろう。

顔を押し付けて紺朴の鼓動を聞く。弱々しく、けれど早い鼓動はまるで苦しんでいるようだった。抱きしめる腕がまるで押し潰さないようみ震えている。鋭い爪を持つ手が傷つけないよう握りしめられている。これは全部、紺朴の願いで優しさだったと気がついた。


「……ヤカミ、お腹が空いた」


「うん、」


「温かいものが食べたい」


「……うん、」


「……ヤカミ、が、大好き、」


「……、こは、」


「ヤカミ、が、ヤカミを、食べたいよ……」


──鬼の行動の根本は、全て飢餓に繋がっている。


──喜怒哀楽はもちろんのこと、愛すらも。


気づいた。知った。知ってしまった。彼が優しさの雪に埋めていた飢餓が、名も知らぬ──きっと理性すらない鬼に暴かれた。愚かなほどに優しい鬼の秘密を、隠すことを思いつきもしない鬼に壊された。壊れた秘密は二度と戻らず、保たれていた関係は二度と戻らない。


「紺朴、私も、……紺朴が好きだよ」


「知ってる。知ってるよ、ヤカミ」


「っ、そばにいたかったよ、紺朴……!」


きっと私が愛故に身を差し出すのは簡単だけど、それでも苦しむのは紺朴なんだろう。なら、きっと幕引きは今で。優しく愚かな鬼を傷つけたくない臆病で卑怯な私は、この手を離すしかないのだ。


「紺朴」


「ヤカミ」


同時に私たちを呼ぶ声がして、そっと離れてそれぞれを向いた。それでも最後の温度を刻みつけるように、指先は絡めたままで。

森の奥にいるのは白重だろう。社の方から声をかけてきたのは祖母のはずだ。

涙が滲んで視界がぼやけた。まつ毛がどんどん凍っていくのを感じて目を擦る。こんな終わりなんて欲しくなかった。もっと優しい別れなら、きっと泣かずに済んだのに。


「……行かないと、ヤカミ」


「うん、」


「……離さないと」


「う、ん」


「白重は短気だから」


「うちのおばあちゃんもそう、」


きっと白重も祖母も知っていた。知っていて見守ってくれた。私たちの優しい恋が、淡い夢が少しでも長く続くように。

こんなに誰かの手が離し難いなんて知らなかった。知らないままでいたかった。この温もりを忘れてしまう未来が怖くてしかたなかった。


と、くんと紺朴が繋いだ手を引き寄せる。振り返った私のおでこと紺朴のおでこが優しく触れ合う。角は熱を発しているらしい。そこだけほわほわとあたたかった。


「……いつか、いつかの話だよ?」


「うん」


「私が……ヤカミを食べたいって、思わなくなった頃に、花を食べて生きられるようになった頃に、」


「……うん」


「また会いにくる。その時幸せだったら、ヤカミはそのまま幸せになって。私を待たないで。でも、」


──鬼だって泣くのだと、その時になって気がついた。紺朴の頬を包む手と同じように、私も紺朴の頬を包む。熱い涙がみるみる冷えて、顎の辺りで氷になった。濡れた手のひらが薄い氷の膜を張る。それでも構わない。



「もしその時幸せじゃなかったら、私といた方が幸せだったら、一緒に来て」


「……うん、うん、もちろんだよ、紺朴」


雪が降りしきる。嗚咽も囁き声も閉じ込めて、牡丹雪は降り続けていた。



これは、その後の遠い遠い春の話。

満開の桜の木の下で、白銀の鬼が眠っていた。


「こーーはーーくーー!紺朴!いつまで寝てんだ起きろ!俺腹減った!」


「……うるさいな……白重は?」


「猪獲りに行った。なぁ!俺たちも早く──」


「行かない。私は花で十分だ」


「痩せ我慢してるくせに!しーらね!」


それだけ乱暴に言い残すと小鬼は紺朴を置いて去って行った。その後ろ姿を見送りながら、白銀の鬼はまた微睡む。

まだ己の主食は花ではない。肉の柔らかさが恋しいし、啜る血の甘さを味わいたい。骨を齧る歯応えも、臓腑の苦味も、何もかもが恋しいものだ。

けれど、それよりも尊い夢を見てしまったから。手を伸ばして花を摘む。甘い桜の香り。ほんのり苦い萼の味。枝の確かな歯応えと、不意に訪れる蜜の甘さ。最近美味だと思えてきたそれ。少しずつにじり寄っていく夢想への道。


約束がある。白銀の鬼はその約束が叶う未来を夢に見続けている。

鬼っぽい名前を追求して行ったらキラキラネームもびっくりの難読になってしまいました。

紺朴(コハク)白重(バクエ)です。

書きながらこんばくとはくじゅうと呼んでいた。


雪の切なさに触れたい夜に。

貴方の心を揺らせたら幸いです。

よろしければいいねや⭐︎評価、感想等お願いします!

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